第14話
勇者と異世界にやってきました。其の2。
【勇者】の背中に乗せられて、50分。
飛ぶように、という言葉そのままに、奴は荒れ地と荒れ山を駆け抜けた。
こいつなら車と一緒に車道を走れるかもしれない。並走できる。そのまえに警察に捕まるかもしれないが。いったいどういう鍛え方をしたんだ。俺に教えてくれ。
猛スピードで荒れ地を駆け抜ける途中、岩陰から、大きな黒い塊が跳び出してきた。
それは、見上げるほどに巨大な──
熊っぽい生き物だった。
赤く鋭い目が六つある。岩も粉砕できそうなくらいに大きな爪と、毛むくじゃらの太い腕。
「グアアアアァウ!!」
熊は、獣道の真ん中に仁王立ちし、赤いよだれを撒き散らしながら、鋭く大きな爪の生えた両腕を振り上げた。
「ぎゃあああ!? で、出た──!?」
ええと、熊に死んだふりって、効くんだったっけ!? 無駄なんだっけ!? そうだ、確か、音鳴らすと良いって、テレビで観た気がする。音なるもの、何か持ってたっけ!?
アレクシェイドはそのままスピードを落とさず走っている。
おいおい。なんで、逃げないんだよ! なんで突っ込んでんだ!
「おい、アレクシェイド!? く、熊! 熊いるって! 逃げろ!」
「大丈夫だ」
全然大丈夫じゃねえよ!
熊はもう目の前だ。
血走った赤い六つの目と目が合う。
鋭い爪が振り下ろされようとしている。あんなので殴られたら、原形さえ留めないほどぐちゃぐちゃに──想像で気持ち悪くなった。微妙な揺れも手伝って、吐きそうだ。
もう、駄目だ。逃げ切れない。間に合わない!
俺は目を閉じた。
なんの衝撃もなかった。
「……あれ?」
恐る恐る、目を開ける。
目の前には、なだらかとは絶対に言い難い、急勾配の山道が続いている。
あれ、熊がいたはず……
「熊は」
「通り過ぎた」
通り過ぎた?
俺は後ろを振り返ってみた。
遥か遠くに、小さくなった熊の姿が見えた。
まさか、すり抜けたのか。
俺は脱力した。
もういい。焦って考えるだけ馬鹿をみる。そういえば、こいつ【勇者】なんだった。常識が通用しないんだった。
その後。
岩陰から、様々な巨大モンスターが次から次に現れた。
まるで夏休みとかによくやってる、巨大怪獣大集合展だ。
巨大な招きネコっぽいものがでてきたり、立ち上がったら2メートルはありそうな巨大なトカゲっぽいものがでてきたり、三メートルはありそうな巨大なリスっぽいものが出てきたりした。リスのくせにでかすぎだろ。リスはトレードマークのふさふさの長い尾と、つぶらな丸い潤んだ瞳をしていたが、口の中は尖った歯がびっしり生えていた。全然可愛くなかった。
何か岩陰から飛び出してくる度、アレクシェイドはその脇をすれすれで擦り抜けた。
なんだこの、怖いアトラクション。心臓に悪すぎる。乗り物から落ちたが最後、確実に死が待っている。
右へ左へ、または跳んだりしているのに、乗り心地が思ってたより悪くないのが訳がわからない。
ものすごい速さで走っているのに、地面の凸凹の衝撃がほとんど伝わってこないのだ。岩がごろごろして、ロッククライミング並の坂道もあるというのに。高級車並のサスペンション凄すぎる。
でも、できればもう二度と乗りたくはない。
山道が下り坂になってくると、巨大モンスターも次第に数が減ってきた。
そして、ようやく。
遠くに柵が見えてきた。
人の背丈ほどに切りそろえられた丸太が少しの隙間を開けて、等間隔に打ち込まれている。丸太の表面には、なにか文字みたいなものがびっしり刻まれている。どことなく、サラーシャが屋上に落書きしていた文字に似ている感じがした。一筆書きみたいなところが。
その柵の隙間からは、畑っぽいものが見えた。
畑だ!
