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SECT.18 武道大会

 初夏の風が平原を吹き抜ける中、ミュルメクス武道大会当日がやってきた。

 3日前から軍神アレスの居城にこもっているおれにさえ、徐々に高まるその熱気が伝わってくるようだった。窓からは人々の宴の音が入ってくるし、居城内にもヒトがどんどん増えていく。

 そして当日。

 窓から見下ろした街は、見たことのない色に染まっていた。

「街が赤い!」

 白い壁が積み木のように折り重なっていた街に、無数の赤い旗が舞っている。

 よく見ればそこには、複雑な文様が描かれている。まるで悪魔紋章のようなそれは、この部屋の天井と同じだった。

 もしかすると、あれは軍神アレスの紋章なのだろうか。

 エレーミアに問うと、そうだよ、と答えてくれた。

「軍神アレスの象徴であるベルガモットの花の形を模している。戦いに赴く戦士が自身を鼓舞するときに焚く花だよ」

 エレーミアはこの部屋に据え置いてある香炉に火を入れた。

 覚えのある香りが部屋にふわりと広がる。このミュルメクスに来てからずっと付きまとってきた、なんとなく落ち着かなくさせる香りだ。どうやらその正体はベルガモットという名だったらしい。甘い中にすぅっと涼しげな香りが混じるこの香りをかぐと、頭の中がすっきりとする気がした。

 戦に向かう戦士たちが心を落ち着けるにはもってこいだろう。

 初夏のミュルメクスはこの上なく心地よい風に撫でられて、武道大会の参加者と、観光客とでごった返す街は活気に満ちて、朱色の旗が翻る空には、雲一つない。

 昨晩、遅くまで踊りの稽古を続けていたエレーミアがあくびをしながら隣の窓から外を覗き込んだ。

「わー、いい天気! 大会は午後からだっけ? 開幕式、神前舞踏、演武、それから初日の試合が少し……長い一日になりそうだ。大会には、グレイスの知り合いも出るんだよね?」

「うん、シドが出場するって言ってたよ。シドは強いからね、なかなか負けないと思うよ。試合がいつなのかわかんないけど」

「演武が終わったらあたしたちは解散だから、楽団の人達と合流するといい。あ、そうそう。あとは表彰がある最終日だけここにいなくちゃいけないんだよね。また忘れてミリアちゃんに怒られるところだった」

「本当だね」

 くすくす笑ってエレーミアを見ると、薄金の瞳がじぃっとこちらを見ていた。

 どうしたの、と首を傾げると、エレーミアがそのまま身を寄せてくる。

「な、何?」

 思った以上に近いのだけれど。

 ああ、でも、近くで見てもエレーミアは可愛いな。特別目が大きかったりとか、鼻筋が通ってるとかそういうわけじゃないんだけど、すごくバランスの取れた顔立ち。よくよく見るとものすごく整った容姿をしている。

 ミリアみたいに孤高の雰囲気を醸し出している美貌のようなものではなくて、エレーミアを見ているととても安心する。笑うと、目尻が下がって見てる方まで幸せになれるのだ。

 ぼんやりと見つめ返していると、鼻の頭を人差し指で抑えられた。

「気合抜き過ぎ。あたしが敵だったらどうするんだよ、グレイス」

「エレーミアは敵じゃないよ?」

 そういう事じゃない、と言いたげなエレーミアは、言葉を飲み込んで。

「それより、グレイスの旦那さん、軍神アレスと戦うんだよね?」

 ぐいっと再び顔を近づけて。

「どっちが勝つと思う?」

「そりゃ、アレイさんが勝つよ」

「……即答だね」

「当たり前だよ。アレイさんはおれより強いもん」

 そう答えると、すごい自信だね、とエレーミアは肩を竦めた。

 動きやすい格好に着替えたところで、そろそろだろうか。

 と、二人で扉に注目。

「いつまで寝ている気だ? すぐに準備しろ、大会は午後、すぐに始まるのだぞ!」

 ノックなく部屋に入ってくるなり、ミリアはそう言った。

「分かってるよ、ミリアちゃん。すぐ行く。衣裳部屋は部屋出て、右だっけ?」

「左だ、バカ! お前たち二人は信用ならん。私が連れて行くから早く支度しろ」

 いつもの調子で、腕を組んで鼻を鳴らしたミリアに、おれとエレーミアは顔を見合わせて笑った。



 衣裳部屋に入り、おれたちは『踊り子』の衣装に着替えることになった。

 昨日のうちに採寸は済んでいて、サイズは調節してあるとのことだったが……衣裳係だという数名の女性が寄ってたかっておれに着付け始めた。

 これまでの経験上、こうなるとされるがままにするのが一番いいことをおれは悟っていた。

 右手あげて、と言われたら右手を上げる。はい、後ろ向いてと言われれば文句を言わずその場で方向転換する。腹のあたりをぎゅうぎゅう締め付けられたって、文句は言わない。ひどく重い装飾だって、甲冑に比べれば、軽い軽い。

