三十一 スサノオ
気持ち悪い事を言うかもしれないが、多分男の人ならば共感してくれるはずだ。借り物の布団で来客用だとは思うのだが、意味が分からないくらい良い香りがした。枕が変わると寝れないようなデリケートな人間でもないので爆睡である。
夢すらも描けないような休息に脳が喜んでた気がする。意識の覚醒と共にぼんやりとした視界がクリアに変わっていき、眼前に二つの球体が映りこんだ。え?近くね?
「うぅぅぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「いや……琥珀がびっくりするのは分かるけど、ココロがその反応するのは意味わからないでしょ」
「び、びっくりしたぁぁぁぁ!?ちっか!!顔ちっかぁぁ!?」
「あぅぅ……ごめんなさい……」
「顔が良いのは分かるけどガン見しすぎ。お腹空いたし何か朝食を作ろうと思ってるんだけど、二人も何か食べる?」
「「食べる」」
コロネとハモった。何故か布団の中に潜ったまま出てこないコロネと、ソファの上でおっさんのように寝そべるチョコ。そして豪快な寝相で四肢を投げ出したオレンは掛布団が凄いところまで吹き飛んでいた。寝相悪すぎだろあいつ。
「カレンちゃんは今日も泊まってくれるらしいんだけど、二人もどうかな?」
「私はバイトもあるし、今日はパスね」
「流石に連泊は悪いしやめとくかなぁ」
「そっかぁ……」
「ココロって割と寂しがり屋なのか?」
「…………」
「え?なんで無視?チヨさんチヨさん、ココロが反抗期です」
「そうね。そんなことより目玉焼きは半熟派?完全に生派?」
なんか返しが冷たい気がするのは気のせいだろうか。俺は完全に黄身に火が通った方が好きなので、何故か選択肢にすらなかったその旨を伝えつつ、連携済みのスマホからアストラの公式サイトへとログインした。
「……注意喚起だってよ。悪質なプレイヤーの報告が多数上がってるらしくて調査中だとさ」
「怖いね……特定してリアルにまで粘着するって聞いた事あるけど、実際そんなのどうやってるんだろう?」
「俺とココロがこうしてリアルで出会っているように、ひょんなことから繋がることは珍しくないんだ。それこそ何気ない会話の中から、狙って地域特有の特徴なんかを聞き出し、知らず知らずのうちに特定される事だってある。無名なプレイヤーはさほど気にしなくても大丈夫だと思うけど」
自炊してるんですかとか、飯落ちの後またインしますか?とか、有益な情報を狙う輩がリアル特定のためにかける些細な情報収集の執念は凄まじい。明らかに才能の使い方を間違えてる。探偵にでもなれば良いと思う。
〝天啓の導〟に属していると噂の特定班、かく言う俺もそいつらとの会話にはかなり神経を使っていた。最前線を走り続ける〝霊峰の御剣〟の中でも、ゼロは特に初攻略などにはよく声を掛けられていたため、自分でもよく分かっていないくらいには機密情報を持っていたように思う。
「ごちそうさん。朝から三品も作ってくれてサンキューなチヨ」
「ごちそうさま!一家に一台チヨだね!」
「お粗末さま。大したものは作ってないけどね」
そうして朝食も済ませ、俺とチヨはオレンのいびきを聞きながらコロネに見送ってもらい、それぞれ帰路へと着いたのだった。
帰りの電車の中で不穏な書き込みに目が止まる。なんてことはない噂が飛び交う掲示板での事だ。近頃PKが頻繁に発生するようになっており、決まってそいつらは同じクラン名を頭上に背負っているらしい。
通常、プレイヤーの頭上にはネームがある。クランに属している場合に限り、名前の更に上にはクラン名が綴られる。故に悪質なPKをされた者達がこうして、恨みや泣き言混じりに晒す事は珍しくは無い。
(〝スサノオ〟ねぇ……PKを繰り返していると見ただけで逃げられるようになるから、物資調達をPKに頼り切りだとすぐに枯渇するぞ?それとも別の目的があるのかねぇ)
なんて他人事ながらに考えていると通知が入った。『昼前にコロっちとインする〜 レイっちもどう?』と。チョコはゲーム内で既に連絡先の共有はしていたが、オレンともオフ会で交換したのだ。ちなみに言われずともインするのは確定である。
早くアストラやりたい。つり革にぶら下がったままぼんやりと窓の外を眺めていたのだが、やたらと後ろのやつの距離が違い気がする。なんというか、圧力もあるしケータイを覗かれている気がする。
(なんだ?そこまで混雑してないのに近すぎ――)
「やほ。なに?あんた女友達できたの?」
「カオリ!?なんでここに!?」
身長約一五〇センチ、頭一つ以上小さい茶髪ロングの女ことカオリがいた。というより今のオレンの通知を見られていたとしたらヤバイ。復帰している事がこいつにバレてしまう。
