カネー
第4回星新一賞落選作。
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私は、複雑な文様の描かれた目の前の紙片をじっと見つめる。
細部にこだわる事無く、全体を視界に納めるように努力しながら。
それを照らす光は、先史文明の遺跡から奇跡的に発掘された照明器具のものだ。
『コード』で繋がれた『回し箱』と連動して放たれる神秘の光。これならば、今度こそ発動出来るかもしれない。
先史文明を驚異の発展へと導いた『カネー』の力を・・・
『カネー』
それは先史文明を驚異的な発展へと導き、・・・・・そして滅ぼした、謎の力だ。
その力によって先史文明は、巨大な建築物を作り、大量の穀物を生産し、世界中のどこへでも声を届け、恐るべき速さで移動し、さらには人を星々にまで届けたと言う。
それがたくさんあればどんな望みでもかない、人の心さえ変えられたという『カネー』。
しかし、その暴走は先史文明を完膚なきまでに滅ぼしてしまった。
その正体は、いつも『考者』達の議論の中心だ。
人間の力を驚異的に高める力、と考えている『考者』が大多数だが、その力自体が物を動かし声を届けた、と考える『考者』も少なからずいる。
例えば、『回し箱』を回した時に『コード』=中心に銅の入った綱のような物、から放たれる『デンキ』の力こそが『カネー』の力なのだと言う『考者』も多い。
『コード』が付いた先史文明の機械を動かす事が出来る事がある『デンキ』の力。
だが、多くの伝承が、そしてわずかに残る紙の記録=現在我々が解読可能な先史文明の記録、が、この複雑な文様の描かれた小さな紙片こそが『カネー』であると伝えているのだった。
ぽんぽん。
肩を叩かれて、
私は顔を上げた。
時間だ。
私は助手が渡してくれた簡単な計算問題を解き始める。
何も考えずに一心不乱に。
10問の問題を解くたびに、助手が解くのにかかった時間を記録して行く。
今度こそ『カネー』の力の発動に成功している事を期待しながら。
全百問の問題を解き終わった私は、期待に満ちた目で助手を見た。
だが・・・
助手は沈んだ表情で、無言のまま首を横に振った。
今度も『カネー』の力による知的能力の向上は得られなかった。
次に私は、床に置かれた重石を持ち上げる。
私がギリギリ持ち上げられる重さより少し重くした重石。
これを持ち上げられれば・・・
「くっ!。・・・だめか。」
残念ながら、体力の向上も得られていない様だった。
先史文明の使っていた光。
先日、先史文明の無傷の照明器具がいくつか発掘された。
それには『コード』が付いており、我々は発掘された照明器具と『回し箱』をつなぎ、慎重に『回し箱』を回した。
すると。
使う照明器具の種類によって『カネー』に描かれた文様の見え方が変化する事が分かったのだ!。
たった一部屋を明るくするだけのために『力者』が汗だくで『回し箱』を回さなければ得られない貴重な光。
重要な意味があると我々は考え、これこそが『カネー』の力を発動する鍵だと思ったのだが。
私は『カネー』を保存ホルダーにしまい、部屋から出た。
まぶしい外の光に目を細める。
『回し箱』を回してくれていた筋骨たくましい『力者』達が、汗をぬぐいながら期待に満ちた目で私を見る。
「すまん、ダメだった。」
沈んだ声で告げる私。
『力者』達の顔に一瞬失望の色がよぎる。
だが、彼らはすぐに笑顔になり、私を励ますように言った。
「まあ、そんなに簡単に発動出来るものでもないだろ?。今までだってそうだったんだ。気楽にのんびり行こうぜ!。」
「ありがとう。」
気の良い彼らの声に、私も笑顔になり、そう言ってもう一度自分のいた部屋を振り返った。
『力者』達と一緒に切り株に座り、のんびりと町を眺める。
小高い丘に広がる採掘町。
先史文明の建物から鉄を採掘するガッ、カン、コンというにぎやかな音が響く。
暖かなそよ風とともに、シシ肉を焼く香ばしい匂いがふわっと流れて来る。
ぼちぼち昼飯の時間か。
どーん、どーんという昼飯を告げる太鼓の音に、私達は食堂へと向かった。
焼きたてのシシ肉をおかずに炊きたてのホカホカご飯をほおばる。
キャベツの味噌汁を飲みながら。
至福の時間!。みんなでのんびりとその時間を楽しむ。
