作中作家、原案はボツ
目を覚ましたとき、体に違和感はなかった。
「ここはどこ、私は誰?」
何とも古典的な発言をした俺。今、自分がどこにいるかはわからないが、少なくとも、俺が俺ということは認識している。オリジナルの俺だ。
「おい、いつまで寝っころがってんだ」
背後から男の声が聞こえた。マスクを付けているのか、声がずいぶんこもっている。振り返ってみると、確かに男がいるが誰だかはわからない。しかし、俺に背を向けてそいつも寝っころがっていることはわかった。
「君は誰だ?」
「俺が聞きたい。あと、マスク外せ」
「……」
理由は知らない。なぜか黙ってしまった。
「聞いてるか?」
「フッ、聞こえてる。」
ならば返事くらいしていただきたい。シカトされるのは非常に辛い。あと、フッって俺のこと笑ったのか?
それにしても、いったいここはどこなのだろうか。先ほどの疑問がプクプクと思い返される。辺りを見渡したいが、あいにく目前には何だかよくわからない黒い物体があり、それ以外何ら見ることができない。いや、それのせいでと言ったほうが適切だ。おまけに縛られていないのに立つことも寝返りをうつこともできない。貼り付けられているような気分だ。何なんだコレ?
「ちょいちょい、本当に誰だよ。ここどこだし」
俺は背後にいる男に再度声をかけたが、また返事をしない。無視はコミュニケーションを断絶するからやめたもらいたいもんだな。
しばらくして、また声をかけてみた。
「俺の名前を知りたきゃ、まず自分の名前を名乗りたまえ」
もごもご声だったが、別段聞き取れないわけではないのが幸い。失礼しましたよ。
「俺は蓮沼憲哉だ。お前は?」
「それだけか?」
おいおい、お望みどおり言ってやったのに、質問返しか。
「それだけって何だよ」
「他に年齢とか身長だとか趣味とか部活とかいろいろあるだろう。詳しく」
「名乗れって言ったのは、お前だろ。名乗ったじゃないか。名前を言えばそれで終わりだ」
「黙れ。とにかく言えば話が進むのだ。言え」
俺はどうすればいいのか。「黙れ」とも「言え」とも言われた。どちらを優先すべきか。誰か教えてくれ。
「早く言えよ。言わないと話が進まないんだ」
とうとう怒鳴ってきたぞこの男。さっきまで全然しゃべらなかったくせに。
「年齢は15歳。身長一七〇センチメートル。趣味はマンガとか。部活は将棋部だったが、ついこの前引退した」
とりあえず言ってみた。相槌一つ入れない男。だが、さらに要求してくる。
「誕生日は一〇月二十八日。得意教科は社会。好きな食べ物はかまぼこ。好きな歴史人物はヌルハチ。将来の夢は印税で暮らすこと」
こんな感じかな。正直どうでもいいんじゃないだろうか。いや、絶対どうでもいいだろ。
「そんなものか。まぁ、いい。待たせたな。俺の名は首陣康。人民の憧れのイケメン青年だ。まぁ、君と年齢はあまり変わらないが、強いて言うなら、俺のほうが数段上をいっている。年上を敬え」
何だこいつ。自称イケメン野郎か。数段上って、俺よりそんだけジジイってことだ。名前も滑稽である。ハハハ、主人公だって? 笑わせてくれる。
「して、君はなぜ寝っころがっているんだ?」
「お前もだろ」
「質問に答えろ」
「知らない。気が付いたらこうなっていた。そんだけ」
「愉快だな。俺もそんなところ。だが、俺にかかればこんな状況、パッと脱出できる。ハハハハハ。やはり俺に不可能はないな」
脱出してないのに優越感に勝手に浸っていることが、無性に腹が立つ。能力でも使えるのだろうか? 顔は見えないが、ムカつくほどの微笑みを振りまいているのが目に映って目障りだ。
「だったら早く脱出すればいいだろ。もちろん俺も助けろよ」
