第23話
住居兼店舗の改修が始まりました。
資金調達に向かいました。其の2。
【レセルダの道具屋】の美女店主と【勇者】が、見つめ合う──
──ではなかった。
アレクシェイドは、天敵でも見るような鋭い視線をレセルダに向けている。
一方、レセルダの方はといえば、どこか面白がるような表情で笑みを浮かべて、奴を眺めている。
両者の間に、ハートが飛ぶような甘い雰囲気はこれっぽっちも漂っていない。
それどころか、何かの些細な切っ掛けで戦闘が始まりそうな、一触即発の空気が漂っている。
「そうだろう? 君は【勇者】だ。間違いない。そのケタ外れの魔力と、十三女神の守護の力……」
「違う。俺は【パン屋の従業員】サレンだ。お前こそ、何故ここにいる。──【大魔道士】レイセルア・ルダーム」
レセルダが戯けるように肩をすくめた。
「人違いだよ。私は【道具屋】のレセルダさ。旅の途中でたまたま立ち寄ったこの村が、とても気に入ってね。大きな仕事も終わったし、老後はここで過ごそうかと思って。引っ越してきたんだ。──君こそ、どうしてこの村に?」
アレクシェイドが、鼻を鳴らした。
「俺もたまたまだ。店長が、この村で店を開くんでな」
「店長?」
アレクシェイドが、俺を見下ろした。
レセルダも奴の視線を追って、俺を見た。シファロまで釣られて俺を見る。うお、なんかいきなり注目された。なんなんだ。やめろ。緊張するだろ。
レセルダが不思議そうに、首をかしげた。
「君は……」
「お、俺? 俺は、半谷。パン職人。ついこないだ、この村にやってきたんだ。そのうち、パン屋を開くと思うんで、宜しくお願いします」
「パン屋……」
再びレセルダが、アレクシェイドに視線を戻す。
「君、パン屋になるのかい」
「ああ。──邪魔するなよ」
アレクシェイドが目を細めた。
何だか、周囲の温度が急激に下がった気がする。おまえら、知り合い……なんだ、よな?
突然、レセルダがお腹を抱えて笑いだした。
「あははは! 君も随分と丸くなったものだな! 邪魔なんかしないよ、サレン。お互い、表舞台から退いた身だ。余生に何をしようと自由だからね。──ああ、そうそう。魔王を倒した英雄達、【聖女】以外は全員死んだことにしてもらってるから、安心するといい。魔族の次に、今度は人族の揉め事に巻き込まれるなんて、もう懲り懲りだろう? 私だって御免被る。だからまあ、お互いに不干渉ってことで。そういう事でいいかな?」
「……ああ」
魔王を倒した英雄たち。大魔道士。勇者。聖女。表舞台から退いた身。
もしかして、この人──
俺の視線に気づいたレセルダが、人さし指をそっと口元に置いて、微笑んだ。
他言無用、ということらしい。
勇者たちは魔王倒したら終わり、ではなく、その後もなんだかんだと面倒事が続いていくようだ。
ゲームだったら、勇者は魔王を倒しました、ヒロインと結ばれて幸せに暮らしましためでたしめでたし、で楽しげな曲と一緒にエンディングが始まるだけだけど。
現実は、終わりなんてないもんな。
引き続き、いろんな人に追いかけ回されるということか。確かに、アレクシェイドが嫌がるのもわかる気がしないでもない。
「さて。君たちは、バイト希望だったよね?」
「そうです。パン屋開業するのに、早めに纏まった資金が必要なんで」
「成程。では、お願いしよう。丁度、今、棚卸しの最中でね。このとおり、大変な有り様さ。手伝って欲しい。1日、1人5万イーエンでどうだい?」
5万イーエン。
……ええと。この世界の通貨と相場が、俺にはまだわからないんだが。
異世界に来て、まだ三日目だ。
しかし、今さらながら無銭のまま三日も過ごせたな。村長がいい人で助かった。しかも、空き家の改修が終わるまで居てもいいらしいし。いい人だ。
レセルダに聞く訳にもいかなず、俺はアレクシェイドを見上げた。イーエンって何ですか、って聞ける訳がない。日本に住んでるのに、円って何ですかって聞くようなものだ。間違いなく変な目で見られる。
視線に気づいた奴が、答えてくれた。
「コムウイート10キーロで、1000イーエン」
なに!
てことは、物凄い破格なバイト代だ! 高すぎてちょっと怪しいくらいだ。ていうか、キーロって、キロってことでいいのか?
