第26話
開店しました。
貴方の店が開店しました。
おめでとうございます。
おう!
……あ、あれ。
いつもの微妙な選択肢をしてこない……
しかも、あろうことかお祝いの言葉まで……
やっぱり、これは罠なのか。
なにか、後で恐ろしい事態が待っているのではないのか。
そうだろ。
そうなんだろ?
期待されたら、答えなければなりませんね。
では……
いくつかの事由により、
貴方は、女神様より【特殊能力】を1つだけ得ることが可能になりました。
尚、【特殊能力】については、下記の空欄に、貴方が欲しい能力を自由に入力して下さい。
取得希望能力【 】
取得しますか?
>はい
>いいえ
いいです。
期待に答えなくていいです。
胡散臭すぎます。
* * *
「よっしゃ、できた──!」
食卓の椅子の上で、俺は万歳をした。
俺は、でき上がったエプロンを広げ、渾身の刺繍の出来栄えを確認した。うむ。我ながら、良い感じに仕上がっている。
茶色い巻きエプロンは、先日、【レセルダの道具店】で購入してきたものだ。 同色の茶色いふんわりした丸い帽子に、白いシャツと、黒いズボンもある。パン屋の制服だ。
俺は刺繍針をピンクッションに刺してから、思いっきり背伸びをした。凝り固まった肩が、パキパキと音を立てる。
窓の外に目を向けると、夜空が広がっていた。
俺の世界よりも少しだけ大きくて、少しだけ黄色い満月が浮かんでいる。
無意識に北極星を探そうとしている自分に気づいて、俺は少しだけ、笑った。馬鹿だな。
あるはずがないだろう。なぜなら、ここは──
俺のいた世界とは、違う世界なのだから。
〈ふわあ。終わったの〜?〉
食卓の上、布の端切れが詰まった手提げカゴの中で、シファロが大欠伸をした。
見ると、カゴの底には綿が詰められ、その上に花柄の端切れが隙間なく丁寧に敷かれている。黒っぽいものや、花柄以外の端切れは外に放り出されていた。
さっきから何かごそごそしてるなと思ったら、お前は自分の寝床を作っていたのか。
「できたのか?」
ソファでゆったりと本を読んでいたアレクシェイドが、顔を上げた。
奴にも手伝わせようと思ったが、刺繍針を3本折りやがった時点で諦めた。馬鹿力の奴に、繊細な仕事を手伝わせようとしたのがそもそもの間違いだった。失敗した。針がもったいなかった。針って結構高いんだぞ、この野郎。3本も折りやがって。お前はやっぱり力仕事担当で決定だ。
俺は、にんまりと笑みを返し、奴にエプロンを広げて見せた。
「おう! これを見ろ!」
エプロンの胸元には、店名が刺繍されている。
白に黄色い縁取りの、太めの斜体文字で──
【ハンヤベーカリー】。
店名は、格好良いのとか、オシャレなのとか、凝ったのとかいろいろ考えていたが。
やっぱり、分かりやすいのが一番良いだろう。
それに、これならすぐに覚えてもらえるだろうしな。
店名の端には、ふっくらした焼き立てパンの図柄の刺繍入りだ。焦げ茶と黄色と白のグラデーションで描いた、力作だ。
「どうよ!」
〈ハンヤ、すごおい!! 糸で文字書いちゃうなんて! それにこの、ふわふわパンの刺繍、カワイ美味しそう〜!!〉
シファロが目を見開いて、歓声を上げた。うむ。そうだろうそうだろう。
「……お前、何でもできるんだな」
【勇者】に感心された。
「おうよ。もっと褒めても良いぞ」
手先の器用さには、自信があるからな。
刺繍は店長の奥さんの趣味の1つで、休憩時間によくやっていたのを、食いながら傍目で見ていた。
あれをなんとか思い出しながら、見様見真似でやってみたのだ。初めてにしては、なかなかよくできた方だと思う。
「ほら、シファロの分もあるぞ。パン食いたいなら、お前も店手伝えよな」
道具屋には人形用の茶色いエプロンと帽子も売っていたので、ついでに購入しておいたのだ。どうせ、しばらくはいるんだろうし。タダ飯は食わさんぞ。働け。
〈私のもあるんだ!? わあーい!! 刺繍もちゃんと入ってる! 私のエプロンだ〜!〉
シファロはエプロンを受け取ると、忙しなく飛び回りはじめた。喜んでいるようだ。
「しっかり働けよ」
〈はあーい!〉
「お前、チビ精霊用も作ってたとは……。それだけできれば、いつでも嫁にい──」
俺は奴の額に向けて、1番重い糸玉を投げつけた。当たった。【パン職人】の不意打ち攻撃を受けるとは、【勇者】は余程油断していたらしい。
「いかんわ! 俺は嫁を貰う方だこの野郎! ったく。──ほら、これはお前の分」
エプロンと帽子の一式を渡す。
受け取ったアレクシェイドが、目を見開いた。
「俺のもあるのか」
「当たり前だろ。お前、【勇者】改め、【パン屋の従業員】になったんだろうが。【ニート勇者】にはさせんからな。お前もしっかり働けよ」
アレクシェイドが、物珍しげに手元の制服を眺めたり透かしたりしている。