「当初はそのつもりだった。しかし今はシナリオが変わった。しばし待て。それまで俺と会話でも楽しもうじゃないか。ま、俺と話ができるだけで、君にはもったいないが」
「そうですかい。はいはい」
どんだけ上から目線なんだと思う。こんなやつと楽しく会話などしたくない。お前と話すことにどれだけ価値があるかなんて、俺の知ったことではないしな。だが、気になることがあるから、仕方なく話す。会話じゃないぞ。
「とは言え、お前、何で俺に自己紹介させたんだよ。名前だけで十分だろ」
「君は何もわかってない」
「ごめんなさいね」
つくづく腹が立つ。イケメンとか言っているが、未だにもごもご声なのは変わらない。
「そうやって、素直に謝れる君に、教えてあげよう」
うるせぇなぁ。
「俺にとって、君についての情報は名前と性別ぐらいで十分だ。現時点ではな」
わかんないな。だったら最初の俺の名前のみの発言でいいだろうに、そう思わざるを得ない。性別は声でわかるはずだ。
「しかし、俺が知っても、読み手が知らねば意味がない」
何を言い出すんだこいつは。
「読者に君の情報を与えなければ、上手く想像して読めない。特に、本作が短編一話読み切りと考えると、いちいち名前を出すためのシーンの挿入が厳しくなるのだ、字数制限の関係上」
俺は眉をひそめ、このわけのわからない話に仕方なく鼓膜を震わせた。
「いやいや、何言ってんだよ。まるで俺が何かの作品の中の人間みたいじゃないか。俺は俺だ」
マスク越しでフーと一息入れ、男は続けた。
「全く、これだから最近の若者は」
「お前も若いだろうが」
「そんなのわかってる」
馬鹿馬鹿しい。俺はしばらく黙ることにした。
「あと二分後に、俺と君は動き出す」
黙ってから五分ぐらいが経過した。未だに俺の前には黒い物体がある。
「だから何だよ。今すぐ動かせや」
「それはできない」
「は?」
「俺のシナリオでは、あと一分と三十秒後に動けるようになっているから」
またよくわからない話を切り出した。シナリオとは何なのか、いささか疑問である。行動予定表みたいなものか。
一分と三十秒、俺はたまたま付けていた腕時計で、一人勝手に計っていた。するとお見事。ちょうどピッタリに体が自由になった。
「おお、立てた立てた」
俺は軽くジャンプする。体がとても軽く感じたが、実際は体重に何の変化もない。目の前にあった黒い物体は、ピアノだった。その横には木琴がある。どうやらここは音楽室のようだ。
「さぁ、ここを出るぞ。シナリオどおりに進まねば」
自称イケメンクソ野郎の顔を初めて拝見した。端から見たら、テレビに出れそうな整ったカッコいい顔だ。歌を踊りを同時にこなすアイドルに匹敵するだろう。俺はそう思っていた、苦肉にも。客観的なお話であるがね。しかし、実際は顔の半分はマスクで隠れている上、タモリより数倍黒いサングラスを装備している。頭にはハットをかぶっているから何とも言えない。顔のほとんどが隠れてるじゃねぇか。
まぁそれは置いておいて、俺は言った。
「さっきから、その、何だ、シナリオって何物だ?」
「わかってないな」
「……」
「これは、俺とその関係者の物語だ。これからこういうことをしますとかいろいろ書いてあんだよ。人生の台本とでも言おうか。制作者は、俺だ」
よくわからないことには変わりないが、一連の話で大方理解した。どうやら俺は小説の中の人間で、このクソ野郎が持っているシナリオに沿って行動するそうだ。それにしても、作者は何でこんな野郎に重要アイテムを託してしまったんだか。
「おい、何で俺がこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだよ」
