②嗚呼、哀しき哉、貧乳女子。
「…………いや、板垣死すともカンナは死せず」
倒れ込んだと思ったが、意外と平気であった。少し目眩がしただけだ。なんだかグラグラ揺れている視界には、心配そうな顔の先輩だけが映り込んでいる。
「あーもう、カンナちゃんそれ酒だ……喉乾いたなら言ってくれりゃ良かったのに」
先輩に手を差し伸べられて、私は大きな手を握り返す。そのまま立ち上がることができた。感謝痛みいる。誠に申し訳がない。
「なるほど、これが酒というものなのれすね……にゃるほど、ウーフフフフゥ……」
「すっげぇ分かりやすく酔ってるなぁ」
酔うとは、このような現象なのか。ああ、しかし今、至近距離に筋肉の盛り上がりが二つ。それに今まで言及しなかったが、汗でTシャツが透けに透けた結果、盛り上がりの天辺に鎮座する桃色の果実までがクッキリと見える。あまり低俗な言葉を使うことは好まないがあえて「エロい」と言わせてもらおう、エッロいなぁ〜、なぁんだこの光景は〜!
「せんぱい、巨乳ですなぁ」
「ブハッ!」
先輩は酒を吹き出した。
「なぁ、巨乳ですなぁ。はぁ、先輩、なにゆえブラジャーをしないのです。どうしました。ブラジャーは忘れたのですか」
「いやいやいや、ちょっとカンナ、何やってんの!? はっあはっはは!」
「いえー、あたしは大丈夫だけど、カンナ……フラッフラじゃん、無理しちゃだめーだよ」
バッシン! バッシン! と背中を叩く新しき友に激怒しそうである。雄っぱい先輩はオロオロしている。
「栞菜ちゃん、帰るなら送る。心配だしな」
「ええ、真にございますか、巨乳先輩」
「真にござる」と、先輩は笑った。嗚呼、良い光景也。
「ならば、お言葉に甘えようか」
私は、やはり限界だったようだ。そのまま、もう一度フラーリと倒れ込んでしまった。今度は起き上がりこぼしとはいかなかったようだ。
◎ ◎ ◎
忠告しておこう。そもそも人間は三種類に分けることができる。一つは、アルコール分解酵素であるアセドアルデヒドを体内に十分に持つ人間である。そのタイプは酒をたらふく飲むことができる。二つ目は、アセドアルデヒドを多くとは言わないが少しは体内に持つタイプの人間である。無理をしなければ酒を楽しむことくらいは可能である。最後は全く、もしくはほとんどアセドアルデヒドを持たぬ人間だ。このようなタイプの者が酒を飲むと、それはそれは急速かつ確実に体調を悪くする。最悪死ぬ。それゆえ、大学のオリエンテーション講義の一環で、口酸っぱく「断る勇気」を力説されたものだ。そして言うまでもないが未成年は酒を飲んではいけない。
私か、おそらくアセドアルデヒドに選ばれし民ではなかったのだろう。
「……むむ」
目を覚ますと、私は自宅にいた。簡素な畳の八畳に、まだ片付いていない段ボールの山。ふむ、どうやら私は気づかぬ間に帰宅していたらしい。お早う世界。
「いかん、記憶が抜けている。昨日何があったのだろうか」
二日酔いにはなっていなさそうだ。安心する。私は重たい眼を擦ってスマートフォーンを覗いた。ちなみに私はつい一週間前に初めてこのスマートフォーンを手に入れたばかりなので、まだ画面に触るだけで操作ができるという事実にさえ慣れることができておらぬ。ホームボタンを親指で強く押し、電源を起動させるといくつかライン・メッセージが届いていた。
『カンナー、昨日は大丈夫だった? あたしはあの後、二次会に行ったよー! また遊ぼうね!』
おそらくこれはサヤである。そして、謎の「イベント団体★スプラピ・スプラパ」というライン・グループに招待されていた。これはなんだ。何の機能だ。とりあえず私はこの、緑色の男に矢印が突き刺さったようなマーク……『参加』を押した。押した瞬間に、「ポポポポポポポポポポ」という轟音をたてて大量のメッセージがなだれこんできた。
