第四話 武速
百目野は柳田家に向かっている。小泉教授が前もって電話を入れてくれた。物は揃えておくそうだ。柳田家と小泉教授は今も随意であるそうだ。しかし、「フェラーズの記述」は知らなかった。最近になって「どうしたものか」と相談されたのだと云う。
「本郷4丁目・・・この辺りだな」昨日、近所で惨殺事件が起きた。「柳田家も怯えているだろうに・・・」
「此処だ。うん?」玄関横で怪しい男が2人、中を覗いていた。「ヤクザのようだ」ヤクザが柳田家に何の用なんだ?その2人は百目野に気づくと、そそくさと退散した。「何なんだ?」
百目野は玄関のベルを鳴らした。「はい!」戸が開くと中年男性が出てきた。「柳田さんですか?私・・・」「阿鼻大の百目野先生ですね」先生とは小っ恥ずかしい。「どうぞ、上がってください」居間に通され珈琲を出された。「今、持ってきます」「申し訳ありません」家にヒビが入っている・・・。今にも崩れそうだ。「最近、此処らも物騒でしてね。はい、これです」思っていたより分厚い。「すごいですね」「代々、保管してたんですがね。捨てちまおうか?と小泉教授に偶々話したら、やめなさい!是非、見せてくださいとね」「そりゃあ、そうですね」「全部、英語で書かれてあって、何が書いてあるかもわからんのです。で、先生たちに渡して一度調べてもらうかと」「貸していただけますか?」「勿論です。そのまま大学に置いてもらった方が助かります」「ありがとうございます。詳しく調べさせてもらいます」
「ところでご家族は?」
「妻は7年前に病気で亡くしました。高校生の息子が1人おりますが、出かけております」「学校ですか?」「いえ・・・」何か事情があるらしい。その先は聞かないことにした。
「百目野先生!あなたや小泉先生はオカルトの権威なんでしょう?」「いえ、超自然學と云う学会でもアブノーマルな学問です」
「うちの先祖が打ち立てた学問ですね」「はい、私はご先祖の国緒福学長を尊敬しております」
「百目野先生!柳田家はそれで代々呪われているんです」「呪われている?穏やかではないですね」
「こういうことが出来るんです」するとテーブル上の珈琲カップが浮いた。「あ!」「こんなのは子供騙しですよ」「何時頃から?」「子供の頃からです。私が小学生の時、超能力やオカルトブームがありましてね」「はい、知っています」「調子に乗って学校でスプーンなんか曲げていたんですよ。俺にも出来るぜって。皆がすごーい!って」
「そうですね」「処が、いきなりマスコミがインチキだと云い始めて、私は嘘つき呼ばわりです」「はい・・・」
「虐めにあったんです。ず〜〜〜っとです」「お気の毒に」「どうも親父からの遺伝らしいんです」「はい」
「親父はフェラーズさんに会っているんです。爺さんに連れられてGHQに行ったそうです。その資料もフェラーズさんから受け取ったのは親父です」「お父さんは?ご健在で?」「既に死にました。実は爺さんから生前聞いたんですが、親父はスサノオに会ったそうなんです」「え?!!」「その資料には書いていないことです。本人がフェラーズさんにそう云ったそうですが、本人は覚えていなんです」「5歳ですからね」「スサノオにこう云われたそうです」
君が先生のお孫さんだね
「そう云って頭を撫でたそうです。それから数年後、親父は・・・・」「超能力が芽生えたと・・・?」
「そうです。スサノオは曾祖父さんへのお礼に柳田家に力を授けたのだろうと思っています」「頭を撫でただけでですか?」「はい、処がそれはわが家系には、ただの不幸だったんです」「・・・・・」「親父や私は戯言のような能力でよかったんですが、実は・・・息子が・・・武速が・・・凄まじい能力を」「2世代を介して真の能力が芽生えたと?」「この家を見てください。彼と口喧嘩した時ですよ。うるさい!と叫んだだけで家が崩壊しそうになったんです。学校でもそうです。クラスメイトと喧嘩になって相手を睨んだだけで腕の骨を折ったんです」「・・・・・まさにスサノオの力だ」
「息子はそれから毛嫌いされましてね。そして不良になりまして、街を徘徊しちゃ喧嘩ばっか。大怪我をさせて。私は警察ばっかでした。そこをヤクザが目をつけたんです」「ヤクザ?」さっきの連中か?
「で組員になっちまって家にも帰って来ず」「今はどこに?」「わかりません」「お父さん、よく話してくれました」
「フェラーズさんの資料を今になって取りに来たのも何かの縁かもしれません。十分調べて結果を教えていただけますか?」「無論です。もしかしたらこの中には日本の闇の歴史の一部が書いてあるかもしれません」「家のことは他言は無用ですので」「はい」
百目野は帰路についた。「息子は不良、家の前をヤクザがうろうろして・・・柳田家は近所で嫌われているだろうに・・・お父さんが気の毒だ」
「しかし、なんて膨大な資料だ。しばらく大学に缶詰だな」
その中身は想像した以上の須佐の事柄がびっしり書かれていた。
1930年の訪日から1945年末GHQを退席するまでの15年間の記録。80年前の記録だ。このNOTEに関わった者は全て故人だろう。いや、須佐は今もどこかで生きている。
題名は「GOD OF SUSA NOTE」である。