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SECT.20 覚醒


 目の前で始まった乱激戦に、観衆は息を呑んだ。

 これは演武なんて名で片付けていいものなんかじゃない。

 おれは目を見開いて剣先を追った。

 かろうじて捕えられる切っ先は、かわした、と思った瞬間に反対側から振り下ろされる。あり得ない剣速と、戦闘で培った経験からくる読みとを合わせて繰り出される攻撃は、とても受けきれる気がしなかった。

 思わずバルコニーの手摺を握りしめた左掌に痛みが走った。

 見れば先ほど、ミリアの剣を手ではじいた時の傷が横一文字に走っていた。

 そこから左手を覆う包帯が解けかかっている。

 じんわりと滲みだしてくる痛みに、なぜか不穏な感覚を受けた。

 ずきり、と押し寄せる鈍痛に合わせて心臓が脈を打つ。

 心臓の脈に合わせて、左腕に巣くう悪魔の気配が傷口から漏れ出している。

 なぜ、ここで。

 この場所で。

 痛みから意識を逸らすようにして闘技場を見下ろした。柵を掴んだ左手が震えている。

 眼下では軍神アレスとアレイさんが息つかぬ戦いを続けている。恐ろしく無表情の二人とはいえ、動きの端々が楽しそう、と取れなくもないその打ち合いには終わりが見えず、二人とも、体力は無尽蔵なのかと疑いたくなってしまう。

 お互いの力が拮抗しているからだ。

 おれがミリアと戦って楽しいように、あの二人は純粋に手合せを愉しむことのできるレベルなんだ。

 羨ましいな。

「……楽しそうだな」

 ミリアも同じことを思っていたのか、ぽつりとそう呟いた。

 その横顔は複雑そうな表情を映していて、おれにはミリアがいったいどんな気持ちでいるのかわからなかった。

 背後に控えていたブロンデンさんも口を閉ざし、おれは返答する機会を失った。

 と、そうして視線を外した一瞬のすきに。

 闘技場がどぉっと盛り上がった。

 はっと見下ろしたおれの目に飛び込んできたのは。

 息を整えながらアレイさんを少し遠巻きに見据えた軍神アレス。

 左手の剣を水平に翳したアレイさん。

 そして、少し離れたところに突き刺さった軍神アレスの剣だった。


 アレイさんが勝った?

 が、その勝利の余韻に浸る前に、おれの左腕が悲鳴を上げた。

 掌の傷がめりめり、と音を立てるように裂けていくのが分かった。

「うあっ……!」

 バルコニーの手摺に押し付けるようにして左腕を抑えこんだ。

 まずい。

 何でこんな時に?! なんとかおさめないと……!

 傷口からラースの気配が漏れ出してくる。

「どうした、グレイシャー」

「近寄るな!」

 手を伸ばそうとしたミリアを牽制する。

 ともすれば暴れそうになるこの腕に封じているのは、殺戮と滅びの悪魔――グラシャ・ラボラス。ひとたび降臨すれば、目に映る人間すべてを殺戮し、不落と呼ばれたディファンクタス牢獄を完膚なきまでに粉砕するほどの力が解放されてしまう。

 こんなに人の多い場所で召喚されてしまえば、とてつもない災厄になることは分かりきっている。

 なんでこんな場所で……!

