「蠢く大群」
ビスケットが口から出した・・・・・・いや、口から出てきたあの12本足の赤い蜘蛛は結局家中を探したが見つからなかった。
一体いつの間に消えたかどうかは分からないが、とりあえずビスケットの治療が最優先だった。僕は震える手で病院に電話し救急車を手配した。しかし、救急車が到着した時点でビスケットは意識を失っており、当然のようだが心拍停止状態だった。
なぜなら、心臓はその赤い蜘蛛だからだ。僕とエレナはしっかりとその脈打つ生物を記憶しており、忘れることなど出来なかった。
心臓が出た直後にビスケットが「痛い」と呟き続けたことから意識を失ったのは痛みのショックからだと推測できる。
そして、その衝撃の出来事からすでに3時間が経過していた。
「この病院に来るのも何回目かしら」
僕たちは二人でビスケットの搬送先の病院前にきていた。
「・・・・・・」
隣で呑気に呟くエレナがとても怖い。
どうしてあんな惨状を目の前にしてそんなマトモなことが言えるんだよ・・・・・・。
「エレナは、あんなの見てもどうも思わないのか??」
僕がそう尋ねると彼女はちらりと僕の方を見て答えた。
「まぁ、私には痛みというのが理解できないもの」
だから、私にはあれがどういう恐怖を生み出すのかが分からない、そもそも私にとってはあれが日常茶飯事だったから。と。
「でも、多少は不快だわ。あれを見て気分が良くなる奴が居るなら私がぶっ殺してるから」
「・・・・・・エレナ」
それは僕を気遣ってのことか、それとも本気でそう思っているのか。
そんなことを言いながら病院の待合室へと入る僕たちの目に、何だかこの空気にそぐわない奴がいた。
「ん、え、あれ? んー、おっ。ウィリーじゃん! どうしたって、うわ! エレナ・キャロット!? ツーショットだ! びょーいんデートだ! 写メ写メ・・・・・・」
僕を見つけるや否や、病院であるにも関わらず大声を張り上げ指を指してくる奴。
病院は静かに御利用して頂きたいものだ。
「やかましい。公共施設で大声を張り上げるなギルバート・ベロチカ」
「何であなたがここにいるのよ。呼び捨てされる筋合いはないわ、ギルバート」
僕とエレナは同じ反応を示すがギルバート・ベロチカは無視して「ハイ☆チーズ!」とか言いながらケータイで写メを撮りだした。
悪用されそうで怖いので、ケータイを取り上げデータを削除する。つーかこいつのケータイデコりすぎだろ。待ち受けはなんかアニメ絵だし。
「ちぇ! せっかく現場押さえたのになー。ルヴィーに見せたかったなー」
「あの乳牛に見せるのだけはやめなさい。でないとあなたをケータイごと逆折りするわよ」
「うわ、こわーい! エレナちゃんヤンデレクール! いいね、いいねぇ♪」
ぷつん、と何かが限界を迎えてしまったような音がしたので、僕は急いで話題の転換を行う。
「で、何でこんな病院にいるんだよお前。本音を言うと僕たちはがっかりしたぞ」
「私はざっくりしたいわ」
エレナの付け加えはマフィアみたいな言い方だったので一応後で注意しておこう。
「いやぁ、お母さんが階段から落ちたとか電話してきて。こうやってお見舞いにきちゃったりしてるんですよー」
「・・・・・・ふーん。お大事に」
エレナは僕の代わりにそう言ってギルバートの隣をすり抜ける。
「えっ!? ちょ、ちょっと! 何々? どこ行くのお二人さん!? 私も一緒に行きたいなー、なんて思ちゃったりしちゃったりだし??」
「あらそう。でもお母さんは大切にしなさい。じゃあね」
見向きもせずエレナは待ち受けの女性からビスケットの部屋を聞き出す。
「行くわよウィリー君。二人で、ね」
「いやいや、ちょっとそりゃ冗談きついよ~! 私は? 役立つよ?」
「いらない。私、あなたみたいにしつこく絡んでくる奴嫌いなの」
「ええー!! いや、でもそこがクールビューティー! ね、いいでしょウィリー?」
ギルバードは僕の腕にしがみついてきた。
ぴと、と。若干暖かい心地よい。
すると、エレナは180°近く、グルンっ! と首を回転させて例のごとく僕に当たってくる。
今回はかかと落としだ。しかし、僕は予知していたかのごとく最小限の動きでその足をかわす。
「甘いな! 流石に何度も同じようなくだりを繰り返してたらいつかは読めるんだぜエレっ・・・・・・・・・・・・!? 痛いっ!!」
避けたと思ったら、今度は顎をめがけてエレナのつま先がヒットした。
ぐるん! と視界が揺れる揺れる。
「ウィリー君、まさか忘れた訳じゃないでしょう? 抱く女はこの私だけだ、という約束を」
いや、知らねえし!
つーか抱いたのは僕からじゃねえ!!
「ひゅー!! ゾッコンだ、激アツだぁ!! 今の言葉でしばらく夜が楽しくなりそう! むふふふふ・・・・・・」
ギルバートはキショい笑い声を上げた。
「・・・・・・・・・・・・っつ、く、うわ、うまく立てねえ! 平衡感覚が全くない!!」
僕は何とか手すりにしがみついて立ち上がる。だが、顎を蹴られたため脳がぐるぐると揺れてすぐに腰をつく。
僕情けねぇ。
「く、こんなことしてる場合じゃねーんだよ・・・・・・! ビスケットがどうなったのか早く知りたいってんのに・・・・・・!」
僕が悔しそうに呟くと、それを聞いたギルバートは「はぇ?」とアホな声を上げた。
「ビスケット? そいつってまさかビスケット・クッキーのこと?」
「知ってんのか!?」
「いや、知ってるも何も。会ったことはないけど知識として知ってる程度かな。いや、これだけはやけに記憶してるねー。何せ最近入ってきた知識だし」
「そ、そうか! 自動手記する手帳か!!」
ギルバート・ベロチカの異能。『自動手記する手帳』は60秒に一度自分の知らない知識が得られるという異能。彼女のことを知っていてもおかしくない。
「奇妙なんだよねー、この知識。普通この自動手記する手帳ってランダムに変わりないんだけど、比較的身近な知識から集めるはずだから、この街の住人の知識なんて歩く前から全部記録したはずなのに」
「は? どういうことだ?」
ギルバートは僕を起こしながら「つまり、さ」と答える。
「得られた知識と得られた時期が全く矛盾してるのさ。この街の住民じゃなければそりゃ今知識が入ってきてもおかしくないけど、この知識が入ったのって1ヶ月半前なんだよね。確か夏休みは行った直後くらい。その時期に知識が入ってきたっていうことは別地域の人間ってことになるんだけど、ここで矛盾が発生したのさ」
ギルバートは一息でここまで説明する。
相変わらず早口でおしゃべりな奴だ。
「その矛盾って何だ?」
「いやさ、得られた知識を思い出してみたら何とその子、すでに4年前に私たちの学校に転校してきてるのさ。上級校じゃなくて中級校に。で、その時点じゃその子ただの一般クラスだったから面識はないんだけど」
4年前にいたにも関わらず、知識を得られたのはつい最近、と言うわけか。いよいよビスケット・クッキーと言う人間の存在も怪しくなってきたぞ。
「さらに、矛盾点二つ目。これはSSSクラス全員に関係があるね。そのビスケットっていう子は上級校にあがって一般クラスからSSSまで一気にランクアップしている」
・・・・・・・・・・・・は?
「何よ、それ・・・・・・?」
後ろにいたエレナがようやく声を上げた。
「じゃあ、あの子、ビスケット・クッキーは4月からすでに居たってこと?? そんな、バカなことが・・・・・・!」
「そう。バカげてはいるけれど私の知識は100%だから信じるしかなかったよ。まぁ、その子の異能もついでに知ったから辻褄があったんだけどね」
ギルバートはもったいぶるように言う。
「『十二本の忘却』。記憶を殺す蜘蛛を操る生物型の異能だよ。その蜘蛛は無差別に人間に貼り付き記憶だけを吸い取るらしいね。どうやら記憶が奴らにとっての生命線ってことだと思うよ」
ギルバートはにやりんと笑みを浮かべた。ドヤ顔、しかしファインプレーだ。
まず、エレナの予想もあながち外れではなかったが、本質は大きく異なっているということ。
記憶を殺す異能、いや記憶を殺す蜘蛛を生み出し操る異能。蓋を開けてみれば似たり寄ったりだが、こうなってくると状況が全然違う。
第一にビスケット自体が記憶を殺す異能を使っていたのなら話は単純だ。なぜなら彼女を押さえてしさえすれば異能が暴走しても被害は最小限に押さえられる。
しかし、敵は彼女ではなく蜘蛛だった。これではビスケットを押さえたとしても、そのビスケットが蜘蛛を制御できなかったら状況は悪化するばかりだ。早めに食い止めなければならない。
「その蜘蛛はいまどこにいる?」
「うーん、まだ知識として入ってきてないね。だから私にはわかんない!」
「肝心なところで使えねえな・・・・・・いや、そんなことはいい! とりあえずはビスケットの容態だ!」
僕はそう言ってエレベーターのボタンを押す。
この降りてくるゆっくりな時間もうざったい。
「あら、ウィリー君。別に病室は一階らしいからエレベーターは使わなくてもいいのよ」
え、マジ?
