第15話
勇者と村にやってきました。其の1。
村長さんに会いました。
【村長】が、【冒険者】に依頼をしてきました。
難易度は、命の危険があるレベルです。
引き受けますか?
>はい
>いいえ
俺は【冒険者】じゃねえよ!
街角の【パン職人】だ。
テンプレ通り、【麺棒】と【鍋の蓋】で戦えっていうのか。
いや、それ普通に考えて無理だから。
麺棒と鍋の蓋は、武器じゃない。
調理器具です。
誰か、使用注意書きに書き加えてくれ。
* * *
太郎、違った、ターロウに案内されたのは、長閑な田園や牧場が広がる、小さな村だった。
緩やかに隆起する平野と林と、ずっと遠くに森と山。
ぽつりぽつりと、田園や畑の合間に小さな民家が建っている。三角の茶色い屋根に、白い壁。石を積み上げただけの簡素な低い塀。どことなく、ヨーロッパの片田舎を思い出させる風景だ。
ただ、全体的に少し茶色がかっている。そして田園や畑も、三分の一程が枯れかけている。あまり生育状況はよくない。
「ここは、イーファーム村だワン」
「良いファーム村? 良い農場村? 全然良くなさそうなんだが」
ターロウの耳と尻尾がしょんぼりと垂れ下がった。
ものすごく悪い事を言ってしまったような気分になった。罪悪感が胸を刺す。
あと、すごく頭を撫でたい。この、茶色いふかふかの頭を。撫でたら怒るだろうか。
だって、昔、実家で買ってた柴犬の太郎にすごく似てるんだよ、こいつ。生まれ変わりだったりして。異世界に生まれ変わるってあるんかな。生まれ変わりってことでいいかな。そういうことでいいかな。
「ちょっと前までは、もっとマシだったんだワン……て、お前、何してるワン?」
俺は、無意識にターロウの頭に伸ばしかけていた手を止めた。さすが動物。気配の察知半端ない。
「あ、いや。何でもない」
俺は手を引っ込めた。いつか絶対撫でさせてもらおう。
「そうかワン? まあいいワン。3日前、川のずっと上のほうで、土砂崩れがあったんだワン。それで、川の水が少ししか流れてこなくなったんだワン。だから畑に水が足りなくなって、困ってるんだワン」
成程。それで、麦畑や田園がちょっと枯れかけていたのか。
「皆、水が足りなくて、とてもとても困ってるんだワン。お前たち、冒険者なら、ちょっと手を貸すワン。今から村長のところ、連れて行くワン。お前たち、村長の話、聞くワン」
「いや、俺、冒険者じゃなくて、パン職人なんだけど」
後ろの奴は【勇者】だし。
「ターロウに、ついてくるワン!」
聞いてないし。
まあ、村長のところに連れていってくれるなら、丁度いいか。これから住むところの相談とか、仕事の話とか、この辺りの情報とか、いろいろ聞きたいことがたくさんあるし。手助けできるかどうかは、話を聞いてみないことには何とも言えんが。
「まあ、取り合えず、村長のところに連れていってくれるのは、助かるわ。案内ありがとな、タロウ」
タロウ、いや違った、ターロウの尻尾が横に忙しく振れた。
「任せるワン!」
嬉しそうに、飛び跳ねながら畔道を駆けていく。昔、小学校の頃、こうして太郎と散歩したなあ。懐かしい。
そういえば。
さっきから、後ろの【勇者】が静かだな。
嫌な予感がする。
俺は振り返ってみた。
奴は、大袋からパンをとり出しては、美味そうに頬張っていた。
この野郎!
「なんだかさっきからやけに静かだな、と思ってたら! ずっと食ってたのかお前! ちょっと、待てお前! 全部食うな!」
俺は奴から、クマさんとウサギさんのロゴマークがプリントされた大袋を取り上げた。軽い。中を覗くと、大袋からこぼれ落ちそうなくらい一杯に詰まっていたパンが、もはや半分以下になっていた。30個以上は入っていたはずなのに。
「あ。何するんだ、ハンヤ」
「何するんだ、じゃねえよ! もう5、6個しか残ってねえじゃねえか! どんだけ早食いなんだよお前は! 残りは没収だ。これは村長への手土産にする」
アレクシェイドが青い目を見開いた。ショックを受けているようだ。あれだけ食ったらもう十分だろうに。
「手土産……!? そんな、横暴だ」
「横暴じゃねえよ。ご近所付き合いは最初が肝心なんだぞ。特に大家さんには、これから世話になるんだから、ちゃんと手土産持ってきちんと挨拶しとかねえと。こうやって印象良くしとくとな、後で何かあった時、いろいろ助かるんだから」
「大家じゃなくて、村長だろう」
「大家も村長も似たようなもんだろ」
「村長の家、ついたワン!」
ゆるやかな坂道の先に、他の民家よりも少し大きめの家が見えてきた。
茅葺きっぽい三角屋根の、三階建て。民家の脇には、農機具や収穫物を収めている納屋が三つ並んでいる。
庭には、ニワトリが四匹、放し飼いにされている。ニワトリ……? なのか、あれ。とさかの両脇に猫耳っぽいものが生えている。猫耳なのに全く可愛くない。そして目つきはこちらも負けず劣らず恐ろしい。
玄関は開けっぱなしだった。
ターロウは小走りに駆けて行くと、遠慮なく玄関口に入っていった。玄関の脇の壁に、呼び鈴らしき小さな鐘がぶら下がっている。あれ、鳴らさないでいいのか?