「最近アストラに来ないと思ったら、別のゲームしてるのね?今日は休みなの?珍しいじゃない」
「あ、あぁ!ちょっとしたトラブルで仕事が進められなくなってたまたまな?カオリこそどうしたんだよこんな所で」
「リアルが特定されたから一時的にリーダーの別荘に向かってるの。〝スサノオ〟っていうクランがかなり悪質でね?って……離れてるあんたには関係ないか……」
「は?あいつらリアル特定までする変態粘着なのか?大丈夫かよお前」
「運営に通報はしてるけど、あくまでゲーム内の〝スサノオ〟達は規約を逸脱してない。リアル特定とか、犯罪まがいな脅しなんかは、アストラに関わりのない他の仲間がやってるんでしょうね。〝センター〟の再来って感じだわ。嫌になる……」
カオリの言う通り、かつての犯罪組織〝センター〟と全く同じ手口だった。アストラ内で揺さぶり、時間をかけてリアルを特定しては粘着し続け、有益な情報やアイテムの全てを奪い取るゴミ共だ。
クラン抗争にまで発展する事も珍しくはなく、その多くはリアルでの犯罪を厭わない犯罪者側が甘い蜜を啜ることが多い。当たり前だ、ゲーム内でどれだけ強くとも現実は現実なのだ。本当に痛みや命が関われば人間は容易く折れる。
「本当にやばくなったら言えよ?流石にゼロを出してどうにかしてやるから」
「ゼロのBAN祭りは大騒ぎだったわね。実際どうだったの?あれ」
「そりゃあ気持ちよかったぞ。視界に入ったセンター共が次々消えていくんだから。あいつらと手を結んでいた他のクランの奴らの怯える目は……完全に怪物を見るあれだったな……」
「運営と警察が結託すればまたそうなるかもね。あ、そうだ!あんたレイって人とは接触があったんでしょ?確かゼロで羅針盤を預かってるって聞いたから伝言をして欲しいんだけど」
カオリからレイって単語が出る度に心臓が鼻から出そうになる。そこは口だろって?食べ物がむせて鼻から出るように、それくらいびっくりしてんだよ。誰につっこんでるわけでもないが一応補足しとく。
「あぁ、どした?」
「耳かして…………『祭殿への羅針盤』、あのアイテムの情報がダークウェブ上で法外な値段で取引されてるの。多分……それにまつわる情報が漏れて私も狙われてる」
カオリと交戦した闘技場だが、あそこは膨大なプレイヤーが二十四時間常に戦闘を行っており、その対戦の様子を他プレイヤーは観戦可能なのだ。俯瞰した視点でも、対戦プレイヤーどちらかの視点でも、好きな画角から見ることが出来る。だが対戦数が膨大すぎて、無名プレイヤーはほぼ観客はいない。
「レイとカオリの対戦を見ていた誰かが、恐らくは途中で口走ったアイテム名に食いついたってことか。そんな信憑性の乏しい情報でさえも裏では価値を見出してんのか……?」
「それくらい情報がないのよ。中にはアイテムを入手したレイの姿を盗撮したスクショなんかも出回ってる。あの人は今とても危険よ……うちとも協力関係があったみたいだし、多分アストラで見かけたらすぐに声をかけられると思うわ」
「前にさらっと説明したけど、あれは今ゼロが預かってるし大丈夫だろ。流石の犯罪者共もログインしてないやつに手は出せないし」
「馬鹿ね。ゼロには絡めなくてもレイって人には絡めるわ。あの人がリアルの特定をされて粘着されたら、それこそあんたにまで被害が及ぶ。だからこの伝言はあんたのためでもあるのよ。頼んだわよ!」
レイ=ゼロなので被害直通で草。いや笑えないわ。俺はアストラというか、ゲームが大好きだ。その上で言いたいのは、たかがゲームのアイテムに法外な値段がつくってなんでだよである。
一部のプレイヤーは自キャラ強化のためならばリアルマネーを払う、そんな歪な取引が需要と供給の構図を作り出してしまうのだろう。まぁ、アストラで強さを得ればそれは知名度に直結するし、知名度が上がればSNSを通じて各方面での宣伝にもなる。そう言った計らいもあるのかもしれない。
(言うてリアルマネートレードは運営直々にあかん言ってるし、それ以上の脅しやストーカー、暴力行為がリアルに及べばセンターの二の舞だろう。ただコロネ達も巻き込まれかねないし、早々にこの情報は共有しとくべきかな)
〝センター〟が猛威を奮っていた頃はアストラ暗黒期と呼ばれ、今となっても語り継がれている。仲間内で道具を返さない振りをした時など、「お前センター出身か?」という返しが通じるくらいには一躍有名な奴らだったのだから。
『長剣』
片手剣を長く、大きくしたもの。サイズが変われば威力も取り回しも変わるが、要求される技術も同じ。振り回すような使用が想定されており、貫通属性のウェポンスキルは有していない。
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