③無い胸弾む、キャンパスライフ!
場所は変わって、先輩に連れてきてもらったのはラーメン屋である。先輩は「ここ美味いんだ」と笑うが、なるほどいい雰囲気だ。まず薄汚れた看板には「らぁ〜めん」と極太の字で書かれているし、店内は私のアパートの部屋と同じくらい狭い。カウンター席には壮年の男性が難しい表情で並び、無言で麺を啜っている。壁は油やら煙草の煙やらで汚れていて、メニューだと思われる茶色い紙には「ショウユトンコツ」としか書かれていない。一番端のカウンター席に座るや否や、先輩は流れるように言った。
「大将、ラーメン油マシ野菜大盛り麺バリカタ」
「同じもので」
「オッ、いい食べっぷりじゃねぇか」
先輩の大きな手が頭を撫でようとして、ヒュッと引っ込めた。
「あっ、わるい、なんか」
「いえ、良いですよ。いくらでもどうぞ」
「いや悪いなんか、なんだ……つい、なんだろうか」
たくましい腕を組み、壮年の男性ズと同様に難しい顔で唸る。
「分かりました。私を一撫でと、先輩の筋肉一撫でを交換しましょう」
「待て待て待て待て」
大きな手のひらが私に向けられた。STOP。
「カンナちゃんはどうしてそんなに筋肉が好きなんだ」
「否、筋肉ではない。私はおっぱいに激しい憧憬の念を覚える」
「えっと、だな……昨日も帰り際言っていたなぁ」
「私は記憶がありません。何をほざいておりましたか?」
これだ、これを私は聞きたかったのだ。先輩、また「うゔ……」と頭を抱えて肘をつく。チラリとカウンターの奥の厨房を見ると、大将が「パァン! パァン!」と麺のお湯切りをしている。鬼気迫る表情。鍋からすくいあげるは濁った茶色いスープ。
「……なんでそんなにカンナちゃんはその、あの、胸を、」
「貧しい我が乳房を先輩のような山あり谷ありの姿にしてやりたい」
「なんでそうなるんだ!?」
先輩の野太い声が、鋭い突っ込みを放つ。
「実は深く悲しき理由があるのです」
私が目を伏せると、目の前にゴトンとラーメンが置かれた。赤いドンブリの中で黄色い麺が絡み合って泳いでいる。メンマ、煮卵、厚いチャーシュー。そして溢れんばかりのもやし。なるほど、これが「油マシ野菜大盛り麺バリカタ」。男臭いショウユトンコツラーメンの匂いが、私の腹をぐぅと鳴らせる。
隣を見ると、先輩も大きな目を爛々とさせてラーメンを見つめていた。勢い良く、箸を中に突っ込み、荒々しくもやしを掻き分けてガツガツと麺を啜る。素晴らしき食べっぷり。私も習うとした。
「ズズッ……! 実はッ……………ズズッ!! 昔ッ! 待ってめっちゃくちゃ美味しいですねこのラァメンッ!!」
話そうとして、私は一瞬でラーメンの味に意識を持って行かれた。待て待て、めちゃくちゃ美味しいぞこのラーメン。かなり豚骨のダシが濃厚にとろけた汁はドロドロと太めの麺に絡み、熱々のまま口内を暴れて胃に落ちる。美味! シャキシャキのもやしの山は、麺と合わさって新たな食感を生み出す。旨い! 厚めのチャーシューはかぶりつくと猛々しいまでの肉、肉、肉感。旨し! 全部が! 旨い!
先輩や壮年達に負けず劣らずの勢いで食らいながら、私は話す!
