SECT.17 再会
アレイさんはそのままおれを抱き上げると、廊下を歩き出した。
おれは胸が詰まってしまって、声が出なかった。鼻の奥がつんとして胸がきゅっと詰まって、代わりに涙があふれ出した。
アレイさんの首に手を回すように抱きついて、肩に額をあてて静かに泣いた。
耳元で優しいバリトンが響く。
「年下の少女相手にいったい何をやっているんだ」
「だ、だってっ……ミリアがっ……」
声が出せない。
嬉しくて、安心して、これ以上どうしようもなくなって。
ますます強くアレイさんに抱きついた。
「アレイさんのばか……」
「悪かった」
「し、死んじゃったかと思ったんだよ」
「……だから、悪かった」
「おれのこと、追い返すしさ……」
「それは知らん。追い返した覚えはない」
「嘘だぁー」
駄々をこねたおれに、ため息をついたアレイさんは、なだめるようにとんとん、と背中を叩いてくれた。
緩やかなリズムが少しずつ落ち着けていく。
扉を後ろ手で閉じて、アレイさんはふう、と一息ついた。
「悪かった。あの時はああするしかなかったんだ。あの場にフェリスがいた以上、サンダルフォンが出てくるのは時間の問題だった。みすみす二人で捕まることもなかろう」
そんなことわかってるよ。
でも、嫌だったんだ。
アレイさんはいつだって、自分を盾にしておれを逃がすから。
血の匂いはしなかったけれど、やっぱりどこか甘いにおいがした。不快ではなく、むしろ懐かしい感じのする香りだった。
なのに、何故かその香りは焦燥をかき立てた。
「……また、怪我したの?」
おれの問いに、アレイさんの返答がない。
これは大怪我をしたとみて間違いないだろう。
絡めていた腕を解いて、紫水晶の瞳をじぃっと覗き込む。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳は、心なしか以前より赤みが増している気がした。
でも、アレイさんは目を逸らさなかった。
その眼の奥に潜むのは、嬉しさでも悲しみでも戸惑いでもなく……迷い、だった。
目が離せない。
声のない会話を交わすように、おれは紫水晶だけを見ていた。
紫水晶を少しずつ侵食する炎妖玉の色に、見覚えがある気がして。
そう、おれは、アレイさんが迷っている理由を知っている。
さっきからずっと、左腕が微かに痛かったから。
アレイさんも知ってるのかな。
ラースとマルコシアスさんが片割れ同士だっていうこと。もしかしたら、ラースを身に宿すおれと、マルコシアスさんの血を継ぐアレイさんは、そのうち争い合うことになってしまうかもしれない、ということ――
やがて、アレイさんはふいに口角をあげた。
「大丈夫」
ぽつりと呟いて、目の奥から迷いが消える。
あ。
不意打ちの笑顔に、心臓の拍動が早くなった。
アレイさんは、おれの左手をとって軽く口づけた――ラースのコインが埋まる左手の甲に。
「大丈夫だ。ラック、お前は俺がいなくてもここまで来られたろう?」
「でも、アレイさんがいないとやだよ?」
返事の代わりに、頭をぽんぽん、と撫でられた。
「約束しただろう。俺は、お前の傍からいなくなったりしない」
「……うん」
もう一度、両手を背に回して抱きついた。
やっぱりここは、世界で一番安心できる場所だった。
たくさんわめいてたくさん泣いて、落ち着いて。
ようやく少しずつ、これまでの事を話し出した。
「……あの時さ、やっぱりシアが来てたの?」
「ああ。サンダルフォンを召喚して、リンボの街中で諍いになった。あのままでは被害が拡大するからな、強硬に国境を越えたんだ。無傷とは言わなかったが……ウリエルを名乗る男に助けられた」
「ああ、ヤコブだね。そういえばサンダルフォンを追い返したって言ってたっけ。ヤコブならいま、おれたちと一緒に行動してるよ! なんだかんだ言いながら助けてくれるし、いいヒトだよ」
