第10話
勇者とお別れの日がやってきました。其の1。
日本編は、内容的には第9話で区切りとなります。
異世界になんか行かなくてもいい! それぞれの未来へ向かって──でエンドマークにしたい、という方は、第9話で読み終えて下さい。
もちろん異世界にレッツらゴー! という同志の方は、続けてお読み下さい。
神業【異世界渡り・復路】が目の前で起動しています。
神業【異世界渡り・復路】に飛び込みますか?
>はい
>いいえ
俺は【いいえ】を選択した。
神業【異世界渡り・復路】が目の前で起動しています。
【勇者】があなたの腕を掴みました。
振り払いますか?
>はい
>いいえ
俺は【はい】を選択した。
……
…………
失敗!
あなたの現在の筋力では、【勇者】を振り払えません!
デンドンデンドンデーン、という、人を絶望の淵に叩き込むような効果音が聞こえた。
ような気がした。え。ちょっと。
ちょっと待ってくれ。なにこれ。
行動を選択して下さい。
>【勇者】と一緒に【異世界渡り・復路】に飛び込む
>背後に迫る【??? ※名称不明】に捕まる
おいおいおい!
どういうことだよ。
どっちの選択も、ジ・エンドでスタッフロール始まりそうなんですけど!
* * *
ゆっくりと、陽が傾いてきた。
店のガラス戸から見える街路の風景が、徐々に、茜色に染まっていく。
減っていた人通りも、再び多くなってきた。
家へ帰る人。夕飯の買い物に行く人。これから出勤の可哀想な人。遊びに行く学生たち。様々な人々が、それぞれの目的に向かって足早に歩いていく。未成年は早く帰れよ。
本日の営業時間も、もうすぐ終了だ。
今日は、定時になる一時間前には、ほとんどのパンが売り切れになってしまっていた。
近くのサッカー場で試合があるらしい。顔に色とりどりのペイントをし、それぞれの応援するチームのロゴが入ったTシャツを着た観戦者たちが、大量にパンを買い占めていった。
御陰で売るパンがなくなってしまい、今日は閉店時間がくる前に、早めに店じまいということになった。
ロッカーでパン屋の制服を脱いで私服に着替えた俺は、大きめのメッセンジャーバッグをたすき掛けに背負い、パン屋のロゴであるクマさんとウサギさんのイラストがついた大きな紙袋を両腕に抱えた。
「お疲れさまでした! お先っす!」
「おう。お疲れさん」
「お疲れさま〜! また、明日ね、半谷君!」
「お疲れさまで〜す」
オーブンを楽しげに鼻歌交じりで磨いている店長と、レジ台で集計をしている奥さんとバイトの由美ちゃんが、手を振った。
「半谷君。これから、見送り?」
「はい」
もうそろそろ、美少女女神がアレクシェイドを迎えに来る頃だろう。今日の夕方には、帰る準備ができると言っていた。
奥さんと由美ちゃんが、ガックリと大きく肩を落とした。
「あーあ。あの、王子様みたいな留学生君、もう帰っちゃうのねえ」
「ぶ〜。半谷さん、ちっとも紹介してくれないんだから!」
「そうそう! ちっとも連れてきてくれないし〜!」
俺は苦笑いした。
「いや、まあ、あいつも忙しいですから。じゃあ、また明日!」
これ以上長居をすると、二人が見送りについていくと言い出してきそうな気配がして、俺は速やかに店を出た。
「おっと」
歩道を歩き出そうとして、俺は落ちそうになった大きな紙袋を抱え直した。1つ1つは軽いものでも、数が増えれば重くなるもんだな。でも、落とす訳には行かない。これは、大事なもんなんだから。
「ふう。危ない危ない。気をつけて歩かないとな。……ん?」
何やら、道行く人々が、ちらちらと後ろを振り返っている。
俺の進行方向の先を。
皆、一様に頬を引きつらせている。あまり、いいものではないようだ。
俺はなんとなく嫌な予感を覚えながら、視線の先を追ってみた。
隣の住宅の前、電信柱の影に、ものすごく背の高い──着ぐるみの白ウサギが立っていた。
腹の出た全体的に丸いフォルムに燕尾服、赤い蝶ネクタイ。
白い毛で覆われた丸い右手には、布で作られた懐中時計が縫い付けられている。
笑みを浮かべたまま固まった口元。
左耳の付け根が少しほつれ、中の綿が少し飛び出している。
赤い瞳は目の間が離れすぎている所為か、どこか焦点が定まってない。
虚ろな、嘘臭い笑顔を貼り付かせた白ウサギ。
怖ええええ──!!
めちゃくちゃ怖いんですけど!
なんか、ホラー映画に出てきそうな感じに不穏なんですけど!
電柱の暗い影の中にいるのがまた、余計に怖さ倍増してるんですけど!
