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SECT.14 ブロンデン


 数日後の武道大会で神前舞踏を行うかもしれない『踊り子』候補だ。顔はもちろん、手足などの露出する部分を傷つけるのは論外、即失格。

 もちろんこれは試験であるし、おれが勝つ必要もないのだけれど。

 それでも、負けたくなかった。

 勝って、アレイさんを自分の手で取り戻したのだという実感がほしかった。

 いつも守られてばかりだから、たまにはおれが助けに行ったっていいだろう?

 感覚を研ぎ澄ませ。

 悪魔を召喚していないのに、まるで加護が全身を駆け巡るかのような感覚に陥った。皮膚がみるみる鋭敏になり、ミリアの周囲に取り巻く軍神アレスの力の奔流までもが感じ取れるようだった。

 ミリアもそれを感じ取ったのか、全身に巡らせる気を張り詰めた。

 刹那。

 瞬く間もなく、ミリアが地を蹴る。

 先ほどと同じだ。このまま懐に入られたら、おれは抵抗するすべを持たない。

 引いた右足をとん、とずらした。

 最小限の動作で体の向きを変え、相手の攻撃ラインからほんの少しだけずれる。

 それだけでミリアから少し遠ざかる。

 対人において初歩中の初歩だ。

 しかしながらアレイさんはその間合いの取り方が天才的にうまくて、おれはいつも、彼の懐に入ることが出来ない。

 だからおれも同じように、ミリアを近距離の間合いに入らせなければいい。

 思うのは簡単でも、そんなに簡単に行くはずもない。

 次の瞬間には右わきすれすれを鋭い拳が通過していた。

 漆黒星ブラックルビー騎士団の団服に似せて作った上着の裾がはじけた。

 剣を握る左腕がかぁっと熱くなる。

「ラースっ……!」

 その熱が全身に飛散して、おれは思わずその場を飛び退っていた。

 強敵と相対しているとき、必ずこいつが出てきそうになる――ボクが君のてキを殺シてあげル、と。長い犬歯をひっかけながら、たどたどしい言葉でしゃべる悪魔が、現世界に具現化しそうになる。

