第16話
勇者と村にやってきました。其の2。
シューザにお茶をご馳走になった頃にはもうすっかり陽が暮れてしまった。
村には宿らしきものがない、ということもあり、村長の厚意で一晩泊まらせてもらえることになった。
ターロウは家で母親が夕飯を作ってくれてるらしいので、お茶を飲んだだけで帰った。そしてなんと、ターロウには兄弟があと4匹……違った、4人もいるらしいことが判明した。会ってみたい。是非。柴ファミリー。
「いや、もう、何から何までお世話になって、すみません」
俺は、テーブルに出された食後のお茶を前に恐縮した。ミントティーのようなさわやかな香りが湯気と一緒に立ち上る。
夕飯までご馳走になってしまった。ぶつ切りした鶏肉っぽい肉とトマトっぽいソースとスパイスを煮込んだだけのシンプル料理だったが、とても美味しかった。
パンは、まあ、かなり硬めで歯ごたえがあり、ぱさぱさしたフランスパンのような感じだった。味は二の次で、長期保存をまず第一にしているのだろう。少し酸味のあるフルーツ系の香りがついていたので聞いてみたら、自家製天然酵母らしい。
この世界の天然酵母か。
天然酵母は、なかなかデリケートで管理も難しいんだよな。この世界の食材もまだよく分かってないし。あとで材料とレシピを教えてもらおう。
お茶を湯飲みに注いでいたシューザが笑った。
「いや、構わんさ。連れにも随分前に先立たれちまって、どうせ1人で気ままに暮らしてるだけだからよ。部屋はいっぱい余ってるんだ。なんなら、ずっといてくれてもいいぞ」
「いえ、そこまでは!」
「そうかい? お前なら大歓迎なんだけどな。毎日めちゃくちゃ美味いものが食べられそうだ。なあ? お前もそう思うだろ?」
シューザが、湯飲みをアレクシェイドの前に置きながら話を振った。
アレクシェイドは無言で茶を口に運んでいる。
おい。なんとか言えよ。失礼だぞ。
シューザは気にしていないようで、面白そうにテーブルに身を乗り出し、アレクシェイドに向かって口角を上げた。
「ところで、金髪のでけえ兄ちゃんよ。腰に剣を差してるとこ見ると、兄ちゃんは戦えるんだろ? どうだい。ちょいと手伝ってもらえねえかな」
無言。
無言。
茶をすする音。
「て、手伝う?」
いつまでも無言の失礼極まりない奴に代わって、仕方なく俺が相づちを打った。
この野郎。少しはコミュニケーションしろよ。コミュ障か貴様。【勇者】のくせに、基本、無愛想だからな、こいつ。愛想もないし。勇者って普通、愛想の大判振るまいしないと駄目なんじゃないのか。こんなに無愛想で、どうやって仲間集めたんだ。ああそうか。顔がいいから、何もしなくても集まるのか。特に女の子達はすぐ集まってくるもんな。ずる過ぎる。羨ましくなんか──羨ましい!
「おう。三日前、川のずっと上流近くで土砂崩れがあったみたいでよ。それが、森の中で。しかも魔除けの柵の外なんだよ」
「魔除けの柵の外……」
ということは──
魔物がいる場所ってことか?
俺は、あの恐怖のライドアトラクション、リアル巨大怪獣大集合展を思い出し、背筋を震わせた。あんなに巨大なのはいないと思いたい。とくにあの肉食系巨大リス。あれは怖かった。
「ターロウたちに見てきてもらったから、間違いねえ。あいつらは、鼻が効く。魔物を避けながら、危険を承知でひとっ走り見てきてくれたのさ」
さすが、柴犬族。
「で、だ。俺たち、しがない農村民は、育てることに関しちゃ長けてるが、魔物と殺り合うなんてのはからきし苦手だ。魔物退治は冒険者に頼むのが一番良いが、いかんせん、この辺境の小さな農村に立ち寄るような冒険者がいねえ。三つ山越えた街にある【冒険者協会】に依頼を出しに行くにしても、かなりの日にちがかかるし、第一、小さな農村でかき集める金なんて、たかが知れてる。安い依頼料で引き受けてくれる善良な冒険者がすぐ見つかるとも思えねえ。いつまでもじいっと待ってたら、丹精込めて育ててる畑が全部枯れちまうや」
まあ、確かに。冒険者も、ボランティアじゃないだろうからな。
「だったら、俺らで、できるとこまでやるしかねえ。頼む、兄ちゃん。この通りだ。明日、土砂崩れを直しに、村の若いもんやオヤジ共をつれて行く。ターロウたちに魔物の気配を探ってもらって、魔物を避けながら行くつもりなんだが、無事に行って帰れるかは五分五分だ。兄ちゃんが戦えるなら、心強い。一緒についてって、魔物から俺らを守ってくれねえか」
シューザは頭を深く下げた。
「もちろん、ただとは言わねえ。店の掃除と改修工事ってのはどうだ。村の奴で、店、綺麗に直してやるから。もちろん、タダで。どうだ?」