 んだけど、やっぱり苦しいことには変わりない。

 嫌そうな顔をしていたら、隣のエレーミアに眉間を指でつつかれた。

「そんな顔するなよ、グレイス。ちっとの我慢だって」

 そう言うエレーミアの頬もひきつっている。

 ふわふわと広がっていた髪はすべて編みこまれ、非常に細い三つ編みの束になって流れていた。この短時間でこの作業をこなしてしまった衣裳係の女性たちには感服せざるを得ない。エレーミアはくるぶしまで隠す長い純白のドレスに身を包み、細長い金の布を軽く纏った。

 ミリアはいつも高い位置で括っていた髪を下ろし、黄金の額当てを装備している。いつものように真紅のセパレートではなく、ほとんど縫いつくろっていない白布を上手く合わせて結び、ひらひらと舞うような衣装になっていた。布が上質のため、シンプルなその衣裳がみすぼらしく見えることもない――それには、ミリア自身の存在感もあってのことだろうが。

 おれも、ミリアと左右対称、ほとんどおそろいの衣装を身に着けた。

 最後に、腹より少し上、胸の真下を幅広の赤帯でぎゅうっと締め付けられ、息が止まりそうになった。

「おれ、白とか赤はあんまり似合わないんだよなあ。黒のほうがかっこいいから好き」

 ひらひらとする衣装の胸元を引っ張りながら言うと、エレーミアがにこりと笑った。

「そう? 戦女神フレイアの衣装はとってもよく似合ってたよ? それに、運命の女神ラケシス様の衣装もとってもよく似合ってる」

「ほんと? じゃあ、いいか」

「……単純なヤツだな、お前は」

 ミリアがため息をついて、腰に『大鋏』を模した剣を指した。

 おれたち3人が演じるのは、運命の女神『モイライ』、通称モイラ三姉妹。モイラ三姉妹の決定する運命には主神ゼウスでさえも抗えぬと言われている。現在を司る『クロト』役のエレーミアが糸を紡ぎ、過去の『ラケシス』を演じるおれがそれを測り、未来の『アトロポス』であるミリアがそれを断つ。

 おれが腰に下げるのは、ラケシスの持つ定規を模した剣だった。

 運命をつかさどる女神たちが、軍神アレスの為に舞い、この大会の成功を確約するのだ。

 最後の剣舞はおまけのようなもので、決着は必ず未来のアトロポスが勝つことになっている。だいたいの筋書きも決まっているし、昨日から何度も手合せしている。

 もっとも、ミリアの様子からその程度で終わらせる気がないことだってわかっていたけれど。

 おれだって、本気の手合せは望むところだ。

「いくぞ。開会はもうすぐだ」

 ミリアの号令で、おれたちは会場へと向かった。

 闘技場に近づくにつれ、徐々に熱気が伝わってくる。試合前のピリピリした空気と、お祭りのむせ返るようなヒトの熱が混合されて、押し寄せてくるようだ。

 数日前に見た闘技場の客席いっぱいにヒトがいる様子を想像して、背筋がぞくぞくした。


 闘技場の門を潜るまでもなく、大歓声に包まれた。

 耳がマヒするほどの歓声は、あのとき、戦場で聞いた鬨の声に匹敵する轟音。

 轟音――

 目の前にセフィロトの国旗とグリモワールの軍旗が翻り、真っ赤に染まるフラッシュバックに襲われた。崩れ落ちていく城の外壁が、倒れ逝く兵士が、目の前をありありと通り過ぎていく。

 あ、ヤバい。

 おれは思わず足を止めた。

「どうした? グレイス」

 エレーミアの声が遠い。

 左腕が痛い。

 駄目だ。

「だ、大丈夫、ちょっと音に酔っただけ……」

 左腕を抑えて蹲ったおれの隣に、ミリアがしゃがみこんだ。

 そして、耳元で囁いた。

「『今は思い出すな』」

 ミリアの声は不思議と頭の中に染み入り、まるで絶対的な命令のようにおれの中に入り込んできた。

 その瞬間、フラッシュバックした光景は霧散し、大歓声が耳に届いた。

「ミリア、今の」

「言霊。軍神アレスの力の一つだ。気にするな。とりあえず立て」

 エレーミアに聞こえないよう、こっそりとおれだけに呟いたミリアに腕を引かれ、立ち上がった。

 左腕の痛みも嘘のように消えていた。

「行くぞ」

 二度目のミリアの言葉。

 今度こそおれたちは、闘技場の門を潜った。



 最初、視界を埋めたのは天頂から降り注ぐ太陽の光だった。

 それから、迫りくるような人の波。

 そして先ほどから耳に迫っていた大歓声と熱気。

 息が止まりそうになった。

 気分がひどく高揚した。

 目の前の闘技場には、ディアブル大陸全土から集結した戦士たち。そして戦いを心待ちにする観客たち。

 闘技場の中でも中心に近い、一つ飛び出たバルコニーのようになっている場所に、軍神アレスとアレイさんと護衛隊長のブロンデンさんが立った。

 赤と黒と金色と。

 東方部族とグリモワールの民とリュケイオンの民。

 ばらばらなのに、とてもバランスのとれた3人だ。『踊り子』としてここにいるおれたちさえ、思わず見惚れてしまうほど。会場中が息をのんだのが分かった。それだけ、あの3人の存在感は別格だった。

 軍神アレスがすっと手を挙げたのが合図――開会宣言。

 こうして武道大会は開幕を迎えた。



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