SECT.7 終幕
舞台では、リオートが少しずつサヴァール=ヴァイナー将軍に徐々に惹かれていく場面が演じられていた。
幕を挟んだ向こう側から、遠い声が聞こえる。
練習の時に何度も聞いた台詞が繰り返されている。
舞台袖に戻ったおれを待っていたのはヤコブだった。
「なかなかそれらしく演ってたじゃねーか、黄金獅子の末裔。ああいうところは黄金獅子にそっくりだぜ」
おれと対になる白基調の衣装に身を包んだヤコブ――豊穣神フレイは赤い目を細めて笑った。
「おうごんししって、ご先祖様の事だよね」
「言っただろ? お前さんの武器は何もかもを惹きつけて味方にしちまうところだ。黄金獅子もそうだった。だからあれだけの偉業を成し遂げたんだ」
「一度だけ会った事、あるよ。一瞬だったけど……」
黄泉の国の住人を呼びだすことのできる能力を持つ、第26番目の悪魔ブーネの力でこちらに呼び戻されたご先祖様と、おれは一度だけ対面した事がある。
少し癖の入った黒髪で、人好きしそうな雰囲気を持つ明るい青年だった。そして、おれとよく似た容姿をしていた。
「まあ、あいつもまた戻ってきてるけどな。縁かねぇ、これは。不思議な事もあるもんだ。それともあいつの魂がそういう風に出来てるのか」
「戻る? 現世に? 誰かが呼んだの?」
そう問うと、ヤコブは深紅の瞳を細めた。
「『転生』――って知ってるか、黄金獅子の末裔」
「あ、うん、知ってる。死んだ魂は、また新しい命としてこの世に返ってくるんだ」
「そうだ」
ヤコブは唇の端をあげ、笑った。
「さ、出番だ。行ってきな、『戦女神フレイア』」
はっとすると、リオートの独白が終わり、リオートが夢で戦女神フレイアと対面する場面に差し掛かっていた。
もう少しヤコブと話をしていたかったけれど、おれは遅れないよう、舞台袖に待機した。
リオートは強い。それは、身体的なものではなく、意思の強さだった。
人々を導く強さ。
何よりも、自分の迷いを口に出す強さがあった。
「本当に革命を推し進める事が、皆の為になるのでしょうか。多くの血を流し、多くの人の意思を踏みにじり、多くの人と敵対して革命を起こした後、本当に私たちは幸福になれるというのでしょうか」
リオートのこの台詞に差し掛かると、いつもおれは胸の内を抉られるような感覚に陥る。
まるで、現在のおれ自身の叫びをそのまま言葉にしたかのような台詞。
将軍サヴァール=ヴァイナーはこれに答える。
「無論だ」
一瞬のためらいもなく、迷いもなく。
リオートの悩みすべてを見通し、受け止めたうえで、それでも前を向かせるために。
そう、いつも迷っているおれを導いてくれるアレイさんがいたように、サヴァール=ヴァイナー将軍は革命少女リオートに道を指し示す。
「問うぞ、戦女神の愛娘リオート。もし革命をせず、現在の国の意思に従い、我々の意思が踏みつぶされることとなれば、それは国の意思を踏みつぶすことと何が違う? 革命を起こさねば、我々の意思を踏みにじることとなるのだ」
「それは」
リオートが言葉を失うほどに強い言葉で。
「意思は人の数だけ存在する。そして、時に共有する。共有した意思は力となる。弾圧を繰り返す現在のやり方を壊すのは、我々革命軍全員の意思だ。そして民の多くも賛同するだろう。この国を、ケルトを愛するからこそ、ケルトの大地が、民が国の意思で蹂躙されていく様をただ見ていることはできぬ。もし、現在の政府が我らと違う意思を持つというのならば、こちらも強き意思でもって反発するのが礼儀というものだ」
おれはいつも、このサヴァール=ヴァイナー将軍の言葉を胸に刻む。
そして、きらきらと輝く金色の瞳で導いてくれた育て親の言葉を思い出すのだ。
自分が生まれたから、好きだから。そんな身勝手な理由で誰もが大切なものを選ぶのよ。そして大切にしたいものを守る心が二つ、相反するとき、それは衝突するしかない。そうしてまで守らなくてはいけないものも、この世には存在するのだ、と――。
もう一度、深く刻み込む。
