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SECT.16 逃走

 次の日、おれとエレーミアはミリアの声で目を覚ました。

「起きろ。本番まであと2日しかないんだ。稽古を始めるぞ」

 昨日の晩は疲れ切って早めに眠ってしまったから、かなり長い間眠ったはずだ。その証拠に、体はとても軽かった。

 なんだろう。とても懐かしい夢を見た気分だった。

 ベッドに座り込んで見渡せば、昨日は暗くて気づかなかったけれど、部屋には小さな窓がついていて、そこから光と共に柔らかい風が吹き込んでいる。

 早く支度をしろと急かすミリアを無視して窓に向かうと、案の定、彼女は苛立った声で叫んだ。

「おい、聞いているのか、グレイシャー!」

「一応聞いてるよ」

 言いつつも、肩幅と同じくらいしかない窓から身を乗り出した。

「聞いてても言うことを聞くかどうかは別問題だね。あたしも顔洗ってくるからちょっと待ってて、ミリアちゃん」

「お前もだ、エレーミア!」

 二人の声を背中で聞きながら、おれは目の前の景色に圧倒された。

 小さな積み木が折り重なって出来た都市が一望できる。朝日を受けて長く四角い影を方々に伸ばしながら、歪な街がぎっしりと詰まっている。その向こうに草原を跨いで連綿と横たわるのは、セフィロト国との国境壁だった。

 迷子になりそうな細い路地もここから見下ろせば繋がった線に見える。

「あっ、あれ、劇場だ!」

 歌劇団ガリゾーントが革命少女リオート=シス=アディーンの公演を行ったあの劇場だった。よくよく見たら、モーリやルゥナーがいたりしないだろうか。

 そう思って目を凝らそうとすると、後ろから強い力で引っ張られた。

 抵抗する間もなく、床に引きずりおろされる。

「はやく支度しろと言っているんだ。顔面殴りつけて今から失格にしてやろうか?」

「やめなよ、ミリアちゃん。時間がないって言ったのはミリアちゃんだよ? ここで一人減らしてどうするんだよ」

 エレーミアはふわりと広がっていた髪を高い位置にまとめ、服も動きやすそうなものに変えていた。

 ミリアはそういわれて、しぶしぶ手を引いた。

 おれはその様子にびっくりしてしまった。

「エレーミアはすごいな。ミリアはおれのいう事なんてちっとも聞かないのに」

「お前だって私の言う事を全く聞かないだろう、グレイシャー」

「んじゃお互い様だね」

 言いながらラフな短衣に着替えた。

 ミリアはひどくイライラしているようだったけれど、時間が惜しいのかおれたちを先導して歩き出した。

 殺風景な白い廊下を歩きながら、ミリアは淡々と告げた。

「試験で見て、お前たちの実力は分かっているつもりだ。演武の振りは今日中におぼえろ。できるだろう? 明日は一日通し稽古だ。それから、グレイシャー」

「何?」

「最後の剣舞はお前と私でやる。いいな、エレーミア」

「もちろん。ミリアちゃんとグレイスの戦いに入るなんて、そんな恐ろしいことできやしないからね」

 エレーミアは肩を竦めた。

「グレイシャー相手なら、久しぶりに本気を出せそうだ」

 にぃっと笑ったミリアの表情は、これまでよりずっと明るく見えた。

 昨日、最後に見たのが泣き顔だったからかな……?