ということは、人里に降りてきたってことか。よかった。本当によかった。
「あの柵には、魔除けが刻まれている。魔物が入ってこれない」
「そうかよ……」
よかった。あの柵の向こうへ行けば、巨大怪獣大集合展は終了なんだな。生の巨大怪獣を間近でみたよ。死と隣り合わせで。
俺はぐったりしたまま、返事をした。
アレクシェイドが僅かに上体を落とし、一気に柵を飛び越えた。アパートの三階まで二段ジャンプでいける奴だ。こんな2メートル程度の柵など軽いもんなのだろう。
柵の向こう側には、畑を横切るように、広めの道が続いていた。
道の両脇には、黄緑色の畑が風に揺れ、地平線まで広がっている。
もうここは安全な領域らしく、アレクシェイドも走るスピードを落としている。自転車くらいの速さだろうか。お陰でやっと、周りを眺めるくらいの余裕がでてきた。
長閑だ。
田んぼ……というよりは、麦畑のような感じに見えた。黄緑色に染まる広大な畑。細長い葉と茎、そして茎の先には、麦穂っぽいふさふさしたものがついている。麦だったら、小麦粉ができるな。この辺りの小麦粉ってどんな感じなのだろうか。ちょっと調べてみたい。
「アレクシェイド、ちょっと、ストップ!」
「なんだ」
俺は、奴の顔の横から手を伸ばし、黄緑色の葉が揺れる畑を指さした。
「あの畑、小麦畑っぽい。ちょっと見てみたい」
「コムギ? ──ああ、【コムウイート】のことか」
アレクシェイドが畑の脇道で立ち止まった。
「小麦ウイート?」
日本語と英語が混ざってるんだが。しかも意味がダブってる。
「【コムウイート】だ」
「同じだろ。パンの主材料になるやつか?」
「主材料?」
「ほら、あれ。白っぽい粉のやつ。俺がパン焼く時に、よく使ってただろ」
「ああ。あれか」
分かったらしい。アレクシェイドは少し考え、頷いた。
「多分」
「やった!」
よかった。この世界にも小麦粉あるんだ。あとは良質な酵母さえ見つけてくれば、パンが作れる!
俺は背中から下ろしてもらい、畑に生える麦っぽいものに駆けよった。
穂を少し触ってみる。俺の世界の麦穂とほぼ同じ形状だ。名前も意味がダブってるが同じだし、小麦で間違いないだろう。
ただ、1つ気になるのは、畑の半分ぐらいが茎と葉がぐったり曲がり、場所によっては茶色く変色している。あまり、成育状態はよくないようだ。この辺りが酷く乾燥している所為だろうか。
「こんなに広い畑があるってことは、村、もう近いのか?」
「ああ。この辺りは、もう村の農地だ」
「そうか」
この辺りからは、緩やかな丘が続いている。
畑は麦畑だけじゃなく、他の作物の畑もあった。なんの作物なのかはわからないが。
典型的な、田舎の農村の風景。
畑の合間に、ぽつりぽつりと民家が建っているのが見える。
「村があるってことは、どこかに街もあるのか?」
「あるにはあるが。ここからだと、山三つほど向こうだな」
「山三つ……」
ここ、かなり田舎なんだな。
「遠いな……。いろいろ買いそろえたい物がいっぱいあるんだが。この村、店とかあるのかな」
「村に店ぐらいあるワン。失礼な奴だワン」
ワン?
俺はアレクシェイドを見上げた。
「聞いてるワン?」
俺は、生暖かい目で奴を見守った。
「ワンって。お前……大丈夫か? 痛い語尾をつけやがって。全然面白くねえよ。むしろ寒いよ。それとも、とうとう頭がイカレ──いだだだ!?」
アレクシェイドが片手で俺の頭をわしづかんだ。
「指、頭に食い込んでる食い込んでる! やめろこの野郎! 半谷家の男の頭皮はデリケートなんだぞ! 剥げたらどうしてくれる!」
「俺じゃない。隣を見ろ」
頭を無理やり下に向けられた。
そこには、黒いつぶらな瞳が荒んだ心を癒してくれる、ふかふかした茶色い毛並みの柴犬が──
二本の足で立っていた。
しかも、質素なベストと半ズボンを着ている。
肩には、小型のクワを担いで。
「おまえら、どこから来たワン? 冒険者かワン? それにしては、貧相な装備ワン」
ワン、ワンって。
小首をかしげる、二足歩行の柴犬。
可愛い──んだけど、オカシイだろ。オカシイよな。
「な、なんで、犬がしゃべってんだ。しかも、二本足で立ってるし……」
「何言ってるワン。当たり前だワン。お前、どこのド田舎から来た冒険者かワン?」
犬(?)にバカにされた。え、なんで? 俺のほうが間違ってるの?