まあ、田舎でよく見かける光景ではある。 セキュリティなどあっても無きに等しい。俺たちもターロウの後に続いて、玄関に足を踏み入れた。
家の中は、木の梁と漆喰の白壁で造られていて、簡素だけれど落ちついた内装だった。
奥の廊下には、扉が二つずつ向かい合わせにあり、最奥にも1つ。
「村長──! いるかワン?」
左奥の部屋で、物音がした。
「おう。ここにいるぞ。その声は、ターロウか?」
気っ風のいい、男の返事があった。しゃがれ声がまた江戸っ子っぽく、小気味よく聞こえる。江戸、ここにはないけどな。
「冒険者が来たワン!」
「──なんだと!? そりゃあいい! 助かった!」
慌ただしい物音を立てて奥の扉を開けて出てきたのは──
緑のつなぎを着た、肌の黒い爺さんだった。
俺は目を見張った。
「秀次郎爺さん!? ──て、いや、そんな訳ないか……」
「ああ? 何言ってんだ。俺の名前はシューザ。この村の村長だ」
シューザと名乗った爺さんは、親指で自分の胸を指した。
俺はまじまじと爺さんを見た。本当に、秀次郎爺さんによく似ている。
というか、瓜二つだった。
世界に自分と似た奴は三人いるって話を聞くが、異世界もその中に含まれているんだろうか。
違うのは色だけだ。真っ黒い肌は同じだが、つなぎはいつものカーキ色じゃなくて緑色。髪は年がいもなく真黄色。瞳は明るい緑。まるで2Pカラー秀次郎爺さんだ。
「いや〜、助かったぜ。なんせ、ここはどえらい辺境の農村だからな。冒険者なんてめったに来ねえんだ。1年に1人か2人、いや来るかどうかも分からねえ。数ヶ月前に、勇者様御一行が通りすぎてったけどよ、ホントに通り過ぎてっただけだしな!」
2P秀次郎爺さんは大きな口を開けて笑いながら、大きなゴツゴツした手で俺の背中をバシバシと叩いた。痛い。爺さんのくせに、馬鹿力だ。
「ちょ、痛え! 違うんだ、俺たちは、冒険者じゃない」
「はあ!? なんだと! 違うのか!」
「違うよ。話を聞けよ。俺は【パン職人】の半谷。こいつは──」
さて、なんて言おう。【勇者】って、知られたくないんだよな、こいつ。でも、【外国からの留学生】ってのは、さすがにここじゃ使えないだろうし。
俺は奴を見上げた。なんて言えばいいんだ? 奴はちらりと横目で俺を見てから、シューザに向き直った。
「パン屋の従業員」
お前、【勇者】改め【従業員】かよ。
いいのかそれで。勇者辞めて俺の店で働く気か。まあ、助かるけどな。ていうか、給料なんてまだ払えんぞ。これから必至で資金貯めないといかんし、俺の店が開業するまでは、まだまだ時間がかかるだろう。
「なんだよ。お前ら、パン屋なのか!」
「そうだよ。と言っても、これから開業資金貯めないといけないし、まだまだ駆け出しなんですけど」
俺の横にいたターロウが、尻尾を振って見上げてきた。円らな黒い瞳が癒される。
「お前、パン屋かワン! 冒険者じゃないのは残念だワンが、村にパン屋できる、嬉しいワン!」
シューザが、難しい顔付きで唸りながら頭を掻いた。
「しょうがねえなあ。冒険者なら、ちいとばかり、手伝って貰おうと思ったんだけどよ。まあ、いいか。この村には、パン屋がなくなって久しいからな」
「え、パン屋あったんですか!」
「ああ。ずっと昔にな。どこからかやってきた、ルヴァンフレッドって名前の旅の男が、パン職人だったんだ。どういうわけか、こんな小さな農村をえらく気に入ってよ、店を開業するようになった。けどよ、残念な事に、5年ほど前に、森に入ったきり、帰ってこなくなっちまった。村中総出で探したんだが、どうしても見つけられなかったんだ。見つけられたのは、あいつが愛用してた、採取用の背負いカゴだけだった。村の西に広がってる森は、素人には迷路と同じで中が複雑なんだ。きっと、奥に行き過ぎて、遭難しちまったんだろうな……。後を継げるような腕を持った職人もこの村にはいなかったし、自然と、閉店しちまったってわけだ」
そうなのか。
理由はよくはわからないが、同じパン職人同志、できれば会って話をしたかったな。
シューザが、西に顔を向けて目を細め、静かに息を吐いた。
「もしかしたらそのうち帰ってくるかもしれねえと思ったが、5年も経っちゃあなあ……もう、駄目だろうな……。あれだけ綺麗にした店も、今じゃあすっかりボロ家に逆戻りしちまったよ。──お。そうだ!」
