第13話
異世界編
勇者と異世界にやってきました。其の1。
【勇者】と荒れ果てた大地のど真ん中に降り立ちました。
【??? ※名称不明。 直立歩行の犬?】に話しかけられました。
返事をしますか?
>はい
>いいえ
俺は【いいえ】を選択した。
いや、だっておかしいだろ。
明らかに、おかしいだろ。
【??? ※名称不明。 直立歩行の犬?】に話しかけられています。
返事をしますか?
俺は【いいえ】を選択した。
だって、オカシイだろ!
なんだよ、直立歩行の犬って。
* * *
「わああ!?」
俺は、白い穴から飛び出した。
というか、吐き出された。
頭の真下に、緩やかに隆起した、茶色っぽい大地が見えた。
落ちる!
穴に落ちたはずのに、なんで穴から飛び出るんだよ。わけわかんねえ!
いきなり、パーカーのフードが引っ張られた。
「──ハンヤ、捕まれ」
無駄に良い声で言われた。そのまま引っ張られ、白うさぎの頭に押さえ付けられる。
俺は藁をも縋る思いで白ウサギの耳を握りしめ、ふかふかの頭に必至にしがみついた。
身構えていた着地の衝撃は、まったくなかった。
ひらり、という形容詞がぴったりの、着地だった。
いやもう、お前が何でも有りな【勇者】でよかったよ。本当によかった。この時ほど思ったことはない。普通なら重力に従って落下し、確実に足の骨折ってる。打ち所が悪かったら、もっと酷いことになってたかもしれない。
「た、助かった……サンキュー……」
俺は無意識に止めていた息を吐き出した。背中と額と手の平に、嫌な汗をかいた。
白ウサギの頭から降りる。
砂埃が舞う。乾燥した土と砂利を靴裏に感じた。
目の前の茶色い地面には、ぱっかりと白い落とし穴が口を開いている。
サラーシャが出てくるかもしれないと思って見ていると、突然、穴が揺らいた。
まるで熱砂の砂漠に浮かぶ蜃気楼のように。
ゆらゆらと。
かと思うと、ふっとかき消えてしまった。
「消えた……」
俺は目を擦った。地面には、何の跡も見当たらない。
白昼夢でも見ていた気分だ。これが夢なら早めに目が覚めて欲しい。
俺は溜め息をついた。
唯一、向こうの世界と繋がっていた穴。消えてしまった。これで、もう戻れなくなっちまった。
此処は、俺の知らない、別の世界。
見上げてみる。
俺のいた世界と同じ、青い空。いや、こちらの方がずっと澄んでいるか。車の排気ガスとか光化学スモックとかなさそうだもんな。ここ。
白っぽい太陽は、こちらのほうが少し大きい。中天を過ぎて、だいぶ西に傾いている。太陽の動きが俺の世界と同じなら、今は三時ぐらいになるだろうか。
周りを見回してみる。
見渡す限りの、荒れ果てた大地。
遠くには、申し訳程度に低木や草が生えた茶色い山々。大きな岩が突き刺さって、積み上がっているような山は、かなり歪な山並みを作り出している。
ひどく荒れ果て、殺伐とした場所だった。
「どこだよ、ここは……」
「雑草すら生き残るのが難しいほどに荒れ果てた大地……ここは、ファーザス大陸の中央部、アーリガ・テエーアだろうな」
「ありがてえや? なんだそりゃ。全然ありがたくねえよ」
異世界に来るはめにはなるし、空気は乾燥してるし、埃っぽいし。
それに、見渡す限り、不毛地帯に見えるんですけど。遠くの山も、木が茶色っぽい。
人、住んでるのか? ここ。
「アーリガ・テエーア。ここは、遥か遠い神話の時代、人魔大戦があって、最終兵器を連発しあったが為、多くの人と魔族が死んだという。その怨念と怨嗟の呪いが大地にしみ込み、草木も生えぬ不毛の土地と化したと言われている……」
来て早々、いきなり怖い話を披露されたよ!
そんな情報はいらないんだよ! 重さで傾いだウサギ頭が余計に怖いじゃねえか!