再度、アレクシェイドを見上げる。
奴は店内を見回し、床に埋もれている白い麻っぽい袋を指さした。
その麻っぽい袋には、【コムウイート 10キーロ】と書かれてあった。
成程。10キロでほぼ間違いないようだ。てことは、この世界も十進法か。よかった。分かりやすい。
「それでお願いします」
「了解した。君も、それでいいかい? サレン」
アレクシェイドが、溜め息をついた。
「……店長が受けたんなら、仕方がない」
レセルダが、また楽しそうに笑った。
「そうかい。じゃあ、お願いするよ。まずは、この店の中の、商品の在庫チェックと整理を手伝ってもらおうかな」
はい、と紙がたくさん挟まったボードとペンを渡された。
「この店の中……」
俺は、店内をゆっくり見回した。
カオスだ。渾沌が、ここに広がっている。
これ、1日じゃ無理だろ。
店の窓すら、物の山で覆われてしまっている。この惨状、見覚えがある。あれだ。テレビでよくみる、片づけられない人の部屋の中だ。物が捨てられない人の部屋だ。あれのハイレベルバージョンだ。
さすが、【勇者】の仲間。レベルが違うな。色んな意味で。
でも、資金の為なら、やらねばなるまい。
俺は気合いを入れるべく、腕まくりした。
* * *
次の日の午後も、俺たちはバイトに向かった。
死にそうです。
ライオン棟梁のレオンガルドさんが、バイトが長続きしない、と言っていたのが、よく分かりました。
何故なら──
「ぎゃあああああ!?」
棚に収めようと手に取った、古びた辞書みたいな本の表紙に、大きな目玉が二つ、ぎょろりと開いた。
なんだこれ! 気持ち悪すぎる! ぎょろぎょろしてる! 目が合った! 俺見て、にやりと笑いやがった! 気色わる!
「ああ、それ、指で目つぶしして。その間に鍵かけて」
奥の方で、ピンクの植物に角砂糖をやっているレセルダが、指示をとばした。なんで角砂糖。昨日からあまりにも意味がわからない事が大過ぎて、考えることはとうの昔に放棄した。
「目つぶし……」
俺は、言われた通りに、恐る恐る2本の指で目を突き刺した。
本は目を閉じて涙を零し、眉間(?)に皺を寄せ、悶絶した。本でも流石に痛いようだ。俺も指が濡れて気持ち悪いことこの上ない。なんの液体だよ、これ。あとで手を洗ってこよう。
本が悶絶している間に、俺は急いで鍵をかけた。途端に大人しくなる。
疲れた。
俺は、棚にその気色悪い本を戻した。
「……シファロ。気味の悪い目玉の辞書……【見通し眼の辞書】一冊」
〈は、はーい。1、と〉
紙を挟んだボードを持ったシファロが、ペンを走らせた。シファロもちょっと疲れている。というか、ちょっとびくびくしている。だよな。俺だって、こんなびっくり部屋から早く帰りたい。
少し離れた所から、何かを激しく叩きつける音がした。
見ると、アレクシェイドが、コモドオオトカゲを凶悪にしたような赤いトカゲの頭を、足で踏みつけていた。蜥蜴の口からは、火が漏れかけている。なんだ、あれ。
それに気づいたレセルダが、声を荒げて注意した。
「おい、アレクシェイド! 火蜥蜴のサラマンド君を足蹴にしないでくれよ。貴重なサンプルなんだから、もっと大切に扱ってくれ。そこの、赤いリボンを首に巻いてあげたら大人しくなるから」
アレクシェイドが心底嫌そうな表情でレセルダを横目で見て、舌打ちした。無造作に赤いリボンを掴んで、蜥蜴の首に巻き付ける。
何か、苦しそうな悲鳴が蜥蜴から漏れてるんだが。首締まってるんじゃないのか、それ。
それを見ていたレセルダが、盛大に溜め息をついた。
「まったく。君は、相変わらず手荒いな。それよりも君。ハンヤ君だったか? 君は物の扱いが丁寧で良いね。整理整頓も物凄く上手だ。君のお陰で、随分と綺麗になったよ」
美人に褒められた!
