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第二話「プライバシー」

  電車に揺られて数駅。多くの人々が行き交う都会へと来た僕らは、ショッピングビルの一角にある洋服店へと足を踏み入れていた。


 冷房の風が、灼熱(しゃくねつ)の外から避難してきた僕の皮膚を心地よく撫でる。白を基調にしたフロアは、柔らかいジャズが流れ、整然と並んだ服たちがまるで展示品のように佇んでいる。


 古見さんはというと、完全に戦闘モードだった。


「これ持ってて」「こっちとこっち、どっちがいい?」


 言われるがまま服を持たされ、僕の両腕はすでに限界を迎えつつある。重さよりも、この無意味に思える役割への疑問が僕を圧迫する。


「僕、ここにいる意味ある?」


 何度目かの質問に、古見さんは振り返りもせず答える。


「バグはどこに潜んでいるかわからない」


 それ、さっきも聞いた。


 それにしても、古見さんの服選びは予想外だった。適当に目についた服を手に取っているように見えて、試着するたびに「……なんか似合ってるな」と思わされる。


 無地のシャツに派手めのスカート。ラフなTシャツにタイトなパンツ。どれも不思議と彼女の雰囲気と調和していて、僕はつい唸ってしまう。


 そんな僕の表情を見逃さなかったのか、古見さんがこちらに視線を向けて言った。


「なんで意外って顔してるわけ」


 あ、見透かされてる……。いや、これは権限関係ないな。


「いや……。昨日今日で、あんな服装だった人がこんなに服選びうまかったら、ね」


「悪かったわね」


 口を尖らせてそっぽを向く古見さん。


 ……まずかったか。


 気まずさを誤魔化すために、僕はハンガーにかかった赤いジャケットを手に取る。光沢のある布地。指先に滑らかな感触が残る。ミュージシャンが着てそうだ。


「それ、いいと思う」


 不意に古見さんが呟いた。


「え?」


「それ、君にも似合いそう」


「本当に?」


「うそ。冗談」


 振り返った彼女の顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。

 不覚にも、少しだけドキッとしてしまった。

 


 * * *



 2時間ほど経つとようやく満足してくれたようで僕らはショッピングビルから少し離れた場所にあるカフェへと来ていた。


 窓の外では都会の喧騒がゆるやかに揺れている。いつも通りの、何も変わらない現実のような気がして、少しだけ落ち着いた。


 僕はアイスティー。彼女というとまたもやグレープフルーツジュースを飲んでいる。


 それにしても、グレープフルーツジュースってこんなにどこにでもあるものだったか?


 あまりカフェに行かない僕が知らなかっただけかもしれないが、これも彼女が製作者とやらに好かれている根拠なのかもしれない。


「好きだね。グレープフルーツ」


 ジュースに釘付けになっていた古見さんは、僕はジュースより優先度が低いらしく目だけを向けてくる。その間にもカップ内のジュースは勢いよく減っている。


 サイズはもちろんLサイズ。小さな体にそぐわず食いしん坊。いや、食べてるとこは見たことないんだけど。


 4分の1飲み終わったところで古見さんはようやくストローから口を離し、こちらを向いた。


「うん。私はこれ以上酸味と甘みがちょうどよく融合している飲み物を知らない」


 相当好きらしい。僕は唐揚げにレモンはかけない派だし、高いオレンジジュースは苦手なので全く気持ちがわからない。


「よく顔を(しか)めないね。グレープフルーツなんて苦いとしか思ったことないよ」


 古見さんはまた眉を(ひそ)める。眉だけよく動く人だ。


 仲良くなったらもっと色々な表情を見せてくれるのかなと少し希望を持つ。僕の中で古味さんとの交流が生きる意味となりつつあった。


「ところで、古見さんはどうして僕がバグを見つけられるってわかったの?」


「私が持ってる権限の1つを使ったの」


「それってどんな権限なんだ?」


 古見さんは無表情のまま「教えない」と一言だけ言った。


「教えてくれたっていいじゃないか。それとも、僕の人権に遠慮してあえて言わないのか?」


「だから、私はそんな権限は持ってない。今はまだ教える段階じゃないと思ったから、それだけ」


 古見さんはそう言い放つと、感情に身を任せ一気にジュースを吸い上げた。ズズズ......と空になったことをストローが必死に伝えている。


 普通、複数権限をもってると言われればもっとプライバシーに問題あるような権限もあるのかと予想するだろう。理不尽だ、と僕は思った。


 間を埋めるために僕も負けじとアイスティーを吸い上げる。慣れない量を吸い込んだせいで僕は少しむせてしまった。古見さんが少しこちらを見た気がした。


 そっぽをむいてしまった彼女と、場の沈黙と周りのざわめきがぶつかって感じる気まずい空気に耐えられなくなった僕は咄嗟に彼女を褒めた。


「あ、あのさ。僕、古見さんがバグを治す速度の速さに驚いたよ。てっきり丸一日かかると思ってた」


 「当たり前。いつから権限持ってると思ってるの」


 どうやら権限を持ち始めたのは最近ではないらしい。少し天然気味の古見さんがずっと前から権限を持っていたというのは少し意外で、どうやって権限によって見えてしまう知るはずのない情報群を隠していたのだろうか?