いやいや、し、知ってたぞ僕は!
「うるせー! 分かってるよそんなこと! 僕はこの人の代わりにエレベーターのボタンを押そうと思ってだなぁ!」
僕は隣でエレベーターを待っている女性を示しながら言った。
「見苦しい言い訳だわ。じゃあ一生そこでエレベーターのボタン管理職に精魂込めなさい。良かったじゃない、天職だわ、おめでとう」
「じゃ、ウィリー! ボタンの押し間違いの無いよーに! 元気でねー!」
「・・・・・・」
隣の女性が何やら嫌な視線を向けている。
気まずい!
「ちょ、待ってよ! 悲しいぞ僕はっ!」
声を荒げながら走ると、隣を通ったおばちゃんナースに「病院内ではお静かに願います」と言われ気分は最下点に達した。
僕が何か悪いことでもしましたか!?
病室に入ると空気は一転して怖いくらいに静かになった。
真っ白なベッドの上で寝息を立てるビスケット。どうやら、呼吸は戻っているようだ。
それを見てエレナは安心したのか、いつものニュアンスで呟いた。
「ウィリー君欲情してるでしょ」
「してねえよ! 病院で欲情するほど飢えてねえよ!」
「でもウィリー君は私がお見舞いにきたとき愛を誓ったじゃない。体で」
「え、え!? 嘘嘘!! 本当なのエレナ!!」
「嘘よ。口だけよ」
「で、ででで、ディープキッシュ!? 逆にリアル! ううッうっほーい!! え!? どんな味がした!?」
「臭かったわ。下水道以下のゲスな臭いと味がしたわ」
「へー! いや、でもその内病みつきになるって! 大丈夫! 私がほしょっ痛い!」
「人が黙って聞いてりゃなんつー会話してんだ。つーかエレナ! 頼むから僕に関してマイナスにしか働かない嘘情報を流すのはいい加減にして!」
「あらそう。以後五分間気をつけるわ」
五分かよ。
カップ焼きそばと同レベルかい。
「ちょ、ウィリー! ヒドいや、酷いよ! 人権侵害だよ! 何で私の方を殴ったの!? 差別、差別ぅぅううぅぅ!!」
「いや、近かったから。それに彼女を殴るのは気が咎めるし」
「私の気は彼氏を殴ったところで全く咎めないけど」
うるせっ。加減を知らない小娘め。
「ウィリー君、それ完全に悪役の台詞よ」
「そうだよ! 例えウザったい奴だとしても女子を殴るなんて男としてどうかしてるよ!!」
自分で言っちゃったよ。ウザったいって。いや、まぁしかしだ。自覚があるだけマシなのかな・・・・・・?
「とりあえず、まぁ、命の危険はなさそうね。じゃあ、行くわよウィリー君。これ以上ここに滞在してても仕方がないわ」
エレナは病室のドアを開けてつかつかと出ていった。
「え、ま、待てよ!」
続けて僕が部屋を出る。
「え? 何々? デート? じゃあ尾行シーンは入りまーす♪」
続けてギルバートが部屋を出るが、
「「お前は来なくていい!」」
そこだけは綺麗にハモるカップルだった。
しかし、よく考えてみればギルバートは仲間外れにしたくても出来ない。彼女の前では秘密などまさに「時間」が解決してくれるのだ。
しばらく言い争った後、ギルバートが急に「はっはーん、にゃるほどぉ・・・・・・」と言って立ち止まった。
もう辺りは暗いのでそんなところに突っ立てたら大型車両に吹き飛ばされるぞ、と注意したかったが。ギルバートが得意げに話し出す方が早かった。
「その心臓の蜘蛛、今学校付近にいるねぇ?」
「・・・・・・よし、ウィリー君。私の勘によると学校に居そうな気がするわ。あんなバカほっといて行きましょう」
手柄を横取りするエレナさんだった。
それを聞いたギルバートはきまりを悪くしたのか、頬を膨らませていた。何だその意思表示。
「ふん、いいもんいいもん! 手柄を横取りされたって貴族はそれを目の敵にしたりしないんだもん!」
「お前の祖先絶対貴族じゃねーだろ」
「多分、某有名な科学者よ。きっと」
「え、マジ?」
「勘よ」
僕は後ろを見てみると、図星な表情である。
嘘付くのヘッタクソだな。どんな秘密でも分かる替わりにどんな秘密でもばれそうな奴だ。
「ギルバート、お前何でついてくるんだよ? メリットなんか一つもないだろう?」
僕はふと疑問に感じて言った。確かに、こいつにはビスケットを助けたところでなんのメリットもないはずだ。
ギルバートはこう答えた。
「二つあるんだけど・・・・・・。まず一つ目は羨ましかった。ルヴィーがさ。二人と絡むようになってから、その何かよく笑うようになったて言うか、楽しそうなんだよね。だから、って訳でもないけど。やっぱり仲間外れは嫌だし、こんな異能だから秘密を持ちあえるような友達とかいないんだよね・・・・・・」
何か、聞いて損するくらいに暗い内容だった。どうしよう。
「自分で聞いたんだから最後まで聞いてあげなさい、ウィリー君」
エレナがぼそっと呟く。彼女らしい言い回しだが、裏をかけば最後まで聞きたい、と言うことになるのだろう。同じような境遇を持っている同士、何となく嫌いにはなれないのだ。全く持ってツンデレやヤンデレキャラは言動の裏を解するのに困る。
「だから、役に立ちたくなったの。それが、理由一つ目」
「・・・・・・なら最初からそう言えば良かったじゃねーか」
「自分でそんなこと言い出したら、なんか負けた気分になるじゃん」
なんじゃそりゃ、と思っていると横からエレナが「同感ね」と賛同していた。
二人には共感できる部分があるらしい。全く持って分からん。
「で、理由の二つ目。これは単純明快」
「は?」
ギルバートが指を立てたので何だこいつ? と、思っていると。
「あの部屋から逃げたかった」
何だって? 病室から・・・・・・逃げたかった??
・・・・・・その真意が分からなかったため、僕はもう一歩踏み込んで聞こうとしたとき、唐突にエレナが言った。
「居たわ。校門の真ん前よ」
彼女の指さす先に、赤い小さな生物が蠢いているのが見えた。あれが、『十二本の忘却』の本体・・・・・・。油断は出来ない。見る限りではそんなに速く動いていないが、僅か5秒で忽然と姿を消した奴なのだ。
「!!」
そう思っていると、蜘蛛は学校内に侵入した。そして・・・・・・。
ウィイイイイイイイン!!!!
警戒音が鳴り響いた。
門の両サイドに付いている違法侵入者探知センサーに引っかかったらしい。
「ッ! まずいわ二人とも! 急ぎましょう!」
「え? 何でだ? むしろ校内に追い込めて袋の鼠じゃないのか?」
「無知ね、ウィリー君! あの蜘蛛は一体何がどうなったものなの!?」
エレナが声を大きくして言う。
「・・・・・・? ビスケットの異能によって心臓から蜘蛛へと・・・・・・って、あ!!」
心臓から蜘蛛へと変わった。そう、それはつまりこういう等式が成り立つわけだ。
「そう。蜘蛛=心臓なのよ。だから、潰されたり、『焔火災灼者』の琳先生とか『不意討ち(シャドーリンク)』の丸子先生とかに見つかったら一瞬で消し飛ばされてしまう。つまり」
「警報が鳴ったから、その先生方も出てくるから早く探し出さなきゃいけないってことかよ!」
『焔火災灼者』の琳先生や『不意討ち(シャドーリンク)』の丸子先生とは、順に世界史の先生と物理の先生である。
ただし、その二人にとっては教員免許はあってないようなもので、琳先生は三国志の辺りしか授業しない上に「じゃあ、表出て長坂の戦いの火責めやるぞー」とか言いだし、丸子先生は実験と銘打って「えー、それでは今からみなさんにはモルヒネを打ち合ってもらいまーす」とか言って生徒を解剖したりしだす。
要は二人とも危険嗜好の持ち主なのだ。おそらく、訳が分からない生物を見たりすると琳先生なら力試し、とか言ってすぐに燃やすだろうし、丸子先生は早速その場で解剖したりし始めるだろう。
そうなったらビスケットの心臓はゴートゥーヘブン。もれなく魂ごとお持ち帰りテイクアウトだ。
「それだけじゃないよー」
ギルバートは呑気な声で言った。
「その先生たちにも私たちが見つからないようにしなくちゃね。見つかったら多分、がおーって怒られちゃうぞー?」
その程度ならばあまり関係がないだろう。いや、燃焼されたり改造されないだけまだマシだ。
「とりあえず、蜘蛛を探すためには先生たちに見つからないようにしないとまずいわ。だから・・・・・・」
「ーーで? 先生に見つかっちゃダメって、何それ? 何だか面白いことしてるじゃない?」
不意に後ろから声がかけられた。
「・・・・・・!!」
先生に見つからないように?