「好きな男の子を………………ズズッ!! 巨乳の女に取られたことがありまして……………美味ッ!!」
「ハァ!? 何だと!?」
大きな声と共に先輩は顔を上げた。口の端についていたもやしが、ボチャンと汁に落ちた。
「嘘でした」
「嘘なのかよ!」
しょうもない嘘をついて申し訳なく思う。
「大した理由はありません。X染色体を2つ合わせ持つ者として、巨乳に憧れるのは当たり前体操ではないでしょうか」
「確かにな」
納得した様子の先輩は、またズズッ! といい音を立てて麺を啜りだした。私も習う。
カウンターの向こうで、大将が苦笑いで私達を見守っていた。
◎ ◎ ◎
あれからというもの、山谷先輩は何かと私を気にかけてくれるようになった。理由は全く分からぬ。大学に行こうと自転車に乗ろうとすれば、後ろからノッソリと筋骨の塊が顔を出す。
「今から大学か」
「如何にも」
「俺もだよ」
先輩が乗るのは、乗ったら潰れてしまうのではないかとさえ思うほど細いフレームの、赤い自転車である。跨るその姿は、さながら赤兎馬を操る呂不のようだ。もちろん呂不に会うたことはない。
一方の私は貧相な胸によくお似合いの貧相なママチャリである。かなりダサいとサヤにひとしきり笑われたのが、前籠に飽き足らず後ろ籠まで設置した魔改造についてである。無論ヘルメットも被る。先輩、また広い肩を震わせる。解せぬ。
「もう授業始まってるのか?」
「いえ、まだオリエンテーションばかりですね。サヤは既に授業中ほとんど寝ております」
「あの子は図太そうだ。……部活は見に行ったりしたか?」
首を振る。シャコシャコと自転車を漕ぐ。春風なびく、学生街。
「まだ謎のイベント団体にしか行っていません」
「高校生のときは何してたんだ」
「超絶怒涛の帰宅部です」
先輩、反応に困って「そ、そうか」と笑う。私なんぞに構って何が楽しいのか微塵も理解が及ばないが、私は自転車を漕ぐたびに弛緩したり張り詰めたりする硬い腿肉、否、腿筋を眺める事ができて有り難き幸せ。
◎ ◎ ◎
「あたし、あのサークル入ろうかなとか思ってて」
時は変わって、オリエンテーション地獄を乗り切った後は、無駄に設備の整った学食にて。サヤはナポリタンを箸で啜りながら言う。
「先輩たち、めちゃいい人ばっかじゃんあそこ、なんだっけパッパラパーじゃなくて」
「パピプペポーだったはず」
「そうそう、てかカンナさぁ、あのひととめっちゃ仲いいじゃんやったじゃん」
何がやったのだろう。恐らくは山谷先輩のことであろうが、私はあの驚異の胸囲に憧れているのみだ。
「何ゆえ気にかけてくれるのだろうか」
私は「デカ盛りとんかつ定食」の千切りキャベツを頬張りながら考える。
「私が哀れな貧乳だからであろうか」
「確かにカンナ胸無いよね!? なんか断崖絶壁っていうか、もはや凹んでね?」
「黙れ、一般乳」
わたしもサヤのように陽気なリア充になれば、乳も膨らむのであろうか。ふわりとパーマの巻いたブラウンの髪を揺らして、サヤはニヤーと笑った。
「ねえ、入ろうよカンナも」
「あのような失態を犯した後、合わせる顔が無いと何度言えば」
「山谷先輩だって入ってほしいって思ってるよ〜」
「本当か? 普通乳」
「おい貧乳、あたしもキレるぞっ!?」
ここまで軽口を叩ける友人を、早くも得たことは何よりも幸運であろう。口にも顔にもなかなか出せぬ天邪鬼な私ではあるが、ヘニョリとした笑みを浮かべておくことで、この場の感謝と代えさせて頂いた。
「ねぇ、あたし天才だわ、いいこと思いついた」
箸に真っ赤なナポリタンを巻きながらサヤは言う。不敵な可愛らしい笑みを、ナポリタンで真っ赤な口元に浮かべて。
「おっぱいの鍛え方さ、山谷先輩に教えてもらいなよ」
「サヤ、貴様は天才か!」
思わずでかい声を出した。無い胸が高まる。
「そうさせていただこう、今世こそボッキュンボンになるのだ」
「前世も貧乳なの、ウケる」
「正直な話な、」
トンカツの最後の一切れを口に入れて、私は言った。
「痩せの長身貧乳は、見た目が棒のようで悲しいのだ。子孫繁栄、そしてこの私の素晴らしき遺伝子を世界に残すには、何としても巨大な乳によって伴侶を得ねば」
「もー、カンナわけわかんなくて、ほんとすき」
サヤはひとしきり笑ったあと「マジ応援してる! 良い方法があったら教えてね!」と親指を天に向かって突き出した。
なお、話に熱中しすぎて昼からの講義に二人して遅刻した模様。