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第0話

初のシリーズ物です。なるべくこちらから見てもわかるように書きたいと思っていますが、やはり前作の「明日の午前十時に一升瓶持って正門に集合お願いします!」というメールを送ってくる後輩の女の子を読んでからの方がわかりやすいかと思いますので、お時間あればそちらからどうぞ。

 



 大学を卒業した。


 『無事』卒業した。


 もちろん『無事』と言っても、俺は別に不真面目な学生ではなかったから、決してそれは単位や卒論の心配を指しての言葉ではなかった。四年の五月の時点では既に地元のそこそこ大きい食品会社への内定をもらっていたので、両親もゼミの教授も当然の如く俺がスムーズに大学を卒業すると思っていたし、殆どの授業を無遅刻無欠席で出席したことを知っている多くの友達だって、俺の卒業は当然だと思っていただろう。しかし、ある事情を知っている人たち――例えば、テニスサークルの先輩だった黒木先輩や元カノの同じくテニスサークルの沙織ちゃん、そして、やはり俺――大槻亘自身にとっては、やはりこうして五体満足で卒業を迎えることができたのは限りなく奇跡に近い出来事なのだと思う。何故なら、


「せんぱーい!! 卒業おめでとうございまーす!!」


 バリン


 卒業式を終えて会場である街の文化ホールから出た瞬間、俺は何者かに真っ黒なビール瓶(しかも未開封)で頭を殴られた。小突かれたのではなく、正真正銘混じりけなく飾り気なく誤魔化しようなく殴られた。その証拠に瓶は独特の音を立てて砕け散り、中身の琥珀の液体は今日のために新調したスーツをビショビショにしていたし、そして何より俺はそのあまりの痛さに一瞬気を失ってその場に崩れ落ちてしまっていた。


 完全に不意打ちだった。確かに会場から出たら部活やサークルの後輩たちが先輩を祝うのは恒例だが、これは明らかに予想外だ。予想外で、想像外で、常識外れで、闇討よりも狙撃よりも暗殺よりも唐突だった。


「やだなぁ、先輩止めてくださいよ。急にそんな所で眠ったら周りの人が引いちゃいますよ?」


 すでに俺と一緒にいたゼミの友達を含めた周りにいる数百人はドン引きしていた。もしも今俺が痛みに打ち拉がれていなかったら、止めるのもドン引きされているのもお前だ、という的確かつ適確な素晴らしいツッコミが出来ただろうが、流石に今の俺にそれを求めるのは些か酷というものだろうし、そもそもどう考えても酷なことをしているのは目の前にいるこの女――富永佑里だった。しかし、それを言っても事態が改善されないのは目に見えているのだから俺は決してそんなことは言わない。痛みで言えないということもあるが、やはりしょうがないことは言わないのが一番なのである。


「おーい、先輩。大槻先輩。生きてますか?」

「……」

「返事がない。ただの屍のようだ」


 コイツ、自分で殴り倒しておいて、シャレにならないことを言い始めやがった!!


 などと、思っていたら


「どーん!!」


 ゴリッ


 あろうことか俯せに倒れている俺の右肩に、もう一本持っていたビール瓶を振り下ろした。朦朧としていた状態の中、更に痛みに襲われた俺は呻き声も上げることができず、ただただその場に蹲ることしか出来なかった。


「ん、本当に悲鳴がない。ただの屍のようだ」


 鬼なのか!? 


 鬼畜なのか、この女は!?


 殺人罪だけではなく死体損壊の罪まで重ねて、なぜそんな血も涙も笑いもないようなことを言えるんだ。


 しかも、彼氏に向かって。


「ていうか、さっさと起きてくださいよ先輩。いくら先輩がゴミみたいな人間でも、出入口で寝てたら他の人に迷惑じゃないですか」

「う……そ、そうだな……さすがにずっとここにいるのは、迷惑だよな」

「そうですよ。あなたは他人にゴミを踏ませる気ですか」

「迷惑ってそっちかよ!?」

「人様に煩わしい思いをさせるなんてホント先輩はゴミの風上にも置けない人ですね。あ、ゴミだから風上に置いたら邪魔か。まあ、そういうことなんでゴミはゴミらしくゴミ捨て場の角でゴミのように振舞っていてください」