おいしい昼食が終わり、私は絞りたての牛乳をちまちまと飲みながら、『カネー』の力の新たな発動の方法に考えをめぐらせた。
伝承にいわく。
「大いなる力を持って文明を発展させた『カネー』は、人々の欲望によって限られた者達の所に集まるようになり、世界に流れる量が減って行った。やがて世界に流れる限られた『カネー』をめぐって争いが頻発するようになった。だがある日、あるきっかけで、連鎖的に世界中の『カネー』が消滅した。」
「『カネー』が消滅した世界では、
大量の穀物がありながら、人々はそれを手に入れる事が出来ず飢え、
多くの空き家がありながら、そこに住む事が出来ず凍え、
野菜を作る者は、それを踏み潰してゴミに変え、
衣類を作る者は、それを焼き払った。」
と。
私はホルダーにしまった『カネー』を見つめる。
もしやこれは、すでに力を失い紙くずと成り果てていて、2度と『カネー』の力を発動出来ないのでは?、という考えが頭をよぎる。
そう考える『考者』も多い。
だが、世界中の『カネー』が消滅した後でも、『ゲンキン』と呼ばれる手に持って持ち運べる『カネー』はまだ使えた、という伝承もあるのだ。
先史文明末期において、『カネー』は『ネット』と呼ばれる方法で世界中をめぐっていたという。
『ネット』というものの正体は謎だが、『ムカデ石』が深くかかわっていた事は確からしい。
『ムカデ石』を貼り付け銅で描かれた文様でつないだ板を入れた箱。
それを通じて『カネー』が世界中をめぐっていたという。
先史文明の遺物で銅が使われている物は、『デンキ』に関連がある。
一方、『ムカデ石』はそれを上手に割ると『カネー』のようにやはり目では見えないくらい細かい文様が描かれているそうだ。
ならば、『カネー』の持つ微細な文様の力と『デンキ』の力を融合させたもの、それこそが『ネット』と呼ばれたものだったのではないか?。
我々が知る限り『デンキ』には実体はない。ただビリッと感じられ、保存状態の良い先史文明の機械を動かす事が出来るだけだ。
そうして、人々は、多くの『カネー』を『デンキ』に変え・・・それが暴走した時、『デンキ』には実体がないゆえに消滅してしまったのではないだろうか。
そんな思いに沈みながら、私は『カネー』をホルダーから出してもう一度眺める。
『カネー』に描かれた文様は、極めて微細なものだ。
おそらくは力の大きさを表していたのであろう数字が大きくなるほど、文様も微細に精緻になっていく。
その多くが人の肖像や現実の事物をあたかもそこにあるかのような精緻さで描いたものと不思議な模様を描いたものだ。
先史文明の遺跡からは、他にも現実の事物を描いたと思しき紙が出土するが、その精緻さで『カネー』に及ぶものは少ない。
いったい、どのような原理で、この精緻に描かれた文様は驚異的な力を発揮したのだろうか?。
考えにつまり、私はまた晴れ渡った空を見上げる。
鉄を採掘するくぐもった音に混じってカン、パンパンと少し甲高い音がする。
採掘した鉄を道具に加工する『火事者』達の立てる音だ。
幼い頃、私は『火事者』になりたかった。
みんなにほめてもらえるすばらしい道具を作る『火事者』に。
色々な新しい道具のアイディアがあった。
でも、私は腕力に恵まれずしかも不器用で、結局『火事者』にはなれず『考者』になった。
新しい道具のアイデアは、才能のある『火事者』に伝える事で実現できたけれど。
視線を地上に戻すと、森の際では、槍を持った『狩者』達が畑を荒らしに来るシシをのんびりと待っている。
ふもとに続く道を、平地から米を運んで来て道具を持ち帰る『運者』達が登って来る。
なだらかな斜面では乳牛たちがのんびりと草を食んでいる。
反対側の斜面には野菜畑が広がり、子供達が虫取りをしている。
子供達の定番の仕事だ。私も子供の頃、時間を忘れて夢中で取ったっけ。
野菜につく虫を取って鶏に食べさせ、卵を生ませ、それを私たちが食べる。
食べ物はめぐりめぐって行くものなのだ。
めぐりめぐって・・・・・・うん?。
ふと、私は何か心に引っかかるものを感じた。
何だろう?。
私は物思いに戻る。
それはすぐに見つかった。
『カネー』。
それもまた世界をめぐりめぐっていたのだ。
そして、それが限られた者の所にだけ集まりめぐる事をやめた時、それは力を失った・・・
そうか!。
私は、はっと気づいた。
