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オルレアンの戦乙女の魂は救われたか

作者: たまらんち

今日私は死ぬ。


これはすでに決まっていることだ。


神の啓示を受けた時から、全ては神の御身に捧げている。

今更死が怖いとは思わない。


だが、気にはしている。


私の人生に意味はあったのか、意義があったのか、と。

この世に生を受けて19年、神の使徒として7年余り、まるで矢のような目まぐるしさの中で掛けてきた。


そして今日我が身は業火に焼かれて終わる。


忌まわしき魔女として、異端として、罪人として。


神の声を聴き、使徒として生きてきたつもりだったが、死ぬ時は魔女。

まるで性質の悪い冗談だ。

どこで間違ったのだろうか?


しかし、とも思う。


神の御子としてこの世に生を受けたイエスは、やはり十字架を背負ってゴルゴダの丘で一回目の昇天を果たされた。


イエスは処刑される寸前に神に「許したもう。この者達の罪を」と申され、生きとし生けるもの全ての「原罪」を背負って逝かれた。

私ごときをイエスと同列に語るのはおこがましいが。


短い人生で神と共にあった日は確かに私の中にもあった。


私は、私の命は役に立ったであろうか?


結局、助けたはずのフランス王から私の身柄は敵であるイングランドへ売り渡され、魔女裁判にかけられた。


何故?


と繰り返す。

今日まで何千回も、何万回も繰り返し、繰り返し、考えた。


何故、神の敵として殺されなければならないのか、と。

悪魔として殺されなければならないのか、と。


主の為に、フランスの為に、この身を捧げた。

それは間違いだったのかと。

こんな結末であるならば、戦場で死んだほうがまだマシであった。


我が身に受けた啓示を、よりによって教会から否定され、我が信仰も踏みにじられた。


主よ、これも試練なのでしょうか?


私は御身の役に立ったのでしょうか?

ああ、主は何も答えてくださらない。


戦場を駆け巡っていた時はあれほどお側にいらっしゃると感じていたのに。



唯一、良かったのはオルレアンを解放できたこと。

そして心残りはあの方と共に生きられない事。


もし、啓示を受けた瞬間に戻って、結末がこうなる事をわかっていたなら私はそれでも受けたのだろうか?


わからない。


受けたかもしれないし、受けなかったのかもしれない。


受けたのであれば、今日までの命であることを私自身は納得しているわけだ。

受けないのであれば、今日のこの結末を納得していないという事になる。


果たしてどちらなのだろうか?


いや。我が信仰はその程度であったのか?


このまま死んでも、

……死ぬ事自体は別にいい。


だが、このまま死んでも魂は救われない。


そうでしょう??主よ。


しかし、ああ……しかし、御身にこの魂を捧げます。


この世界からは魔女、異端とされた私ですが、それでも最後まであなたの下僕なのです。



……アーメン

ふと降りてきて一気に書き上げました。


令和3年9月17日修正

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― 新着の感想 ―
[良い点] ふと降りてきたのが、数多ある歴史の一場面の中でジャンヌの最後というのが素晴らしい感性です! [気になる点] 三点リーダ―(…)を二つ並べていない箇所がありました。 [一言] 次はジル・ド・…
[良い点] ジャンヌ・ダルクの戦場で活躍する場面ではなく、処刑直前の姿に焦点を当てた設定は斬新です。 権力のエゴや矛盾を知りつつ、信仰に従って、死を受け入れていく心情の変遷が鮮やかです。 [気になる…
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