第19話
キーアイテム使用により、特殊シナリオが割り込み発生しました。其の1。
旅のパン職人に会いました。
>>キーアイテム【クロワッサン】使用により、【特殊シナリオ】が割り込み発生しました。
クロワッサンの匂いに釣られて、【旅のパン職人(幽)】が現れました。
(幽)ってなんだ。
カッコをつける意味あるのか。幽霊だろ。幽霊なんだろ。嫌すぎる!
会いたいとは思ったけど、生身限定でお願いします!
【旅のパン職人(幽)】は、貴方を手招きしています。
森の奥へと誘っているようです。
どうしますか?
>戦う
>ついていく
>成仏するよう説得する
>大声で【勇者】を呼ぶ
だから。
さっきから、どの選択肢も微妙なんですけど。
選択肢が増えたって、どれも微妙なら同じ事なんだよ! 増えりゃいいってもんじゃねえんだよ! 分かって、お願い。
頼むから、まともな選択肢をくれ。
* * *
『クロワッサンの匂いがする……』
俺は肩の辺りを飛んでいるシファロを振り返った。
「何か言ったか」
〈言ってないわよ〉
『クロワッサンの匂いがする……』
「今。何か言っただろ。あのな。クロワッサンは1個だけって言っただろ! 残りは俺の貴重なおやつだ」
〈わ、分かってるわよ! ていうか、私じゃないわ!〉
「何言ってる。ここには俺とお前しかいないだろ」
〈でも私じゃないもの! あ! あそこ!〉
シファロが、脇の鬱蒼と茂る木立を指さした。なんなんだよ、もう。やっぱりウッソ〜☆、とかやったらマジで指で頭を弾く。
木の側には、男が立っていた。
白い円筒形のシェフ帽。シェフが着てるような胸にボタンがたくさんついた白い服。首元には赤いスカーフ。20代後半くらいの、笑い顔のほっそりした男。耳が長い。人じゃなくて、ナチュラルかもしれない。ナチュラリーだったか。まあ、どっちも意味的には似たようなものか。銀髪は俺と同じ癖毛だ。癖毛仲間だ。あれ? こいつは、黄緑色の髪じゃないんだな。脱色?
シェフがいた。
森の中で、シェフに遭遇しました。
ありえない。
ありえねえよ。
ありえなかったら、この人、何?
よく見ると、透けてるんですけど。透けて──
俺は背筋に寒気が走った。
「うおわああ!? ゆ、ゆゆ幽霊──!?」
俺は後ろに跳びすさった。すぐ背中に木の幹が当たる。木が密集してるから逃げにくい事この上ない。
『幽霊……ひどいなあ。まあ、確かに僕は幽霊だけど』
透けたシェフルックの男は、滑るように俺の前に現れた。
『こんにちは〜。僕の大大大好きなクロワッサンの匂いがしたから、何事かと思ってきてみました。ぱりぱりに焼いた香ばしい香りと、バターの濃厚で芳醇な香り……君が持ってるの?』
ニコニコと笑顔を浮かべ、シェフルックの男が近づいてきた。
足下に目を向けると──やっぱり足がなかった。
経本と数珠を、向こうの世界から持ってきたバッグの中に入れてきてしまった事を今さらながら後悔した。父さんと母さんに、しつこいくらいにバッグに入れられてきた所為で、入ってるのが当たり前になってしまっている。あれは、ちょっとしたテロだったと思う。気づかないうちに、バックに混入しているのだ。でも、今思えば正しかった。持ってくれば良かった。
「な、南無──」
『ふふふ。残念だけど、僕には退魔呪文は効かないよ〜。だって、悪霊じゃないもん。ふらふら彷徨ってる、ただの幽霊だもん』
「ふらふら彷徨ってるなよ! 早く成仏しろよ!」
『ええ〜。だって、心残りがあまりに多すぎて。だって、せっかく幻の野生酵母を見つけて、店頭販売に使える段階まで増やしたのに……僕、死んじゃったんだもん。お世話になった村の皆に、最高のパン、食べさせてあげたかったなあ……』
「え?」
幻の、野生酵母?
