第18話
村の人たちと、森へ川の補修工事に向かいました。其の2。
さて。
俺の、現在の状況を説明しようか。
はぐれました。
異種族混合部隊からはぐれました。今、俺は1人です。周りには誰もいません。誰かの声すら聞こえません。葉の擦れる音しか聞こえません。
そう。あれは、今から数時間前に遡る……
川の流れる音がかすかに聞こえてきて、ああ、もうすぐ現場に着くんだな、と思った矢先。
いきなり、霧がたちこめだしたのだ。
真っ先に、ターロウ達が吠え出した。
「川から、離れるワン!」
「鼻が、効かないワン! この霧、おかしいワン!」
「魔物、ワン!」
魔物!?
騒めきが走った。
ちょ、そんないきなり言われても!
霧の中、連合部隊は慌てふためいた。ライオンも慌てふためいてるのはどういうことだ。百獣の王じゃないのか。長い農村生活で、すっかり丸くなってしまったのか。
「逃げろ! 魔除けの柵まで!」
シューザが怒鳴った。
それが合図だった。混合部隊はクモの子を散らすように、来た道を駆け戻り出した。
皆、基本的に、スローライフの農村民だ。シューザが言っていたが、村の生活は自給自足で十分賄えてるから、魔除けの柵の外になんか滅多にでることはないらしい。
だから、誰も魔物となんて戦ったことなどほとんどない。怖いに決まってる。俺だってそうだ。日本に魔物なんかいない。甲子園にはいるらしいけど。
俺も来た道を戻ろうとした。その時には、霧がますます濃くなって、ほとんど何も見えなくなってた。
騒ぐ声だけを頼りに、走った。
走った。
そして、現在に至る。
なんでだ。
なにがどうしてこうなった。
声を追いかけてたはずなのに。
この森の木々が密集しすぎているからだろか。途中から声が反響しはじめて、360度どこからも声が聞こえるような感じになっていた。あれがマズかったのかもしれない。
足音と声の多く聞こえる方を追いかけていたつもりだったんだが。いつのまにか、ダミーを追いかけてしまっていたみたいだ。こんなことなら、目の前で揺れてたライオンの尻尾、勇気を出して掴んどけばよかった。
とりあえず、大きな木の根と根の間に身を小さくして隠れる。根が大きくて、丁度俺の姿は外からは見えない。はずだ。
大声出してアレクシェイドか誰かを呼ぼうにも、先に魔物が寄ってきたらと思うと、大声を上げるのは躊躇われた。
はぐれっちまった悲しみに今日も風さえ吹きすぎる。って詩があったようななかったような。あれ、違うか。汚れっちまった悲しみに、か。どっちも悲しいのは同じだな。作者、誰だったけ。中村? 中尾? スカーフネジってる奴? いや、今はそんなことどうでも良いだろ。落ちつけ、俺。錯乱してる場合じゃない。落ちつくんだ、俺。トラブルには冷静さが一番重要だ。深呼吸。深呼吸。深呼吸。
よし。
少し落ちついてきた。
周りを見回す。
ここは、どの辺りなのだろう。
鬱蒼と木と草が茂り、枝葉が空も覆っている。霧が立ちこめていて、視界が全体的に白くぼんやりしている。360度、真っ白い霧と木と草と暗がりだけの、同じような風景に見える。どっちから来たのかもう分からない。
成程。
あの旅のパン職人も、これと同じ状況にあったのだろうか。
これで俺も森で遭難ってことになったら、明日には村で嫌なジンクスが生まれそうだな。【パン職人は森で必ず遭難する】とかいう。嫌だ。それだけは絶対に避けたい。俺は絶対に生きて帰る。
闇雲に歩き回るのは危険だ。
ここは、霧が晴れるまで待って、ターロウたちに見つけてもらうのが最善だろう。
俺はスコップを胸に抱え、できるだけ物音を立てないよう、そっと木の根元に寄り掛かった。
* * *
〈……ねえ〉
「え?」
俺は慌てて周りを見回した。
誰もいない。
なんだ、気のせいか。
救助がきたのかと思ったんだが。
それにしては、女の子みたいな声だったような気がするけど。気のせいか。気のせいだな。うん。こんな森の中で女の子なんて有り得ないもんな。
〈ねえ〉
また呼ばれた。
やっぱり女の子の声に聞こえる。なんで。こんな森の中で? しかも、魔除けの柵の外で? ありえない。怖すぎる。確認しないのも怖すぎる。
俺は、勇気を振り絞って、もう一度見回した。
やっぱり、誰もいない。
全身に冷や汗が噴き出した。
おいおいおい。
勘弁してくれ。俺は肝試しにきたんじゃないんだから。川の補修工事に来ただけだ。
〈ねえ。ちょっと。どうしてこんなところにいるの……?〉
青い光が、顔の横を擦った。
「うわあっ!?」
〈きゃあっ!?〉
俺は後ろに飛び退いた。背中に硬い木の幹が当たる。背中が痛い。
目の前に、青く光る蝶が1匹いた。青く光っていたのは、これだったのか? なんだ。幽霊かと思っちまったじゃねえかこの野郎。驚かすなよ。
かなり大きな蝶だった。羽根を広げたら俺の顔ぐらいある。蝶?