『人間の能力を驚異的に高める』という通説に縛られて、私はこれまで『個人』の能力を高める実験しかしてこなかった。
だが、『カネー』とは、もしかしたら『個人』ではなく『集団』の力を高めるものなのではないだろうか?。
社会をめぐる事で、その社会の力を高めるもの。
人は助け合って生きていくものだ。
私に道具は作れず、シシを倒す事も出来ない。
だが、それを得意とする者がそれぞれそれをやり、みんなで豊かな暮らしをしている。
『カネー』は、社会をめぐる事でそんな助け合う力を大きく増大させるものだったのではないだろうか?。
「そーれっ、そーれっ!。」
遠くから聞こえる元気の良い掛け声に振り返ると、『力者』達が大きな建物のかけらを引っ張っていた。
みんながバラバラに引っ張っていては動かない物も、掛け声をかけて一緒に引っ張れば動かす事が出来る。
『カネー』も、そんな風にみんなの力を合わせる事で大きな力を生み出していたのかも知れない。
たとえば、『カネー』の文様は、それを見たみんなの心に同じものが浮かばせる事が出来たとか?。
『カネー』に対する新たな見方を思いつき、私は、期待に満ちてどうやったらそれを実証出来るだろうかと考えをめぐらせた。
たとえば『回覧板』=最近起こった事や『考者』が突き止めた新たな知識を書いた板、のように『カネー』をみんなの間で順番に回すとか・・・。
だが、そんな具体的な方法を思いついた時、私はふと背中にゾクリと寒気を感じた。
もし本当に、『カネー』の力が復活してしまったら?。
『カネー』の力は、先史文明を驚異的に発展させそして滅ぼした程の力だ。
それは、私達にとって『分相応』なのか?。私は畏れを感じた。
『分相応』、子供たちがまず教わる大事な事だ。
自分が食べられるだけ取りなさい、自分の体に合った物を使いなさい、自分の能力に合った仕事をしなさい・・・
個人の能力を高めるだけなら、たとえ暴走したとしても、きっと誰かが止めてくれるだろう。
だが、みんなが暴走してしまったら?。
先史文明は、その力で滅びているのだ・・・・・。
私達は今、とても豊かだ。
先史文明が残してくれた、多くの実りをもたらす作物の種や家畜、将来にわたって取り切れないほどある鉄、といった遺産。
そして豊かな森や海、耕地。
これ以上、何を望むというのか?。
ある伝承は言う。
「先史文明では、人々の働きたいと言う欲が恐ろしく高く、仕事を奪い合い、作ったものを押し付け合い、自分達がより多く働きたいがために国同士での殺し合いまで起こるほどだった。」
と。
いくらなんでもそれはおかしいと思う。
みんなが暮らして行くのに必要なだけ働ければ十分だろう。
上手い肉も野菜も、食べずにいればいずれは腐って悪臭を放つ。
米などは多少長持ちするが、それとて食いもしないのに置いておけば場所を取って邪魔になるだけだ。
そして、豊かな森や海も獲物を取り過ぎれば、獲物はいなくなってしまうことだろう。
しかし、それでも、私は『カネー』の力の正体を突き止めたい!、と思う。
そう、誰かが誤って発動させ、それが滅びをもたらす可能性だってあるのだから。
私は大きく深呼吸する。
安全な方法を考え出そう。
まずは、小さな限られた集団のみで実験し、それを監視する集団も用意して。
あせる事はない。じっくりと考えれば良い。
我々には、たっぷりと時間があるのだから。
ちゃんちゃん!
他人の作品を読んでいるつもりで1年後の作者が書いた感想
良い
私たちが良く知っているものが、知識ギャップのある後世で、どのように解釈されるか?、という点は面白いと思います。
シシ肉とキャベツの味噌汁とほかほかご飯の昼飯がおいしそう!。
気になる
出だしの部分、やっぱり、呪文かなんか唱えたほうが良かったんじゃ?。
『ニホンギンコウケン、フクタクリンキチ・・・』とか。
オチが弱い気がします。いっそ、『カネー』の力を復活させても良かったんじゃないか?、とも思います。
説明文が結構読みにくいです。
特に、『コード』とか『回し箱』とか。
『採掘町』というものの説明が欲しかったです。
あと、この世界の流通のしくみとか。お金なしにどうやって交換が成り立っているのか?、とか。
一言
主張は分かりますが、『日経 星新一賞』なので、現在の社会経済体制を真っ向から否定しているような作品は、採用されにくいのではないか、と思います。