「てめえこの野郎! いきなりそんな怖い昔話、聞かすなよ! 違うだろ! 見ろ、草木ちょっとは生えてんだろ! 荒れてんのはきっと気候的な理由だ! その前にいい加減、その不気味な着ぐるみ脱げ!」
アレクシェイドは言われた通りにウサギの着ぐるみを脱いで、胸元の赤い石に収納した。俺の気分的には置いていって欲しいところだが、置いていったらいったで呪われそうでもある。向こうにいる間に宮尾嬢に返しておきたかった。
奴は、よれよれの白いアウトレットシャツに、膝がやぶれたジーンズと、売れ残ってて安かった微妙なデザインのランニングシューズ、といういつも通りのラフな格好になった。
顔の3分の1を覆い隠す、大きめの黒縁メガネ。
土産物屋でよく売っている、時代劇の役者がプリントされたバンダナを帽子のように巻いている。
これ以上はない程ダサい服装のはずなのに、なんでかスタイリッシュに見えるのがありえない。どういうイリュージョンだ。
便利な異次元収納の赤い石がはまったバッジは、チェーンを通して首から下げている。
そして、白銀の剣だけを腰に下げた。いいのか、それだけで。防御力は限りなくゼロに近いぞ、その装備。いや、もしかしたらマイナスかもしれん。センス的には確実にマイナスだ。
「お前、勇者装備しないのか? あの、きらきらした白銀の鎧」
「しない。【勇者】だとばれる」
「いや、【勇者】だろ、お前」
アレクシェイドは明後日の方向に顔を向けた。
「ああ、それから。ここは、十三女神の十三番目、サラーシャ神殿がある土地でもある」
スルーしやがったよ。まあ、いいけど。
「あいつか……」
苦労性のオーラを纏った白い美少女女神の姿が頭に浮かんだ。
姉たちに、押し付けられたのだろうか。この、不毛な地域を。
なんか、女神なんだけど、不憫な奴だよな。
そういや、あいつ、星空から戻ってこれたのだろうか? 星になるまで吹っ飛ばされてたけど。帰りの落とし穴も消えてしまったし。姉妹喧嘩は収まっただろうか。また、あの屋上いっぱいの落書き書くの、大変だろうな。てことは、しばらくは帰ってこれないってことだろうか。まあ、帰ってきたら、顔を出すだろう。こちらからはどうしようもない。
俺は、ジーンズの埃を払った。
さて、これからどうするか。
できれば、戻りたい。
向こうの世界には、諦めるには残してきた人や物が多すぎる。
突然失踪した俺を、家族や、店の皆や、友人達がきっと心配するだろう。警察に届けるかもしれない。探し人の張り紙やチラシ、ネットで公開捜索されるかもしれない。そうなったら、帰りづらいことこの上ない。説明だって難しい。異世界に行っていました、なんて。誰が信じるだろう。絶対病院送りにされる。間違いない。できればそうなる前に帰りたい。
「俺、できれば早めに元の世界に戻りたいんだが」
「無理だ」
「早いな!」
あの状況を考えると、正直なところ、難しいんじゃないかとは思った。思ったけどな。それでも実際に言われるとへこむ。
「無理って、なんでだよ」
自分でも理由は薄々わかっているんだが、一応、理由を聞いてみることにする。
「戻れば、3番目と4番目の女神がお前を確実に殺しに来る。あいつらは、この世界は出入り禁止だが、お前の世界は出入り自由だ。死にたいのか」
「死にたくないけど! じゃあ、俺は──元の世界に、戻れないってことか?」
「あいつらがいる限りは」
「あいつらがいる限りって、お前なあ」
簡単に言ってくれる。人事だと思って!
アレクシェイドが、静かな青い目を俺に向けた。
「ハンヤ。パン屋は、ここでも開ける。お前の腕なら、絶対に大丈夫だ」
【勇者】に、太鼓判押された。
「絶対に大丈夫って……簡単に言うけどな、」
「それに、俺も手伝う」
「はあ!?」
俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
【勇者】が俺のパン屋開業を手伝ってくれると言う。
「お前。俺のパン屋開業、手伝ってくれるっていうのか?」
「ああ。俺の事情に、巻き込んだ。まさか、あいつらが異世界まで追ってくるとは思わなかった。……すまなかった」
アレクシェイドが、青い目を伏せた。
ほう。一応、巻き込んだという自覚はあるのか。すまない、なんて、お前が言うとはな。殿様、傍若無人を絵に描いたようなお前が──調子狂うじゃねえか。
俺は前髪をくしゃりと掻き上げ、大きく息を吐きだした。
神様が相手でも戦って、絶対に元の世界に戻ってやるぜ!! あの平穏を取り戻す為には、【神殺し】にだってなってやる!
