第8話
勇者のお迎えがやってきました。其の1。
【勇者】が泊まり込んで2週間以上が経ちました。
帰らせますか?
>はい
>いいえ
俺は【はい】を選択した。
【勇者】が拒否しています。
帰らせますか?
>はい
>いいえ
俺は【はい】を選択した。
【勇者】が拒否しています。
帰らせますか?
「早く元の世界に帰れええ──!! いつまで居座ってんだよ、てめえは!!」
* * *
今日は休日だ。
天気もいい。
洗濯日和だ。
「パンヤ。洗濯を干した」
ベランダから、空になった洗濯カゴを片手に持ったアレクシェイドが戻ってきた。
俺は、フライパンの中で良い感じに焼き目がついた大盛りナポリタンをかき混ぜる手を一旦止め、菜箸の先を奴に突きつけた。
人に箸を向けては行けません。
でもこいつは人じゃない。【勇者】だ。しかも【はぐれた勇者】だ。お前は今日から【はぐれた勇者】で十分だ。全然、まったく帰ろうとしねえし! いいかげん自分の家に帰れ!
一時期、警察に相談しようかとも考えたが、寸でのところでやめた。
【勇者】が元の世界に帰ってくれないんです、と話を切り出した時点で終わりだ。
追い出されるか、最悪、業務妨害で逮捕されるかもしれない。もしくは生暖かい目で見られ、そっと病院に送っていかれるか。心療内科系の。
どちらにしても、良い事にはならない。
「パンヤじゃねえ! 俺は半谷だ! パン屋は大好きだけどね! てめえ、何度俺の名前間違えれば気が済む!」
「ハンヤ」
「そう! もう間違えんなよ。じゃあ、カゴは洗濯機の横に戻しといて」
アレクシェイドは台所に立つ俺の後ろを通って、後ろの洗面所に入った。そこに洗濯機が置いてあるのだ。その脇にある棚の下が、カゴの定位置。
洗面所で窮屈そうに身を屈める奴の後ろ姿を横目で見て、俺はやれやれと息をついた。
「うん。そうそう」
やればできるじゃないか。
最初は、生活能力ゼロだったけどな。
ていうか、壊滅的だった。靴下1つも干せなかった。
お前、今まで、どういう生活してたんだ。
皺になったまんま干そうとするし、へんなとこに洗濯ばさみを挟むから、まるで奇抜な現代芸術みたいなオブジェと化してるし。
ていうか、俺のTシャツ破りやがった。バカ力なんとかしろ。
「昼飯にするから、テーブルの上、片づけといて」
アレクシェイドは深い青い瞳を輝かせて、胸を張った。
「まかせろ」
鼻歌でも歌い始めそうな、楽しげな後ろ姿が去っていく。
まかせろ、って、ただテーブルの上の本を下ろすだけだろ。胸を張るような事か。
俺は2枚の皿を上の棚からとりだし、でき上がったナポリタンを盛りつけた。
1つの皿には3人前分。もう1つの皿には1人前分。
一度フライパンをキレイにしてから、再びコンロにかけ、今度はバターを1欠片落とす。
バターが解け、ふつふつと泡立ち始め、バターの良い香りがし始めた。
ここで、牛乳と塩胡椒と一つまみの砂糖を入れて軽くかき混ぜた卵の液を一気に流し込み、菜箸で素早くかき混ぜる。半熟状態で止めるのがミソだ。
でき上がったふわふわの半熟スクランブルエッグをナポリタンの上に乗せ、最後にパセリを多めに散らす。
【半谷家流ナポリタン】の完成。
うむ。完璧だ。
俺は皿を両手に持ち、テーブルに向かった。
「できたぞ──て、ぎゃああああ!?」
ベランダに、美少女が立っていた。
緩やかに波打つ白髪は、床に届くほど長い。
色味の全く無い、白磁の肌。
柔らかそうな布を巻いただけのような白いワンピース。
唯一色味のある瞳と唇は、血のように赤い。
ワンピースから覗く白い足は、裸足。
その裸足は──
地面についていなかった。
う、浮いてる!?
浮いてるんですけど!?
病的にか細く青白い手で、ガラス戸をコンコン、と叩く。
「入れて、下さいませんか……」
鈴を転がすような声とは、こういうのを言うんだろうか。
すずやかな、耳に心地良い少女の声。
しかし。
「入れて……」
また、ガラス戸を叩く。
赤い上目遣いの瞳が、俺を見ている。
怖ええええ──!!
怖いんですけど!?
太陽が燦々と輝く真っ昼間から、幽霊って出るもんなの!?
ええと、盆休みに実家の寺に帰るたび、朝と晩に父と母に強要される、お経本の始まり文句はなんだったけ!? ていうか、明らかに外国人っぽい美少女なんですけど、日本のお経って効くのか!?
「な、南無──」
テーブル脇の座布団に座っていたアレクシェイドが立ち上がり、遮光防音カーテンを勢い良く引いた。
白い美少女幽霊が見えなくなった。
え、そんなんでいいの?