はははは、何をバカなこと言ってたんだ。僕たちは。
もう見つかっちまったじゃねーか!!
「ヴェントナー・・・・・・先生・・・・・・!!」
背後に立っていたのはヴェントナー・ルクソルクス。つまり、聖ダイア魔法学上級校の養護教諭だ。この人の『兆里眼』なら今の会話ごと「視」てたはずだ。
「・・・・・・まぁ、まぁ。会話は聞かせてもらったけど・・・・・・何? ウィズリー君、エレナちゃん、ベロチカちゃんが探してるのはコイツ??」
先生は鳥かごを持ち上げて、指を指す。その中には赤く脈打つ生物が入っていた。
「って、蜘蛛!! あ、先生ソイツです! 捕まえてくれたんですね! ありがとうございます!」
僕はそれを取ろうと手を伸ばすが。
ひょい。
僕の手は鳥かごには触れずそのまま空を切った。
「これだいぶ珍しいわねぇ・・・・・・。心臓の蜘蛛だなんて。12本も足があるし・・・・・・これは丸子に見せたら高く売れそうだわ♪」
ひきつった笑みを浮かべながら片手でタバコをくわえる。
「・・・・・・ふー・・・・・・、で? 何こいつ返してほしいわけね?」
煙をあからさまに僕に吹きかけながら言う。
「・・・・・・ッ! う、げほっ。・・・・・・は、はい。つまりそう言うことです」
いいから早く返せよ。
「・・・・・・にやりん。えい」
つー、と僕の額をなぞったかと思うと不適に笑みを浮かべ、くわえていたタバコに手を伸ばし・・・・・・。
「熱っ!!」
額にタバコを押しつけられた!
ヤクザかっ! あんたっ!
「あら可愛い反応。年齢的にはダメだけどねぇ・・・・・・。どう? 今から5年くらい前に戻ってみない?」
「バックトゥーザフューチャーか! 何だその時空を越えるほどのショタコンぶり!」
「そうねぇ・・・・・・ウィズリー君のお母様って確か時空系魔法使いだったわよね」
何で知ってるんだよ。
「それで一時的なタイムマシンとか作ってくれないかしら」
「いやいや、母は時空系って言っても過去に戻れる訳じゃないですから。次元と次元を繋ぐ魔法だけですよ」
「そう、残念。まぁいいわ。過去に行くのは別の魔法使いとかにするわ。じゃあ、これも用済みね。過去に戻れないんなら交渉する意味もないわ。はい返す」
案外簡単に返してくれたぞ。根は優しいんじゃないかこの人。
「ありがとうございます先生。よし、行くぞ二人とも」
僕は二人に呼びかけて
「ウィリー君がどうして仕切ってるのかしら。確かに蜘蛛を返してもらったのはウィリー君のおかげだとしても、何だか指図されると異様にストレスになるわ。あぁ、イライラする」
「うわー、すっげぇコイツ! ホントにビクンビクン脈打ってるよ・・・・・・。ウィリーどうなのこれ? 食べるの?」
「食うかアホタレ。お前の国には蜘蛛を食うという習慣があるのか?」
「えぇ!? オランダではそんな文化がまだあったのか!? まだ滅亡してなかったなんて驚きだぁ!」
「こっちが驚きだわ! なんだその文化! あったんかい!」
と、二人でボケと突っ込みという漫才を繰り広げながら。
「不安だわ・・・・・・」
エレナは呆れかえるように呟いた。
急いで病院へと戻ってきた僕ら三人はこれまた急いでビスケットの眠る病室へと戻ってきた。
「失礼します」
律儀に病室に入る僕だがその脇をひょいひょいっとエレナとギルバートは抜けていく。お前等に礼儀という概念はないのか?
「起きなさいビスケット。心臓を宅配に来たわよ」
「そんなデリバリー業者的なノリ止めてくれないかな・・・・・・。つーか心臓を戻すのにはこれ、どうすればいいの? どう元に戻すの?」
するとエレナは「はぁ」とため息をついた。
「ウィリー君、人に頼ってばかりじゃだめよ。少しは自分で考えなさい? あなたも一介の高校生なんだからそろそろ一人立ち出来ないと、このままじゃダメになる一方よ?」
「もうダメだと思うけどねー」
ぴきっ。
「うるせーな。そんな偉そうに言っておきながらお前だってシラネーんじゃねーのか? つーか絶対そうだろ。知ってたら心臓無い奴に無駄に呼びかけたり・・・・・・」
僕が嫌味たっぷりに言うと、エレナは黙りこくった。
「・・・・・・」
真剣な表情で、じっと僕を見つめてくる。
・・・・・・これは、この目はあの時以来か。
ブックマンにいいようにされて、僕に助けをよがってきたときの目。
「悪かったって。言い過ぎた」
これ以上言ってしまうと取り返しがつかなくなるので、謝っておくことにする。するとすぐに彼女は表情を戻し、いつもの物憂げな視線を僕に投げかける。
肉体への痛み、というものをほとんど味わったことがない彼女は残念なことに精神が全く鍛えられていない。
自分が劣勢になるとすぐに精神が折れる。自分の思い通りに行かないとすぐにあきらめる。
まるで、子供だ。
さしずめ、僕はその子供の保護者ってことになるのかね。
そんなことを考えていると、ギルバートがアホ毛を揺らして叫んだ。
「分かっちゃったよー! その子の心臓の戻し方! さ、さ! 早速その鳥かご渡してよ!」
「渡して、どうするんだよ?」
何だか無駄に興奮しきっているギルバートにしぶしぶ鳥かごを渡す。
「決まってるじゃないか☆ これを体の方に戻すんだよ!」
ウィンクしながらビスケットを指さしたギルバート。
「へ? どこから? 口から?」
「へっへっへ~。それ聞いちゃいます~? アソコですよ~、ア・ソ・コ♪」
うざってえ・・・・・・いいから、そのクイズ番組的な正解の引き延ばし止めろ。殴るぞお前。
「アソコってどこだよ? もうちょっと分かりやすく伝えて頂きたい限りだ」
すると、ぐっふぇっふぇっふぇ、と訳の分からん笑い方をして返答した。
「女の子の大事なところ、だよ~ん。あ、言っちゃった、逝っちゃった~☆」
くるくる回りながら言うギルバート。
「ふぇ?」
その後のことは想像にお任せする。
確かに、ギルバートのコンマ1秒後にエレナから尋常じゃない位の馬鹿力で鳩尾を蹴り込まれ、投げ出されるように部屋を追い出されたのは言うまでもないからな。
後から聞いてみると普通に口から入れたらしい。何だそれ、ギルバート。口がなによりも大事なのかお前。
「え、ウィリー君? ・・・・・・えぇ・・・・・・ま、まぁ、口から入れたわ。うん。入れた、うん、あ、はい。あ、あはは、はは・・・・・・は・・・・・・」
もういいよ~、と言うギルバートの声を期に僕は病室に戻ってエレナにどうだった、と聞いてみるとそのような答えが返ってきた。
何とも歯切れが悪く要領を得なかったが、まぁ入れた本人たちが入れたというので本当だろう。
「ふっふっふ~、あぁ幸せ・・・・・・」
何だかギルバートの肌が先ほどよりつやつやしているが気のせいだろう。恍惚の表情でベッドに寄り添っている。
何があったんでしょうね。それを僕は知る術を持たないが。
「何はともあれ心臓が戻ったんだ。取りあえずは安静にしておけばいいんだろ?」
僕は安心して二人にそう言う。
「そーだねー、特に言うべきところもないし。まぁ、大丈夫かな。また暴れ出したりしたら力ずくで押さえればいいんだし」
ギルバートはお見舞いに来た人用の理科室にあるようなイスで倒立をしながら答えた。
ちょ、こら。やめろ。危ない。てかお前スカートじゃねーか。そりゃ座ってる僕達には見えないが、スカートべろんってめくれてるぞ。べろんって。
「いえ、まだあるわ」
エレナは立ち上がって座っている僕と倒立をするギルバートに見せつけるように、ビスケットの布団を取り、素足を見せた。
うおっ、真っ白・・・・・・!