……と息巻いて、恥ずかしい台詞を並べて宣言できる中二時代はとうに過ぎた。いや、宮尾嬢なら恥ずかしげもなく声高らかに言えるかもしれないが。
現実的に考えよう。
あの女神2体と戦うのは、俺には無理だ。
俺は、ファンタジーやゲームでいえば、冒険者が旅の途中でたまたま立ち寄った町の、とあるパン屋の1店員。
冒険者や、世界を救うであろう勇者のパーティの腹をひととき満たして、暖かく見送る側だ。
俺には【勇者】みたいに超人的な戦う力も、宮尾嬢が大好きなアニメの主人公みたいに何か特別な力を持っている訳でもない。武器持って戦ったことだって一度もない。平和な日本に暮らしていた、ごく普通の、街角のパン職人なのだ。
だったら。
自分ができることで、今一番やりたいことを、まずは考えよう。
物事を重要度順に並べる。
なかなかすぐには実現が無理そうな事は、とりあえず後回しだ。
だから、すぐにでも元の世界に帰りたいけどすぐには無理だという事も分かってるから、今は後回しだ。
マイナスにしかならない後ろ向きな感情も。
自分にできることから始める。
それを軸にして動いていけば、迷わない。
秀次郎爺さんの格言だ。
この格言の御陰で、難しい場面に直面しても、どうにか乗り切ってこれた。
俺が今一番やりたい事。
パンを焼く事。
必要なものは、まずは窯かオーブン。
それから、材料。道具。
揃える為の、資金。
資金を集める為には、働かなければならない。
街へ行こう。
まずは、仕事を探さないといけない。
一息つけるぐらいの場所ができたら、その後にその後の事を考えればいいのだ。
「よし。街へ行こう。お前、地元民なんだから、案内しろ」
アレクシェイドはぐるりと一周見回した。
太陽のある、西の空を指さす。
この中では、一番高い山々のある方角を。
なんでよりにもよって、そっちなんだ。
あの山、一日で越えられるとはとても思えないんだが。岩がごつごつ飛び出てるし。歩いて越えるには、かなりしんどそうだ。できれば登りたくない。今から登るとなると、きっと夜中には山のてっぺんに着いてるぐらいだろうか。ということは、あの岩山みたいなところで野宿? 勘弁してくれ。
「前、魔王を倒す為に東へ向かう途中、一度だけこの辺りを通った。確か……あの山の向こうに、小さな村があったはずだ」
「山の向こう……」
俺は、うんざりと、荒涼とした山並みを眺めた。
あれ、やっぱり登らないと駄目なのか?
「今日中に、村につけるとは到底思えないんだが」
山を見ていたアレクシェイドが振り返った。
「いや、夜には村につけると思う」
「つけねえよ! どういう計算してんだお前! ざっと見積もっても、今日中には絶対無理だろ! 夜には山の山頂で野宿ぐらいだろ! いや、もしかしたらそこまでも行かないかもしれん」
山登りなんてほとんどしたことがない。それに、山登り用の準備すらしていない状態だ。かろうじて、背中のバッグにペットボトルの水が1本入っているが、多分足りないと思う。食糧は──奴がパンを大袋で抱えているから大丈夫だが。
分かっているのかいないのか、アレクシェイドは普段と変わりない涼しい様子で首を傾けた。
「そうか? いけると思うが」
「いけるか! いけるのは在り得ねえ運動能力持ってるお前だけだ! 俺は一般人並の体力しか持ってないっつの!」
アレクシェイドが頷いた。
「分かった」
「やっと分かったか。まったく。まあ、行くしかないんだから、仕方ないけどな……」
俺は、これから向かう事になる長く険しい登山を思い浮かべ、今から大きく溜め息をついた。
アレクシェイドが、俺に背中を向けてしゃがみこんだ。
「何やってんだ? お前」
「乗れ」
今、何て言った?
「は?」
「乗れ」
乗れって?
俺は奴の背中を見た。
まさか。
「……背中に乗れって?」
奴が頷いた。
とても嫌だ。めちゃくちゃ嫌だ。何が悲しくて、野郎の背中に負ぶさらなきゃならないんだ。勘弁してくれ。
「走れば、今夜には村につく」
俺は眉間の皺を揉んだ。嫌な汗がこめかみを流れ落ちる。
何もかも規格外な【勇者】のお前ならそうだろうがな!
「急げ。日が暮れると、夜行性の魔物が出る。奴等のほとんどは凶暴な性質だ」
「魔物?」
やっぱり、そういうのいるんだな。
魔王とか女神とか出てきた時点で、そんな気はしてたけど。最初にこいつを拾った時に、俺の世界には魔物がいない事を驚いてたしな。
どつきあいの喧嘩すらほとんどしたことのない俺が、魔物と戦えるわけがない。出会ったらもうそれで最後だろう。
「それにこの辺りは、東の魔族領域に近いから、特に凶暴な魔物が多い。それも、大型タイプの魔物が多かった」
過去の記憶を思い出しているのか、アレクシェイドが目を細めた。
いや、もう、選択肢なんて1つしかないのはわかりきってるんだけどな。だけどな。
「野郎の背中になんて、乗りたくねえ」
「じゃあ──」
アレクシェイドが立ち上がり、今度は片手をこちらに向けた。
またしても小脇に抱えるつもりか貴様。
屈辱だ。
俺なんて片腕で楽々ハンドキャリーできるって言いたいのか。
俺だって、これでもいろいろ努力はしたんだ。カルシウムとビタミンDとタンパク質を目一杯とったり。背伸び運動とか。でも半谷家の恐るべき遺伝子の呪いにはどうしても勝てなかった。
「……くっ。わかったよ……。でも、小脇はもっと嫌だ。腹が折れてしんどいし。……背中にしてくれ」
幸か不幸か、ここには知り合いがいないのが、せめてもの救いだ。
見られた日には、羞恥で死ねる。
再び向けられた背中に、俺は溜め息をついた。
今度、小魚入りの総菜パンでも作ろうかな。
カルシウムとビタミンDたっぷりの。