 同じ疑問を幾度か繰り返した時、はっと気づいた。

 勝利を収めた悪魔騎士に対する賞賛の拍手が、いつしか戸惑いのざわめきに変わっている。おれを見ていたミリアも、いつしか視線を闘技場に落としていた。

「あいつ、様子がおかしいぞ……?」

 痛みに耐えて闘技場を見下ろすと、勝利したはずのアレイさんが地面に膝をついていた。

 それに気づいたアーディンが駆け寄ろうとしたのだが、それより早く、アレイさんは剣を振っていた。

 まるで何物も近づかせないという意思を表すように。

 膝をつき、左手の剣を杖に立ち上がろうとしたアレイさんが、こちらに視線を向けた。

 その瞬間、おれの左手ははじけ飛ぶほどの痛みを破裂させた。

「マルコ……シアス……」

 自分の喉から、自分のものではない声が漏れた。

 どうして? どうしてラースがいま……

――ちょっト カラダを 借リるヨ

 たどたどしい発音で囁いた悪魔の声は、確かにグラシャ・ラボラスのものだった。

「嫌だ……っ。お前、何する気だよ……!」

 分かりきっている。

 セフィロト国を出るあの時、ラースが騒いだのはマルコシアスさんが召喚されたからだって。

 いま、アレイさんがどうなっているのかはわからない。

 ただ分かるのは、アレイさんも同じように、何か得体のしれない力で悪魔を具現化|させられようとしている《・・・・・・・・・・・》っていう事だけだ。

 ラースはそれに引きずられているだけだ。

 左掌の傷から滲んだ血が手摺を伝う。

 隣でミリアが叫んでいたが、もう聴こえなかった。

――半端モノを 殺シてくル だけだヨ?

「それが駄目だって言ってんだ!」

 腹の底から声を絞り出した。

 息が荒い。頭が痛い。左腕の感覚は痛みを通り越して灼熱のように熱い。

 駄目だ。

 これ以上はもう抑えられない。

 助けて。

「アレイさん……」

 呟いた視線の先にあったのは、おれに向かって敵意をぶつける――悪魔の姿だった。

 黒髪から禍々しい角が飛び出し、紫水晶アメジストの瞳は炎に照らされたかのように真紅に染まっていた。左手にした剣は、武器の悪魔サブノックが鍛えたもの。背に纏う翼だけがかろうじて純白を保っている。おれを見止めたその姿は、敵を目視したマルコシアスさんにそっくりだった。

 助けを求めた相手は、おれと戦う相手だった。

 おれの左腕に巣くう悪魔と、アレイさんの中に流れる血を分けた悪魔が片割れ同士だと知った時から、いつかこうなることは分かっていたはずだったのに、おれには覚悟ってものが足りなかった。

 大丈夫だ、と言ってくれたあのヒトがおれに敵意を向けた時、いつも導いてくれるあのヒトがおれに刃を向けた時。

 いったいおれはどうしたらいいのか、考えたことさえなかった。

 きっとアレイさんが導いてくれるからって、安心しきっていたんだ。

 そのアレイさんがおれを殺そうとするって、頭の中では分かっていたっていうのに。

 居城の門扉を閉ざされた時以上の衝撃が貫いた。

「ごめん……アレイさん……」

 心の中に絶望が広がる。

 絶望を喰って、ラースの力が増大する。

――いいでショ?

 ラースの声を最後に、おれは躰を明け渡していた。



 自分の背に膜翼が広がる。口元には牙がのび、全身に力が充満するのが分かる。左手の包帯がはじけ飛び、コインの埋まった左手甲が露わになった。

 痛みは消え去り、全身を爽快感だけが覆っていた。

「あレは ボクの獲モノ だかラネ ルーク」

 左手の甲に埋まったコインをぺろりと舐め、闘技場に在る獲物を見据えた。

 もしかすると今、自分の瞳もアレイさんと同じように真紅に染まっているのかもしれない。

 次の瞬間には、鋭い牙を閃かせてアレイさんに襲い掛かっていた。

 ガギリ、と鈍い音。

 おれの爪をアレイさんの剣が受け止めた音だ。

 斬られる前に、間髪入れずおれは空中に跳ね返る。

 目の前を鋭い剣劇が裂いていった。

 突如として現れた二体の悪魔に、客席から悲鳴が上がった。

「久しぶリだネ 半端モノ」

 嬉しそうなラースの声がする。

「そのままデいいノ? 半分のマまだと 絶対ニ 勝てナイよ?」

 口が裂けるように嘲笑ワラう。

 おれの中のラースが笑う。

 アレイさんは答えない。

 ただ赤黒く変色した紫水晶アメジストがおれを逃すまいと睨みつける。

 敵を見据える視線で、おれに向かって切っ先を突きつけた。

 それは絶望。

 嫌だよ。

 こんなの嫌だ。

 愛しいヒトから向けられる敵意は、何よりも痛かった。

「いいネ ルーク その絶望ハ ボクを強クすル」

 いつか聞いた台詞がおれの中で木霊する。

 殺戮者の爪が閃く。

 膜翼が空を切る。

 演武の型のように決められた軌道で、まっすぐ敵に向かって突っ込んでいく。

 それは敵への最短距離を描いていた。

 まるで、自分と敵以外は何も存在しないかのように。




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