20話 彼を救って
シウィアは国王から返された解毒薬入りの瓶が入っている木箱を抱えながら、小走りで王城の正門へと走っていた。
(リゼル………死んだら、どうしよう。いえ、ザレンカの猛毒よ? それを、体内になんて………あり得ない)
王女として民を救うのではなく、リゼルというただ一人の人間を救いたいと思っていることにシウィアは気付いていない。勘付いているのは、シウィアの父である国王だけだろう。
「はっ………は……っ」
廊下を走っていると、王宮の者には『みっともない』『それでも王女か』と囁かれて苦しい気持ちになるが、今のシウィアは不安と焦燥でそんなことなど耳に入らなかった。唯一その者たちに思うことと言えば、『何とでも言えば良い』という言葉だった。
(でも、リゼルは生きてるっ。そう、そうです………)
他人に言い聞かせるように、シウィアは心の中で呟く。心の声にも疲れが滲んでいて、今でも止まってソファで休みたいくらいだった。だが、止まることは許されない。止まることが許されるのは、毒に蝕まれているリゼルを前にした時だ。
「あのっ。リゼルの………私の近衛騎士はどこですか⁉︎」
「王女、殿下! その、こちら、リゼルの妹さんです。我々は場所は知らず………お嬢さんに、案内してもらってください」
視線を向けると、成長中でありそうな十代の少女が門兵の後ろに隠れていた。リゼルの妹と言うことは平民なのだが、そうとは思えないほど可憐な顔立ちをしている。彼女やリゼルの家は騎士の家系と国王に言われていたため、貴族も同然なのだろうか。
「初めまして。シウィア・フィシリーフです。突然ですが、私の護衛騎士………リゼルの場所をご案内頂けますか?」
「………可愛い」
「え?」
頬を少し染めて、自分のことかな、と思わずこぼれたような少女の言葉に胸の高鳴らせる。多分、少女はシウィアが国民に嫌われていることを知らないのだろう。まだ小さな少女だ、仕方ない。
「あっ、ごめんなさい! お兄ちゃんはあっちです。行きましょう!」
「はい」
指差された方向を見ると、遠くにリゼルが倒れているのが見えた。シウィアは慌てそうになった己の胸元に手を添えつつ、少女の案内に頼る。少女の歩幅はまだ広くはなくて、彼女が小走りで走ってもこちらは歩いて追いつけるほどだった。
「こっち、こっちです。お兄ちゃん! 大丈夫⁉︎」
「フロー………ラ。うん、大丈夫。お兄ちゃん強いんだから」
少女の名前はフローラと言うらしい。可愛らしい名前だ。
リゼルは近くの木にもたれて、左腕を押さえている。その左腕から毒を注入されたのだろう。だが、こんな時に疑問に思ったら駄目だろうが、思うしかなかったことが一つ。
(リゼルが………笑っ……てる)
思わず呆然と立ち尽くしてしまう。だって、苦しそうに、しかしフローラを安心させようと柔らかい笑みを頑張って作っている。確かに、二時間前くらいにリゼルは『家族の前では笑う』と言っていた。それは本当だったらしい。
「リゼル」
深呼吸をして彼の名を言えば、言われた本人は目を見開いていた。
「姫様………っ?」
「大丈夫、ですか? ごめんなさい。実験台みたいにしちゃいますが、必ずリゼルのこと治すので」
二人は意味が分からないと言うようにシウィアを見る。少し気まずくなったが、今はそんなこと言っている場合ではないのだ。
シウィアは木箱の蓋を開け、小瓶を開けて半ば強制的にリゼルに飲ませる。体内に入っているのなら、この薬がその毒を包み込んでくれるだろう。
「っ…………ひめ、さま?」
「どうですか? 苦しかったでしょう。………効果、ありますか?」
不安と心配に顔を歪ませるシウィアを見て、リゼルはポカンとしている。そして、暫く考える仕草をした後、口を開いた。
「あります、姫様。バッチリ、ですね」
「…………‼︎」
その瞬間、シウィアは大輪の花が咲いたような可憐な笑みになった。リゼルはそんな彼女を見て、一瞬固まるも、それは本当に一瞬の出来事で誰も気付かなかった。
「良かった…………これで、暫く安静にしていてくださいね」
「え、お兄ちゃん。治った、治ったの⁉︎」
己の兄に顔を近付け、顔色が良くなったことを確認する。その後、「やった。良かったっ……!」と涙を流しながらリゼルに飛びついた。リゼルもそんな妹を笑いながら抱き止める。その様子を見て、シウィアは真顔で二人を見詰めて「リゼル………」と呟いた。
「どうか、しましたか?」
「いえ。貴方、やっぱり笑った方が良いですよ」
だってリゼルは、少年らしい年相応の笑みの方が似合う。
今だけは、一つ年上の彼が太陽の下で輝く少年に見えた。