蝶じゃない。
蝶のような触覚は頭についている。ただ、その身体は──
青い巻き毛の少女の姿をしていた。
巻き毛は背中まで流れている。そして裸体……ではなく、青いビキニみたいなものを着ていた。
こういう人形、おもちゃ屋で見たような気がする。秀次郎爺さんの孫のまゆちゃんも持ってた。最新のは髪も伸びるのよ、とまゆちゃんのお母さんに言われて引いた俺は、時代についていけてないのだろうか。まあそれはともかく、目の前の青い羽根のついた小さな少女は、幼い女の子と、一部のコアな紳士共が喜びそうな感じの姿をしていた。
ただ、身体の輪郭は、内側から発光しているかのように、淡く光っている。
なんだこれ。
小さい少女に羽根が生えてる。あれだ。ファンタジーの定番みたいに出てくる、妖精? でも、ここには魔物がでるって言ってた。妖精が出るとは聞いてない。ということは……
「ま、魔物?」
〈失礼ね! 誰が魔物よ! 見て分かるでしょ! どう見ても、麗しい精霊でしょ!〉
「せ、精霊?」
青い巻き毛の羽根付き少女が、青い目を見開いて俺を凝視した。ひらひらと、俺の周りを飛び回る。
〈あら? あらあら? 嘘。貴方、人間のくせに、私の言葉が解るのね〉
「言葉?」
〈そうよ。私たちの言葉は音域が高すぎて、人の耳には上手く聞き取れないみたいなの。鈴の音みたいにしか聞こえないはずよ。貴方も人間でしょ? なのに、どうして聞き取れるの? ねえ、どうして?〉
「どうしてって、言われても……あ」
そういえば、アレクシェイドに変な飴飲まされてから、あいつの言葉が分かるようになったんだった。あの、甘くて辛くてすっぱくて苦い、すぐにでも吐き出したいほどゲロ不味い飴。異世界の言葉を自動翻訳してくれる飴だった。どういう仕組みかはさっぱり分からない。魔法的なナニカなのだろうが、勝手に脳を改造された感じがして気持ち悪い。
あれ、精霊の言葉もカバーしてるってのか?
すごすぎる。死ぬほど不味いけど。
「なんか、変な飴飲まされてから、言葉が分かるようになったんだ」
〈変な飴? もしかして──【賢王神バイベルの言語知識の滴】?〉
「ああ、それそれ。確かあいつ、そんな事言ってた」
〈ええ!? なんでそんな神様の祝福アイテム、貴方みたいな平凡でちっちゃい人が使っちゃってるの!?〉
何でこんな小さい羽根つき女の子にまで、ちっちゃいって言われないといけないんだ。
「お前に言われたくないわ! 知らねえよ。無理やり飲まされたんだ。不可抗力だ」
〈無理やりって……そんなもの持ってるの、【勇者】様ぐらいしか……。いえ、でも貴方みたいな平凡でちっちゃい人が【勇者】様の知り合いなわけないわ〉
「まだ言うか。お前だってちっちゃいだろうが!」
〈まあ! 失礼しちゃう!〉
青い羽根の小さな少女は頬を膨らまし、ひらひらと上に飛んだ。
「あ、ちょっと、ちょっと待ってくれ!」
〈なによ〉
「ごめん。悪かった。行かないでくれ。頼む。助けてくれないか。俺、皆とはぐれたんだ。川の補修工事に来てて」
〈ああ、川ね。そういえば、川岸の、大きな木と岩が倒れてしまっていたわ。川の水は横に流れて、新しく湖みたいなのができてた〉
川の水、横で貯まってんのか。そりゃ下まで流れてこないはずだ。
「そう、それそれ! 直しに来たんだ。それで、魔物が出たみたいで、皆びっくりして散り散りに……」
青い羽根付き少女が戻ってきて、腰に手を当てて、俺の前でホバリングした。
〈そうそう! 魔物! 私たちも困ってるのよ! あれ、どうにかしてくれない!?〉
いや、俺にどうにかしてくれと言われても。パン職人にどうしろと。
〈ものすごくでかい図体でずるずる、ずるずる這いまわるから、私たちのお気に入りの花畑が二つもぐちゃぐちゃになったのよ! 餌を捕る時に、真っ白い霧を吐くし! 視界は悪くなるし、とっても迷惑してるの!〉
ものすごくでかい図体でずるずる這う? 真っ白い霧を吐く?