「そこじゃないわウィリー君。あなた公園で一回見たじゃない」
そう、本題に戻ろう。その足は確かに真っ白だった。
一部分を除いて。
「んー・・・・・・、変色してるね・・・・・・。しかもこの色は壊死してるかも・・・・・・」
「・・・・・・そんなこともわかんのか??」
医者みたいに言うギルバートに少々驚く。
「知識としてある程度は。原因は分からないけどね」
「そう。壊死してる」
エレナは僕とギルバートを指さして言った。
そして、推測しましょう。と切り出す。
「『記憶喪失』、『抜けた心臓』、『壊死した左足』、『奇妙な異能』、そして、『心臓が無くても生きている屍』。これら全てに合点が行くように推測しましょう」
「生ける屍・・・・・・」
「例えばーー、そう例えば。これはまだ推測の域を越えないのだけれど、おそらく可能性としては大。この子は『十二本の忘却』という異能だった。で、その異能が蜘蛛を操っての記憶殺し」
エレナは自論を展開していく。
「でも、おかしいわ。記憶を殺すのにわざわざ蜘蛛を操る必要性があるのかしら?」
「それは・・・・・・言われてみればそうだけど。でも世の中にはそんな訳が分かんない異能だって沢山あるぞ?」
「そこを推測するのよ。物体や生物を操る操作型の異能はその操作対象が本人に向けて暴走することはあり得ない。これは知ってるわよね?」
操作型異能はその名も通り、限定した物体を意のままに操ることが出来る異能の総称だ。(ちなみに僕の『依存症』もそれにぎりぎり類している。一応人間に限定しているからな。)
ただし、操る物体そのものが自分の異能の許容を越えてしまうと操作は不可能となってしまう。ただし、操作主に対してリスクは0。
「そう。暴走はするけれど本人に危害は加えない。それが操作型における絶対的な理論なのよ」
それなのに。
ビスケットは血を吐いて、悶絶し、気絶してここにいる。
「だけどそれじゃあ、おかしいんじゃない? だって私の記録だとビスケットはやっぱり操作型だよ」
「だから、言ってるでしょう? それでもビスケットに危害は加えられた」
エレナとギルバートはそう言うが、どちらにしても辻褄が合わない。
ギルバートが嘘を言っているようには見えないし、エレナの言うことも僕は目の前で見ている。
操作型なのに危害を・・・・・・加えられた?
「加えられた?」
その表現はおかしい。
なぜなら、危害を加えたのは紛れもないビスケット本人の異能なのだから。危害を加えられる、という表現にしたければ他人からの干渉がなければいけない。
「・・・・・・そうか!」
閃いた。繋がった。
「『忘却の十二本』はビスケットの異能じゃない・・・・・・!」
この異能はビスケットではなく、別の人間がその異能でビスケットに干渉させただけなのだ。
「そう。よく分かったわねウィリー君。あとでいい子いい子してあげるわ」
「ありがとうございますッ!!」
とりあえずお礼。
直後、隣で倒立をしていたギルバートが空中で一回転して着地。
「じゃあ、待ってよ! 私の『自動手記する手帳』が正しくないって言ってるの!?」
ギルバートはそのまま声を張り上げた。
「そうじゃないわ。あなたの記録は正しいけど、それを忘れてたら正しいも何も確かめようが無いじゃない」
「それこそありえないよっ! 私の『自動手記する手帳』は一度記録したのは忘れないんだから!」
「だから、忘れたのよ。記憶を殺されて」
「・・・・・・ッ!!」
ギルバートは一本取られたような表情をした。
確かにそうだ、記憶を覚えているも忘れるでもない。
記憶がないのだから、覚えていても元から消されている記憶は思い出せるはずがない。
「『十二本の忘却』の効果か・・・・・・」
つまり、ビスケットは最初から僕達と共に過ごしており、異能も別にあるということ。その記憶を何らかの理由で『十二本の忘却』の持ち主が消したということ。そして、何らかの理由でビスケットにそれを寄生させたということ。
許せないな・・・・・・。女の子にそんなことをさせるなんて。そうでなくても僕達の記憶を消したのは断じて許せん。
「で、その『十二本の忘却』はどこにいると思うんだ? そこまで言うには目星ついてんだろうな?」
「ええ。もちろんよ」
エレナは得意顔で言った。こういう時の彼女のこの顔はとても頼もしい。
「保健室の先生から蜘蛛を返却されたとき、不審な点がいくつかあった。まず、蜘蛛が私たちの視界から消えてから先生が捕獲し、鳥かごに押し込むまでにかかった時間は約13秒。余りにも早すぎる。予め対処していたようにしか思えない」
「・・・・・・そう言われてみればそうだな。つーかどうしてヴェントナー先生はあそこで待ってたんだ?」
「『兆里眼』で視てたんじゃない?」
ギルバートはそう言った。
「そうよ。彼女は蜘蛛が来るのを視てたのよ。そして、二つ目。これは明らかにおかしかった。吸ってたタバコについてよ」
「・・・・・・?? いや、別にいつも通りじゃなかったか? タバコを貪るように吸うのはいつも通りだったし、特に取り上げて言うことも(根性焼きはどうかと思ったが)なかったぞ?」
いつも通り、タバコを取り出して貪るように吸っていた。
「ん? 取り出して? 最初っから吸ってなかったね。そう言えば」
ギルバートは思い出したように言った。
「おかしいな。あの先生は一日最低50本以上は吸う超ド級のヘビースモーカーだ。なのに吸ってなかったなんて・・・・・・」
ガンにならないか心配である。
「つまり、あの行動は彼女のものじゃないのよ。全く別人の動き、思い出すようにタバコを取り出して、しかもまだ吸える長さが残っていたのに根性焼きで火を消した。通常の先生ではあり得ない行動よ」
エレナは確信するように言う。
あれはヴェントナー先生じゃなかった・・・・・・?
「じゃ、一体誰だよ!? そっくりさんってレベルじゃないぞ??」
「双子・・・・・・」
そんな僕の疑問に対してギルバートが答えを漏らした。
「そういえば、保健室の先生って一卵生双生児の妹なんだよね。姉の名前はチオーナ・ルクソルクス。異能は・・・・・・ダメだぁ・・・・・・思い出せない」
「・・・・・・決定ね。異能に関する記録だけ消されちゃってるみたいだわ。これで犯人は分かった。ギルバート、今チオーナ・ルクソルクスってどこにいるか分かる?」
「同じ街。住所も変更がないよ」
「好機だわ。行きましょう」
エレナとギルバートは結論を出し、病室からさっさと出ていこうとした。
そのときだ。
「ま、待て。・・・・・・今、何が起きている??」
背後で誰かが呼び止めた。
後ろで横になったままビスケットは目を覚ました。
「だ、大丈夫なのか?」
おそるおそる声をかけるとこくり、と僅かに首を縦に振った。
「・・・・・・足が全く動かないが、それ以外は大丈夫、だ。動く」
「足って・・・・・・両足動かないのか!?」
公園でこいつを拾ったときは左足だけだったはずだ。
「両足・・・・・・ちょっと見せてみて」
「え? い、いいけど・・・・・・」
エレナは少し考える素振りをしてビスケットに了承を得た後、つかつかとベッドに近付いた。そして、布団を取っ払い足に手を当てる。
左足はドス黒く変色しているが、右足の方は若干青くなってるだけだ。
「蜘蛛が抜けたわね・・・・・・。左足は随分前、右足はつい最近。おそらくビスケットに寄生してる蜘蛛は体の各部分とリンクしていて、その蜘蛛が抜ければそのリンクしていたところも糸が切れたように動かなくなる。・・・・・・思ったより厄介ね。右足の蜘蛛はまだ時間があるけれど、左足は早急に手を打つ必要があるわ」
「抜けたって、心臓と同じようにか?」
「知らないわよ。ただ、心臓と同じで抜けた場合その部分の体の機能は失われている」
エレナは布団を元に戻し、優しく足を撫でた後僕達に向かって言った。
「どうする? 蜘蛛を先に捕まえるか、犯人を先に捕まえるか」
二つの選択肢。
んなもん決まってんだろッ。
「蜘蛛、つーかそれ意外ないわな。そりゃ犯人の確保を急ぎたいとこだが、ビスケットの安全が最優先だ」
「そーだね・・・・・・。どちらかと言えばそっちの方が簡単だもんね」
「・・・・・・じゃあ、そうしましょう」
エレナは頷いて、病室を出ようとした。
その時。
「えぇえぇ。実につまらないですわ。何故大元であるわたくしから狩りに来ないのでございましょうかぁ?」
窓の外から声がした。
「は・・・・・・? 誰・・・・・・?」
ここは一階だから窓の外からは声がかけられる。
そのため声を聞いたときは何とも思わなかったのだが、振り返ってみると肝を冷やした。
「・・・・・・ッ!? ヴェントナー・ルクソルクス先生!?」
彼女が宙吊りのような体制・・・・・・つまり頭を下にしてのぞき込むようにして見ていた。
僕は驚いてその顔から最も似ている知り合いの名前を挙げた。
だが、違う。
タバコをこいつは吸っていない!
