SECT.5 剣舞
剣舞の稽古を本格的に始めると、おれは見る見るうちにたくさんの事を吸収していった。
練習場所はいつも、シドの部屋の真上にある宿の屋上。重症のシドをベッドに縛り付けておくためのギリギリの妥協点だった。しかし、フェリスが定期的に窓から覗いてシドをからかうのだから、余計体に悪いんじゃないだろうか。
そんな心配をよそに、シドは順調に回復していた。
アウラによると、早く回復しなければ、という強い気持ちがうまく働いているらしい。
うーん、素直に喜んでいいんだろうか。
「んじゃあ、練習に行ってくるね! シドは今日も大人しくしててよ。昨日みたいに屋上に来ちゃだめだよ!」
「貴方がフェリスと組手をするなどという声が聞こえなければ私もこの場所で大人しくしていますよ」
「いいじゃん、ちょっと練習するくらい!」
「あの男がどれだけ危険な存在か分かっていらっしゃいますか? 刃を向けさせるなど言語道断、武器を持たせることだって許しません」
「シド厳しい……」
「貴方がもう少し危機感を持ってくだされば、私もこれほど口うるさく言いません」
ぴしゃりと言い含められ、おれは口を噤んだ。
「ですから、気をつけて、稽古なさってください」
「はぁい」
シドに釘を刺されてから屋上へ。
これもほとんど日課になっていた。
屋上では、ルゥナーとフェリスが待っている。シドの理屈でいくと、戦う力を持たないルゥナーがフェリスと二人でいる方がずっと危険だと思うのだけれど。
多少理不尽な気持ちを抱えながら、ようやく手になじんできた練習用の剣をしっかりと握る。
本物より少し軽く、刃もついていない。
武器ではない。ただ、舞うためだけの道具だ。
両手にそれを握りしめ、とん、と地を蹴った。
柔らかな動きでふわりと舞い、空を切る速さで、しかし音もなく剣をふるう。
ルゥナーを師匠に舞踏の稽古をしたことで、もともと得意だった両手剣は驚くほど華やかな演武に仕上がっていた。
舞いは、剣の道にも通ずる。
もともと風を使い、細やかな動きで敵を翻弄するおれの型――風燕は、演武に近いものがあった。
あとは、武道で言う残心を「余韻」という形で残し、ぴたりと動きを止めるだけだった。
指の先まで神経を張り巡らせ、視線を周囲に投げかけ、表情を作る。
魅せる、という事を考えると大げさに動く必要もあったが、もともと独自流でムダの多い動きをしていたおれにとって、そう難しい事ではなかった。
無駄な動きのほとんどないアレイさんには、少し難しかったかもしれないけれど。
そう思ってくすりと笑い、練習を止めると、傍でずっと見ていたフェリスがぱちぱち、と気のない拍手をした。
「グレイス、本当に上手になったんだなぁ。オレっち、びっくりしちゃったよ。そうしてる間は、まるでグレイスじゃないみたい」
「何だよ、それ」
フェリスの言葉に笑うと、ルゥナーも隣でため息をついた。
「もともとの体が出来ているから、上達が早いのね……これだけ早いと、嫉妬しそうだわ」
ルゥナーはそう言って肩をすくめた。
「ルゥナーの教え方が上手だからだよ」
「お世辞まで覚えなくていいのよ?」
お世辞じゃないよ、と言い返し、おれは再び練習用の剣を握った。
剣舞の間はまるでおれではない何かが体を支配しているかのようだった。そう、戦闘の中でおれが、自分の思う以上の力を発揮して戦う時のように――
戦うのが好きだと思ったことはない。
でも、剣舞は好きだと心から言えた。
舞台初日は、3日後に迫っていた。
本番3日前になると、本格的に舞台稽古が始まる。
もちろん、台詞はうろ覚えだったが、公演まで残り3日間。とにかく慣れるしかない。
本番の舞台から客席を見ると、あまりに景色が違って驚いた。
まるで360度、あらゆる角度から観察されているかのようだ。この席全部にヒトが座って、舞台を見下ろすなんて――想像しただけでも背筋が震えそうな思いだった。
口をぽかりと開けて客席を見上げていたおれを、ルゥナーが舞台袖から呼んだ。
「グレイス、衣装合わせするからいらっしゃい」
役者の控室にルゥナーと二人。
衣裳係のリエッタが後で来るらしい。