「うつけ者が。作者が登場人物にお前を選んだからだ。そんなこともわからないのか」
知らんこっちゃない。
「なぜに俺。他の人選べよ。早く家に帰りたい」
「文句なら作者に言ってくれ。これから俺のシナリオに沿って動けば、全てが上手くいく。やはり天才にはこういう仕事がピッタリだな」
イケメンの次は天才か。
「んじゃ、これから説明するから。にしても、作者はこんなへんちくりんなひん曲がった人間を主人公にしたのか疑問だ」
「ひん曲がりはお前だ」
「いや、お前だ。俺に楯突こうとするしな。シナリオ制作者だぞ。ったく、登場人物とキャラ設定と冒頭だけ決めておいて、あとはこっちに丸投げするとか、マジでない」
一人でぶつぶつ言っている。俺は主人公なのか。クソの名前は首陣康なのに。かわいそうというかざまぁみろ。でも、主人公にシナリオが渡されなかったのが残念である。
ん、待てよ。冒頭だけってことは、俺がここに来てから、どこかしらであいつの捏造話に変わってるってことか? じゃぁ、この下りもクソの策略? ますますわからん。
「そのシナリオは、途中からお前が書いたものか?」
「そのとおり。少しは頭がキレるようになったかな」
お前の頭が切れて血を吹き飛ばせ。
「ま、自分でも書けるが、先に行動して、その分が自動的に書き込まれるってこともできるしな」
「自分で書けば未来のこと、自動書記なら過去のことか。ちょっと見せろ」
俺は少々強引にシナリオの書いてある紙、まぁ原稿用紙なんだけど、クソから取り上げじっくり読んだ。全部で九枚。
「これ、お前の作りものだよな?」
「そうだ。俺の著作物。まぁ、俺だけが書き込めて君は書き込めないけど。プププ」
面倒な紙切れだ。俺の人生がこいつ次第だと言っても過言ではない。やめていただきたい。あと、笑うな。
それにしても、実につまらない内容だ。これから誰かと戦って、少年マンガにありそうな展開をくぐり抜け、最後は勝利だが、まだエンディングが書かれていない。俺はこんな馬鹿げた話からおさらばできるんだろうか。
「何? 俺らこれから誰かと戦う?」
「シナリオとおりだ」
その時、乱暴に扉を開け、十数人のヤンキーどもが入ってきた。俺はひるんだ。
「さぁ、戦おう」
勝てるわけないだろ。二対十数って。
「大丈夫。シナリオどおりに動けば勝てるから」
「おい。おめぇら、これ以上しゃべるとぶっ殺すぞ」
向こうさんの部下みたいな男が怒鳴り散らす。ああもう面倒だな。喧嘩なんて毛頭望んでないぞ。
「どうすりゃいんだ?」
俺が言った次の瞬間、教室の壁に叩きつけられていた。すでに意識が飛びそうである。クソ野郎は無傷のようだ。
「しゃべるんじゃねぇ」
「ううっ」
一発目で正直これはきついと思った。何とかして回避しないと、この下らん小説世界から抜け出せない。そもそも未来の行動が記されているのにわざわざ戦いにいくなんて、とんだ茶番だ。自殺行為に等しい。第一、このシーンをカットすればいいのではないだろうか。そうしたら喧嘩なんかしないでいいのだ。
「おい、何をもたもたしている。早くしないとエンドの前に字数制限で物語が強制終了する。シナリオと違う行動をとると勝手に書かれてしまうんだぞ。永遠ループで残念エンドだ」
そんなこと言われても、ただ今絶賛悶絶中。
シナリオによれば、二十分ぐらい教室で奮闘すると勝利する。戦い方も詳しく書いてある。勝算はあるのだが、それまでにはどれだけの痛みに耐えなければならないのだろうか。まともに相手の技を食らい、なおも戦うことになっている。しかも、最後の決めの一発がイケメンクソ野郎の手柄だ。納得いかない。そもそも戦い終わってからの用紙の残りが半分しかない。ちゃんと終われるのか?
