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①嗚呼、素晴らしき哉、胸筋男子!

 ああ、なんと美しい「雄っぱい」であろう。私は一目見てそう思った。


 かねてより「雄っぱい」なる概念があるということだけは知っていたが、ナマでそれを見たのは後にも先にも初めてのことである。白いTシャツからは健康的かつ魅惑的な筋肉が隆々とはちきれんばかりに主張している。いや、凄いのは「雄っぱい」のみではないのだ。もはや彼の身体はほぼ筋肉で出来ているといっても過言ではなかろう。まず、縦にも大きければ横にも大きいのだ。ラグビーの化身なのか、もしくはキャプ○ン翼にご出演なさっていたのでないかと思うほどに広大な肩幅。首は闘牛なのかと思うほどに太くたくましい。腕は丸太のような太さであるし、上腕二頭筋、上腕三頭筋、前腕にかけてそれぞれにモリモリとした力こぶの山が膨れ上がっている。そして顔つきも目鼻立ちのはっきりした、いかにもマッチョメンというような感じのいい青年である。


 あまりに素晴らしい筋肉に釘付けになっていた私に……一人の女子が話しかける。


「カンナ、おーい。もっと自分からぐいぐい行かないとー!こういうのはさぁ」

「……一理ある」

「ねえ、ほんとなんなのー、そのしゃべり方」


 そうは言いながら、このような変わり者にも良くしてくれる新しき友垣……サヤと、入学式で隣の席になれた幸運には感謝するしかない。そしてサヤがグイグイと私の腕を引っ張って連れていこうとするのは、このイベント会場の要である、BBQコンロのある場所である。


 やれやれ、先週入学したばかりの大学であるが、この大学には『イベントサークル』なる、恐らくは厳選されし「リア充」という生き物しか籍を置くことを許されぬ団体があり……私は今、そのイベントサークルが主催する「新入生歓迎合同バーベキューパーティー」に来ているのだった。大方、この「リア充」の素質のありそうな友人、サヤに強制的に連れてこられたに等しいが。集まった新入生は大体30人程度。どうせ「リア充」の素質がありそうな者しか来ていない。


 共に参加しているこの、新しき友垣「サヤ」であるが、茶色く染めた髪をカールさせ、レースのついた服の上からカーディガンを羽織り、そしてダボついたズボンというよくわからぬ格好をした奇妙な女である。と、私は思っていたのだが入学してから30回はサヤと同様の服を着た者を見た。とある界隈では着ることが義務付けられているのかもしれない。私のような着物コートを普段着にしている奴は、とにかく浮きに浮いている。


 しかし何も浮いているのは服装だけではなく、もはや今の私の存在そのものが浮いていると言っていいだろう。イベントサークルの者どもは桜の木の下で5つほどのバーベキューコンロを準備しつつ、適当に目のついた新入生に「どこ出身?」やら「何学部?」といった、「とりあえず新入生にはこれを聞いておけば会話は成立する」質問ランキング上位に恐らく入るであろう項目をしきりに聞いている。ああ、私か。輪に入れずにそれを眺めながら、さっきからずっと「雄っぱい」にガンつけていたが、何か。


「なんか手伝うことありますかー! あ、あたし法学部新入生の早川サヤです! こっちは同じ法学部の友達で、及川カンナちゃんです!」


 サヤは、そのような、かなり敷居の高い輪に私を連れてグイグイ入り込んでいく。サヤのコミュニケーション能力がレベルマックスを突破している。いかにも「ウェイ系」な茶髪の先輩たちは「よろしくー! いやいや、準備するからゆっくりしてていいよ、ありがとうね!」と笑いかける。そしてその中に例の雄っぱい男もいた。


 いやしかし、近くで見るとより堪らんな。腹筋は板チョコのように割れているのが服の上からもありありと分かる。美しいシックスパック。ああ、数えたい……シックスパックが本当にシックスなのか数えたくて仕方がない。もしシックスでないのなら、その理由を科学的に突き止めたい。そしてやはり、私の目線はもう少し、その上に泳いでしまう。嗚呼、巨乳だ……まさしくこれは巨乳である。少なくとも私の痩せこけた、貧相な胸よりは確実に大きい、妬ましいほどに……。


