SECT.15 エレーミア
通された最後の試験の部屋には、候補者が一人だけ待っていた。
少し高くなった祭壇のような場所があるだけの、広い部屋。この場所も壁も柱も白く、床に敷かれた赤い絨毯だけが目を惹いた。
一人だけ残った女の子はおれの姿を見てにこりと笑った。
「あとの2人は棄権らしいよ。さっきの組手で、どっちかがどっちかの顔に傷つけちゃったらしいけど。だからあたしは不戦勝!」
女の子は、嬉しそうに笑った。
「あれ、じゃあこれで3人決まっちゃったのかな? 『踊り子』候補は5人だったはずだから、残ってるのは、おれとあなたとミリアだけだ」
「やったあ!」
女の子の表情がぱぁっと輝いた。
「あたし、エレーミア。この街の出身なんだ。よろしく!」
おれより少し背の高い少女は、にっこりと笑った。
「ずっと『踊り子』になりたかったんだ。試験に挑戦するのはこれで3回目。やっと夢が叶ったみたい!」
純粋なミュルメクスの民らしい、波打つ淡い茶色の髪。健康的な笑顔が愛らしかった。この街に育って、この大会で『踊り子』になりたいという夢をずっと追ってきたのだろう。
おれは余所者。ミリアは大会の主催者。
きっと、『踊り子』に本当に相応しいのはエレーミアのような少女なのだろう。
「おれはグレイシャー=ロータス。セフィロト国から来たんだ」
「知ってる。街で噂になってた、フレイア様を演じていたのってあなたでしょ? あたしも舞台を見たけど、とっても素敵だったよ」
「ありがとう」
エレーミアの笑顔に、おれは思わず微笑み返していた。
同時に、ほっとした。
これでおれはミリアの言った通り、『踊り子』審査の最後まで残って、踊り子に選ばれたことになる。ミリアは、踊り子になれたらアレイさんの事を教えてやる、と言っていた。
「これで軍神アレス様にもお会いできる」
エレーミアの言葉ではっとした。
そうだった。最初の目的はそうだったんだ。踊り子試験に受かれば軍神アレスに会えるから、といって、モーリとルゥナーはおれをここに寄越したんだった。
もうすっかり忘れていた。
しばらくしてやってきたミリアは、先ほどまで泣いていたことなど微塵も感じさせない毅然とした空気を纏っていた。
「ミリア」
駆け寄ると、鋭く睨みつけられた。
「ねえ、ミリア。おれさ……」
「約束」
ミリアはおれの目の前に人差し指を突きつけた。
「約束、だから、話してやる。今は待て」
「……わかった」
たくさん聞きたいことはあったけれど、いったん口を噤む。
この場所で行われるのは、『踊り子』審査の結果発表……と言っても、すでにこの場に3人しかいないのだから決定しているようなものなのだが。
しばらく待っていると、少し高まった祭壇に軍神アレスとブロンデンさんが立った。あの姿を見ていると、やっぱりブロンデンさんはとても偉いヒトのように思えるのだけれど。
あとでエレーミアに聞いてみよう。
本番の武道大会は3日後。それまで『踊り子』は軍神アレスの居城に留まり、稽古を重ねる。
エレーミアとおれは同じ部屋に通された。
とても広い部屋で、右手と左手にドアがあり、さらに奥まで続いているようだった。相変わらず壁も柱も白いのだけれど、天井だけは全く違っていた。赤地に黒のツタのような複雑な文様が描かれていた。悪魔紋章にどこか似ている気もしたが、どうやら違う。
目の前にはシンプルなベッドが二つ。
エレーミアもおれも、柔らかそうなベッドにそのままダイブした。
体を預けると、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。
「疲れた……」
隣でエレーミアが呟いた。
おれも、思った以上に気力も体力も消耗していたみたいだ。
「うん、疲れたね」
どうやらおれは、目的通り『踊り子』審査を突破できたようだ。
ようやくその実感が湧いてきた。
アレイさんに会うために必死だったけれど、あと3日もすれば、あの闘技場で、おれは軍神アレスにささげる舞を披露することになるのだ。
早くあの舞台に立ちたい。舞踏を魅せたい。
いつの間にはおれは、神前舞踏そのものも求めていたんだ。
エレーミアは突っ伏したままおれに聞いた。
「グレイシャーは旅の歌劇団のヒトなんだよね。どうしてこの試験に?」
「大切なヒトがね、ここにいるんだ。だから、会うために頑張ったんだよ……ごめんね、エレーミア。おれ、エレーミアや他のヒトたちみたいに、どうしても『踊り子』になりたいってこの試験を受け始めたわけじゃないんだ。最初はね」
「今は?」
エレーミアはベッドの上で膝を抱えて座り、おれを覗き込んだ。
おれは彼女に微笑み返す。
「嬉しいよ。おれ、思ってたよりずっと踊ることが好きみたいだ。戦うのはそんな好きじゃないけど、剣舞は好きだし、何より、おれの踊りを見て誰かが少しでも勇気を持ってくれたら、こんなに嬉しいことはないよ」
そう答えると、エレーミアは綻んだ。
「よかった。明日からよろしくね、グレイシャー!」
「グレイスでいいよ」
「じゃあグレイス。たくさん聞きたかったんだ! 審査の直前に現れた候補だったし、すっごい美人だし、踊りもうまいし、何より強いし! 本当はもっと早く仲良くなりたかったんだ」