俺は原稿用紙の隅から隅へ、再び目を配る。そして、俺は思い立ったように天に向かって叫んだ。
「おお、俺に鉛筆と消しゴムをわけてくれ」
するとどうしたことか。おとぎ話のように掌に消しゴムがあるではないか。叫ぶ寸前に、蓮沼が消しゴムを手にするが鉛筆はポケットにあったのでゲットできなかった、という一文が瞬時に浮かんできた。
「よっしゃー」
俺は狂ったように戦闘シーンを全力で消した。
「おい、何してんだよ」
クソ野郎の怒鳴りは馬耳東風する。ちょうど上手く戦闘シーンの部位を除去することができた。これで二十分間何もしないでも相手に勝てる。しかもその分の尺が浮くぞ。
予想は的中し、二十分間静止した後、敵は去っていった。クソ野郎が決める部分も削除してしまったので、誰も攻撃していないのにボスがやられるというカオスな現象が起きてしまったのは、目をつむるとしよう。
「勝手に話を変えるな」
無駄にうるさい足音でこちらにずんずん向かってくるやつの顔は、怒り狂っていた。気持ち悪い。もっともマスクにサングラスでもともと残念だが。
「痛くなくてよかったな。わざわざ痛い目にあいにいくなんてアホだ。お前が作った話に付き合ってられない」
「俺のシナリオだ。返せ」
「今返したら、また無駄なこと書くだろ?」
俺は手元の原稿を見つつ、野郎を睨んだ。
「そもそも、お前がさっさとエンディングを書けばすぐさま助かるんだ。そうだろ?」
「うるさい。だいたい何で消せたんだ。編集は俺のみのはずだ」
俺は消しゴムをやつに突きつけ、言ってやった。
「書き込めるのは俺だけとか言ってたよな。だったら消すのはできるんじゃねぇかってダメ元でやってみたらできた。そんだけ。神頼みで消しゴムが降臨してのには、驚いた」
「くそっ。早く返せ。戦闘でお前をボコボコにしてやろうと思ったのに」
実に悔しそうだ。ああ、愉快愉快、って、どんな理由で俺をボコボコにするんだよ。
そうしているうちにも、俺が勝手にシナリオを変えてしまったため、自動書記は進む。それに俺は気付いた。
「ヤバい。早くエンディングを書かないと、原稿用紙がいっぱいになるぞ。早く書けよ」
「こうなったら、道連れだ」
畜生、クソ野郎は書かない気だ。俺は小説世界に取り残されるのかと思ったその時、助かる方法を見つけた。
原稿一枚目の作者名首陣康を蓮沼憲哉に書き換えた。そのための鉛筆は、ポケットに入っていたので、何にも苦労しない。
「この際ボコボコの理由はいい。では、さらばだ。面白い体験をありがとうな」
「待てぇ」
野郎が俺の手を止めに入ったときには、すでに時遅し。俺は最後の一文を書き終えていた。
『蓮沼憲哉は無事に現実世界に帰っていった』
ふと、気付くと俺は自転車に乗っていた。そうだ、思い出したぞ。俺は友達の家からの帰宅途中だったんだ。
それにしても、ボコボコにさせる理由、聞きたかった。もう少し行があれば、話す下りも書けたんだけどなぁ。惜しいことをした。でも、とりあえず戻れて安泰安泰。
俺はベルをチリリと鳴らし、家の前に自転車を止めた。後ろを振り返ると、きれいな夕日が、穏やかに黄昏時を染めているのだった。
「ふむふむ」
五十嵐が一通り読み終わった。作者日進は、どうだった、と感想を求めている。
「普通に面白かった。そうそう、何でボコボコにしようとしたんだ?」
「ああ、それは、首陣は蓮沼の生きた魂で、小説世界から抜け出そうとしたからって設定が本当はあるんだけど」
「何? こいつも小説世界から現実に戻りたかったのか」
何か思いついたような表情で五十嵐は理解した。
「だったら、最初っから元に戻るってシナリオに入れればいいんじゃないか?」
日進は笑って答えた。
「そうしたら、面白味が米一つ分もないじゃんか」
「そうだな。ハハハ」
五十嵐も笑う。しかし、その次の瞬間には、険しい表情に変わった。
「だけどねぇ…」
唇に手を当てて原稿を読み返す五十嵐に、日進の顔も強る。そして彼も唇に手を当てた。
「これ、キャストが少なすぎだろ」
「え? いや、確かにメインは二人だけど、不良グループで十何人いるから…」
少し焦った感じに説明を加える日進に、五十嵐は続けた。
「でも、不良でしゃべるの一人だけだし、女子がまったく出てこない。これを文化祭の出し物って言われても、クラスの大半が暇人だな」
「んまぁ、俺も書いてて薄々感じてた」
「なんだよソレ? ハハハ」
「ハハハ」
二人はまた笑いだし、最後に五十嵐がこう言った。
「これもボツだな」
「ハハハハハ」
夕暮れの教室、またもやボツ作を出してしまった日進清。果たして、文化祭の彼らの出し物、演劇の原案は決まるのだろうか?
いかがでしたか?
小説の中の小説というコンセプトで書いてみました。
ありがとうございました。