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第4話 序

それは単なるイミテーションなのか。


それともオリジナルを越える完成形なのか。


まずはそれを見極めましょう。

 



 沙織ちゃん――松尾沙織を説明するのはひどく難しい。


 同じテニスサークルに所属していた背の小さな女の子。佑里の一年先輩――俺と同じ学年の女の子。ハーフかと思うくらい顔立ちがはっきりしていて、そして優しげな笑顔が素敵な女の子。方向性は違えど、佑里がファッションのお手本にするほどお洒落な女の子。性格はとても温厚で、可愛さはもちろんのこと、ノリの良さも一級品で男女問わずに愛される女の子。あるいは、


 富永佑里とは正反対の女の子。


 俺としてはそうやって説明するのが一番しっくりと来ていたが、裏返して言えばその説明が俺にとっては限界だった。


 富永佑里とは正反対の女の子。


 つまり、


 『普通』に可愛い女の子。


 沙織ちゃんがそういう女の子であったこと、そしてそんな女の子を一度は俺が好きになったことは、今からしてみれば当然のことだったのだと思う。だって、彼女は全て持っていたのだ。俺が持っていないものを、俺が失ってしまったものを、俺が捨ててしまったものを、俺が奪われたものを、俺が費やしてしまったものを、俺が忘れてしまったものを、俺が求めていたものを、俺が壊してしまったものを、俺が殺してしまったものを、彼女は、松尾沙織ちゃんは平然とした顔で所持していたのだ。羨ましかった。眩しかった。尊かった。少し妬ましいときもあったけれど、それでも圧倒的に愛しく、だからこそ心惹かれた。

 沙織ちゃんと一緒にいた二年間には俺の周りには『普通』が溢れていた。平凡が満ち溢れていた。平穏が流れていた。それは本格的に俺が富永佑里という存在を意識する大学三年生になるまで続いたが、その後においても松尾沙織という存在は俺にとってはかなり重要な部分を締めていた。何故なら、俺が必死になっていた『富永佑里を普通の女の子にする』という行為の中の『普通の女の子』とは、他でもない沙織ちゃんを意識していたからだ。

 富永佑里を松尾沙織のような普通の女の子にする。もちろんそんな馬鹿げたことが当時の佑里にバレていたら俺は間違いなく殺されていただろう。いや、きっと俺だけじゃない。沙織ちゃんも黒木先輩もその他のサークルの友達も行きつけの飲み屋の店長も、そして自分自身でさえ佑里は滅茶苦茶にしていただろう。


 ただ、


 ただ、それでも俺はやるしかなかった。


 そんな危険が容易に想像できて、たとえ綱渡りの状況が成功したとしても見返りは限りなくゼロに近いことを十分に、明確に意識していたけれど、それでもあの時の俺には『やらない』という選択肢は存在していなかった。今でこそ俺の胸を熱く震わせていたのは、富永佑里の生き様だったということは認識しているが、あの時の俺は己が異端であるが故に、普通であることが幸せであると、普通でいることがあるべき姿であると、そう信じ込んでいたのだ……と、いうことはさておき、


 沙織ちゃん――松尾沙織が俺にとってどんな存在であるのかを説明するのはひどく難しい。


 ただの元カノ?

 

 それとも憧れの人?


 やっぱり大切な人?


 その自問に俺は即答することができない。


 だが、これだけは何度でも宣言しよう。


 松尾沙織――沙織ちゃんは同じテニスサークルに所属していた背の小さな女の子だった。佑里の一年先輩――俺と同じ学年の女の子だった。ハーフかと思うくらい顔立ちがはっきりしていて、そして優しげな笑顔が素敵な女の子だった。方向性は違えど、佑里がファッションのお手本にするほどお洒落な女の子だった。性格はとても温厚で、可愛さはもちろんのこと、ノリの良さも一級品で男女問わずに愛される女の子だった。


 そして、富永佑里とは正反対の女の子で、


 『普通』に可愛い女の子の、










 はずだった。










 ……


 …………


「やあやあ、大槻くん。久しぶりだね」


 陽気に、そして親しげそうに久しぶり、と言う女の子。


 しかし、残念ながら俺には彼女の顔に心当たりがなかった。


 ただ、居酒屋の個室に入った瞬間ウィスキーをぶっかけられたということは、知り合い云々は別にして、少なくとも俺に何か非があったのは間違いない。それが待ち合わせの時間に二分遅れたことなのか、それとも二年間何の連絡もしなかったことなのか、はたまたそれ以外の何かなのか。自分なりに数秒考えてみるが、やはり女の子の奇行の意図は掴めなかった。しかし、このまま何も喋らないのはまずいと思った俺は、取りあえず「ごめん」と謝り、酒も滴るクソ男の風貌で彼女の対面に腰を下ろした。


