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SECT.21 言霊


 どうしてこんなことになったのだろう、なんて問いは馬鹿げている。

 答えは考えるまでもなく、最初から、だ。

 おれがグリフィス家に生を受け、アレイさんがクロウリーの血を継いだ瞬間、既に決まっていたことなのだ。

 殺戮の牙を左腕に穿ち、魔界の剣士の血を注ぎ。

 残酷な誓いは、おれたちに最悪の選択肢を用意した。

 これは代償。

 いつかこんな日が来ると分かっていたのに、隣にアレイさんがいてくれることに甘えて、自分で何も考えなかったおれの罪に対して、世界が与えた代償だ。

 自分の中にラースの力が膨れ上がっている。

 歓喜に沸く悪魔の声が聞こえる。

 殺戮の牙を翻し、狂気の歓声を上げ、自在に空を飛び回る悪魔にとって、人々の悲鳴は体のいい楽曲オーケストラ。響きに合わせてまるで舞うように戦いを挑む。

 決して見ることは出来やしないけれど、戦うラースはきっと、綺麗なんだろう。その場にいるすべてのヒトの目を惹きつけてやまない、妖しき妙味はおれ自身がよく分かっていた。

 褐色の肌に炎妖玉ガーネットの瞳。魔界の剣士と瓜二つの容姿でありながら、その実態は正反対。

 その動きに思考が介入する隙はなく、殺戮は本能が知っている。

 晴天に向けて咆哮をあげたラースは、にぃ、と破顔した。

 まるで、愉しくて愉しくて仕方がないというように。

 手に獲物はなく、ただ自らの牙と爪だけを敵に向ける。

 振り上げられた剣を受け止めるのは、コインの埋まる左手甲だった。

 少しでも狂えば手首ごと切断される、すれすれの回避。しかし、殺戮と滅びの悪魔にとってはそれが当たり前の防御だ。

 無論、今はまだ遊んでいる程度だが、本気になれば、あんな剣などたやすく無に帰す力をラースは持っている。

 絶望に任せてラースに体を明け渡したおれは、呆然と目の前に繰り広げられる光景を見つめていた。

 鋭い爪が大切なヒトを傷つける様子も、大切なヒトがおれに向かって容赦なく剣を振り下ろす様子も。

 この世界は、いったいどこまでおれを突き落せば気が済むのだろう。

 目の前に突き付けられた現実が残酷すぎて、おれは目を背けてしまいそうだった。故郷に残してきた思いも、みんなの願いも、すべて砕け散ってしまいそうだった。

 今、この時、ぐちゃぐちゃにつぶされた心から、強い意志が消え去りそうになっていた。

 誰かに謝る余裕も、弁明の余地もなかった。

 ただ、アレイさんから向けられる敵意に胸が苦しかった。

 このまま意識を閉ざしてしまいたい――


 ところが。

 そんなおれを現実に引き戻す声が響き渡った。

「今すぐ戻ってこいグレイシャー! 全部壊す気か、このバカ!」

 脳髄が揺さぶられるような大声。

 そして、力強い声。

 はっと意識が覚醒する。

 ミリアの強い声に引きずられ、おれが意志を持ったことでラースの動きが一瞬、止まった。

 それを見逃さず、背後から強い力で腕を引かれる。

 おれの視界の隅を掠めたのは、純白の翼。

「暴れんのはそこまでだ、グラシャ・ラボラス。戦うのは勝手だが、俺様を巻き込むんじゃねぇヨ」

 聞きなれた神父の声が、おれの意識を覚醒に導いた。

 おれは今、いったい何をしようとしていた?!

 刹那の絶望に身を任せて、ラースに体を明け渡して、いったいどうするつもりだったんだ?!

 感情に任せてこのまま意識を飛ばしてしまえば、また繰り返しだ。

 戦争の時にはトロメオの門を破壊し、半年前ディファンクタス牢獄を破壊した。

 今度はリュケイオンまで来て、この居城を破壊するつもりか?

 ありがとう、ミリア。

 一瞬でも、ラースに負けそうになってごめん。

 もう負けないから!

 渾身でラースに抵抗し、その動きを止める。

 体を返せ!