「違いますわぁ。わたくしはチオーナ・ルクソルクス。ヴェントナーの姉でございます。ご推測の通り、わたくしが『十二本の忘却』の異能者でございます」
その女性は僕達が予想していた犯人と同じ名前で自己紹介をした。
「あんたがそうか! とりあえず、ビスケットに寄生している蜘蛛を全部、取っ払ってビスケットの体を元に戻してもらおうか!」
僕が意気込んで言いつけると、チオーナはギィっと怖い笑みを浮かべて答えた。
「やなこった、と言いたいところですが。そうですねぇ、わたくしも今気分がよろしい方なので、そのお願いを聞いて差し上げましょうか」
意外とあっさりだった。
「やけに従順ね・・・・・・。どうしてかしら?」
エレナは疑い深い目で睨みつける。
ギルバートも今までのほんわかムードをやめ、真面目ちゃんになっている。
「あらあら、そんなに怖い目を御向けにならないでくださいませんか? 理由? そうですわねぇ。やはりわたくしにメリットがある、とだけお答えしておきます」
「どんなメリットなのかしら」
「とだけお答えしておきます」
繰り返し言われてしまい、エレナは黙るしかなかった。
「では、始めましょう。・・・・・・十二本の従順なわたくしのしもべたち。その身を悦んでわたくしに捧げなさい。悦んでわたくしに投げ出しなさい。悦んでわたくしに呼応しなさい」
平仮名ばっかりで読みづらいぞ、てめぇ、じゃなくて。
そう唱えた瞬間、ビスケットの体が大きく跳ねた。
「・・・・・・ッ!? ぐっ、あぁ!?」
しかし、それには目をくれず、チオーナは手を振りかざして言った。
「戻りなさい、『十二本達』」
そして、今までに無いような体の拒絶をビスケットが見せた。
「ウルサイと人が来てしまいますから・・・・・・口、喉」
「う、うっ! うぎ・・・・・・・・・ッ!?」
ビスケットは首を押さえる。
そして、心臓と同じように口から二体の蜘蛛が続けて出てきた。
「やめろ! 苦しんでんじゃねーか!!」
僕はその姿が見てられなくなり、チオーナに言った。
「それこそ、やなこったですわ。・・・・・・では、ここからは一気に抜いて差し上げましょう」
ビスケットの口から出た蜘蛛はゆっくりと動いて窓に近寄っていく。
「ビスケットォォ!!」
体が暴走するかの如く跳ね回っている彼女は体中をかきむしる。
ギルバートはどうすることも出来ず、ただ目と耳を両手で瞑った。エレナはただそれを傍観している。
「右腕、左手の指、肝臓、舌、右眼球、大脳、右手首、小腸、左肘、右耳、右手の指、左腕、大腸、脊髄、右乳房、子宮、鼻、胃、右肺、右肘、左気管支、食道、左眼球、小脳、直腸、腹・・・・・・」
ぶつぶつとチオーナが体の各部分を唱えると、ビスケットのその部位や口から蜘蛛が生まれていく。
もはや痛みから動くことさえ出来なくなったビスケットは血塗れでぐったりとしたままだ。
しかし、チオーナの詠唱は止まらない。
何匹入れてたんだよ、コイツッ!!
「十二指腸、左肩、首、前頭葉、腎臓、左乳房、左肺、膀胱、膣、唇、右気管支、左耳、胆嚢、血管、胎盤、右肩、海馬、リンパ管、歯、神経、ヘソ・・・・・・」
病室はどんどん蠢く赤い物体で埋まっていく。
そして、ついにチオーナは口を開いた。
「さて、終わりましたわよ。全ての蜘蛛を彼女の体から抜いて差し上げました」
「・・・・・・貴様ッ!」
「頼んだのはそちらでありませんか? 恨まれる筋合いなどありませんくてよ?」
いや、これでビスケットも自由の身だ。とりあえずは・・・・・・。
「さてさて、わたくしのしもべたちよ。早くこちらへ参りなさい?」
チオーナの命令で蜘蛛は一斉に窓ガラスに突っ込んでいく。だが、ガラスは閉まっているため外に出られない。
が、しかし。
「さぁさぁ、しもべたち。はやくこちらへ・・・・・・」
チオーナがそう言った瞬間、蜘蛛達は一斉に窓ガラスへと飛びかかり、ぴきっ! とひびを入れた。
「・・・・・・!?」
その後も何度も窓ガラスに突っ込んでいき、ついにガラスは割れてしまった。
「ではでは、これよりゲームを始めましょう」
チオーナはそう言ってきた。
「あ? 寝ぼけてんのかあんた。もう用はないから消えてくれ」
「まだその子の体の主導権はわたくしのしもべたちにありますよ?」
「なっ!? だましたのか!?」
「いいえぇ、蜘蛛を抜けと言われたので蜘蛛を抜いたまででございますぅ。別に主導権がどうたらとは言われなかったので・・・・・・」
つまり、ビスケットは今何もできない。体の機能を全て奪われ、植物以下、生命維持など不可能な皮袋になってしまっている。
「お前っ・・・・・・!! 絶対許さねえぞ!! 何が目的だ!」
「許す、許さないの問題ではありません。ゲームを受ける、受けないの問題ですわ。そして、目的ですか・・・・・・。お腹が空きました、と言うことでよろしいでしょうか??」
コイツと話してるといらいらしてくる。言葉が全く通じない。
「んなもん受けるわけないだろうがっ! 頭おかしいんじゃねーのか!?」
「受けないのならば、この場で全ての蜘蛛を殺して差し上げますが、よろしいでしょうか?」
そう言われると、素直に頷くことしか出来ない。
人の命を担保に・・・・・・、コイツっ!!
「ゲームを受けましょう、ウィリー君。これは従うしかなさそうね」
「そーだね。後手に回っている限り、状況は常に不利なのは仕方がないよウィリー」
ビスケットの方をちらりと見る。
「えぇい、畜生ッ! 分かったよ、受けりゃいいんだろ! で、そのゲームの内容って何だよ!」
チオーナは「では、説明いたします」と言いながらするする・・・・・・と地面に降り立った。先ほどは蜘蛛の糸でぶら下がっていたようだ。
しかし、この女。見れば見るほどヴェントナー先生に似ている。同一人物と言われても納得する。
外見だけはな。
「蜘蛛操作、オート離散」
チオーナはおもむろに呟いて、足下で蠢いていた蜘蛛達に命令をした。すると、蜘蛛達は何かを思い出したかのように一気にバラバラの方向に走り出した。
一般的な蜘蛛のスピードで。
「ではでは、ルールを説明しますわね。端的に申し上げますと『おにごっこ』という次第でございます。わたくしが今とき放った可愛いしもべ達・・・・・・108匹の『十二本達』があなた達の標的です。唯一の勝利条件は・・・・・・」
チオーナは小さく溜めて、にっこりとした笑顔で言った。
「全ての『十二本達』を殺して頂くことです。ーーでは制限時間は180分。よーい、スタートでございますわ♪」
クリア不可能なゲームが、始まった。
殺すと言ったり殺せと言ったり。
「あら、わたくし殺したらその部位は壊死して死んでしまうなんて物騒なことおっしゃいましたかぁ? あなたたちが御勝手に思いなさってだけではありませんこと?」
そんな詐欺みたいな言い回しで言いくるめられて、そのまま引き下がってたまるかよ。まずはその顔面を・・・・・・!