「よし。じゃあ、そろそろ休もうか。明日も忙しいからな」
〈はあーい!〉
「わかった」
* * *
今日も忙しかったなあ。
俺は、寝室で背伸びをした。
ベッドはシーツやマットが全て取り替えられていて、新品みたいにふかふかだ。村の人たちが、使わないものや余っているものをいろいろ持ち寄ってくれたのだ。この、ベッドのシーツや掛け布団やカーテンも、村人達が譲ってくれたものだ。
壁の大きな本棚には、たくさんの本が詰まっている。全て、ルヴァンフレッドの蔵書だ。ここの他にも、本だけの部屋が一室ある。かなりの本好きだったみたいだ。部屋に溢れ返る本の山をみて、アレクシェイドが喜んでいた。なんか作者の名前やら本の名前やらを嬉しげにいくつか言っていたが、俺にはさっぱりわからなかった。【勇者】は以外にも本好きのようだ。
さあ、明日はオープンのチラシを作って、村中に配らないとな。
俺はカーテンを閉めようと手を伸ばしかけて──
首をかしげた。
街明かりで白んでない夜空は、まるでプラネタリウムみたいに綺麗で、無数の星々がはっきりと見える。
瞬く星々の中の1つが、変な動きをしていた。
「なんだ、あれ」
光の点描のような星が、1つだけ、ゆらゆらと降りてくる。
降りてくる、というか、こちらに飛んでくる。
それは、窓ガラスをすり抜けると、俺の目の前で止まった。
なんだこれ。
なんかもう、このぐらいの異常現象では動揺しなくなってきた自分が、少し偉いと思う今日この頃。
きらきらと光を放つ、虹色の粒。
まるで、星明かりの欠片みたいだ。
あまりにも綺麗な光に、俺は異常事態にもかかわらず、見入ってしまっていた。
『──汝に、【祝福】を』
光の粒から、声がした。
心臓に響く程に美しい、女性の声。
『汝に、【祝福】を与えましょう。サラーシャより、話を聞きました。私の愚かな妹達が、貴方に大変な御迷惑をおかけいたしましたね。お詫びとして、貴方に1つ、特別な力を授けましょう』
サラーシャ?
愚かな妹達?
この人──
いや、人じゃない。
まさか──
「……女神様?」
『そうです。私は、1番目の女神、イルーミネル。貴方に、【特別な力】を授けに参りました』
「特別な力……」
『はい。慣れぬ異世界に、さぞかしお困りの事でしょう? 貴方は、どのような能力がお望みですか? 賢者のように溢れんばかりの知識? 火を起こし、風を吹かせ、空すら飛べる魔法の力? 勇者のように魔王すら倒すほどの戦う力? どんなに傷ついても修復する不死の身体? 誰もが振り返る美しい容姿? それとも、何不自由なく暮らしていけるお金を得る力? 貴方が、欲しいものはなんですか? さあ、貴方の望む力を1つだけ、授けましょう』
虹色の光が、返答を催促するように、きらきらと瞬く。
うん。
良いことばかりを並べ立てられると、逆に胡散臭く聴こえてくるのは何でだろうな。
良すぎる見返りは、きっと後で何かある気がする。キャッチセールスに溢れた現代社会で生きてきた所為だろうか。それに、なまじストーカー女神を知ってるから、この人、ていうか女神様も、何か、いまいち信用しきれない。
「俺は、いらない」
断ろう。
なんか、よくわからん。怪しいし。うますぎる話には手を出すなって、秀次郎爺さんも言ってたし。
『──え?』
「いりません」
『ま、待って下さい。貴方は、【祝福】は、いらないというのですか? 特別な力が欲しくはないのですか?』
「間に合ってます」
『間に……』
虹色の光が、揺らいだ。
『……そんな事を言われたのは、初めてです。では貴方は、特別な力はいらないと言うのですか?』
「いりません」
断る時は、言葉はきっぱりはっきりと。
決して、「いいです」とか言ってはいけない。これ鉄則。良いです、という意味にとられかねないからな。
光がまた揺らぐ。
しばらくして、可笑しそうに笑う、小さな声が漏れ聴こえてきた。
『……ふふふ。【祝福】を断られるなんて、初めてですよ。そこまではっきりと断られてしまっては、仕方がありませんね。わかりました。では、私は祈りを捧げましょう。遙か遠き異界より来る人よ。貴方の行く先に、光があらんことを……』
虹色の光は一度だけ強い光を放つと、ふわりと浮き上がった。
来た時と同じように、窓ガラスをするりと抜けていく。
小さな光は再び夜空の彼方へと飛んでいき、たくさんの星の中へと消えていった。
背後で、大きな音を立てて扉が叩き開けられた。
「ハンヤ!」
〈ハンヤ!〉
「──うお!?」
驚いて振り返ると、アレクシェイドとシファロが息せききって駆け込んできていた。宮尾嬢にもらったジャージを着ている。気に入ったのかそれ。ていうか、おい。馬鹿力勇者め。扉の蝶番が一個外れてるじゃねえか! せっかく直してもらったのに!
