第十七話「権限」
「俺はシミュレーション仮説について研究しているんだ。それについては知ってる?」
「なんとなくは」
市松さんはうんうん、と頷いた。
「簡単にいうと、この世界がシミュレーションじゃないかっていう仮説だね。ニコラス・ボストロムという哲学者が提唱した仮説なんだけど——」
「難しいことはいいから簡潔に説明して」
横で腕を組み黙って聞いていた砂藤さんが横槍を指す。
「わるい。まああれだ。『今の技術の発展速度だと、そのうち現実シミュレーターが生まれるんじゃないか?』ってことさ」
「私目線仮説じゃなくて事実なんだけどね」
「そうらしいね」
市松さんは肩をすくめ、困ったように笑った。
「聞いたところによると林道くんはこの世界の欠陥を認知できるようだね」
「市松さんはできないんですか?」
「あいにくね。そのかわり、俺は別の権限を持っているんだ。なんだと思う?」
別の能力? 僕は何も思いつかずに黙り込んだ。
「わかりません」
「権限名は<スローモーション>! 俺の目には全てがゆっくりと動いて見えるんだ」
「1分が10分に感じるってことですか?」
市松さんは両手の人差し指をまっすぐ伸ばした。
「いや、俺が感じる時間の速さは普通と同じだ。ただ、目と耳が拾う情報の量が異常に多い」
「いっちーはね、普通の人の倍の速度で視覚や聴覚の情報を処理できるの。それで結果的に、周りの動きが遅く見える」
「まあ、地頭が良い人に処理速度は勝てないんだけどね」
市松さんはカラカラと笑う。
「一応、何かあった時のために今後はいっちーに同伴してもらおうと思ってる」
「俺研究で忙しいんだけど」
「世界が滅んでも続けたい?」
「続けたくありません」
俺は何を見せられているのだろうか。
「ところで」と市松さんが区切りをつけて話してくれた。
「林道くんには世界がどんなふうに見えてるんだ?」
「別に普通ですよ」
「UIが見えたりとか、そういうわけではなく?」
「はい。ただ、違和感を感じるんです。こんなものあったっけ? こんな感じだったっけ? って。確信があるわけじゃないんですけど」
「なるほど......面白いな。その能力はいつからあるんだ?」
僕は記憶を探る。ただ、気づいた時から、としか言いようがなく、具体的な記憶は何もなかった。
「わかりません。ただ、中学生の時にはあったと思います。その頃ぐらいから僕は周りに避けられていたので......」
「あー、わるい。嫌なこと思い出させちゃったね。俺はね、はっきり覚えているんだ」
「高校二年の夏、その日は朝から調子が良かった。はっきりと違和感に気づいたのは体育の講義の時。ボールやフェイント、全てがはっきり見えたんだ」
「私にも発現のトリガーがわからないんだよね。そもそも前例が少ないっていうのもあるんだけど」
いつの間にか椅子に座っていた砂藤さんはクルクルと回りながら言った。
「そもそも砂藤さんはどうやって僕らを見つけたの?」
「そういう探す権限があるのか?」
「あー、勘?」
「「——勘?」」
僕らは声を合わせて言った。