脇を通りすぎた小さな幼稚園の男の子三人組は、俺と同じようにその異様さが分かったらしい。恐怖に歪んだ顔で泣き叫んだ。子供が大好きな着ぐるみなのに、子供にめっちゃ泣かれている。
できることなら他人の顔して通り過ぎたいところだが、警察に通報されて俺の名前を出された日には、面倒に巻き込まれるのは間違いない。
俺は仕方なく、本当に仕方なく、虚ろな目をした白ウサギに声をかけることにした。
「……なにやってんだ、お前」
「何って。目立つなと言われたから、目立たない格好をしてみた」
「目立ってんだよ! めちゃくちゃ目立ってんだよ! ていうか、なんで着ぐるみ!?」
嘘臭い笑顔の白ウサギが、首をかしげた。
「こないだの、服を作ってくれた少女がくれた。お前が、店に絶対に近づくな、絶対に姿を見せるな、と言うから、全身を隠してみたんだが。これなら、俺だと分からないだろう?」
確かに。確かにそうだけどな。
俺は眉間の皺を揉んだ。
宮尾ちゃん……服をくれたのは嬉しいけど、なんで、着ぐるみまで……
ああ、そうか。
イベントで使ったけど、もう使わなくなって置き場所に困ってうちにくれたんだな。きっとそうだ。間違いない。俺の書き溜めたパンレシピ全部を賭けてもいい。
「わかった。もういい。お前はもうそのホラーウサギのまま行け。で? 女神様は?」
「準備が整ったから来い、とさっき連絡があった」
「そうか」
俺は頷くと、白ウサギの背中を押して歩き出した。いつまでもここにいたら、本当に通報されそうだ。
「場所は?」
「ひとまず家に帰ろう。お前を迎えに来た」
家へ帰ろう、か。
お前にとって、あの小さなアパートの一室は、【家】だと思える場所になってたんだな。
ちょっと、じーんとしちまったじゃねえか。ちょっとだけどな!
「じゃあ、帰るか」
歩調を速めた俺の襟首を、奴が掴んだ。首が絞まる。俺は咳き込んだ。
「ごほごほげほ!? な、なにすんだよ、いきなり!?」
抗議の視線で後ろのウサギを見上げると、虚ろな赤い瞳はじっと前を向いたままだった。
「アレクシェイド?」
俺も白ウサギの視線の先を見る。
次の電信柱の影の中には──着ぐるみのネコと、着ぐるみのハトが立っていた。
ネコのピンクと紫のシマシマの奇抜な毛並みは、ところどころ剥げている。
俺の横にいるウサギと同じように丸い腹。
三日月の弧を描く、にやにやした口元。
そして、外れかけてぶら下がる右目。
ハトも羽根の付け根がほつれ、中綿が吹き出している。
頭や腹の辺りの焦げたような汚れも、なんだか焼き鳥にされかけていたかのようで恐ろしい。
目つきの虚ろさは本物もこっちも言わずもがな。
怖ええええ──!?
なんでなんだ。
この世にはもう、不気味な着ぐるみしか存在していないのか。それとも、これが世に言うキモ可愛いというやつなのか。
「なんだ、あのキモいネコと半焼けハトの着ぐるみは……」
キモいネコと半焼けハトの着ぐるみが、電信柱の影からよろよろと出てきた。
「……アレクシェイド様」
「お逢いしとうございました……」
キモいネコと半焼けハトが発したのは、どこか色気を含んだ、大人の女性の声だった。どちらの声も同じ声音で、とても綺麗だった。女の人が入っているのか? あのキモい着ぐるみの中。声から判断するに、かなりの美女とみた。
「──お前たち。最下層に落とされたんじゃないのか」
アレクシェイドが、俺の襟首を掴んだまま後ろに身を引いた。いつもと違い、声が低い。
最下層?
落とされた?
まさか──まさかな。
キモいネコと半焼けハトがうな垂れた。
「はい……。ですが、それも全てアレクシェイド様の為」
「俺は頼んでない」
「そんな、酷いこと言わないで下さいまし……!」
「私たち、頑張ったんですのよ……!」
「どうやって、ここに来た」
華麗にスルーしたな、お前。
キモいネコが、一歩前に出た。
「一番目の姉様の御座す世界には入れてもらえませんが、ここは、セキュリティなど無きに等しい辺境の未開の異世界。私たちが入り込むなど容易いことですわ。十三番目のパシリ女神……いえ、サラーシャをこっそり追ってきましたの。私たちがつけている事に、全く気づかないんですもの。本当、おバカな子」
半焼けハトも、一歩前に出る。
「神域最下層の門番の方は、とてもお優しい方でしたの。少しだけ外の空気が吸いたいとお願いしたら、快く門を開けて下さいましたわ」
うっとりと、甘い声で囁く。
色仕掛けで落としたのか。どこの世界も美女に弱いのは一緒なんだな。
こいつら、もしかして。
美少女女神サラーシャが言っていた、三番目と四番目の女神なのだろうか?