アレクシェイドは立ち尽くす俺の両手からナポリタンの皿を二つ引き取ると、テーブルに置いた。暗くなった部屋の照明のスイッチを押してから、キッチンへ向かい、フォーク2本と、ガラスコップと、冷蔵庫から冷えた紅茶の入ったガラスピッチャーをとり出し、戻ってきてテーブルに並べた。
なんというか、ここの生活にも随分慣れたな、お前。
そして、さっきまで座っていた座布団の上に戻る。
「早く食おう。冷める」
「あ? ああ」
言われて、俺もテーブルを挟んだ向かい側の座布団に腰を下ろした。
え。
なんか、何事もなかった感じになってるけど、これでいいのか?
さっき、ベランダに美少女幽霊いた気がするんですけど。
ドンドンドン、とガラス戸が激しく叩かれた。
「開〜け〜てえええ──! お願いいいい──!」
「ぎゃああ!? やっぱいるじゃねえか──!? 幽霊──!!」
「何もいない。まずは食おう」
ガラス戸を激しく叩く音はまだ続いている。
すすり泣きも聞こえてきた。怖い。怖すぎる。どこのホラー映画だ。
「この状況で食えるかああ!」
俺は、タンスの引き出しの下段に仕舞ったままだった経本一冊と数珠を取り出した。引き出しを埋め尽くすたくさんの経本と仏具。父と母に無理やり持たされたものだ。寺は兄が継ぐので俺にはもう関係ないかと思い、置いていこうとしたらめちゃくちゃ泣かれたので持ってきた。持ってきて良かった。こんなところで役に立つとは。ありがとう、父さん母さん!
俺はカーテンを開けると同時に、経本と数珠を突きつけた。
「悪霊退散──!!」
「悪霊なんかじゃありません──! 私は、女神です──!!」
え。
女神?
「女神なのに、悪霊と間違われるなんて……ううう……」
自称女神の美少女は、泣きながらガラス戸にへばりつき、ずるずると座り込んだ。だから、さっきから動きが怖いんですけど。本当に女神か?
「私は、十三女神の十三番目、サラーシャと申します……。そこにおられる勇者様、アレクシェイド様を、連れ戻しにきたのです」
なんだって?
結局、俺はガラス戸を開け、自称女神を部屋に入れた。
アレクシェイドを知っているようだったからだ。それも、連れ戻しに来たという。
やっと、奴の迎えがきたのだ。
よかったよかった。
俺は自称女神美少女を俺が座っていた座布団に座らせた。
ふらふらと座り込む細い姿には、疲労感が滲み出ている。
「なにか、飲むか?」
涙で潤んだ赤い瞳が、縋るように俺を見あげた。
「あ、ありがとうございます……。こんな、私のようなしがない末端の女神にも、お優しい言葉を掛けて下さるなんて。では、お言葉に甘えまして……水を1杯、頂けますでしょうか」
「水ね」
俺は立ち上がり、キッチンに向かった。
「あの……。できましたら、水道水じゃなくて、天然水でお願いします。機械でろ過された浄水も嫌です。あれは作られた味がします。直接ボトリングした湧き水系でお願いします。山からの湧き水ならなお良いです」
注文多いな!
まあ、あるからいいけど。俺は冷蔵庫の中から、日本の有名な山から採水したと銘打たれた天然水のペットボトルをとり出し、ガラスコップに注いだ。これなら文句無いだろう。
盆にのせ、部屋に戻る。
「何、食ってんだお前──!」
自称女神が、俺のナポリタンを頬張っていた。
「これ、ものすごく美味しいです──!!」
「それ、俺のナポリタンじゃねえか! なに勝手に食ってんだ!」
サラーシャが、フォークを握ったまま、脅えたような表情で俺をみた。
「だ、だって……目の前に御供えしてあるから、てっきり食べていいものなんだと……」
「供えてねえ!」
「ひいっすみません〜!」
美少女女神が涙を浮かべて、壁際に後ずさり、小さな細い身体を更に小さくする。
小動物を苛めているような気分になって、俺は続く罵倒の文句を飲み込んだ。
「もう、いいわ。言っとかなかった俺も、悪いし」
サラーシャの顔が明るく輝いた。
「じゃあ、食べていいんですね!」
いそいそと座布団に戻り、ナポリタンを食べ始める。
おい。さっきの反省の姿はどうした。切り替え早いな。
目の前に水の入ったグラスを置いて、俺も座った。
「神様って、普通食わないんじゃないのか? 殺生はダメだから、とかさ」
「そんなことありません。最近は、いろんな食べ物が御供えされますし。全てありがたく頂いております。命に感謝して、頂けばいいのです」
最近の神様は雑食らしい。
そんなんでいいのだろうか。言ってることは間違っていないが。
俺はテーブルに頬杖をつきながら、斜め向かいで大盛りナポリタンを食っている奴を見た。
「おい。少し俺にも分けろ」
「嫌だ」
即答で嫌だって言いやがったよ!
「それ、俺が作ったんだけど!」
「この皿のものは俺のものだ」
お前は某人気漫画の傍若無人なガキ大将か!
俺は冷えた紅茶を飲んだ。
俺の今日の昼飯、もしかしてこれだけ?
なんで、部屋の主が食いっぱぐれてるんだろうか。
目の前でナポリタンを頬張る奴等を眺めながら、俺は溜め息を零した。