 引っ込んでろ、ラース。これはおれの戦いだ。

 しかしながら、額にはジワリと汗が滲んだ。

 その様子を見たミリアが口の端に笑いを乗せる。

 刹那、急襲。

 間一髪、体を捻って受け流し、距離をとりつつ隙を待った。

 最後の一撃だけはイメージできている。

 さっきからずっと、右の攻撃をわざわざ左へ流しているのはその布石だ。

 歴戦の拳闘士だからこそ、否応なしに体が反応してしまうのだ。よっぽど、自分の意識と意志とを全身に巡らせている冷静な戦士でない限り、それは絶対だった。

 そして、その瞬間は訪れた。

 左足を軸にした、右からの逆突き。まともに受ければ骨の一本や二本持って行かれかねない体重の乗ったいい攻撃だ。

 狙い通り、ほんの少し左に重心が寄っていることまでも。

 おれは構えていた剣を地面に落とした。

 予期せぬ行動に驚いたミリアの右手首を逆手で掴み取り、体重方向に思い切り引き倒した。

「っ?!」

 軽いミリアは、それだけで簡単に地面にたたきつけられる。

 おれは空いた右手で腰のショートソードを抜いて――

「終わりだ、『軍神アレス』」

 ミリアの右頬ギリギリを掠めた刃が地面に突き刺さった。

 少しでもずれていれば、顔に傷をつけてしまい、失格となっていただろう。もちろん、ミリアが少しでも身じろぎすれば鋭いショートソードは皮膚を裂く。

 ミリアの真紅の瞳がまっすぐに見上げてくる。

 その瞳の中の感情は、負けて悔しい、でも、悲しい、でもなかった。呆然と驚き、でもどこか安心したような不思議な感情が真紅の中に渦巻いていた。

 いったいどうしたというんだろう。

 目が離せない。

 ミリアなら、負けても突っかかってくると思っていたのに――

 紙一重の位置で硬直したおれたちを引き離したのは、見覚えのある赤髪の人物だった。

 無言でおれの手から剣を抜き取り、ミリアを抱き上げたそのヒトは、皆から「軍神アレス」と呼ばれていた男だ。

 突然の出来事に、ミリアは一瞬呆けたが、すぐに目を吊り上げて叫んだ。

「アレス! 離せ! 下ろせ!」

 彼女が多少暴れたくらいではびくともしない。

 典型的な東方の民の容貌を持つ彼は、すっきりとした目でおれを見た。

「ええと、アレスさん? 初めまして」

 剣をおさめ、頭を下げると、彼も目礼した。

 無口なヒトだなあ。まるでアレイさんみたいだ。

 ぼんやりとそんなことを思いながら見上げていると、また盛大な銅鑼の音が鳴り響いた。

 はっとして周囲を見渡せば、最終試験に残った踊り子候補のうち、この場に立っているのはおれとミリアだけだった。

 あとはアレスらしき赤髪の男性と、銅鑼を鳴らした巨躯の男。あのヒトは、『踊り子』試験の最初に、アレイさんと並んで出てきたヒトだった気がする。

「なんで? 他のみんなは?」

 首を傾げると、銅鑼を鳴らしたヒトが呆れたように言い放った。

「とうに次の会場だ」

「うわ! 行かなきゃ!」

 駆けだそうとして、どこへ行っていいのかわからないことに気付いた。

 会場を聞こうと振り返ると、おれの目に飛び込んできたのは、真紅の瞳から大粒の涙をこぼすミリアの姿だった。

 思わずおれは、ミリアに駆け寄っていた。

「お、おい、ミリア、どうしたんだよ。痛かった?」

 アレスに抱えられたミリアを見上げて問うと、ミリアはおれから目を逸らすようにしてアレスの肩に顔をうずめた。

「どうしたんだよ、ミリア」

 長く垂れたツインテールの片方をちょいちょい、と引っ張るとミリアはむずかるように頭を振った。まるで駄々をこねる子供だ。

 行き場を失った手で、ついでに気になっていたアレスの細い三つ編みをちょいちょい、と引っ張ったら、彼の眉間にしわが寄った。普通なら怒っている、と思うところだけれど、この表情は困惑しているだけだということをおれは知っている。

 すると、そのヒトはおれの頭にぽん、と手を置いて、闘技場の出口を指した。

 先に行っていて、と言うように。

「わかったよ。ミリアをお願いね」

 ひらひらと手を振って出口に向かうと、案内人が待っていた。先ほどまで銅鑼を鳴らしていた巨躯の男だ。

「早くしろ。置いていくぞ」

 腕なんておれの胴体くらいあるんじゃないだろうか。

 並んで歩きだしたおれに、そのヒトはぼそりと告げた。

「あの娘に勝った女を見たのは初めてだ」

「だろうね。ミリアは強いもん。でも、戦場じゃわかんないかな。致命傷を負わせていい、っていう条件だったらおれが負けたかも」

 そう言うと、巨躯の男は微かに笑んだ。

「戦場、か。だとしたら、あの娘はアンタに勝てんよ。あの娘は生死を賭けた戦いなんぞ知らんからな。というよりも、知っているほうが稀有だ。それを知っているアンタの強さは本物だ。アンタの旦那と、軍神アレスも同じ、平和なこの国に育った戦士とは名ばかりの者たちとは違う」

「アレイさんのこと知ってるの? えーと、名前……」

「ブロンデンだ。ブロンデン=アスティノミコス。名目上は、ミュルメクスの護衛団長という風になっている」

「もしかして偉いヒト?」

 首を傾げると、ブロンデンさんは楽しそうに笑った。体に似合う野太い声で、豪快に。

「偉いかと聞かれると、そうでもない。先代軍神アレスと少し親しかっただけだ」

「先代、ってミリアの前の軍神アレス?」

 そう言うと、さすがにブロンデンさんは驚いたようだった。

「そこまで分かっていたとは……流石は、レメゲトンといったところか。もっとも、アンタの旦那は気づいていないようだったがな」

 確かにアレイさんは案外、鈍感だったりするからなあ――なんて言うと、絶対に怒られるんだけど。

 ブロンデンさんは先代の軍神アレスと親しかったといった。確かに、体躯は立派だけれど寄る年波は隠せない。年齢的に、40歳は越しているだろう。それでも、重厚な鎧に身を固め、戦場で大槍を振り回す姿が容易に想像できた。

「ミリアは軍神アレスだけど、じゃあ、あのヒトは誰? 赤髪の、大きいヒト。たぶん東方部族だと思うんだけど」

「あれは、表向きの軍神アレスだ。国境の防備をつかさどる軍神アレスがあのなりじゃ、恰好がつかんこともあるだろう? だから、あの娘はあの赤髪の男を表に立たせているのさ。あれが本物の軍神アレスではないと知っているのはほんの一握りだ。あの通り、全く言葉を発しないもんで素性は知れんが、反抗する気配はない。何より、あの娘がなついている。俺たちが何か口を挟む隙はない。全部あの娘が決めて、あの娘が実行した。それだけだ」

「ふうん。わざわざ別のヒトを出さなくても、ミリアがちゃんと外に立てばいいのに。目立つの、嫌いなのかな? でも『踊り子』やってるくらいだから平気そうだけど」

「『軍神アレス』という名には拭えぬ理想像というのがあるのだ」

「どういうこと? まるでミリアが軍神アレスらしくないって誰かが嫌がったみたいだけど」

 そう聞くと、ブロンデンさんは答えなかった。

 ミリアと、先代の軍神アレス、赤髪のヒト。複雑に絡み合った何かがこじれてしまっているみたいだ。

 だめだ。おれは難しいことを考えるのには向いてない。

 おれに負けたミリアの涙を思い出して、なんだか、胸のあたりがもやもやした。



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