だったら。
落とされたとはいえ、女神。神様。
ちょっと、これは。かなり、マズイ状況なんじゃないか……?
「こんなみすぼらしい格好でお目にかかることになって、ごめんなさい。でも、分かって下さいますよね? 一番目の姉様に出かけたことが知られたら……恐ろしいんですもの」
「本当は、一番美しい姿でお逢いしたかったのですけど。それでも、どうしても、お逢いしたくって……」
キモいネコと半焼けハトが、更に一歩近づく。
「一番目の姉様の世界には100年出入り禁止にされ、アレクシェイド様とお逢いするのも禁止されてしまいましたの。一番目の姉様の御座す世界になんて戻ってしまわれたら、100年はお逢いできなくなってしまいますわ……」
声が重なる。声が同じなので、1人の声がダブって聞こえるみたいだ。
キモいネコと半焼けハトが、更に一歩。
俺は総毛立った。
これは、そうとう、嫌な予感がする。捕まっては、だめだ。絶対に。
「ですから……」
「アレクシェイド様。一緒に、最下層に参りましょう……?」
「最下層は、思っていたよりもいいところでしたわ。皆さん、いい人達ばかりで。私たちの為に、綺麗な神殿も造ってくださいましたのよ。綺麗なお花が咲き乱れる庭園もありますの。アレクシェイド様も、きっと気に入って下さいますわ……」
「さあ……」
キモいネコと半焼けハトが、丸っこい猫の右手と左羽根を同時に差し出した。
これは、逃げたほうが、絶対にいい。俺の勘がそう告げている。レッドアラームを脳内に響かせている。
キモいネコと半焼けハトが、鼻を鳴らした。
「何か、さっきからいい匂いがしますわね」
「そうですわね。とても、いい匂い。なんて、美味しそうな……」
美味しそう?
ああ。
これのことか?
俺は両手に抱えた大きな紙袋の中を漁った。
この中には、いろんな種類のパンが入っているのだ。袋一杯に。
俺は【天使のメロンパン】を二つ、取り出した。
「食べるか? 出来立てほかほかの、最近人気急上昇なメロンパンなんだ」
「メロンパン?」
「なんですの? それ」
どうやら、メロンパンを知らないらしい。そっちの世界にはないのか? なんてことだ。可哀想に。人生の80%は損をしていると言っても過言ではない。
「どうぞ。ぜひ、一度食べてみて下さい。自分で言うのも何ですが、驚くほど美味しいですよ」
俺は、ネコとハトにメロンパンを投げた。
「あ! 俺のメロンパン! なんてことするんだ、パンヤ!」
「まだお前のじゃないだろ! ていうか、この後に及んでまだ俺の名前間違えるか貴様!」
受け取ったネコとハトは、頭に被った着ぐるみ頭部を少し開けた。中から、綺麗な形をした白い顎が見えた。口端についたほくろが色っぽい。肉厚のつややかな赤い唇。やっぱり相当な美女っぽい感じがする。顔を見たい気もするが、見たらいろいろ最後な気もするから、もういいや。
妖艶な赤い唇が、メロンパンを一口かじった。
「これは……!!」
「美味しいですわ──!!」
キモいネコと半焼けハトが、無心で食べ始めた。
美味かったらしい。
異世界でも、俺のパンは通用するのか。女神にも褒められるなんて、なんだか自信持っちゃうな。これなら、異世界でも十分やっていけそうな気がするぜ。なんて、冗談だけどな!
「アレクシェイド! 今だ!」
「俺のメロンパン……」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 後で焼いてやるから、今は逃げろ!」
「約束だぞ」
「わかったから、早く!」
ん?
そういえば、お前帰るんだったな。
だったら、焼いてる暇なんてない。
「おい、ちょっとさっきのは──うぐ!?」
俺は舌を噛みそうになった。
アレクシェイドはすばやく俺を小脇に抱えると、ネコとハトの脇をものすごいスピードで駆け抜けた。あまりに早くて、周囲の景色が横線みたいに見えた。恐ろしいスタートダッシュだ。お前、伝説のスプリンターになれるぞ。
「美味しいですわあ〜──あああ!?」
「本当にい〜──アレクシェイド様ああ!?」
女神様たちの声が、一瞬で後方へ消えていく。
ていうか。
この野郎! また、俺を小脇に抱えやがったな!
屈辱だ! ふざけんな! お前も来世で俺と同じ思いをするがいい!
呪いを込めてそう怒鳴ってやりたかったが、顔面に受ける風圧が強すぎて、俺の叫びは声にならなかった。