「【シバコボルト】だ。獣人族。気性が穏やかで、人と共存している地域も多い。アーリガ・テエーアでは特に多いな」
「【シバコボルト】?」
もう一度、下を見る。
俺の腰ぐらいの背丈しかない。丁度、柴犬が立ち上がったぐらいの高さだ。
三角の耳。
黒い鼻。
丸まった尻尾。
ふかふかの茶色い毛並み。腹毛は白い。
確かに──シバだ。柴犬だ。
シバって、異世界共通のものなのか?
二足歩行の柴犬が、黒い鼻をひくつかせた。
「美味そうな匂いがするワン……」
ああ、あれか。
アレクシェイドが腕に抱えている大袋。
俺は隣に立つ奴の、大袋に手を突っ込んだ。
「あ! 何をする! これは俺の餞別パンだぞ!」
「何言ってんだ。見送ってねえんだから、餞別は無効だ! それどころか、巻き込んだ慰謝料として返却してもらってもいいぐらいだ! よこせ!」
「嫌だ」
「嫌だ、じゃねえよ! 1つぐらいよこせって! よこさんなら、もう何も作ってやらん」
「む……」
アレクシェイドは押し黙り、、渋々、といった様子で大袋の口を俺に向けた。まったく。【勇者】のくせに食い物の事となると心が狭い。
俺は手探りで1つ、パンをとり出した。
【厚切りベーコンのローリングパン】。
水の代わりに牛乳を練り込んだ甘めの柔らかい生地に、店長自家製の厚切りベーコンをロールケーキのように巻き込んで焼いたパンだ。ベーコンの塩味とパンの優しい甘味が程よくからみ、肉好きの学生に大人気。お値段も、懐の寂しい学生に優しい、1個150円。
俺は【厚切りベーコンのローリングパン】を薄紙に包んで、二足歩行の柴犬に渡した。
案内してくれるって、言ってるし、初対面の挨拶は大事だろ。
二足歩行の柴犬は、黒い鼻でパンの匂いをしきりに嗅ぎ、一口かぶりついた。
つぶらな黒い瞳が俺を見上げる。
「す、すごく美味いワン──! こんなの初めて食ったワン!」
二足歩行の柴犬はぺろりと平らげてしまった。手の平、じゃなくて肉球についたパンくずを名残惜しそうに舐めている。
「気に入ってもらえてよかった。パン職人の半谷です。そのうちきっと、いや必ず、パン屋を開くと思いますので、その時は宜しくお願いします」
「うまかったワン……。お前、食い物くれた。良い奴だワン! 俺の名前は、ターロウ! ついて来るワン!」
二足歩行の柴犬太郎……違った、ターロウは、丸まった尻尾を物凄い早さで振りながら、俺たちの周りを飛び跳ねた。
犬の名前は太郎、も異世界共通認識なのだろうか。
楽しそうに飛び跳ねながら歩くターロウの後について歩きながら、俺は首筋を掻いた。
さっきからずっと、真後ろから、うっとうしい気配がしている。
「俺のパンが、どんどん減っていく……」
じめっとした威圧感はんぱない。
「俺のパンが……」
「俺のパンが……」
「ああもう、しつこい! いい加減にしろ! 後で作ってやるって言ってんだろ!」
「絶対だな」
「分かったって!」
まったく。
この姿を、頬を染めて寄ってくる女の子達に見せてやりたい。いやもうほんと。
巨大怪獣大集合展ライドアトラクションの回。(但し乗り物から落ちたら死亡)