「おい、佑里。いくらなんでも彼氏に向かってゴミゴミ連呼しすぎやしないか? というか、お前のその言い分だとお前はそのゴミと付き合ってるってことになるんだぞ」

「おっと、それは失念していました」


 いや、お前はただ失礼なだけだ。


「でもね」


 左手に握っていた割れた瓶の飲み口と右手に握っていた空瓶(おそらく俺を待っている間に待ちきれずに自分で飲み干した)を地面に投げ捨てた佑里は、妖艶な笑みを浮かべながら倒れている俺の前に屈んだ。今度は一体何をする気だ、と警戒心を最高レベルにまで引き上げつつも目の前に現れた黒のタイツに包まれた佑里の足に見蕩れていた俺は、しかし強引にネクタイの根元を掴まれて無理矢理体を海老反りのような形で起こされてしまった。脚フェチの俺としてはひどく残念だった。残念すぎて、そして屈辱すぎて涙が出てきた。ただ、すぐに佑里の上半身――首と肩がざっくりと開いた白のニットのチュニックを見たらその涙は歓喜の涙に変わった。単純というなかれ。富永佑里という女は彼氏という色眼鏡を通さずとも、万人が認める色っぽさを、エロさを持っているのだ。このエロさを前にしたらどんなひどい仕打ちをされたとしても許してしまうことは請け合いで、むしろひどい仕打ちが快感になってしまうのはこの世の真理なのだ。というか、俺は何を言っているんだ。俺たちは何をしてるんだ。何で佑里はこんなにはしゃいでいるんだ。何か良いことでもあったのか。つーか、コイツ俺の部屋で『化物語』読みすぎだろ。しかも現実で一番影響受けちゃいけないキャラに影響受けてるし。


「私、綺麗好きだから――」




 ――ゴミくらい、いくらでも拾ってあげますよ




 耳元で囁く甘い声。音程も大きさも息遣いも全てが完璧で官能的だった。そして、


「んっ――」

「――!?」

「ん、ん……れろ、あ、ふぅん」


 余計なことをあれやこれや考えていた俺は、佑里の容赦の欠片も何もないベロチュウを避けることができなかった。はあ……だから一体何なんだよこれ。流れが読めねぇよ、この女。大勢に囲まれた中で急に殴打されたりベロチュウされたり、俺には人権というものは存在しないのか。いや、人権はないにしても俺にだって羞恥心はあるんだ。まったく……このあとどんな顔してこの好奇の目の中を歩けばいいんだよ。ていうか、何故さっきから我がゼミの友達は何一つ声をかけてくれない、手を差し伸べてくれないんだ。さっきまで一緒にこの大学生活を過ごせた喜びを噛みしめていたじゃないか。いつかは薄れゆく友情だとしても、ものの五分で砕け散ってしまったのは、さすがに俺も悲しいぞ。


「も、もういいだろ、佑里」

「えー駄目ですよ、先輩。これはお仕置きなんですから」

「お、お仕置き?」


 その恐ろしくも淫靡な単語にちょっとドキッとした。しかし、二人でいるとき個人的にお仕置き(はぁと)を頼んだことは何回かあったが、公の場でお仕置きされる理由は少なくとも今の俺にはないはずだ。俺みたいな『人畜無害』の四字熟語を今年の目標に掲げて、書き初めで半紙にしたためるような男が……それに、




 ――こんなことをする私でも、あなたは私を愛してくれますか?




 ……


 ……


 ……そもそも佑里が本気でお仕置きをする気ならこんなもので済むはずがないのだから。


「せんぱーい」

「な、なんだよ」

『彼氏』じゃないですよね?」

「へ?」

「卒業おめでとございます。それから、これからもよろしくお願いします」


 旦那様、と彼女は言った。


 (……あ、そっか)




 ――もしも、俺が、このまま死んだら、命日には芋焼酎を持って墓参りを、してくれ




 ――わかりました……お墓の前であなたの為にゲロ吐くまで飲み続けます




 ――た、のむよ。それと、もう一つ。もしも、俺が助かることができたら






 ――結婚、しようか。






 (……結局生き延びちゃったんだよな、俺)





 ようやく痛みも引いて地面から立ち上がったとき、俺たちには周りから惜しみのない拍手が送られた。この一連の展開の中のどこに拍手される要素があったのかは俺にはさっぱりわからなかったが、とりあえずその拍手に佑里が機嫌良さそうにしていたので俺はこのとき何も言わなかった。その後、俺たちはサークルのみんなと落ち合い、午後三時から宴会を始めた。もちろん、その宴会でも主役は卒業を迎えた四年生などではなく、来年卒業できるのかも怪しい三年の富永佑里その人だったことは言うまでもないことだろう。彼女は貸し切ったバーにあったありとあらゆる酒を使って卒業生と飲み比べをし、負けた者には清めの酒だとか言って容赦なく毒霧を浴びせかけていたりした。


 無茶苦茶だった。


 やりたい放題だった。


 それでも、彼女はとても楽しそうだった。


 が、しかし、


「そろそろ、私も卒業しなきゃだよね」


 午前二時に終わった宴会という名を冠した戦争。


 生存率わずか5%という戦場をなんとか生き残った俺は確かにその言葉を聞いた。


 そして、富永佑里という人間を知っている者からしてみれば本当におかしなことではあるのだが、


 この時をもって彼女が飲み会の主役になることはなくなった。





感想等ありましたらいつでもどうぞ。

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