 私が気を取られている間に、サヤは先輩たちとの談笑を早くも開始していた。出身地、学部、兄弟の有無などの個人情報を惜しげもなく晒しながら、サヤはケタケタと明るく笑っている。ハラハラと桜が舞っているのも相まって、その光景がまぶしくて仕方がない。私といえば、どうしたものかと思い悩みながらボケッと突っ立っている、哀れな貧乳である。すると、話しかけてくれたのは、まさかの巨乳先輩であった。


「緊張してるのか?」


 なんと声まで筋肉質である。いや待て、意味不明だ。えっとだな、低いがあたたかみのある、いい声だ。先輩は精悍な顔立ちによく似合う薄い唇を少し微笑ませて私を見下ろしていた。


「すみません、慣れていないもので」


 先輩は「そうか」と笑った。そしてTシャツから少し汗を滴らせながら、バーベキューのコンロにもう一度向かい合う。慣れた手つきで、炭を火バサミで転がす。パチパチと音が鳴って、炭の煙っぽいにおいがした。


「そろそろ網のせるか」


 大きな声で胸を張って言うから……ほら、ああ。汗ではりついたTシャツの下からムクムクッと胸が……おっぱいが、巨乳がはちきれんばかりに主張していくではないか! 目の毒だこんなものは!


 仲間の「ウェイ系」に肉のトレイを手渡された先輩は、白い歯をニカッと見せて「サンキュ」と爽やか度150パーセントの筋肉スマイル。そして、慣れた手つきで熱くなった網の上に良い色をしたお肉を綺麗に並べていく。ふむ、案外几帳面なのかもしれない。


「わぁ~、おいしそう!」


 サヤがひょっこりと覗く。ウェイ先輩たちが「サヤちゃんまだ早いよ」と笑った。サヤ、恐ろしい奴。あのようなパーティ・ピープルたちとすでに打ち解けたというのか。


「一人暮らし始めるとお肉買うのも一苦労じゃないですか~」

「一理ある。私は最近、金銭の使い道に困りあぐねて結果、食パンしか食べていない」

「カンナ、こないだのオリエンテーション、食パン丸々一個持ってきてたよね」

「かなり浮いて悲しかった。なんだ女子大生って小さな弁当箱に卵焼きとタコサンウインナーを入れねばならぬ法でもあるのか」

「ちょっと真顔でディスんのやめてって~」


 私たちの会話を聞いていた先輩たちが「ブフ」と噴き出した。あぁ、おっぱい先輩も肩を震わせている。


「カンナちゃん……いや、ごめんいきなり下の名前は失礼か。えっと」

「及川カンナであります。カンナで大丈夫ですよ、もしくはおやっさんでも。高校の時のあだ名ですが」

「おやっさんッフフフ、ハハハハ!」


 ついに爆笑されてしまった。解せぬ。先輩、しっかりと肉を見てくれ。焦げるぞ。


 私が指さすと、先輩は慌てて肉をひっくり返し始めた。ほかのウェイたちが「おい、山谷ぃ、新入生ナンパしてんじゃねえよ」とからかっている。それに先輩が「ナンパなんかしてねぇよ!」と、けっこう本気トーンで言い返していた。


 先輩がひっくり返した肉は、ピンク色からどんどん色を変えていく。じゅうじゅうという音と、肉の焼ける香ばしい匂いが公園中に広がっていく。私の鼻孔も刺激して、口の中から唾液がじゅわじゅわでてくる。なんと良い光景であろうか。そしてその面倒を見ているのは類まれなる筋骨の加護を受けた、すばらしきマッチョメンである。なんと素敵な光景であろうか。


「そろそろ良さそうだ。ほら、カンナちゃん食べな」


 先輩は肉を紙皿に載せて手渡してくださる。


「有り難き幸せ」

「ほんとツボるわその口調……」


 サヤもケタケタと笑っている。不思議な気持ちで、肉を頬張った。久々の肉は、炭で焼いた風味が抜群の、ちょっと固めの幸福の味であった。



◎ ◎ ◎



「俺らさ、こういうイベント企画サークルなんだ。色々やるんだよ、このバーベキューも恒例だし、あとは夏は七夕まつりを企画するな。秋は学祭の盛り上げ要員、冬はクリスマス会とか」