「ふふふ、そういうクールぶってるところも相変わらずだね」


 まるで昔の俺を知っているかのような口振り。


 一体『この子』は誰なんだろう。


 心当たりはない。


 でも、微かに心に触るもの、障るものはあった。


「んー? 私の顔に何か付いてる?」


 不躾にジロジロと見つめていると女の子は、そう聞き返してきた。もちろん女の子の顔には目と口と鼻、そして左目の下に特徴的なホクロが付いているのだが、そんな古典的なギャグを口にしたらアイスペールをひっくり返されることは経験上わかりきっていたので、代わりに「少し雰囲気が変わったね」という当たり障りのないことを言っておいた。本当は彼女の浮かべる無邪気を装った毒々しい笑顔とか、露出の激しい服装とか、西洋風の顔には似つかわしくない黒髪のショートヘアなどなど、ツッコミたい部分は満載だったのだが、あえてそこには……


 ……ん?


 ……『経験上』?


「雰囲気か……どうなんだろうね。自分じゃそこまで変わったつもりはないけど」


 そう言いながら彼女はテーブルの傍らに置いてあった白いケースを手に取った。まさか、とは思ったが、案の定彼女がケースから取り出したのはタバコだった。


 もちろん言うまでもなく、


 銘柄はマイルドセブンのスーパーライト。


「……」


 慣れた手付きでボックスからタバコを取り出した彼女は、火をつける前に軽くフィルター部分に息を吹きかけた。俺はその細かい仕草を見てやれやれと心の中で溜息を吐いた。俺の覚えている限り、付き合っていた頃の沙織ちゃんはタバコは吸わなかったし、そもそもタバコの臭い自体が好きではなかった。もしも目の前の彼女が沙織ちゃんで、そのタバコを吸う仕草が二年前の俺の吸う姿を真似したというのなら、それはあまりにもかけ離れすぎていて滑稽としか言いようがない。ただ、それがもしも別の誰か――例えばコソコソと隠れてタバコを吸っていたバカでエロくてピーキーでアル中で自分勝手で加減知らずなヒステリー女の真似をしているのだとしたら、それは似ていないこともなかった……まあ、どちらにせよ溜息を吐かない理由にはならないのだろうけれど。


「ま、お互い積もる話もあるだろうけど、取りあえず乾杯しましょうか」


 銜えタバコをしながら女の子は、山崎10年のボトルを手に取ると近くにあった綺麗な灰皿にそれをドバドバと注ぎ始めた。俺はその光景を含めた一連の流れ見ていて、何だか少し気持ちが悪くなってきてしまった。大学時代の『砂漠の大月(デザートムーン)』と一部の業界団体様に恐れられていた時ならこんなことは感じさえしなかっただろう。一昔前の俺なら、同じように『えへへへへ、表面張力♪』と訳の分からないことを呟きながら酒を注ぐ佑里に『今時そんな破天荒、いや傾奇な飲み方が許されるのはお前と歌舞伎役者だけだ。面倒くさがらずに店員にグラスを頼め』とツッコミを入れていただろう。

 

「さて、それでは不肖ではありますが、この松尾沙織が乾杯の音頭を取らせていただきまーす」


 しかし、俺は何も言わない、語らない。どんなに目の前の女の子の行動がいびつで気持ち悪かろうと、目の前に突きつけられた結末がどれほど望んでいたものからかけ離れていて気分を害しようとも、俺はこの口を開くわけにはいかなかった。それは過去を懐かしんで、仮定に想いを馳せて、夢に胸を躍らせて、今の自分がそれらを振り返りあまつさえ言及することがどれほど無意味で無意義なことかを知っていたから……ではない。


 息をするのが辛かった。


 生きることが苦痛でしょうがなかった。


 程度の差こそあれ、それは今も昔も変わらない。


 ただそれでも振り返ってみれば、沙織ちゃんと一緒に過ごしたあの日々は、あの三年弱は少なくとも楽しかったし、こんな俺に惜しみない愛を与えてくれた彼女には本当に感謝をしていたのだ。それなのに俺は自分の我儘で一方的に傷付けて、放り投げて、あろうことか最後は彼女の下から逃げ出した。逃げ出した。逃げ出したのだ。大した決意もなく、身を焦がすほどの熱意も抱かず、単純に沙織ちゃんと向き合うのが怖かったという理由だけで。そんな俺がどうして彼女に文句や罵倒をすることが出来るだろうか。今の俺にはたとえ慰めや謝罪の言葉でさえ語ることは許されない。

 目の前の女の子に対して不安はある。不満は感じる。不審は拭えない。だけど俺はそんな諸々を含めた全ての感情を無理矢理抑え付けて差し出された灰皿を受け取った。


 そして、




 ――乾杯とは、杯を乾かすこと


 


 富永佑里の定番フレーズでこの奇妙な飲み会は始まった。


 そのとき時刻は午後8時7分。




新年あけましておめでとうございます。

今年初投稿です。

相変わらずのマイペースですがよろしくお願いします。


また、感想を下さった方々に対しましては感謝しております。

今後ともその感想を励みに頑張っていきたいと思います。



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