 その隙に、ウリエルは完全におれを拘束する。

 ラースが苛立った声を出す。

「ウリエル 邪魔シないデヨ」

「悪いな、俺様はリュシフェルの味方なんでな」

 ラースは、そのままウリエルに拘束され、地面へと落下した。

 生身なら、肉も骨もすべて地面に広がるほどに爆ぜていただろう。

 すさまじい衝撃で地面に叩きつけられ、息が止まった。

 顔を上げたラースの額に、細い指が当てられた。

 純白の衣装に身を包んだ、赤い髪の少女――ミリアだ。

「還れ、悪魔。戻ってこい、『ラック=グリフィス』!」

 強い言葉。ミリアが『言霊』と呼んだ力だ。

 軍神アレスの力が乗せられたその響きに、自分の全身からラースの気配がはじけ飛んだ。

 すさまじい衝撃に、おれは、そのまま意識を失った。



「……アレイさん」

 無意識に漏れた自分の声で覚醒し、ゆっくりと意識が浮上して、最初に見えたのは心配そうに覗き込むルゥナーとエレーミアの顔だった。

「グレイスの旦那さんなら隣の部屋だよ。安心して」

「アレイさん、怪我、してない?」

「また貴方は人の心配をして……! 自分の心配をしなさい!」

 まるでシドのような言葉で、ルゥナーは眉を吊り上げた。

「おれは平気だ」

「平気だ、じゃないわよ! あんな事になってっ……!」

 あんな事……?

 おれは記憶を辿り、はっと起き上がった。

「会場は?! 武道大会はどうなったの?!」

 その途端、全身を鋭い痛みが走る。

「起きちゃだめだよ、グレイス。あっちこっち骨が折れてるんだから……って、あの高さから落ちてそれだけで済む方がおかしいけどさ」

 エレーミアに支えられ、もう一度ベッドに体を横たえた。

「武道大会はとっくに始まったわよ! あれは……演武の一部、ということで何とか誤魔化して。軍神アレスと悪魔騎士の演武は、アレイスター=クロウリーが悪魔の力を暴走させて勝利しかけたところを、軍神アレスの力で抑え込んだ、という筋書きが元から描かれていたかのように思わせたわ」

「ミリアは?」

 そう聞くと、エレーミアが口を噤んだ。

 エレーミアの代わりに、ルゥナーが答えてくれた。

「疑惑が広がっているわ。ミリアリュコス=エリュトロンは――軍神アレスなんじゃないかって」

「疑惑じゃないよ。確信だ。あの場で精霊を召喚したのは、どう見てもミリアちゃんだった。あの赤髪をした東方部族の人じゃなくてね」

 エレーミアが淡々と言った。

 ひどく複雑そうな表情をしながら。

「グレイスは知ってたんだね。ミリアちゃんが嘘をついてるって」

「……うん、ごめん」

 エレーミアの言葉に、素直に謝った。

「エレーミア、怒ってる?」

「うーん、怒ってるか、って聞かれたらそうなのかな」

 はっと見上げたおれの視線が不安そうだったからだろうか。

 エレーミアはおれの頭を撫でながら、肩を竦めた。

「だって、あんなにずっと一緒にいたのに教えてくれなかったの、っていうのもあるけど、この土地に住む人間としてね。アレス様がアレス様ではなかった……って聞くと、複雑なんだよ。だから、ちょっと混乱してるんだ。別に、ミリアちゃんを問い詰めるつもりもないし、怒る予定もない。でも、ちょっとだけ、時間が欲しいかな」

「……そう」

 おれの所為で、ミリアまで……。

 どうしよう。

 たった一瞬、ほんの刹那の油断が最悪の事態を招いた。

 左腕は、いまも感覚の中にあった。痛みはなく、シーツから出してみれば、新しい包帯がきっちりと巻かれていた。

 動かそうとすれば苦はなく、それが逆に恐ろしくもあった。

 ミリアの最後の言葉が耳に焼き付いている。

――戻ってこい、『ラック=グリフィス』!

 あの声で、おれは現実に帰ってきたんだ。

「ミリアリュコス=エリュトロン。彼女は強い子ね。あの混乱の中でも冷静だったわ。真っ先に精霊を召喚、観客を守る結界を張って、何の躊躇もなくヤコブ=ファヌエル神父とフェリスに助力を求めたわ……助力を求める、というよりは命令した感じだったけれど」

 ルゥナーはその時の様子を思い出したのか、くすりと笑った。

 腰に手をあてて偉そうに命令するミリアの様子が容易に思い浮かんで、おれも思わずつられて笑った。

「貴方とウォルジェンガさん以外に怪我をした人はいないわ。もちろん、ミリアも含めて」

「やっぱりアレイさん、怪我したんだね」

 そういうと、ルゥナーはため息をついた。

「もう、だからっ! ……まあ、いいわ。少し待っていて。いま、ウォルジェンガさんを連れてくるから」

「あっ、待って」

 立ち上がったルゥナーを思わず呼び止めていた。

 あの敵意の視線を思い出して体の芯が震えたから。

 それを感じ取ったのか、ルゥナーは振り向いて、笑った。

「じゃあ、そのまま会わないの?」

「それは……」

「会いたいんでしょう?」

 言われて、返す言葉はなかった。



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