 ふと、彼女は僕と同じように交友関係が少なく、そのおかげでばれなかったのかと思いつく。

 真偽を確かめようかと思ったが、今聞くと流石に怒鳴られそうな気がしたのでその質問は心の中にしまっておくことにした。


「でもすごいと思うな。だって蝉がいなくなったのは僕らの周りだけじゃなくて世界中なんだろ。それをあの短時間で修正するのはいくら権限を持っていても疲れると思うんだ」


 ようやくこちらをむいた古見さんは相変わらずの無表情のまま口を開いた。


「ありがとう。そこまで気遣ってくれてるとは思わなかった」


 どうやら機嫌は取り戻せたようだ。世界の危機は去った。


 心にしまった疑問が今ならいけると必死に合図を送ってくる。もし彼女が僕と同じ境遇だったなら嬉しいし、もっと仲が深まるかもしれない。でも、違った場合馬鹿にしたと思われるかもしれないのでオブラートを複数枚用意して挑むことにした。


「こちらこそ。ところでさ、古見さん前から権限を持ってるって言ったけど、友達とはどうしてたの?」


「友達とはどうしてたのって?」


 しまった。質問の仕方が不味かったか?


「いや、僕に自己紹介を忘れていたみたいに何かやらかしたりしなかったのかなって、思った......から」


「そうね。確かに気になるよね。でも、秘密。プライベートだから」


 目があった。その少し意地悪な表情に僕はどきっとする。


 そうだな。プライベートだもんな。まだ僕たちはそこまで仲良くないからな.....。


「あ、でも……朝あれだけ家に来たのに?」


「そう? 気のせいじゃないかな」


 食えないやつだ。こういう人が詐欺を働くのだろうか。


「教えてくれたってい——」


「さて! 二人とも飲み終わったとこだし、そろそろ行こう」


 両手で机をたんっと叩きながらそう言った古見さんは、彼女を真似て精一杯眉を顰める僕のことなど気に求めず、せっせと出る準備をし始める。そのわがままっぷりに情けなく負けた僕も仕方なく彼女に従うことにした。


 いち早く帰り支度を済ませ、席を立ち会計へと向かう古見さんの後を、僕は慌てて追う。


 考えているよりも高い値段に驚きながら財布を出そうとしたが、ふと白い手に遮られた。


 何か別の意図があるのではないかと、僕は彼女の表情を探う。


 そんな僕をみてふっと笑いながら古見さんは言った。


「いいから黙ってて」


 驚きを超えて怪しく思えてくる。僕は頭で渦巻く言葉を思うまま声に出した。


「どうして」


「今朝、君は昨日まで死にたがってた人が急に元気になるわけないって言ったよね。私、確かにって思ったの。でも君は文句を言わずについてきて、実際に違和感を見つけてくれた。だから、そのお礼」


 急な感謝に驚いたまま固まってしまった僕を横目に、古見さんはお金を払いながら「明日もよろしくね」と言った。



 * * *



 帰り道、僕は重さの変わらなかった財布のことを考えていた。


「お金本当に良かったの? 今からでも払うけど」


「大丈夫。明日から頑張ってもらうための投資だから」


 たった一日を共にしただけだが、なんとなく古見さんという人をわかってきたかもしれない。ずっと無表情で、何を考えているかわからないが、内心は僕のことや世界のことを気遣っていて、それでいて自分の芯をしっかり持ってる人なんだと思った。


 生きる意味は各地に散らばっていて、みんなはそれを拾って生活しているけれど、僕は見つけるのが下手だったのかもしれない。昨日死ななくてよかったな、と僕がしんみりと思った時。


 視界が揺らぎ――古見さんが消えた気がした。



 正確にいうなら、瞬きの寸前、古見さんが消え、戻った。



 束の間に起きた異常を僕はすぐに伝える。


「古見さん! また異常が」


「どこ」


「気づいてないの? 古見さん自身だよ。今消えたでしょ」


 そういうと、古見さんの真剣な表情は消えいつもの無表情に戻った。


「くだらない冗談はやめて」


「冗談じゃない! ほんの一瞬だけだけど、本当なんだ」


「流石に私が消えたら気づく。だって歩いてるでしょう?」


「それは蝉の時みたいに気づいてないだけなんじゃ......」


「もういい。そんなこと起きるわけないから」


 そう言った古見さんは心配する僕のことを置いて、改札の中へと消えていった。


 僕は行き場のない気持ちを抱えながら、行きと同じバスに揺られて自宅へ帰った。



 ――その夜、僕はなかなか寝付けなかった。

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