『カンちゃん大丈夫?』『昨日はお疲れ様!』『体調はどう?』『大丈夫?』
「うおぉ!?」
吃驚しすぎてスマートフォーンを落とした。
恐る恐るタップすると、次々と「チャットルーム」のようなものにメッセージが次々に来て、恐ろしささえ感じる。
「何事」
おおげさにスマートフォーンから距離を取って怯える私に、さらなる無慈悲な現代科学SF(という名のライン・メッセージ)が襲い来る。これはイベント団体のライン・グループではない。個人・ラインである。
慣れぬ指で『あがりとうこさいます、たいじょぶです』と送り、一息つく間も無かった。
『無事だったか』
画面に表示された名は『山谷』。何者だ。
『すまみせん。どつらさまですk』
先程から強ばる指でタップしたメッセージのみすぼらしさよ。すぐに『既読』という白い文字が浮かび上がり、「くわばら!」とまたスマートフォーンを落とした。像が踏んでも割れぬと噂の液晶ディスプレイを選択して正解である。落としすぎである。
『お、覚えていないのか。昨日家の前までは送ったが、後が心配で』
「……送ってくれた人なのか」
それは大変な無礼をしてしまった。すぐさま詫びた。しかし、私は何か大切なことを忘れているような気がするのだ。
そう、あの美しき、キョ……
『失礼しむした、あなtaha胸筋のせぱんいですね』
『カンナちゃん、ライン慣れてなさすぎな』
恥。
嗚呼、迷惑をかけてしまったことに対する罪悪感だ、これは。しばらくあのサークルのウェイ様方に合わせる顔がない。しかし、私の無い胸が痛むのは、恐らくあのような素晴らしき胸筋を拝む機会はもうないであろうという、ほんのりとした寂寥のせいであろうか。
◎ ◎ ◎
寂寥を前言撤回する。重い溜息を吐きながら、とりあえずコンビニエンスストアに食べ物でも買いに行くかとアパートから出ると、上の階のドアも開いたようだった。まだボロボロの身なりで、髪も四方八方に飛んだ無残な見た目であるのであまり同アパートの住人に見られたくはない。もう一度部屋に戻ろうとした私は、降りてきた者の顔を見て「WHY」と異国言葉を放ってしまった。
「……胸筋先輩、どうしてここに」
「いや、俺も送るとは言ったが、まさか……」
驚き固まる私を見て……先輩は苦笑いをする。ジャージを着た先輩は、大きな手でぼりぼりと頭を掻いた。
「なんで同じアパートに住んでるんだ……?」
「待ってください、誤解です、ストーカーではござらぬ。本当に偶然です」
「はは、知ってる」
笑うと、巨乳が揺れる。本当に今さっき諦めたばかりの巨乳が目の前にある。不可解。摩訶不思議。
「昨日は私、失礼などを致しませんでしたでしょうか」
目を逸らして申し上げると、山谷先輩はまた白い歯を見せる。ホワイトニングが褐色の筋肉に映えて、やはり素晴らしい。朝日(ではない、もはや昼日)が降り注ぎ、その姿はギリシア神話に出てくるへーラクレースの彫刻を彷彿とさせる。ジャージが神話の石像がよく着ている白い布に見える。私は昨日も今日も、変わらず「筋肉」否「おっぱい」に関しては大真面目である。
先輩は、同様に目を逸らす。
「……その、カンナちゃんは」
「どうぞ、煮るなり焼くなり潰すなり。まあ潰すような胸を持ち合わせないですが」
「どうした昨日から……!?」
この反応から見るに、恐らく女性のシンボルの名を連呼していたに違いない。
「カンナちゃん、俺のおっぱいがそんなに好」
「感動しました」
言い切る前に私は言った。困って黙ってしまった先輩は、苦笑いをして
「……昼飯でも行くか」
と、言った。それは真か。私は「宜しくお願いいたします」と深々と頭を下げた。
全員20歳です!