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第三話「ハンバーグ弁当」

 蝉の喧騒(けんそう)と優しく差し込む朝日に頬を撫でられて目を覚ました。昨夜抱えていた不安は夢と一緒にどこかへ消え去ったらしい。


 ――もう朝か。


 これまでにないほど、目覚めの良い朝だった。


 いつもなら寝つきは悪く、眠れても早朝に目が覚める。


 最初に感じるのは体のだるさ。その次は耳を刺すような静けさ。そのあと、決まって後悔がやってくる。

 昨日は慣れないことばかりで、よほど疲れていたのか、ぐっすり眠れたようだった。


 耳をすませば、いつもなら聞こえてくる母親の支度する音も聞こえない。どうやらすでに出かけたようだ。


 枕元で充電していた携帯を手に取り、画面に表示された日付を確認する。


 7月22日。


 昨日のことを思い出すと、再度濃密さに驚く。そのせいか、1日しか経っていないという事実はとても信じられなかった。


 (今日はコンビニ弁当にしようかな)


 ふとそう思った。昨日古見さんに散々振り回されたから、今日は出会い頭に「朝ごはん何食べたと思う?」と質問しよう。


 僕のプライバシーは平気で踏み込んでくるくせに、自分のことは一切話さない。おかげで、古見さんの権限についてはほとんど何もわかっていない。


 少しづつこういう質問をしていき、探ってやろうとも思った。


 部屋に無象座に落ちていたヨレヨレのジャージを拾って着た。そのまま階段を降りてコンビニへと向かった。



 ちょうど、ハンバーグ弁当の最後のひとかけらを食べようとしていたとき、ボケットの中のスマホが震えた。


「今日は学校に行く」と一言。ぶっきらぼうなメッセージが届いていた。



 * * *



 昨日と同じようにご丁寧に家まで迎えに来てもらって僕らは高校へと向かっていた。


「どうして学校なんだ?」


 僕は素直な疑問をぶつける。


 古見さんは前を見据えたまま呟いた。


 「なんとなく。学校ってデータが多いでしょ。バグも起きやすいの」


「確かに」僕も同じ方向を見つめる。


 ただ一点。少しだけ気がかりなことがあった。今は、昨日古見さんに出会ったおかげで気分が良くあまり感じていないだけかもしれない。


 でも、そんな簡単に過去のトラウマが消えるはずはない。ただ——僕に意味をくれた古見さんに情けない姿は見せたくなくて、口を(つぐ)む。


 僕は自分の気分を変えようと思い話題を振り出した。


「ところで古見さん。今日の朝ごはんはなんだったかわかる?」


「......突然なに?」


「一昨日に当てられてびっくりしたからね。本当に勘で当てたんじゃないか疑問に思ったんだよ」


「まだ疑ってるわけ? まあ、いいよ。枢木君の朝ごはんは......」


 そういうと古見さんは急に立ち止まり、僕の顔をじっと見つめる。


 数秒の時が流れる。


「コンビニ弁当?」


「ご名答。さすがだね」


「......当たり前。しょうもないことに権限使わせないでよね」


 僕は「ごめんって」と少し笑いながら、先に歩き出した古見さんの後をついていった。


 多分、大丈夫だと思う。そんな淡い期待が胸に溜まっていた。



 途中で学校周辺を走っている陸上部員とすれ違った。インターハイが近いらしく、最後の追い込みらしく、声がいつもよりも大きかった。こんなに日が照っているのによく走れるもんだ。


 その眩しさに、思わず目を細めた。部活に入っている人は体力だけではなく、心も強くなると聞く。


 あり得ない話だが、もし僕が部活に入っていたならあの判断をすることもなかったのだろうか。


 辛い経験をしても、周りと違っても、腫れ物扱いされ雑に扱われていたとしても。


 だめだ。暗い考えはよくない。——そうだ。古見さんはどうなんだろうか。


 彼女は、僕みたいに迷ったり、弱さを抱えたりしたことがあるのだろうか。


 僕は厚いヴェールに包まれている古見さんの正体を知りたくなった。


「古見さんは何部に入ってたの?」


 数秒の間が開き、たった一言「教えない」と返ってきた。


「もしかして、帰宅部だったとか?」


「そんなのどうでもいいでしょう。......まだ、枢木君が知る必要はないから」


 少しぐらい古見さんと仲良く慣れたかと思ったんだが、期待していた分だけ、ほんの少し胸が沈んだ。古見さんも暗い過去があるのか、なんだか表情が沈んで見えた。


 気まずい会話の間を蝉が埋めてくれる。


 いつもなら鬱陶しいと思っているが、今回だけは感謝していた。


 ――そういえば昨日、こいつら、いなくなってたんだよな。


 蝉たちは何事もなかったかのように、元気に鳴いていた。


 

 校門が見えてきた。


 アスファルトに落ちたフェンスの影が、コンクリートに落ちている。


 学校に近づくほど膨れ上がっていたその感情が、破裂する。


 その分かれ目で、僕の足がぴたりと止まった。

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