なんだそれ。ものすごく、ものすごく遭いたくないんだけど。巨大怪獣はもう勘弁して欲しい。
「と、とにかく、皆と合流したいんだ。来る途中、誰か見なかったか? て言っても、この霧じゃ、見えないか……」
〈ん〜。見えないけど、魔力を感じることはできるわ〉
「ま、魔力?」
〈そうよ。皆、魔力を大なり小なり持ってるから、それを辿っていけば、分かるわ。ちょっと待ってて。この近くにいるかどうか、探ってくるから〉
そう言うと、青い羽根付き少女は白い霧の中へ飛んでいった。青い光が、霧の中に消えて、すっかり見えなくなる。
〈きゃあ!?〉
「ど、どうした!?」
〈なに、これ。ものすごく、強い魔力を持ってるのが2ついる……1つは、あの魔物ね。ああ嫌だ。もう1つは──え。ちょっと。これって。まさか──【勇者】様?〉
「勇者!?」
アレクシェイドか!
なんだよ、以外と近くにいたのか。視界が白くてさっぱり見えないから分からなかった。あいつも俺と同じように、皆とはぐれてたのか?
魔物も近くにいるのが、ものすごく嫌な感じだが。
ここは、一旦、合流したほうがいいだろう。こんな視界が悪い中、ばらばらで動くよりは固まって動いたほうがいい。あいつは戦えるし、こっちには精霊のナビゲーターがいる。俺は、まあ……応援ってことで。応援も大事なんだぞ。応援されたら頑張る気になるだろ。ていうか、パン職人にパン焼く以外の事を期待するな。
「そこ! そこ、連れていってくれ! 頼む!」
〈え。行くの? 魔物いるけど〉
「いい。あいつがいるなら、大丈夫だろ。案内してくれ」
〈あいつって……【勇者】様をあいつ呼ばわりするなんて、貴方、何様よ。まあ、案内するぐらいなら、別にいいけど〉
青い羽根付き少女は、小さな手の平を俺の前に差し出した。
「なんだ?」
〈何かちょうだい〉
「はい?」
〈渡る世の中、ギブアンドテイクよ。無償なんて幻想よ。依頼には報酬。因果には応報。冥土の川の渡し船代は銅貨六枚。タダより高い物は無し。これ、常識〉
世の中って、世知辛いですね。
俺はナップサックの中を探って、ミニクロワッサンの入った保存袋をとり出した。俺が背負ってたバッグの中に入ってたものだ。
【発酵バターたっぷりミニクロワッサン】。
丁寧に重ねられた生地とバターの層が、焼くと、パリパリの心地よい触感を作り出す。口に入れると濃厚なバターの香りが広がり、幸せな気分に。店で売っている。6個入りで、150円。一口サイズなので、小腹が空いた時のおやつにぴったり。
アレクシェイドに教えたら絶対全部食われそうなので秘密にしていた。向こうの世界から持ってこれた、唯一の俺のささやかなおやつだ。仕方ない。背に腹は代えられない。
俺は1つとり出し、青い羽根付き少女に渡した。
〈あ。これ、知ってる! パンでしょ?〉
「そう。ミニクロワッサン」
〈クロワッサン? ん〜。良い匂い!〉
青い羽根付き少女は、嬉しそうに飛び回ると、俺の肩に留まった。
パリパリと小気味のいい音が、耳のすぐ真横で聞こえてくる。
〈んん〜! これ、とっても美味しい! なにこれ。ものすごく美味しいわ!〉
「そりゃ、よかった。じゃあ、案内頼めるか?」
〈任せて! あ、そうだ。私の名前、教えてあげる! 私はシファロ〉
「俺は半谷だ」
〈ハンヤ。よろしくね! お近づきの印に、もう1つクロワッサン頂戴!〉
「嫌だ。これは、俺の貴重なおやつなんだ」
〈ぶ〜! なによ、ケチ!〉
ケチで結構。
だって、もうしばらくは食べれないかもしれないんだから。
俺も、ミニクロワッサンを1つ口に放り込んだ。
パリパリの触感と、濃厚な醗酵バターの香りが、ささくれた心を少し癒してくれた。
「ああ。はやくパン、焼きてえなあ……」