シューザが、顔を寄せてきた。ちょっと酒臭い。まさか飲んでたんじゃなかろうな。
「お前、パン屋するんだろ? あの空き家、使わないか?」
「へ? いや、でも俺、金持ってないですけど」
というか、この世界の金なんて1銭も持ってない。ちょっとこれ、今さらながらヤバくないか。明日からどうする。俺。アレクシェイドは持ってんのかな。少し借りるか。すげえ嫌だけど。なんかこいつに借りを作るの、ものすげえ嫌だけど。
シューザが大笑いした。
「金なんかいらねえよ。どうせ、元々何十年も空いてたボロ家を、ルヴァンフレッドの奴が再利用して使い始めただけだ。せっかく使えるようになった家だ。また、ボロ家にしとくのも惜しい。人が住まなくなると、家ってのは途端にボロボロになって傷んじまうからな。だから、使ってやってくれると助かる」
「使って、いいんですか」
「いいっていいって。それに──あいつも、パン職人がパン屋として使ってくれるんなら、浮かばれるだろ」
そうか。
俺は心の中で、西の方に手を合わせた。
ルヴァンフレッドさん。貴方の店、ありがたく、使わせてもらう事にします。
「実のところ、助かります。金はないし、店、借りるにしても建てるにしても、どうしようかと思ってて。そうだ、これ、御挨拶代わりに、どうぞ」
俺は、パンの入った袋を、シューザに差し出した。
「なんだ?」
「俺が前に働いていたパン屋のパンと、俺が焼いたパンです」
「とっても美味いんだワン! 村長も食べてみるワン!」
「ほう、そうなのか? じゃあ、ちょいと失礼して」
シューザは紙袋を受け取ると、中から1つ取り出した。
レモンの蜂蜜漬けの輪切りが三枚乗った、長方形のパイ。
【フレッシュレモンのさわやかサクサクパイ】
生地にもレモンピールを混ぜ込み、レモンクリームの上に、レモンの蜂蜜漬けを3枚乗せた、レモン尽くしのサクサクパイ。後味もさわやかで、いくつでも食べられるくらい軽い口当たり。ビタミンCもたっぷり。
「ああ! それ、俺の……!」
俺は奴の腹に肘鉄をくらわした。肘が痛い。腹筋も硬いなこの野郎!
シューザは一口齧った。
驚いたように緑色の目を見開いた。
「これは……! めちゃくちゃ、美味えじゃねえか! さっぱりしてて、軽くて、サクサクだ!」
「材料が、ここの世……じゃなかった、この地域の物と違うんですが。口に合いますか?」
「こりゃ美味い。あいつの作るパンに負けてねえよ!」
「よかった」
俺は胸をなで下ろした。この爺さんは、お世辞を言うような奴じゃない気がする。秀次郎爺さんに性格もよく似てるしな。言いたいことはガンガン言うようなタイプだ。不味かったら不味いとはっきり言うだろう。
「ただ、俺、ここに来たの初めてで。俺が前に使ってたような小麦粉と酵母と水があれば、同じようなパンが作れるんですが」
シューザが、顎の無精ヒゲを撫でた。
「そうか。パンの材料は、この村にも有るっちゃあ、有るが。俺は果物専門だから、よくわからん。今度、コムウイート作ってる奴んとこ、連れてってやるよ。そっちで聞いた方が早い」
「ありがとうございます!」
シューザの専門も果物のようだ。さすが、2Pカラー秀次郎。
「まあ、立ち話もなんだ。茶を入れるわ。ターロウもどうだ?」
「お呼ばれするワン! さあ、行くワン。村長の淹れてくれるお茶、とても美味しいんだワン!」
ターロウが俺の手を引いた。
手を繋いでみると、手の甲だけにふかふかの毛が生えているようだ。手の平には生えていない。そして、肝心の肉球はあった。やっぱ、これがないとな。ぷにぷにした短い指と肉球が手の平に当たって、とても和む。
よかった。どうなることかと少し不安だったのだ。ちょっといわく付きではあるが、店も譲ってもらえそうだし、なんとかやっていけそうな気がしてきた。村長も秀次郎爺さんに似てていい人そうだし、タロウもいるし。
俺はアレクシェイドを振り返った。
「よかったな。なんとかなりそうで──って」
どんよりと暗い、【勇者】がそこにいた。
「餞別パン、結局半分しか、食べられなかった……。こんなことなら、さっさと食べておけばよかった……」
ぶつぶつ言っている。
まったく。
「じめっとしてんな。ほら、行くぞ」