「な、なんだよ、お前ら。ノックも無しに、いきなり人の部屋に駆け込んできやがって」
「なんだよ、って……お前な! 何か──今、来てただろ」
〈そ、そーよ! 物凄く強い、怖いくらいに、神々しい気配を感じたもの!〉
「神々しい……? ああ。さっき、突然、虹色の光が空から飛んできてさ。よくわからんけど、女神様が、迷惑かけた詫びに、特別な力をくれるって」
アレクシェイドが目を見開いた。
いきなり、肩を掴まれた。
「い、痛い痛い! 折れる! 止めろ、この馬鹿力!」
なんか、前にもこんなことがあったような気がする。そういえば、あの時は、手首だった。
「受け取ったのか!?」
「痛いっつの! 離せって! ──受け取ってねえよ。なんか、女神の【祝福】だかなんだか言うけど、よくわからんし、新手の宗教の勧誘みたいな事言うから、怪しいっつうか。だから、断った」
「断っ……」
〈断った──!? 女神様の祝福を!? 馬鹿じゃないの、ハンヤ!〉
「馬鹿ってなんだ! 失礼な奴だな!」
〈馬鹿よ! だって、女神様よ!? 神様よ!? 力を頂けるだけでもありがたいのに、なんで断ってんの!?〉
「だって、怪しいだろ!」
「怪し……」
アレクシェイドが言葉を詰まらせた。俯いて、肩を震わせている。
「なんだよ! お前まで!」
「は、ははは。いや、流石、ハンヤだと思って。そうきたか……」
アレクシェイドはひとしきり笑ってから、大きく息を吐き出した。
「それでいい。あんなもの、受け取らなくて良い。過分な力は、面倒事を呼び込むばかりだ」
〈もう。勇者様まで……〉
「だろ? でもまあ、もし、お前みたいに超人的な力とかあったら、どこでも行けて楽かもしれないな、とは、ちょっと思ったけど」
「いや、止めとけ。腕や足を吹っ飛ばされて内臓引きずり出されても死ねないってのは、結構辛いものがある。何度も修復しかけては、切り裂かれて……あの時は流石に、気が狂いかけたな……」
遠い目をして思い出をしみじみ語る【勇者】を、俺とシファロは少し離れて、静かに見守った。なんだそのアンダーすぎる思い出。しみじみ語る内容にしては、重過ぎて怖過ぎる。
よく考えたらゲームの中の勇者も、ボス倒すまで何度も蘇生させられて、死なせてもらえないもんな。確かに、強靭な精神力がないとやっていけない職業だ。やっぱ、俺はいいや。
それに、パン職人に【特別な力】なんていらないしな。
必要なのは、ノウハウと経験。それと、熱意。
それだけあれば、十分だ。
* * *
チラシも配り終えた二日後。
とうとう、待ちに待った日がやってきた。
今日は、俺の店のオープン当日だ。
俺はパン屋の制服を身に着けた。
茶色いふんわり丸い帽子に、同じく茶色の巻きエプロン。白いシャツ。
胸元には、刺繍で店舗名が縫い込んである。
アレクシェイドには、追加で1番ダサい黒縁牛乳瓶底丸眼鏡をかけさせた。俺がパン焼いてる間だけ少しレジもしてもらうが、それ以外はもっぱら裏方業務担当だ。表に出すといろいろと面倒くさいからな。
シファロは、ちょっとした雑用担当だ。
俺は、もう一度、店内を見回してチェックした。
陳列と飾り付け、オッケー。
値札とパンの説明書きのプレート、オッケー。
ハード系のパン、ソフトな食パン、デザート系パン、総菜系パン、創作パン。
ひとまず、今できる限りのパンを作っておいた。
「そろそろ、オープンするか? 店長」
「おう! よし、お前ら。今日も一日頑張りましょう!」
〈はーい!〉
さあ、準備は万端だ。
俺は扉を開けて、「営業中」の看板を壁に立てかけた。
今日もいい天気だ。
俺は、朝早くから並んでくれている村人達に、笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ! ようこそ、【ハンヤベーカリー】へ!」