シューザから聞かされた話を思いだした。
5年前。森で失踪した、旅のパン職人がいたって話を。
旅のパン職人、ルヴァンフレッド。
彼はふらりとイーファーム村にやってきた。
歳は20代後半くらい。
詳しいことはよくわかっていない。
何故なら、彼が素性を一切語らなかったため、どこからきたのか、どこで生まれたのか、フルネームすら、誰も知らないのだ。
分かっているのは、【パン職人】という事だけ。
村人と交流しながらふらふらと村や森を散策し、いたく気に入った様子の彼は、村の空き家に住み着いた。
空き家は、元々は器を焼いていた工房だったらしい。親の跡を継いで若い夫婦が住んでいたが、村での評判がそこそこ良くなった頃、有名になることを夢見て都会に出ていってしまった。まあ、よくある話だ。
そして、パン屋を開店した。
シューザや村の人に聞くと、それはもう、驚くほど美味しかったらしい。
毎日日替わりでいろんな種類のパンが店頭に並び、昼を過ぎる頃にはほとんど売り切れてしまっていたという。
そんな話を聞いたら食べたくなるじゃないか。俺も食べてみたかった。
まさか──
『おやおや? 君、僕と会話できてるね? ああ、よかった〜。霊感ある人にやっと会えた! 僕の霊力が弱すぎるのか、村の人たちがあまりにものんびりしすぎてるからなのかは分からないけど、誰も僕に気づいてくれなくってさ〜』
霊感、欲しくて持ってるんじゃないんだよ。半谷家は職業柄、霊感強い奴が多いんだよ。少なくとも俺は寺を継がないんだからいらなかったよ。
「お前は……まさか」
男が、にっこりと笑った。
『僕の名前は、ルヴァンフレッド。最高のパンを求めて旅する、パン職人さ。ところで、クロワッサン、あるなら1つ頂けないかな?』
俺はミニクロワッサンを1つとり出し、幽霊……ルヴァンフレッドに差し出した。残り3個になってしまった。なんか、あんまり怖い幽霊じゃないから、なんかもう、慣れてきた。でも、幽霊って食べれるのか?
ルヴァンフレッドもその事に気づいたらしく、こめかみに指を当てて考えた。
「このままじゃ、食べられないよね。ちょっと待ってて」
滑るように移動しながら、再び森の暗闇に戻っていく。やっぱ、怖。戻ってきて欲しいような、もう戻ってきて欲しくないような、微妙な気分だ。ていうか、俺、これでも急いでいるんだが。
【勇者】、今頃は魔物と戦ってるだろうか。まあ、あいつならきっと大丈夫だろうけど。俺が駆けつけたところで、ずうっと後ろの方で応援するくらいしかできないだろうし。スコップで参戦しろと言われたらできないこともないが、十中八九、うろちょろして邪魔になると思うぞ。
しばらくして、草むらから、1匹のリスっぽい動物が現れた。
『お待たせ〜。リスぐらいなら、取り憑けるかなっと思ったらできたよ。よかったよかった』
取り憑いてきやがった!
「全然よくねえよ! 取り憑けるのか、お前!?」
『さすがに、人は精神力が強いから無理だけどね。ああ、でも精神が弱ってる人ならいけるのかな?』
心は強く持とうと思いました。常に。
取り憑かれたリス……ルヴァンフレッドは、俺に飛びつくと腕を伝って駆け登り、ミニクロワッサンを手に取った。
カシカシカシ、と頬袋を膨らませながら食べる。端で、シファロが指をくわえて羨ましそうに眺めている。盗るなよ。取り憑かれるぞ。リスに取り憑けたぐらいだ。蝶ぐらいどうってこと──て、精霊だったか。精霊って、取り憑けれるのか? わからんけど。
『美味しい! 何コレ! 僕が今まで食べたクロワッサンの中で、五本の指に入るよ! いや、三本の指かもしれない! どこで手に入れたの!?』
「どこって……。俺が、前に務めてたパン屋で、俺が作った」
『え、君が!? 君、もしかしてパン職人!?』
「そう」
『わあ、ラッキー! 良かった! 丁度いい! なら、僕についてきてよ! こんなに美味しいクロワッサン作れるんなら、君は良いパン職人だ。間違いない。だから、君になら教えてあげる!』
ミニクロワッサンをあっという間に食べ終わったリスは、俺から軽々と飛び降りると、小さな手で手招きした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ついてきてよ、って何処に」
『最高の水と酵母がある場所さ』
最高の水と酵母。
ちょっと、いやものすごく行ってみたいじゃねえか。
行ってみたい。
けど。
ここは、魔除けの柵の外側。魔物のいる森なのだ。
現在のメンバーを確認しよう。
【パン職人】
【幽霊(現在リスに取り憑き中)】
【精霊(小)】
これで無事辿り着けるとは到底思えない。だって無理だろ。
何で魔物の森にいるのか首をかしげたくなるほど、戦える奴が1人もいない非戦闘員パーティだ。武器なんて、重いスコップ1本だ。冒険者ナメてんのか、と怒られそうなレベルだ。
やっぱり、まずは【勇者】を回収しよう。
魔物が近くにいる、とシファロが言っていたのも気になる。
村の皆が無事に魔除けの柵まで逃げることができたのかも気になるけど、このままじゃ、俺たちの方も危険すぎて動きが取れない。
「先に戦闘メンバーを回収する。シファロ、案内の続きを頼む」
シファロも俺と同じ気持ちなのか、何度も頷いた。
〈うんうん。だよね〜。了解!〉
取り憑かれたリスが首をかしげた。
『戦闘メンバー?』
「ああ。この最弱パーティを、一気に底上げするくらいの奴だ。連れて行けば、確実に、無事に行って帰ってこれる」
だって、魔王を倒した【勇者】だもんな。
今では【パン屋の従業員】だけどな。