10 extra track ニコニコしないニコラス殿下
時系列は第二部 第五章の12話と13話の間になります。
ディアマンタのフェリティカ行きについてのお話です。
フェリティカ帝国からの使いの方がメルシエ家に来たのは、イオルム殿下に『行くべきだ』と言われた半月後だった。
さすがに半月あれば色々と心の準備ができる。
イオルム殿下やディオン伯父様にお話を聞いたり、精霊たちにフェリティカ帝国について質問をしたりしていたので、落ち着いて使者の方たちを迎え入れることができる……
……と思っていたのだけれど。
応接室に入ったらフェリティカ帝国の第二皇子であるニコラス殿下がいらして、表情筋が仕事を放棄した。
なんで皇子殿下が……この人肌がすごく白いなぁ……人形みたい。
「……どうしてお前がいる、イオルム」
「ふふ、親戚枠」
わたしの隣に座ったイオルム殿下が満面の笑みをニコラス殿下に返す。
いつも軽い調子のイオルム殿下が、いるだけでこんなにも頼もしいと思う日が来るとは思わなかった。
とってもありがたい。
「もっと早く来るかと思ってたんだよ?ニコ。結構かかってるじゃん、政変」
「……色々洗い出すのに手間がかかった。私も今日これが終わったら一度フェリティカに戻る。身体が限界だからな」
ニコラス殿下がはあ……と長いため息を吐いた。
「これだけ空気が濁っていると、さすがに堪える」
「うんうん、だよね。視えるよ。早く戻ったほうが良い。
それで?要件を聞こうか」
イオルム殿下が話を振ると、ニコラス殿下がまっすぐに視線をわたしに向けた。
碧色の綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。
イオルム殿下の白金の瞳も、リリス様の黄金の瞳もお美しいけれど、高貴な方って皆様瞳が美しいものなのかしら。
「単刀直入に言おう。ディアマンタ=メルシエ嬢。フェリティカ帝国に来てもらいたい」
そんなニコラス殿下の口から出たのは、思っていた以上にストレートな言葉だった。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「わかっているのだろう。君についている精霊、その子だ」
バレッタの中にいたドゥメルがぴくりと反応した。
〈やだ……こわい……〉
「傷つけたりはしない。顔を見せてくれないか、海竜の子」
「やだなぁ、ニコ怖いよ。みんなが萎縮する。落ち着きなって。
出ておいでドゥメル。この怖い皇子様にご挨拶しよう。僕がいるから大丈夫。何かあったらお尻を叩いて追い返すから」
イオルム殿下が静かに声を掛けた。……というか、お尻、叩けるのかしら。
バレッタの中からドゥメルがおずおずと出てきた。
わたしの首の影から、ニコラス殿下をのぞいているようだ。
〈はじめまして……ぼく、どぅめる〉
その姿を見て、ニコラス殿下が大きく目を見開いた。
「ニコラス=フェリティカだ。姿を見せてくれてありがとう。
……しかしイオルム、なぜこれを隠していた、これは」
「はいストーップ。この子はずっと眠っていたんだ。隠していたわけじゃない。
言葉には気をつけてね、ニコ?」
イオルム殿下の圧がなんだかすごい……ニコラス殿下がたじろいでいる。
「……悪かった。しかしどうしてこれが」
そこへ精霊たちがわーっと飛び出してきた。
ニコラスー
ぼくたちがおもいだしたのー
ディディをまもるのにてきにんってー
ねむってたのをみんなでおこしたのー
だからディディもドゥメルもいじめちゃだめー
「……そう、か。わかった。いじめたりはしないから安心してくれ。
それにしても随分と精霊が多いな」
「ふふ、毎晩生まれてくるからね」
「毎晩?そんなに生まれ……ああ、そういうことか、わかった。仲が良いようで何よりだ」
どういうことだろう。
隣に座っているイオルム殿下をちらりと見るも、満面の笑顔でしかない。
「ニコラス殿下は、精霊たちが視えるのですか?」
そう尋ねると、ニコラス殿下は深くうなずいた。
「私は少し特殊な身体で、精霊と近いものなんだよ。だから姿も視えるし言葉も交わせる。そして精霊たちと同様に、空気の澱みや濁りに弱い」
「へえ……」
「それで、ディアマンタ嬢をフェリティカに招聘するためにどんな条件があるんだ?イオルム」
「ふふ、ニコは話が早くて助かるなあ。
メルシエ家からの条件を伝えよう」
事前にみんなで入念に話し合った、わたしがフェリティカに行くことを了承するための条件、それは。
精霊魔法を学ぶために学園に通わせること。
出入国を制限しないこと。
二人に魔法の行使を強制させないこと。
ユークリッド=フェリティカ第三皇子および絶望の魔女ルルティアンヌの庇護下に置くこと。
魔道具師塔への自由な出入りを許可すること。
「……以上だよ」
「想定の範囲内だ、その程度は構わない。しかし魔法の行使を強制させない対象が二人……?」
「ディアマンタの世話役に、この子の姉であるルビナ=メルシエを同行させる。彼女にも名有りの精霊がついている」
「なっ……!?」
「ふふ、魅力的でしょう?ニコラスが来るってわかっていたら同席させたけど、あいにくルビナ殿は外出中だ。