「無論、蜘蛛を全匹殺せなかったり、何か卑怯な手・・・・・・例えばそうですわね。私を直接狙う、ですとか? そういうことをしたら強制的にビスケット様を殺します」
いえ、引き下がりました。
「落ち着くのよウィリー君。殺したら死ぬという推測は元々私がしたことよ。ウィリー君のせいじゃないわ」
蜘蛛を探すため早速病院の外に出て、走りながら作戦会議。
「責任もクソもないような問題で責任の所在を明らかにされても困るんですが・・・・・・。あぁ、クソ。何だあの理不尽ババア。『依存症』でさっさと終わらせればよかったし・・・・・・」
あれは僕の判断ミスだ。相手のペースにすっかりと乗せられてしまい、『依存症』を使う余裕がなかった。『依存症』はある程度精神的余裕がないと使えないからな。
「大丈夫よ、ウィリー君。その理不尽ババアは愚かにも参加人数を設定していなかったわ。思い知らせてやりましょう。聖ダイアを敵に回すと恐ろしいってことをね・・・・・・」
にやり、と敵キャラのような悪い笑みを浮かべたエレナ。
「うわーお! かっこいいよエレナ! 頼もしい!」
隣でギルバートがわくわくしてる。
「じゃあ、それぞれ蜘蛛を見つけつつ、協力者を増やしていきなさい。ただし、一つだけ注意すること。蜘蛛は直接手で触らないことよ」
「記憶を奪われてしまうからか・・・・・・?」
理科実験の注意みたいな言い回しでエレナは忠告してきた。
「ええ。それでは解散しましょう。健闘を祈ってるわ」
エレナはそう言って、曲がり角で左に曲がる。
「じゃあ、私もいろいろ聞いてみるねー。そんじゃっ! 頑張ってウィリー♪」
ギルバートも携帯を取り出しつつ右に曲がる。
僕はそのまま直進。一旦家に帰るのだ。
なぜなら、最も頼りになる味方がいるからな。我が家には!
現在時刻は午後8時。ゲーム終了まで残り169分。
エレナは学校に来ていた。
まだ学校は校庭こそ暗いが施設内は明るいかった。
途中2匹の蜘蛛を見かけたため銃殺しながら(発砲音を気にしなさい)来た彼女はまず保健室に向かう。
「失礼します。一年SSSのエレナ・キャロットです。ヴェントナー先生に頼みがあってきました」
礼儀正しく、きちんとした態度でエレナは言う。
すると、ドアが開かれ保健室の先生が姿を現した。
タバコを二本同時に吸いながら。
「あら、エレナちゃんじゃないの。どうしたのこんな時間に? まさか彼氏と愛を育みに? でも先生それは困っちゃうわ。シーツを洗うのも結構大変・・・・・・」
「チオーナ・ルクソルクスが『十二本達』を用いて町中の人間の記憶を奪おうとしています。助力していただけませんか?」
ヴェントナーが言い終わる前にエレナは用件を的確に述べた。
そして、ヴェントナーの顔から冗談の色が消えた。
「そう、お姉ちゃんが・・・・・・。ついに動いたのね。でも・・・・・・」
渋るヴェントナーにエレナはタバコを1ダース見せると「分かったわ。是非協力させて」と懇願してきた。扱い易すぎるぞ。
少し時間を頂戴、とヴェントナーは言って保健室の扉を閉める。その2分後、部屋から出てきたヴェントナーは白衣ではなく、上下黒の服装で出てきた。
「行きましょう。早く蜘蛛を止めないと大変なことになる」
そんなこと、言われなくても分かっているつもりだったが「はい」とエレナは答えた。
「まず、もう一人協力者を雇いたいんですが・・・・・・」
「あら、誰かしら? 聞かせてくれる?」
そしてエレナは危険人物の名前をあげた。
「丸子・シヴァイツ・空臥先生。というか彼ならば積極的に参加しそうですけど」
「・・・・・・えぇ・・・・・・」
その名前にヴェントナーはあからさまに嫌な顔をした。
しばらく経って、二人は科学実験室に来ていた。
しかし、この学校で科学実験室とはただの名目で実際は「丸子の部屋」や「人体実験室」位が丁度いい。
「は~、まさか丸子を呼ぶなんて・・・・・・。嫌だわぁ・・・・・・」
ヴェントナーはタバコの煙を吐きながらため息をついた。どんだけ丸子のことが苦手なのだろう。顔色も悪い。
「私、あいつ嫌い。あの性癖はどうにかならないかしら?」
そんなことを嘯く彼女に。
「いや、先生の性癖もヒドいもんですが」
と、エレナは的確に突っ込む。
「ショタコンの否定は世界の否定よ、エレナちゃん。今の言葉は黙っておいてあげるから、以後気をつけるように」
黙っておいてあげるって、一体誰に言うつもりだったんだこの人。エレナは冷や汗を浮かべて困惑する。
「はぁ~、疲れた疲れたぁ。全く、レポートのチェックって何が楽しいんだこんなの。解剖させろよ解剖・・・・・・って、ん? あ、ヴェントナー先生じゃないですか。白衣じゃないから一瞬分かんなかったわぁ。え? 何? 急に訪ねてきたりしちゃって。俺に解剖されに来たんですか?」
いきなり科学実験室から現れたのは、眠そうな顔と口調、そして似合わない白衣を着た男の先生。
そう、丸子・シヴァイツ・空臥先生だ。
「んなわけないじゃない。いい加減に解剖から足洗ったら? あんたと琳のせいで生徒たちの科学と世界史の知識は小学生以下よ」
ちなみに、丸子と琳はヴェントナーの二年後に赴任してきたため、先輩と後輩のように階級がはっきりしている。
「はっはっは~。心配はご無用ですよ~。解剖学に対しての知識だけはきっと大丈夫ですから」
「何をどう取ったら大丈夫なのよ。あんたの解剖学がこの世に貢献している光景が思い浮かばないわ」
「想像力がないなぁ・・・・・・。で? こっちの子は何? 解剖されに来たの?」
「エレナ・キャロットです。一年SSSクラスの」
「へー、覚えてない。どうも人の顔は覚えられないねぇ・・・・・・。心臓の形とかだったら一目瞭然なんだけど。それでエレナ・キャロットちゃん? 何の用だい?」
丸子はエレナに視線を向ける。
無論解剖されに来た訳じゃないが、それとちょっと似たような感じであることは間違いない。そのために解剖マニア・丸子・シヴァイツ・空臥を蜘蛛捜索に当たらせるのだ。
「先生にある生物の解剖をお願いに来ました。108匹の十二本の足を持つ蜘蛛です」
エレナはウィズリーの前では決して使わない、流暢な敬語で答えた。もちろん、丸子の返事は一つ。
「・・・・・・ときめくね」
まるでこれから女を犯すかのような、男性独特の歪んだ嗜虐的な笑みを浮かべつつ。
108匹、と言っても3人でその頭数を割るため結局ノルマは一人36匹になる。最初に3桁と聞いて少し目眩がしたが、よく冷静になって考えてみれば簡単なことだ。
エレナは丸子に事情を説明する。案外早く受け入れてくれて、事がスムーズに動いた。
丸子はそれを聞いたあと、確認するようにヴェントナーに話しかける。
「蜘蛛ねぇ。ヴェントナーせんせーい。今この学校に何匹くらいいんのかね?」
「もうやってるわ・・・・・・そうね、5匹かしら」
「少なっ! もうちょっといてくれてもいいのになぁ・・・・・・まぁ、我慢するか」
何の我慢なのかエレナは分からなかったが、どうせロクでも無いようなことだろう。なので、それ以上は何も言わない。
エレナとヴェントナーと丸子は運動場に出て、蜘蛛の出足を待った。
「で、こんな待ち合わせみたいな感じで蜘蛛なんて本当に来るんですか、先生達?」
些か疑問に思うためエレナは二人に聞いてみた。
「んー? いいよいいよ。どうせすぐ来るって。てか可愛いなー、エレナちゃんは。どう? 1万出すから解剖・・・・・・っぐは!」
ぽかっ!
「何を最低な提案をしてるのよ。やめなさい。今のは在り来たりなちゃら男発言よ」
妙な提案をしてきた丸子はそのコンマ数秒後にヴェントナーに殴られた。特に、その、急所的な位置を。
「ひ、ひでえ・・・・・・。もう解剖できない体になっちまう・・・・・・」
一体その部位は解剖のどこに使うつもりだったのだろう。
丸子は股間を押さえて息を荒げている。
「あぁ、来たわよ。お姉ちゃんの分身的な奴」
ヴェントナーは顔を上げて右方向を指さした。そこには・・・・・・。
蜘蛛。
「おおっ! すばらしい! なんだあの生物は! 解剖意欲をそそられる!」
「あんたさっき解剖はもう無理って言ってたじゃない」
「うんにゃ、大丈夫じゃき。任しときー!」
「キャラ変えすぎ!」
丸子はそう叫ぶや否や、白衣の胸ポケットからメスとクーパーを取り出した。
そして、子供のように軽やかに蜘蛛の方へと突っ込んでいく。
「・・・・・・『不意討ち(シャドーリンク)』」
おもむろに小さく呟いたと思ったら、蜘蛛の動きが一瞬だけおかしくなる。
まっすぐこちらに向かっていた蜘蛛の動きが止まったかと思うと、丸子はすでに蜘蛛の背後に回り込んでいた。
「さて、と。解剖解剖・・・・・・」
動かない蜘蛛に近付き、丸子はあの嗜虐的な笑みを浮かべてメスを入れる。
蜘蛛はいつの間にか足が全て切られていた。
「・・・・・・!? 一体、いつの間に!?」
エレナは何が起きたか分からず、ヴェントナーに聞いている。
「エレナちゃんには分からないかもね」
「先生は分かったんですか!?」
「いや、分からないわよ。見えないわ」
・・・・・・はぁ?