エレーミアはひょい、と飛んでこちらのベッドに移動してきた。さすが『踊り子』に選ばれただけあって、身体能力はかなり高そうだ。彼女はそのままうつぶせに寝転んだおれの隣に寝転がった。
「グレイスはどこの出身なの? どうして今の歌劇団に入ったの? どうしてそんなに強いの?」
突然の質問攻め。
近くで見たエレーミアの瞳は淡い茶色だった。光の加減では金色に見えるだろう。
綺麗だなぁ、とぼんやり見ていると、エレーミアの平手が額にヒットした。
「グレイス、聞いてる?」
「一応聞いてるよ! ええとね、おれ、出身はグリモワールなんだ。だから戦争にも参加してて……だから戦闘はあんま好きじゃないけど得意。普通のヒト相手だったらだいたいは負けない自信あるよ」
「戦争? って4年前の? グレイス、いったいいくつ?」
「23歳」
「うそ?! あたしより5つも年上?! 同じ年か年下だと思ってた」
「フェリスにもアウラにも同じこと言われたよ」
言動や雰囲気は幼いと言われるし、未だに18歳くらいに思われることが多いらしい。
「おれ、これでも結婚してるし、2歳になる子供もいるよ」
そういうと、エレーミアは絶句してしまった。
驚かすつもりはなかったんだけど。
エレーミアは、しばらく突っ伏して何か考えているようだったが、すぐに顔を上げた。
「ああ、びっくりした! 人は見かけによらないっていうからね!」
「ここに迎えに来た大切なヒトっていうのはおれの旦那さんの事だよ」
「グレイスの旦那さんはリュケイオンの人なの?」
「ううん、違うよ。グリモワールだよ。一緒に国境を超えるつもりだったんだけど、わけあって逸れちゃったんだ。でも、どうやらここにいるらしいから迎えに来た」
「ふうん」
エレーミアはそれを聞いて、首を傾げた。
そして、おれの髪を一房、指に絡めてくるくると遊んだ。それからじぃっとおれの目を覗き込んだ。
「黒髪黒目、グリモワール出身でそれだけ強い。んでもって旦那がここにいるって……」
大きくため息をついたエレーミアは、耳元でぼそりと呟いた。
「ラック=グリフィス」
「え?!」
ばれちゃった?!
驚いた顔をしたおれに、エレーミアが額を軽く指ではじいた。
「バカ、あたしじゃなくても分かるよ。隠す気ないの?」
「……アウラにも言われた。そんなに分かる?」
「そりゃね。黒髪黒目ってだけでもこの辺じゃ珍しいのに、一か月前って言ったらちょうど、セフィロト国の神官が国境侵犯した時期。それどころか今回の武道大会の目玉は軍神アレス様と悪魔騎士アレイスター=クロウリーの演武。これだけそろってたら、さすがにわかるよ……って、それだけじゃないんだけど」
エレーミアはおれの頬を指でつんつんつついた。
「でもまさか、こんなところで会うとは思ってなかった。ただ、アレイスター=クロウリーの名からそれだけ連想できる程度には、グレイスたちが有名だってこと」
「アレイさんはともかく、おれはそうでもないよ」
「ここが国境っていうのもあるけどね。セフィロト国は本気でレメゲトンの生き残りをつぶそうとしてるよ。もう少し用心したほうがいい」
エレーミアはにこりと笑った。
「容姿だのなんだのは本当に些細な情報でしかないよ。グレイスが持ってる目印はそんなものじゃない。誰が見ても、ただものじゃないってすぐに分かるその存在感で目立ちすぎてる。もし明日、その姿でみんなの前に出ちゃったら、それどころかその、悪魔騎士さんと並んだりしたらみんなすぐにわかっちゃうかもね」
同じことをモーリやルゥナーにも言われた気がする。
あなたたちは、そこにいるだけで人の目を惹く存在なのだ、と。
「そうなのかなあ……」
おれが唇を尖らせていると、エレーミアはおれの頭をぐりぐりと撫でた。
「ああもう、なんだか頼りない年下の妹でも出来た感じ? 年上だけど! 何かあっても、あたしはグレイスの味方するからね!」
「ありがとう、エレーミア」
へらっと笑うと、エレーミアはわしわしとおれの頭を撫でまわした。
こうしておれは、また一人、味方を増やした。あの胡散臭いヤコブが言ったからじゃないけど、本当におれは周囲のヒトに恵まれてると実感する。
エレーミアと仲良くなれたんだから、ミリアとだって仲良くなりたいのにな。
おれは、ぽつりとエレーミアに聞いた。
「ねえ、エレーミア。エレーミアは、先代の軍神アレスを見たことある?」
「当たり前じゃん……あ、グレイシャーはここに来たばかりだからもしかして見たことない? あのね、今の軍神アレス様と同じ立派な剣士で、燃えるような赤い髪がとても印象的だった。ほら、ずっと踊り子に選ばれてるミリアリュコス=エリュトロンっているでしょ?」
「あ、うん」
「あの子は、先代の軍神アレスの娘だよ」
「……え?」
赤髪。剣士。軍神アレスの理想像。
ぼんやりと何かがつながった気がした。
ミリアはもしかして、赤髪のあのヒトに誰かを重ねているんだろうか。
そんなことを考えながらいたせいだろうか。疲れに負けてうつらうつらとまどろみゆく意識の中で、おれは無意識に自分の育て親の面影を追っていた。