 雄っぱい先輩と、その仲間たちは私達を構ってやることに決めたらしい。他のコンロでも輪ができていて、なるほどこれがリア充大学生の新歓というものなのか……と感心しながら、私は一切の遠慮なく肉を食っていく。ちなみに相変わらず先輩の巨乳を、隙あらばガン見させていただいている。


「なんか楽しそうでいいですね〜!」

「でしょー、本当楽しいよ!」

「私は向いてなさそうですね、でも」


 事実を述べたまでだが、先輩方を困った表情に変えてしまった。申し訳無い。ただ、雄っぱい先輩だけは「はははっ!」と快活に笑う。


「そんなことねぇだろ、友達はいっぱいできる。楽しいぞ」


 まあ、先輩は確かに人望が厚そうだ。それだけ友達できたら楽しいだろうな。「へー」と聞いてる私の隣で、雄っパイセンは手際よく、次々と肉を焼いていく。ジュウーという音と、肉の焼ける匂いが、食べても食べても私の腹ぺこを増進させていく。


「ちなみにモテますかね」

「俺、サークル入ったけどまだ彼女いないよ〜!」


 チャラい茶髪の先輩が笑いながら答えてくれた。


「なるほど、そういうわけではないんですね」


 てっきりこのようなウェーイというノリが何よりも必要なサークルに入れば自ずと恋人ができるのかと思っていた。しかし、なんでこの胸筋、笑っているんだ?


「カンナちゃんもサヤちゃんもモテそうだな、すぐに彼氏くらいできそうだ」

「でも、あたしのおにぃは大学入ったらモテるなんて都市伝説だとか言ってましたよ」

「ちがいねぇ」


 何だと。そこまで至高の筋肉を得ておきながら、恋人がいないのか、先輩よ。なるほど、相分かった、きっと人間が100人いれば必ず2人はいると言われる「筋肉が恋人」のタイプの男であるのだ。ストイックである。まさに徹底された、鍛え上げられた精神と肉体。


「二人とも法学部?」

「そうでーす、まあつぶしが利くかなと思って入ったんで別にあれなんですけど」

「カンナちゃんはガチ系?」

「本命大学のセンターの点をとり損ねたのでやむを得ず」

「意外だな!?」


 何が意外なのだろう。本当に意外なのだな、大胸筋に誓えよ先輩。


「おお、法学部の先輩もうちのサークルには多いぞ……ってなんか、勧誘してるみたいだな?」


 先輩はそう言いつつ、網の上の肉を丁寧に何度もひっくり返す。網の上で焼ける音を立てているお肉は、また食べごろになったようだ。皆は箸でお肉を皿に移していく。先輩はテキパキとまた新しく肉をのせる。手際がよすぎる。さてはバーベキューの玄人だな。


 私は肉を取り合って混みあっている間に、そっと少し輪から離れてキョロキョロする。喉が渇いたのだ。何か飲み物はないだろうか。


 4月の頭といえど、なぜか今日はカンカン照りで暑い。飲み物を持ってこなかったのは失態であろう。ふと視線を落とすと、紙パックと紙コップが置いてあった。フム、何か分からないが一口だけいただこう。


 紙パックを開けて、コップに注ぐ。なんか変な匂いのする飲み物だな、なんだこれは。まあ、飲めないものではないだろう。口に含み、飲みこんだら、


「…………何ぞ、これは」


 喉のあたりがカッと熱くなった。そして頭はクラクラしてくる。あとだな、美味しくない。人間の飲む味ではない。不味いぞなんだこれは。


「っ、ま、まてカンナちゃん、それ!」


 おそらくこの液体を取りに来た先輩は、私を見て驚愕していた。なんだかそれも頭が呆けてよく見えぬ。そのまま視界は一回転し、わたしはバタンとその場に倒れ込んでしまった。


 我が人生に一片の悔い無し。最後に良質な筋肉を拝めて良かった。

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