ちょっと、いやかなり嬉しい。年上のお姉さんか。なかなか、それも良いよな。うん。賢くて大人で綺麗なお姉さん。良いな。片づけは超絶に苦手みたいだけど。レセルダが担当している範囲が、あまり片づいていない。というか、逆に散らかっているのは気のせいではない。でも、少しは欠点があったほうが、完璧よりも人間らしくていいじゃないか。うん。
シファロが、俺の頭を叩きまくった。脳天をピンポイントで叩くのは止めてくれ。剥げたらどうしてくれる。
〈ちょっと! 何、でれでれしてるのよ! やらしいわね!〉
「そいつだけは止めとけ、ハンヤ。コレクションされるぞ。マニアックな蒐集僻があるからな」
なんか、ダブルで駄目出しが飛んできた。なんだよ。二人して。
「マニアックな蒐集僻なんて、酷いな。小さくて可愛い物に目がないだけだよ。それに、小さくて可愛いものは見てると癒されるし、いつでも好きな時に、ゆっくり、じっくり、愛でたいものだろう……?」
なんだろう。
背中に、少し寒気が走ったんだが。
風邪か?
最近、ものすごく忙しいからな。
シファロも、俺の背中に貼り付いている。
精霊も風邪をひくのか? よくわからんけど。
村長の家に帰ったら、暖まるシチューでも作ろう。
店舗の改修が終わるまでの間、村長の家に居候させてもらっているのだ。やっぱり何もしないのも悪いので、家事や食事を作らせてもらっている。
視線に気づいて顔を上げると、レセルダがにっこりと微笑んだ。
やっぱりものすごく美人だ。
まだ寒気が収まらない。今日は早く寝よう。
頑張った甲斐もあり、店の中の整理と棚卸しは本日完了した。
頑張ったというか、早くこの心臓に悪い仕事を終わらせたい一心だったというか。
「そういえば、レセルダさん。奥の倉庫は、やらなくていいんですか?」
「ああ。奥の倉庫は、私のコレ……私物がほとんどだからね。後は私だけで十分だよ」
「そうですか」
レセルダはカウンターの引き出しから白い封筒を三つとり出すと、俺たちに1つずつ渡した。
おおお。バイト代だ。
「はい。バイト代。君たちの御陰で、本当に助かったよ。二日分入ってるから」
二日分?
「いいんですか? 俺たち、半日ずつしか出てないんですけど」
「いいんだよ。それだけの仕事量は十分してもらったからね。貰ってくれ」
「ありがとうございます!」
シファロは封筒を受け取って、物珍しげに裏表返したりして見ていたが、飽きたように俺に投げてよこした。
〈ハンヤにあげるわ。精霊の私には、人のお金なんて使い方も知らないし、必要ないもの〉
「え、そうなのか。サンキュー、シファロ!」
アレクシェイドも、白い封筒を俺に差し出してきた。お前もいらないのか?
「やる。これは、店用の金だ。お前が使え」
「いいのか?」
「ああ」
「助かる。サンキューな!」
俺は、三つの封筒を手に、思わず笑みが浮かんだ。
全部で30万イーエン。
これだけあれば、そこそこの道具と食材が買える。
「レセルダさん。さっそく買い物したいんですが」
この道具屋には変な物も多いが、普通も物も結構あるのだ。パン屋に必要な細々とした道具は、ここで全部揃えられそうだ。それに、整理していてわかったが、物の品質もいい。仕入れをしてくる店主の目利きがいいのだろう。
レセルダは少し目を開いて、それから微笑んだ。
「うちで使ってくれるのかい? どうもありがとう。今あげたお金なのに、すぐに返ってくるなんて、何だか変な感じだな」
「確かに」
俺たちは笑った。
* * *
「また今度、ゆっくりお茶でも飲みにおいで」
手を振るレセルダに見送られ、俺たちは帰途についた。それにしても。
美女にお茶に誘われた!
「──いくなよ。それから、あいつの出した茶は絶対に飲むな」
どうにも、こいつはレセルダが気に入らないらしい。
「また、お前は……あの人、元仲間だろ?」
アレクシェイドが、思いきり嫌そうな顔をした。そんなに嫌なのか。昔に何があったんだよ。
「いいか。コレクションの仲間入りしたくなければ、絶対に飲むなよ。出された食い物も絶対に食うな。あいつは気に入ったものは、何でも──魔物ですらコレクションするような奴だ。手段も選ばない」
「魔物……」
それって、勇者の仲間的にオッケーなのか?
奥の倉庫……私物って。何が入ってるんだろうか。
突然、俺とシファロは同時に身を震わせた。
なんか、いきなり背筋が寒くなったのだ。突然。鳥肌も立っっている。よく分からない。やっぱり、風邪ひいたのか。
「とにかく。絶対に1人であの店には行くな。近づくな。わかったな」
「お、おう……?」
〈う、うん〉
アレクシェイドの気迫に押されて、俺とシファロは何度も頷いた。




