SECT.11 『踊り子』審査
隣のルゥナーが息を呑み、フェリスは肩をすくめ、モーリは優しく微笑んだ。
どうしよう。
息がうまくできない。
喉が張り付いたみたいに声が出ない。
客席に立ったのは3人。
まずは、軍神アレスの気配を最も濃く纏った赤髪の男性。顔の左側の髪を伸ばし、三つ編みにしてたらしている。すっきりとした目鼻立ちが特徴の典型的な東方人の顔立ちで、無表情で、唇は真一文字に結ばれている。かなり長身で、立ち姿だけでも相当に修練を積んだ剣士だと言う事が分かる。炎のように紅い、東方の衣装を模した軍服を纏っていた。左右非対称のマントがざわりと風に翻った。
そして二人目、こちらはわかりやすいリュケイオンの民だ。立派な体躯、彫の深い顔立ちに波打つ茶髪。絵画に描かれてもおかしくないような均整のとれた見栄えのする戦士だ。このヒトは、きっと剣よりも大槍が似合う。
それから――ずっと思い描いていたヒト。
彼に一番似合う黒の騎士服を着ていた。切れ長の目も端正な顔立ちも、不機嫌そうな表情も、最後に別れた時から変わっていない。
堂々たる戦士が3人並ぶ様は、圧巻だった。
このまま、演劇の一場面にでもなりそうな雰囲気。
でもおれには、他の『踊り子』候補のようにそんな場面を楽しむ余裕などなかった。
「……アレイさん」
ほんの少しだけ痩せただろうか。目の下に疲労の色が濃かった。
太陽のもと、明るい紫水晶が真っ直ぐにこちらに向けられていた。
またひどい怪我をしたに違いない。
胸のあたりがきゅうっと苦しくなる。
思わず一歩、踏み出していた。
じわりと目の端に熱いしずくが浮かぶ。
やっと、会えた。
――必ず生きて、リュケイオンで。
会えたよ。
やっと、会えたよ。
「グレイス、駄目よ」
ルゥナーがそう言っておれの腕をひかなかったら、情動のままそのままに駆けだしていただろう。
はっと我に返る。
「今行ったら、追い出されてしまうわ」
「オレっちは別にいいけど? グレイスがコイン貸してくれたら、軍神アレスだって相手にするよ」
フェリスがおれの首にかかったコインを指に引っかけた。
黒ニットの下のセルリアンの瞳が近づく。
「ううん、大丈夫。アレイさんがあの場所にいるだけで、大丈夫」
懸命に心を落ち着けた。
踊りだしそうな歓喜がおれの中を駆け巡っている。
今なら、何だって出来そうだ。
再び見上げれば、アレイさんの眉間にはいつものように皺が寄っていた。
何か不機嫌になるようなことでもあっただろうか?
ようやく『戻ってきた』感じがした。
ああ、やっぱりおれはアレイさんがいないとだめなんだ。
「いま、行くよ」
真っ直ぐに見つめて、呟いた。
声が届いたかは分からなかったけれど、アレイさんは少しだけ微笑んでいるように見えた。
「もうこれで負けられないわね」
「うん。負けないよ」
負ける気もしない。
紫水晶の瞳を見た時から、おれの心はもうあの場所にあった。
「一次審査が全員での舞踏、これはこのままこの場所で行われるわ。曲目は……言っても分からないわね。明るい曲と、寂しい曲と、力強い舞踏曲の3つよ」
おれがアレイさんに見とれてぼうっとしている間に、説明はすべて終わってしまったらしい。
ルゥナーたちが一緒にいてくれてよかった。
心の底からそう思う。
「それから、場所を移動して数名ずつの面接試験、最後に簡単な組手があるわ。今日の試験はそこまで。試験が終わってすぐ、二次審査に進む5名の発表があるわ」
「長くかかりそうだね」
「ええ。すべて終わるころには夜になっていると思うわ」
「そんなにかかるの?!」
「そうよ。二次審査は2日後。その時に『踊り子』の3人が決定するの。それからもう3・4日もすれば本番よ」
「そうなんだ」
あと1週間もすれば武道大会が始まる。
この闘技場で、ディアブル大陸全土の戦士が腕を競う。
本当はその大会に参加してみたかった。
最初は、ねえちゃんとアレイさんの隣にいるために剣をとった。そして、漆黒星騎士団で鍛錬を積み、大切なモノを守る為に腕を磨き、今は建国の力を手に入れるため、日々精進している。
そうした中で、『戦い』を嫌うおれは純粋に『試合』が好きだったから。
自らの持つ力をすべて使って、相手と技を競うことが楽しかった。
でも、それが敵わないというのなら。
「……おれ、ここで『踊り子』になりたい」
唐突に、そう思った。
軍神アレスの気配が充満する闘技場の真ん中で、たくさんのヒトに見守られて、精霊に捧げる踊りを。
戦士たちの為に舞う『踊り子』。
せめておれは、戦うモノたちに祈りを捧げよう。
「武道大会に参加するヒトたちの為に、踊りたいな」
ここまできて初めておれは『踊り』に目を向けた。
ただアレイさんに会うための手段だった剣舞は、いまやおれの中で大きな居場所を得ていた。
今なら、自分の歌と踊りで、戦争で疲弊した人々を元気にしたいと言ったルゥナーの気持ちがよくわかる。
戦女神フレイアが姿を見せる事で革命軍が沸き立ったように、もしかすると、おれの力で誰かを勇気づける事が出来るのかもしれない。
ただのうぬぼれかもしれないけれど。
「大丈夫ですよ」
最初からおれに『踊り子』を見出していた歌劇団の座長は、眼鏡の奥の優しい目を細めて笑った。
「貴方はきっと『踊り子』になれます」
モーリはこうなる事が分かっていたのかな?
あ、駄目だ。ヤコブと話すようになってから、ヒトを疑う事を覚えてしまった。
心を改めて、モーリに笑い返した。
「ありがとう。きっと選ばれて見せるよ!」
その時、『踊り子』候補集合の声がかかった。
はっと見ると、アレイさんはこちらにくるりと背を向けて去っていくところだった。
その背中に駆け寄りたい衝動をかろうじて抑える。
「行きましょう、グレイス」
「うん」
ルゥナーに促され、全員が集合する入り口付近へと向かった。
一次審査の第一試験はとくに何の規定もないのだという。
3つの曲が流れるので――曲名も聞いたけれど、結局おれの知らない曲だったから忘れてしまった――好きに体を動かしていい、と言われた。
ルゥナーが明るい曲と、寂しい曲と、力強い舞踏曲と言っていたから、それで十分だ。
客席に、楽隊が入場してきた。
ぼぉっとそれを見上げていると、周りの候補たちは準備運動を始めている。
ミリアはおれから一番遠いところにいた。
淡い色の髪が多いリュケイオンで、赤の髪はとても目立つ。
『踊り子』になれたら答えてやるよ、といったミリアは、アレイさんを見ても眉一つ動かさなかった。
絶対にミリアは何か事情を知っているに違いないんだ。
しかしその時、客席の楽隊が一曲目の演奏を開始し、おれは思考を止めた。