帰らぬ死人、戻る死人
友人が火葬された日の帰り道。貝殻を砕いた白色と年季でひび割れたオレンジ色のツートンにタイル敷きされた道を歩いていた。学生時代からの付き合いだったその友人とは、この道を通ってよくお互いの家を行き来していた。うちに来ればスイッチ、向こうに行けばプレステ。亡くなる2日前もそれは同じだった。案外悲しむ取っ掛かりがないもので、僕はただ黙って歩くしかできなかった。
僕たちの間にもう一人友達がいたなら、こんなとき真っ先に感情的になれたかもしれない。それが自分の気持ちに正直であるかどうかの精査は置いておいて、とりあえず考えを先に進めることはできたはずだ。友達が少ないと、そういった心の動きまで個人的な作業となってしまう。僕はずっとそれが嫌いじゃなかったし、おそらくはアイツも同じように嫌いじゃなかったんだろう。言葉をこねくり回すのが好きな奴だった。僕はアイツが普段考えた成果の数々を聞かされ、それに張り合おうとするといつも言葉のクオリティで負かされていた。そんな友人が死んだね。僕の家はもう間近に見えていた。
うちのマンションの扉は上下二重ロックだった。今日みたいな日には、人が焼かれたのに二重ロックだと思った。靴を脱いで部屋に上がる。ジャケットを脱ぎもしないで冷蔵庫からビールを3本取り出す。居間の窓の端に束ねてあるスミレ色のカーテンを引き、プルタブを開けた。
特に面白いとも思わずゲーム実況の続きを流していると、広告が挟まった。武装したフレンチメイド衣装で片目の隠れた巨乳のドジっ娘が前かがみのポーズで「はわわ。マ、マスター?」って呼びかけてソシャゲの宣伝。ちょうど動画にも飽きていて、サイトのアプリをスワイプしてスマホごと放り、手に持ったビールをもう2,3口流し込んだ。クルクル中身を回してみて、そろそろ1本飲み終わりそうなことに気が付くと鼻の奥から眠くなった。
床に寝ころんだまま完全に夜になって、僕は何かご飯を食べなくちゃと思った。テーブルの上に開けられた缶ビール3本。気分的には全然夜食べなくていいけど……冷蔵庫にあったいつかの焼き鳥をレンジへ、新しいビールも5本出しておく。PCをつけて、この前見ていた大作映画の続きを流しておく。キッチンからレンジに呼ばれた。
豪勢なテーブルのうえ、ビールは次々に開けられた。ビールなら何本飲んでも酔う気がしない。映画の内容はすでに追えていない。レビューでは難解だとか書かれていたけど、カメラワークやシーンの1つ1つが面白くて楽しめていた。焼き鳥もビールも無くなると、僕は氷入りのコップとブラックラムを1瓶用意する。久しぶりにこれを飲む。モニターでは悪ガキ集団の中で一番小さな子が大人ギャングに撃たれ、最後のセリフのあと主人公は血まみれのナイフと共に警察に捕まってしまう。そして10年経っての釈放のシーンへ。僕は何の意味もなくカーテンのスミレ色が剥げた部分を指でつまんでしまう。ラムを飲んで顔が熱い。氷も溶けていた。コップを滴る水滴がテーブルの上に表面張力をつくって浮いている。禁酒法時代のパーティーと帰って来た主人公と友人たちの再開。仕事の話。娼婦でお小遣い稼いでたあの娘はもう娼館のマダム。アタシは高いよおって全員にキッス。コップの中にラム酒が渦をつくっている。常温で飲むと本来の味がハッキリする。まったく面識のないはずの政界の大物から届いた招待状の謎に包まれたまま、僕はぬるいラムの入ったコップを置いて床に寝そべり、早朝には辛い時間を迎える。
僕は飲み過ぎでお腹を下しトイレに籠っていたが、世の中では今も大変なことが起きている。僕の唯一の友達が死んだんだ。カーテンの隙間から朝焼けの空は黄色い。世界は容量制でやってない。もしも容量制だったとしたら、1週間まで生きていたアイツがいなくなったあとの穴を、さらに最近生まれたばかりの赤ちゃんたち7人くらいがぴったり埋めて、今もこうして世界を成立させているんだろうか。赤ちゃんとはいえ人間だ。人間には途方もないバラツキがあって、どう組み合わせてもぴったりなんてあり得ない。仮に些細な誤差を許してしまえば、その許した誤差によって世界はどんどん縮小、最後にはフル規模の大穴になる。だから世界は容量制じゃない。テーブルにはビールの空き缶8本、茶色いタレのついた皿、半分まで飲んであるラム酒の瓶とミリ残しのコップが置いてある。このときパッと思いついた、溢れ出た物は捨てるという文言とこの世界の構造が、なんだか昨日焼かれたアイツに悪いような気がしたが、アイツの好きだった言葉遊びはまさに無駄の象徴のようなものだ。すると不思議なことに、そんな文言にも相手への尊敬の念が宿りはじめるんだ。火葬から1日かけて、演繹的に導かれたこんなリスペクトを奴に送ることで、僕はお返しの皮肉と新たな天国での思索対象をプレゼントしたかった。このとき、アイツに何かあげたかったという部分だけが真実なのだが、一般的にはそこから枝葉のように派生した虚像の集合が現実世界だとして説明されがちだ。あー、お前って実は帰って来れたりする?