人に分からない、と言っておいて自分も分からないとかほざくヴェントナーに少なからずエレナは殺意がわいた。
「あれが丸子の解剖のための異能『不意討ち』。名前こそ知られてるけれど、実際の内容は秘匿。誰にも話していないわ」
「・・・・・・」
エレナは黙りこくる。
話さないと言うことは、話したらまずい、と言うこと。
ヴェントナーの『兆里眼』とかは知られても関係ないが、丸子のように知られたらまずい、という異能もあるのか。
しかし、解剖のための異能って・・・・・・。
「う、臭い・・・・・・。今時体液の臭い生物ってタイプじゃねーんだよなぁ・・・・・・。ん、おお。脳が取れた・・・・・・一応、異能で生成された生物にも脳とか、考える機能は付いてんだな・・・・・・。ふむふむ」
「う・・・・・・」
目の前で独り言をぶつぶつ呟きながら蜘蛛を板前のように解体していく丸子。
確かに臭いので、エレナは顔をしかめた。
「大丈夫? とにかく。これであと、この町内に残っている蜘蛛は・・・・・・88匹ね。30分経って20匹か・・・・・・。ギリギリで間に合う位ね。このペースを落とさず行きましょう。ーー丸子、あと4匹よ。ちゃっちゃと見つけて殺しなさい」
「ったく。簡単に言ってくれるぜ・・・・・・。一体を解剖するのに最低20分はかけたいのに・・・・・・ってあぁ!! 蜘蛛が消えた!? くそっ、死んで1分程度経ったら消えてしまうようになってるのか!?」
丸子はとても残念そうに頭をかきむしる。
しばらくして、何かに区切りをつけ、ばっ! と顔を上げてこちらを向いた。若干怖い。
「さぁ! ぐずぐずしてられない! あと88匹なんだろう!? 単純計算で88分しか解剖時間がないじゃないか!! さっさと残りの4匹を見つけて早速町に繰り出すぞ、諸君!」
この件については心強い限りな発言だ。・・・・・・日常で言われると警察ものだが。
蜘蛛探しゲームのルールのおさらい。
①、町にはチオーナ・ルクソルクスが使役する108匹の蜘蛛が展開していて。
②、それぞれの蜘蛛を180分で。
③、全匹殺す。殺傷方法は何でもかまわない。
④、なお、蜘蛛はその間町中の人間の記憶を奪い続ける。
⑤、特に人数制限などは設けていない。とりあえず蜘蛛を全匹殺す。
⑥、このゲームに勝った場合、チオーナはビスケットに寄生させていた蜘蛛を全て取り払い。
⑦、負けた場合、ビスケットが殺され。
⑧、またそれ以外に不正行為(チオーナ本体を直接狙う等)をした場合も、ビスケットが殺される。
で、ある。
「と、言うわけなんだけど。ちょっと手伝ってくれるかな?」
『嫌だ。つーか何? 私にはその女の子関係ないじゃない。記憶がないなんて信じられないし』
ギルバートは携帯電話で誰かと交渉しながら言った。
「にゃははぁ。まぁ、そう言われれば私だってやる義理無いよう? でも、あの、ウィズリー・リベリスト君からのお願いだからねえ。断るのも何だか気が引けるし?」
すると、電話口の人間はいきなり声を大きくして言う。
『え!? ウィ、ウィリーが来るの!? 来てるの!? じゃ、行きたい・・・・・・じゃなくて、仕方がないわね。ア、アイツ一人じゃどうせ何も出来そうにないわ!! 行くわよ! 行けばいいんでしょう!? これは行きたいとかじゃないからっ! 仕方なーく、嫌々来てやるんだからね!』
がちょん! とかなりテンパった電話を切る音が聞こえた。
ギルバートは「ふぅ」とため息をついて、
「素直じゃないなぁ。ルヴィーは」
と独りでに言った。
ギルバートは協力者としてアルヴィーナ・ブックマンを呼んでいたのだ。
しかし、これで協力者はまだ二人。本人としてはあと一人欲しいところである。
そう考えていたとき、再度携帯電話が震えだし、自己主張を始める。
何だと思ってみてみれば
『・・・・・・ごめ。場所どこ??』
ブックマンが申し訳なさそうに聞いていた。
待ち合わせ場所をウィズリーとブックマンがルミネス・クァルガー、ミーシャ・クァルガー兄妹を見つけた公園にギルバートは指定して、その公園に向かう。
ギルバートは約束の時間より3分ほど早く来てしまい、公園内をひょいと覗き込んでみたが、当然ブックマンの姿は見えなかった。
「・・・・・・☆」
しかし、代わりに一人の先客がいた。
その人間はベンチで眠るように寝っころがっていて、かなり無防備な状況だ。
勇気ある人もいるんだなぁ~と半ば意味不明気味に思ったギルバートはその人物が只の一般人ではないことを知る。
しばらく観察を続けていたら、なにやら不穏な陰がその人間に近付いていくのが見える。よーく目を凝らしてみると、何とオドロキ、蜘蛛だった。
「まずいっ・・・・・・」
蜘蛛が現れなければ本当は無視して傍観を決め込むつもりだったギルバートも流石に無視できない状況に動く。
しかし、近付いたことで分かったのだが、その人間--ーーだらしなくベンチに身を投げその目立つ赤い髪の毛を地面に着かせてしまっているそれは、見知った顔だった。
「・・・・・・スピア・クローバー・・・・・・。何故こんなところに??」
そう思った瞬間、蜘蛛がスピアのベンチから約1メートル辺りのところに来たときだ。いきなり、何の前触れもなく彼女の目が見開かれた。そして、一瞬。蜘蛛は何もされていないのに只の肉隗へと押しつぶされる。
おそらく、彼女は近付いてくる不穏な陰に気づいていて、『不明の妃手』で瞬殺したのだ。
「・・・・・・昼寝の邪魔だ・・・・・・」
スピアはそう呟いてまた目を閉じる。
しばらく、経って。
「・・・・・・もう夜、だったか」
「いや、気づくの遅ー!!」
ギルバートは条件反射で突っ込んでしまっていた。いや、今のは突っ込まざるを得ないだろう。辺りが真っ暗であるのに気が付かないその鈍さ、つーか昼から今までずっと寝ていたのかこの人。
その声に反応してスピアはキッと睨んで言う。
「む、誰だ。昼寝の邪・・・・・・」
「いや、いいよ! さっき言ったじゃん! そして夜だしもう! いや~☆ 焦ったぁ~。いきなり天然ボケをぶちかましてくるなんて意外意外・・・・・・」
「・・・・・・?? 何が言いたい? お前は誰なんだ・・・・・・?」
寝ぼけているのか、それとも周りが暗いからなのか。スピアはまだそんな事を言っている。
「・・・・・・私はギルバートだよん。って覚えてるよね?」
一応、答える。
覚えていないはずはないのだが、夏休み明けのため忘れているという可能性もあった。
授業中にウィリーには説明したんだけどね。
「・・・・・・」
幾ばくかの沈黙。会話のペース、パネェ。
「あぁ。思い出した・・・・・・覚えている。で? 何のようだ? 理由も無しに私の眠りを遮ったのなら、殺すぞ?」
スピアは鋭い眼光を光らせて言った。目やにが着いているので迫力に欠けているが。
しかし、このままではマズい。理由があろうと無かろうと、スピアの機嫌はおそらく直らない。すると、こんなところで待ち合わせなど出来るはずもなく、ブックマンに電話をかけ直す必要がある。
(・・・・・・それは嫌だ。めんどくさい)
ギルバードは瞬時にそう考え、何とか切り抜ける方法を考えた。
電話をかけ直せば事足りる話なのだが、ギルバードはその行動よりも先に、あるナイスアイデアを思いつく。
「・・・・・・えぇ~とぉ、スピアに手伝って欲しいことがあるんだよね~」
ギルバートは取り合えずクラスの人間ーーウィズリーを除く化け物の女子たちを見てきている。どんな異能なのか、どんな性格なのか、どんな生い立ちなのか。クラスの大半の女子の、それを知った上で平等を突き通すギルバードへの信頼は妙に厚かった。
だからギルバードは知っている。
スピア・クローバーが頼まれたら断れない人間だと言うことに。
「・・・・・・内容による」
彼女はギルバードの頼みにそう答えた。予想通りである。これはギルバード風に訳すなら「え? 何々?? ちょっと教えてよ~」という意味だ。
ギルバードは少しにやけながら言う。