「タダで、店の掃除と改修……」
5年も放置された建物だ。二人で掃除と改修するのは、相当に骨が折れるだろう。
ただ、この依頼。
俺には荷が重すぎる。
俺は魔物と戦えない。ていうか無理だろ。刃物なんか、包丁しか持ったことがないし。高校で入っていた部活は調理部だ。その後入った専門学校も調理学校だ。
よくある定番通りに、麺棒と鍋の蓋で戦えと言われれば戦えはするだろうが、現実的に考えて、まず死ぬだろう。死ぬだろ、普通。その前に、パン職人にとって、大事な商売道具でもある麺棒をそんなことに使いたくない。気楽に買い替えできるものなら、使ってもいい。菜箸とか。駄目だな。死ぬな。確実に。
俺にはこの依頼は無理だ、という結論に達した。
断ろう。
「村長。悪いが──」
「本当に、タダで店の掃除と改修工事をしてくれるんだな?」
それまで我関せずな態度で茶を飲んでいたアレクシェイドが、会話に割って入ってきた。
「お、おお! もちろんだとも! 引き受けてくれるのかい、兄ちゃん!」
「ああ」
「お、おい。いいのか? だって、魔物が」
「タダで掃除と改修してくれる」
「そりゃそうだけど」
「行って帰るまでの護衛だ。難しい仕事じゃない」
「そうそう。魔物に遭わなきゃ、行って、川の修復して帰るだけだ。引き受けてくれて、ありがとよ!」
村長は大きな口を開けて笑うと、俺の肩を叩いた。痛い。何で俺なんだよ。こいつを叩けよ。
アレクシェイドは話は終わったとばかりに、茶をすすった。
* * *
機嫌の良いシューザが、俺たちに2階の客室を1室ずつ貸してくれた。ベッドで眠れる。ありがたい。
今日は、あまりにいろいろな事がありすぎて、本当に疲れた。いや、ありすぎた。ストーカー女神に追われて、落とし穴に落ちて、異世界に連れて来られ、山を越えながらリアル巨大怪獣大集合展を駆け抜けた。なにこれ。あまりに非日常過ぎて笑えない。
アレクシェイドが、大きな欠伸をしながら隣の部屋の取っ手に手をかけた。さすがの【勇者】も、このハードスケジュールには疲れたらしい。まあ、こいつ、仕方ないとはいえ、終始走りっぱなしだったからな。
「なあ、アレクシェイド。あの依頼──引き受けて良かったのか?」
なんだか、結構危ない目にあいそうな予感がする。俺の悪い勘は、よく当たる。悪い勘だけ。
今なら、まだ断れる。死活問題に直結している村長達は大変だろうが、ターロウたちと一緒なら、どうにかやって帰ってこれるんじゃなかろうか。
俺たちは、今日たまたま村に訪れた旅人みたいなものなのだ。言わば部外者だ。村に世話になるなら手伝う事にはやぶさかではないが、だからって命懸けてまでやらなくてもいい。命は大事だ。それに。たかが掃除と改修してもうらう為に、命懸けんでいい。
「魔物、いるんだろ。きっと、ものすごく危ない。時間はかかるだろうけど、自力で掃除と改修くらいはできるし」
アレクシェイドが眠たげに目を擦りながら、俺を見下ろした。
「川の修復できなかったら、村に水が十分流れてこない。【コムウイート】が育たない。そうしたら、パンがロクに焼けなくなるだろ」
お前、そこまで考えてくれてたのか!
ちょっと、感動してしまったじゃねえか。ちょっとだけな。
その通りだ。
パン職人たるもの、確かに、命の次に大事な小麦を守らないといけない。お前もわかってきたじゃねえか。
「そうだな。よし、分かった。俺も、明日は頑張ろう」
「は? 頑張ろうって、何を頑張るんだ」
「何って。川の補修工事に決まってるだろ。男手がいるって言ってたし。それに、俺の店の事だ。お前だけに任せてられねえよ。魔物と戦うとかはできんけど、それくらいなら、俺でもできる。そうと決まれば、早く寝ないとな。明日は6時出発らしいからな。お前も早く寝ろよ」
「おい。ちょっと待て」
扉を開けて部屋に入りかけると、アレクシェイドがついてきた。うお、なんでついてくる。早く寝ろよ。それとも、まさか──
俺のバッグの菓子、嗅ぎつけやがったのか。
これだけはやれん。せっかく、向こうの世界から持ってこれた、貴重な菓子なんだから。
危ない危ない。食い意地だけはやけにはってるからな、こいつ。アパートの部屋に置いてた食い物、ほとんど食われたし。人の部屋、漁るなよ。それが許されるのはゲームの中だけだ。【勇者】のくせに、なんでそんなに飢えてんだ。いくらでも入る四次元胃袋のせいか。
俺は奴を押し出した。
「食い物はもう持ってないぞ。お前も早く寝ろ」
扉を閉めて、鍵をかけた。
さあ、明日に備えて早く寝よう。
明日は、重労働が待っている。体力を温存しておかなければ。