 何にせよ、よかった。

 嬉しくて笑うと、ミリアは眉間にしわを寄せた。

「何がおかしいんだ?」

「なんだかミリアが元気そうだからよかったなあと思って」

「気味の悪いことを言うな」

 ミリアが少し頬を赤くしながら突っぱねる。

 なんだかかわいいなあ。

 そう思って少し見下ろす位置にあるミリアの頭を撫でていると、少し後ろを歩いていたエリーミアは顔を覆って肩を震わせていた。

「どうしたの、エレーミア」

「もうっ……なんだかおままごとみたいで二人とも可愛くってっ……!」

 そこでミリアの沸点はとうとう天井突破してしまったようだった。

「もう知らん! 二人とも勝手にしろ!」

 そう言い捨てて、二つに括った赤い髪を揺らしながらミリアは駆けて行ってしまった。

 おれとエミーリアは顔を見合わせた。

「怒らせちゃった」

「そのようだね」

 しかしながら、ここに放り出されると、おれもエミーリアもどうしていいかわからない。

 なにしろ廊下は殺風景で、もといた部屋にだって戻れる保証はないのだ――ああ、王都ユダのジュデッカ城で迷子になった時を思い出す。あのときは、サンが助けてくれたっけ。

 と、そんなことを懐かしんでいる場合ではない。

「追うよ、グレイス」

「もちろん!」

 おれとエレーミアは並んで走り出した。



「ついてくるな!」

 叫ぶミリアを追っていく。

 さすが、エレーミアは足も速い。普通の女の子ならとうにねを上げている速度だ。

「逃げたら追っかけるさ! なあ、グレイス!」

「もちろん!」

「お前たちは獣か! バカ!」

 やたらと人気のない、素っ気もない殺風景でずっと同じ風景の廊下をただ追いかける。少し右向きに湾曲しているから、ずっと走っていれば元の場所にでるはずだ。

 隣を見ると、エレーミアも同じことを考えていたらしい。

「行って、グレイス。あたしはここで待ってるから!」

「了解!」

 おれはさらに追う速度を上げた。

 端から見れば無意味な追いかけっこ。こんなことをしている間に本番の稽古をすべきだということも分かっている。

 途中、衛兵らしきヒトを何人か抜いた。

 なんだか少しずつヒトが増えている気がする。

 それに、結構な距離を走っているはずなのに、エレーミアの姿が全く見えない。

 おかしいぞ。ずうっと右に向かって曲がっているはずなのに……

「もしかして、少しずつ上ってる?」

 ここが円形じゃなく、らせん状の廊下だとしたら。

 しまった、これじゃいつまでたってもエミーリアと合流できないぞ。

 そのうえ、数回ほど衛兵を飛び越えている間に、ようやくおれとミリアが追いかけっこしているという情報が出回ってしまったようだ。

 何人かの衛兵がミリアとおれの間に立ちはだかった。

「ごめん、どいてっ」

 ショートソードを抜くこともなく、低い体勢で隙間を縫って、ついでに最後に一人はひざの裏を思い切り蹴り飛ばして転がしてしまった。

 これで少しは時間が稼げるはず。

 さすがのミリアもこれにはぎょっとしたようだ。

「うちの衛兵を簡単に倒すな!」

「倒してないよ、避けただけだ!」

「屁理屈言うな! バカグレイシャー! あと追っかけてくんな!」

「逃げたら追うだろ、普通!」

 と、ミリアの言葉はそこまでだった。

 思い切り伸ばした右腕が、ミリアの腕を捕えることが出来たから。

「やった」

 と、もちろん勢いは殺せず、おれたちはそのままもんどりうって転がった。

「いってー……」

「ふざけるな! グレイシャー!」

 ミリアは起き上がるなりおれの胸倉を掴みあげた。

「ふざけてないよ。ミリアがいなくなっちゃったら、おれもエレーミアも迷子になっちゃうから追いかけてたんだよ。だって急に行っちゃうんだもん」

 そう言われて、ミリアもさすがに悪いと思ったのだろう。

 顔を真っ赤にして黙り込んだ。

 が、それも一瞬。

「お前のそういうところが嫌いなんだっ!」

 おれをまっすぐに見つめて叫んだ。

「バカで! 何も考えずに突っ走るし! 私の気も知らずに笑いかけるな! 近寄るな! 追いかけてくるな! その上……なんでお前なんかが私より強いんだっ!」

 その言葉が、胸を貫いた。

 この年で軍神アレスの名を継いで、あれだけの実力を持ちながら、軍神アレスの理想像とは違うからと代役を立て、それでも『踊り子』として人々の前で舞うことを辞めず。

 ああ、きっと彼女は苦しかったんだ。自分が理想になれないことが。人々の求める軍神アレスの像と自分とがかけ離れていることが。

 だって、これだけの強さを手に入れるには、血のにじむような努力が必要だったはずだから。

「……もう、落胆されるのは嫌なのに」

 絞り出すような声でミリアが呟いた。まるで泣いているような声で。

 昨日、おれに負けた瞬間に見せた表情を思い出し、苦しくなる。

 何と言葉をかけていいかわからず、口を噤んだおれに、上から声が降ってきた。

「おい、子供を苛めるな、くそガキ」

 とても聞きなれたバリトンの響き。

 それだけで心臓がドキドキした。

 どうしよう。まだ心の準備が――

 でも、無理だった。

 その声を聴いたらおれはもう我慢できなくなって、振り返った。

 目に飛び込んできたのはやっぱりおれの一番大切な人で。

 何を考えるより早く駆けだしていた。

「アレイさんっ」

 そのまま、そのヒトの腕の中に飛び込んだ。

「……ラック」

 懐かしいバリトンの声がして、優しい手が頭を撫でていて、泣きそうになった。

 世界で一番安心できる場所にようやく戻ってきた。

 なぜだかアレイさんからは、ほんのりと甘い花の香がしていた。それがいったい何の匂いなのかはわからなかったけれど。

「よかった……生きてた……」

 絞り出した自分の声は震えていた。

 約束通り、おれはようやく大切なヒトと再会した。


――必ず生きて、リュケイオンで。


 サンダルフォンの気配がしたあの日、セフィロト国最東端の都市リンボで別れてから、1か月が経っていた。



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