そういうと、アレイさんは何ともいえない表情でおれを見た。
「……まあ、いい。そのあと、軍神アレスに拾われて、それからはずっとここにいる」
「怪我は?」
「この城に美神アフロディテが来ている。彼に治してもらった」
「アフロディテ? 軍神アレスと同じオリュンポス?」
「そうだ」
ミリア以外にもここにオリュンポスがいたんだ。
会ってみたいな。
「お前は? モーリたちと国境を越えたんだろう?」
「うん。大変だったけどね。シドにずいぶん助けてもらった」
「シド……というと、あの元騎士団員か」
「あれ、知ってたの? そうだよ。最後の年の騎士団試験に合格したって言ってた。あの、グライアル平原の戦いにも参加したらしいよ。だからおれたちの事を知ってたんだって。不思議だね、戦争から4年もたつのに、こんな異国で会えるなんてさ」
話したいことはたくさんあった。
モーリのこと。ルゥナーのこと。ヤコブとアウラのこと。シドのこと。フェリスのこと。
「そうそう、シドがね、武道大会にも出るって言ってた。あ、そうだ! アレイさんも演武に出るって聞いたよ。軍神アレスと戦うの?」
「ああ、そうだ」
「頑張ってね、アレイさん! おれ、一番前で応援するよ!」
本当はまだまだたくさん話したいことがあったけれど。
おれはアレイさんの腕から降りた。
少しだけ遠くなった紫水晶が名残惜しかったけれど。
「ミリアに謝らなくちゃ。それに、エレーミアも置いてきちゃったんだ。神前舞踏の練習もしなくちゃいけないし」
見上げたアレイさんは微笑っていた。
「今度は泣かすなよ、くそガキ」
「……分かってるよ」
おれも笑い返して、部屋の出口に向かう。
と、ドアノブに手をかける前に、こんこん、と向こうからノックされた。
「はい?」
返事をすると、扉があいて、エレーミアがひょっこり顔を出した。
「いた! もう、あたしだけ置いてかないでよ、グレイス!」
「あ、ごめん。今から迎えに行こうと思ってたんだ」
頬をふくらますエレーミアは、部屋の奥にいるアレイさんに気付いたらしい。
「……グレイスの旦那さん?」
アレイさんもそれに気付いて、軽く会釈した。
「綺麗な人だね。うん、グレイスとすごく似合う」
エレーミアは、胸元に手を当て、頭を軽く下げた。
「エレーミア=アネモスと申します。アレイスター=クロウリー殿。お目にかかりまして光栄でございます」
「こちらこそ、このくそガキが世話になっている」
「いいえ、年の近い妹が出来たみたいで楽しいです」
「それは……恐れ入る」
アレイさんは他のヒトにはわからないくらいの微妙さで驚き、肩を竦めた。
いつもの事なのに、こんなにも嬉しい。
「おれ、エレーミアと行って練習してくる! ミリアのところにも行かなくちゃ」
そう言うと、エレーミアはくすくすと笑って扉を指した。
「ミリアはそこで待ってるよ、グレイス」
「え、そうなの?」
振り返ると、アレイさんは早くいけ、と目線で訴えていた。
「いってきます!」
「旦那さん、ごめんね。本番まで、ちょっとだけグレイスを借りるよ」
エレーミアと二人、手を振って。
扉をでたところでミリアと出くわした。
何ともいえない顔でおれを見上げてきたミリアに、おれはぺこりと頭を下げた。
「追いかけまわしたりしてごめん。もうしないよ。だから……一緒に練習しよう?」
それを聞いたミリアは、そっぽを向いた。
ああ、また嫌われちゃったかな?
「言われなくてもそうするつもりだ。本番まであと2日しかないのだぞ? こんなところで遊んでいる暇はない」
そういったミリアの顔は赤かった。
ミリアともっと仲良くなれる気がした。
武道大会本番まで、あと2日。