「とりあえず既存の衣装を繕うのだけれど……ほとんどサイズは合っている気もするわ。グレイス、ちょっと着てみてくれないかしら?」
ルゥナーに言われ、まるで見たことのない構造の服を手に取った。
「ルゥナー、これ、どうやって着るの?」
「あ、ごめんなさい。いま手伝うわ」
戦女神の衣装を着るため、おれは服を脱いでいった。
ジャケットを床に落とし、アンダーウェアに手をかける。
上に着ていたものを一気に脱いだところで、背後からルゥナーの視線を感じた。
「……痛く、ない?」
震えるルゥナーの言葉でようやく視線の意味を知った。
アウラも同じことを言ったから。
「うん、もう痛くないよ。ずいぶん前の傷なんだ。もう8年くらい前になるかな?」
背中の真ん中に刻まれた大きな十字傷。未だおれがグリフィス家に捕われていたころ、リュシフェルの召喚の際につけられた傷だった。
「あ、だからね、あんまり背中の出る服は着られないんだ。あと、左手も。できれば隠したいな」
包帯を巻いたままの左手をひらひらと振ると、ルゥナーはまるで泣きそうな顔をしておれを後ろからぎゅっと抱きしめた。
「ルゥナー?」
「シドの気持ちが嫌ほど分かるわ。もう心配で仕方ないわよ。こんな簡単に怪我して、痛々しい……見ている方は気が気じゃないのよ?」
「おれなんかより、アレイさんの方がずっとたくさん傷ついてるよ」
笑ってそう言うと、ルゥナーはますます強くおれを抱きしめた。
「……バカ」
呟かれた言葉は、おれの心のどこかにずきんと響いた。
「もう全部、捨てたらいいのに。そんな風に傷つくくらいなら、全部捨てて逃げたらいいのに」
「そんなこと出来ないよ、ルゥナー」
「知ってるわよ、そんなことっ」
悲鳴のような声だった。
「いつでも言って。逃げたくなったら、私が、私たちがあなたを守るわ。一緒にケルトへ逃げることだって出来る。みんなでもっと遠くへ行くことだって出来る。どこまでも連れて行ってあげるから……!」
震えるほど強い意志を込めたルゥナーの言葉は、おれの中に沁み込んできた。
おれはこの優しさを知っていた。
戦争に行く前に、グリモワール王国最後の王子、サン=ミュレク=グリモワールがおれにかけてくれた言葉と同じだった。
だけど、おれはその申し出を断った。
逃げるのが嫌だったわけじゃない。
ただおれは、守られるより守ることを選んだだけだ。
いまも、その気持ちは変わっていない。
「ありがとう、ルゥナー。本当に嬉しい」
震えるルゥナーの手に自分の手を重ねて。
「でもおれは決めたんだ。おれ自身の手でグリモワール王国を再建するって。サンや、クラウドさんや、みんなが待っていてくれるから、必ず強くなって戻るって誓ったんだ」
アレイさんと、二人で。
大丈夫。
きっとアレイさんとまた会える。
一度くじけそうになった心は、みんなが支えてくれたからまた前を向いて歩きだす。
「おれはさ、守って欲しいわけじゃないんだ。だからって、見捨てられたら泣くけどね」
レメゲトンになるとき。
戦争のとき。
子供を産んだとき。
ライディーンを監獄から救い出したとき。
ヤコブが言った通り、おれは、いつも自分の持つ以上の力を借りていろんなことを乗り越えてきたんだ。
「だから、支えてほしい。おれは何にも出来ないけど、背中に庇って守るんじゃなく、おれ自身に力が欲しい。戦う力がないから守られるんじゃなく、戦い方を教えてほしい。知らない事があるなら教えてほしい。守るんじゃなく、おれを助けて。何にも出来ないおれだけど、力を貸して」
守られることは望まない。
隣にいて、一番に支えてほしい――それは、おれがいつも願う事だった。
だからおれは、匿ってくれるサンではなく、一緒に戦うアレイさんを選んだ。
「お願いだよ、ルゥナー。おれに、力を貸して」
「……分かってるわよ」
ルゥナーの声が震えていた。
おれが泣かせてしまった罪悪感はもちろんあったのだけれど、それよりも、ルゥナーがおれのことをこれだけ思ってくれているのが本当に嬉しかった。
少し遅れてやってきた衣裳係のリエッタが、顔を真っ赤にして逃げ出すまで、ルゥナーはおれを抱きしめたままだった。