おれはいつしか、リオートを自分に重ねていた。
人が傷つく事を厭いながらも戦では先頭に立ち、将軍や戦女神フレイア、そしてその兄の豊穣神フレイに支えられながら一歩ずつ進んでいく姿が、あと何年後かの自分の姿になればいいと思うようになっていた。
目の前では、この舞台の見せ場、サヴァール将軍とロキの剣舞が始まっていた。
フェリスが随分手加減しているのが見て取れる。
こんな事を言うと、サヴァール役のグリックに失礼かもしれないが、やはりシドのサヴァール=ヴァイナー将軍を見てみたいと思うし、その時にロキ役をやるのはフェリスであってほしいと思う。
今度こそ本気の剣舞を見せてほしいと思う。
そして、その時、戦女神リオートを演じるおれの隣には、アレイさんがいればいい。
ごくごく自然にグリックの動きに合わせ、剣を跳ね飛ばされたフェリスは、舞台上で倒れ伏した。
舞台上に一人倒れたロキのもとには戦女神フレイアが現れる。
フレイアは、自らが選んだ少女リオートを惑わせたロキに、あくまで淡々と告げるのだ。
「ロキ」
劇場全体が静まり返り、自分の一挙手一投足にすべての視線が注がれているのを感じる。
「貴方に罰を与えます。これより先512年間を毒蛇の洞窟で過ごしなさい。そして自分の犯した罪をその身に刻むのです」
ああ、こうして呪詛の言葉を吐きながら闇へと消えていくロキにも、戦女神は心を砕いている。
この時、おれは確かに戦女神だった。
自分が自分でなくなる感覚。
とても不思議だった。
舞台へ向かって一歩踏み出すだけで、まるで自分の体が自分から離れていく感覚を身に受けながらおれは舞台の一段高い場所から、ルゥナーが演じるリオートを見守った。
戦女神フレイアと豊穣神フレイを味方につけ、次々と敵軍を破っていく革命軍。
おれは、言ってしまえばただその場所に立っているだけだ。
戦女神フレイアとして、その場にいればいい。遥か天空から、リオートを励ませばいい。
叱咤し、激励し、現国王のもとへ向かえと言うだけだ。
でもきっと、戦女神フレイアは一人、心を痛めていた。
もちろん、戦女神が心の内をこぼす場面などない。それでも、もし史実を元にしたというこの物語が、かつて本当にあった出来事だとしたら。
リオートの魂を好ましく思い、契約し、導いた戦女神はきっと幼い少女が傷つくたびに自責の念に苛まれたに違いない。
ずっと悪魔を身近に接してきたおれには、とてもよくわかった。
彼らは、世間一般的に言うよりもずっと人間の情動に近い。永劫の時を得てきたが故、それを表に出す機会は少なくなってしまっているが。
旧王国体制を築いた国の中核人物たちを縛り上げ、勝利を経た革命軍が勝鬨を上げる。そして、ラストシーンへ向けて舞台上に人があふれる。
見守っている戦女神フレイアは豊穣神フレイに対して、初めて微笑みを見せるのだ。
舞台の中央で寄り添うリオートとサヴァール将軍。
リオートは一歩前に進み出た。
「私は、農家の娘です。戦女神フレイアさまのお導きでこの場所へとやってきました。しかし、私は戦いを好みません。剣よりも旗のほうが四十倍も好きでした」
革命を成功させた少女の言葉に、観客が聞き入っていた。
「しかし、弾圧された人々が武器を手に抵抗を試みるのならば、私は喜んでその先頭に立ちましょう。それが私にしか出来ない、与えられた役割であるならば」
大きく両腕を広げたリオートは、高らかに宣言した。
「掛替えの無い人生、それが、人間の持つ全てです。それを信じて、私は生きていき、私は死んでいきましょう。たとえそれが、辛く、苦しく、険しい道だとしても」
リオートは微笑み、最期の台詞を口にする。
「何かを成し遂げたいと思うならば、行動することです。そうすれば神も行動されるのですから。私が戦女神フレイアのもと、この革命を成し遂げたように」
瞬間、楽団が歓喜の音楽で劇場を包み込んだ。
ルゥナーの歌声があふれだす。
美しい歌声は、革命の成功を祝う歓喜の歌。
歌が終わり、舞台のカーテンが下りてからも、劇場を包む拍手は止む事がなかった。