「いやさ、ちょっと町中にさっきみたいな蜘蛛がいっぱい居るんだけど、全員殺せ、みたいな? 諸事情でそいつ等全員駆除しなくちゃならないんだ~。だから『不明の妃手』を持つスピアなら、視界に入るだけ駆除できるからお願いしに来たんだよ。私の『自動手記の手帳』じゃイマイチ戦闘には不向きだもん」
ざっくり、話の柱部分だけを説明する。これで手伝う奴は、どんだけのお人好しなのだ、とギルバードは思ったが。
「・・・・・・分かった。手伝おう」
思惑通りである。スピアは頷いて立ち上がった。
「ありがとうスピア! これで私たちに怖いもの無しだね!」
「・・・・・・む、そう、か。それなら、いい」
スピアは頬を赤らめながら言った。恥ずかしいのだろうか、とりあえず彼女がこんな表情を作るのは非常に珍しい。そのため、ギルバートはバレないように「かしゃっ」とケータイでシャッターを切る。
相変わらず手の込んだ奴だ。
「で、他の蜘蛛はどこにいる? そしてあと何匹残ってる?」
「うーんとねぇ。あと80匹くらいだと思う。そして、何とびっくり。この公園に入って気が付いたんだけど、ここかなりいるね」
ギルバードはそう言った。そして、スピアに近づいて「触られないようにして。記憶を消される」と呟いた。
スピアは多少考えるような表情だったがすぐに改め、「分かった。気をつけよう」と答える。
それから、一匹、二匹とやぶから棒に蜘蛛が現れ始めた。
「・・・・・・足が十二本もあるな。と言うことは、使役生物か?」
スピアはその異形な赤黒い生物を見て尋ねる。
「まぁ、ね。それより蜘蛛達は記憶を奪ってくるから。どう奪うか分からないけど、迂闊に触れるのは危険だよ」
ギルバードとスピアは互いに背中合わせになるように陣取った。その二人に蜘蛛がわらわらと近付いていく。スピアは数を数えるようにその蜘蛛の大群を眺め、ギルバードは「ええと、何て詠唱するんだっけ・・・・・・」と魔法の詠唱を始める。
蜘蛛の数が20匹に達したとき、スピアが遂に動き出した。
「・・・・・・『不明の妃手』。サクリファイスの剣」
スピアは視線で見えない剣を幾つも創り出す。そこの空間の歪み具合からいって10、20はあるだろう一一それらを一気に蜘蛛に投げつける。
自分たちを守るようにぐるりと360度。見えない剣が降りかかる。
ドドドドドンッと地面に鉛玉でも打ち込んだかのような音がして、今までのまっさらな大地が変化する。まるで戦場にでもなったかのようにボコボコと穴があいていた。
蜘蛛の大半はその空襲のような攻撃に死んでしまうが、何匹かはすり抜けて二人に迫ってくる。
「にゃっはー! これこそ『飛んで火に入る夏の虫』ってね! くらえぇ! 琳先生秘伝の「炎陣」だこのぉ!」
すかさずギルバードは魔法を詠唱。そしてまたも二人を守るようにぐるりと360度。今度は火柱が上がる。
先ほど突っ込んできた蜘蛛はジャストで火柱に直撃し、灰へと帰す。
「あっちゃっちゃ~!! 熱っ! これ防御用の魔法じゃなかったっけ!?」
ギルバードは予想以上の熱気に悶え、スピアも熱いのか体をむずむずさせている。
ようやく火が収まり、視界が開けた。
「う~、これかなり疲れるぅ・・・・・・。やっぱりこういう系の魔法って魔力消費量ハンパない。多発は無理かも・・・・・・」
ギルバードは残る熱気に咽びながら目を開くと、驚きの光景に目を丸くする。無論、それはスピアにとっても同じ事で・・・・・・。
「マジで??」
何と、先ほどの2倍程度の大群が周りを取り囲んでいた。
「っつ! スピア! お願い!」
ギルバードは再び「炎陣」を詠唱するが魔力が足りないため、先ほどより威力はかなり小さくなっており、蜘蛛の進行を少し遅らせることしかできない。スピアも何とか『不明の妃手』で対抗するが、数が多すぎて何とも要領を得ない。
「くっ」
遂には二人と蜘蛛との距離は20センチを切っており、絶体絶命。スピアの『不明の妃手』も半ばやけ気味に触れそうになる蜘蛛を潰すことしかできなかった。視線で物体を創り出すとは相当の想像力と集中力が必要なため、焦れば焦るほど効果が薄れていく。
二人は次第に為す術が無くなっていく。魔法は分が悪く、『不明の妃手』も弱くなっていき、遂に一匹の蜘蛛がギルバードに触れた。それに驚き、背後にいたスピアとぶつかりお互いにバランスを崩す。
「あ」
そして、二人仲良く蜘蛛の大群へと身を投じていき、目をつぶる。
ええい、畜生。ごめん、みんな。失敗した。
重い後悔とともに、倒れ行く身体。自責の念に刈られるがもうどうすることも出来ない。
ギルバードがそう思った矢先。
「『堕ちた雷』!」
「『七色の刃』、青」
「『不意討ち(シャドーリンク)』」
三つの声が重なった。
どさっとギルバードとスピアは重なり合うようにして倒れる。地面の感触。よく分からない臭い液体と死骸。
いつの間にかあの場にいたほとんどの蜘蛛が殺されている。
自分たちから見て右側は全匹石像のように固まっており、真っ黒だ。左側と背後は真っ二つにされ、前の方の何匹かは息絶え、また何匹かは変な教師によって解剖させられている。
「って丸子先生!? とルヴィーとみんな! ヴェントナー先生も!」
ギルバードは突然の援軍に歓喜する。これほどのメンバーが揃えば怖いもの無しだ。
「ふぅん。ここに全匹集まってたんだ。まぁ、移動する手間が省けたというか、何というか。よし、次の一匹を解剖しよう」
だが、丸子はそんな歓喜も無視してさくっと蜘蛛にメスを入れ始める。
「・・・・・・丸子はいつも通りね。こんにちは、ギルバードちゃん。この公園内にかなりいるって20分前から気づいてたけど、コイツが解剖解剖言って動かなくて・・・・・・」
ヴェントナーは丸子を指さして言う。
「ふん。解剖の素晴らしさが保健室の変態なんかに分かってもらうか」
丸子は呆れ気味に言うが、実際周りの人たちは丸子自身に呆れている。
そんなやり取りの脇でエレナが座り込んでいるスピアに手を伸ばした。
「立てるかしら?」
スピアは若干赤面しつつ、顔を伏せながら
「・・・・・・大丈夫だ。助かった」
「こちらこそ。あなたがいなかったらあの子はもう記憶障害に陥ってるわ」
エレナはギルバードを指し示す。
「あの子は私にとってはどうでもいい、いや、どうだっていいのだけど、私の彼氏がそう思ってないのよ。全く、腹ただしいわ」
「・・・・・・ウィズリーか。感謝、だな」
スピアは顔を伏せっぱなしでエレナの手を掴む。そして、起き上がる。立ち上がる。
「って、ちょっと! ベロチカ! あんた約束が違うじゃないの! ウィリーはどこにいるのよ!?」
アルヴィーナ・ブックマンは炭化した蜘蛛の死骸を踏みつぶしながらギルバードに近付いて言った。
「あ、本当だ。ウィリーどこいったんだろうね?」
しれっと答えるギルバードにブックマンは「信じられない、あぁ。何のために走ってきたのよ・・・・・・」と力無く呟いた。と、そこに
「お兄ちゃんは、病院に行っている」
アイリーンが仏頂面でそう言った。
彼女は怒っている。なぜなら、今この場には兄がいないため彼女は誰と話していいか分からない。
「え? 何? どういう・・・・・・」
「きゃっはー!! え、何この子!? ちっちゃ、かわいっ!! 欲しい欲しい! 君ってウィリーの妹ちゃんなの!?」
ブックマンがその真意を聞こうとする前に、ギルバードがテンションメーターを振り切らせて叫んだ。
少し怯えるアイリーン。
「・・・・・・う」
結果、これだけしか言えなかった。
「うん。そうなんだ! へぇー、ウィリーにこんな天使が・・・・・・。いいないいなぁ。あ、そうそう。名前、何て言うの?」
「あ、アイリーン・リベリスト・・・・・・」
「ずっきゅーん! 名前も可愛い! 天使ですか!?」
「ちょっと」
息を荒げるギルバードを遮りながら、ブックマンは言う。
「ウィリーが病院に? どういうことよ?」
「・・・・・・それは」
アイリーンは若干怯えつつも、ウィズリーについて話し出した。