この家はそういう家だよニコラス。大事にしないといけないよ。ね?」
「なるほど……よくわかった。フェリティカとして最大限丁重にもてなすことを約束しよう」
「ニコからその言葉を聞ければ安心かな。ディアマンタちゃん、質問はある?」
あ、言って良いのかな。
「ええと……お願いがあるんですけど……」
恐る恐る切り出すと、ニコラス殿下はわたしに向けて作られた微笑みを向けてきた。
「できる限りのことは叶えよう。教えてくれ」
「メルシエ商会のフェリティカ支店で取り扱える品数を増やしていただけませんか?」
ニコラス殿下の目が丸くなる。
「……うん?」
「フェリティカ帝国は他国からの輸入品などの規制が厳しいですよね。審査さえもしてもらえないと従業員が嘆いていました。優遇してくれとは言いませんが、審査の受け口をもう少しなんとかしていただけませんか」
「……ディアマンタ……」
同席していたメルシエ伯爵ががっくりと項垂れた。
「自分たちのことを心配してくれ」
「心配していますわ伯父様!だってお客様に品物をおすすめしても現物をお売りできないのでは機会損失です!わたしもストレスが溜まるし!」
「そうじゃないだろうディアマンタ……」
ご要望のものをお売りできないストレスはものすごいのだ。
身体中がむず痒くなり、品物がなかったことを夢に見て夜中に飛び起きるくらいにはダメージが大きい。
「良いものを良いとおすすめするのがわたしの生きがいです。気持ち良くフェリティカに滞在するためにも、わたしが良い状態でフェリティカ帝国のお力になるためにも、是非ご検討いただきたいのです」
ニコラス殿下が背後に立っている侍従に対して視線を送ると、侍従の男性が深くうなずいた。
「なるほど、審査が門前払いとは知らなかった。すぐに確認しよう。貴重な情報をありがとう、ディアマンタ嬢」
そしてニコラス殿下が微笑みを向けてくださった。あ、今度は、心からのものだわ。
この方は大丈夫そうだ。イオルム殿下がこれだけ親しくされているんだし、間違いはないだろう。
わたしも営業用ではなく、心からの笑顔を返す。
「それさえクリアになればわたしは大丈夫です。よろしくお願いいたします」
〈でぃでぃ……〉
手の上に乗っていたドゥメルが、不安そうな眼差しをこちらに向ける。
「大丈夫よドゥメル。一緒に頑張りましょうね」
〈うん……〉
「大丈夫だよドゥメル。ディアマンタちゃんをいじめるようなやつが出てきたら、遠慮なくざっぱーんして良い。僕からもニコやユークにしっかり文句を言うからね」
〈それなら、あんしん?〉
「ええ、安心だわ」
〈それなら……だいじょうぶ、ぼく、がんばる!〉
***
後日、お姉様と一緒にユジヌ城でニコラス殿下に改めてお会いした。
「お初にお目にかかります、ニコラス=フェリティカ第二皇子殿下。ルビナ=メルシエと申します。この度は何卒よろしくお願いいたします」
お姉様、さすが所作が綺麗ね。わたしも出発までにもう少ししっかりレッスンを受けた方がいいかしら。講師はお姉様になりそうだけど。
「ルビナ殿、わざわざ足を運んでもらってすまないな。顔を見ておきたかったんだ。
隠れているのは火の精霊だな」
スピナが恥ずかしがりながらニコラス殿下の前に行く。
〈はじめましてニコラスでんか。わたしはスピアです〉
「スピア?君の名前は名前はスピアズ……」
〈スピアです!!スピアとよんでくださいニコラスでんか!!〉
慌ててスピナがニコラス殿下の口を塞いだ。
「むっ」
「スピア!」
お姉様が驚いて声を上げる。それでもその場から動かないあたり、さすがだなと明後日な感心をしてしまった。
「申し訳ありませんニコラス殿下。この子には真名がございますが、私以外に呼ばれることを強く厭います。どうかスピアとお呼びください。
……スピア、大丈夫よ」
お姉様がそう声をかけると、スピアは恐る恐るニコラス殿下から離れ、殿下に頭を下げた。
〈もうしわけありませんニコラスでんか。わたしのなまえは、ルビナとふたりだけのたからものなのです〉
「はは、なるほどね。わかった、悪かったねスピア。君もフェリティカに来てくれるんだろう?」
〈はい〉
「君やドゥメルと同じように、名前を持つ精霊がたくさんいる。性質も性格も様々だ。是非交流してみて欲しい」
〈わかりました、がんばります〉
「ああ、よろしく頼む。……ドゥメル」
〈なぁに、にこらす〉
「君もよろしく頼む。我々には君たちの力が必要なんだ。助けて欲しい」
〈たすける?うん、ぼく、にこらすたすける〉
「ありがとう、頼りにしている」
〈まかせて!〉
この後、フェリティカでの生活をどうするかについて侍従の方と打ち合わせをして、解散になった。
「お姉様、本当に良いんですか?」
帰りの馬車で尋ねると、お姉様はこちらを見て「もちろん」と微笑んだ。
「ディアマンタは小さい頃からしっかりした子でしたからね。あまり甘えてもらえた記憶もありませんし。今こうやってあなたの力になれることが嬉しいのよ」
「ありがとうございます、お姉様。スピアもよろしくね?」
〈……うん、よろしくね〉
〈ぼくも!ぼくも!〉
「ええ、ドゥメルもよろしくね。せっかく行くなら楽しみましょう!フェリティカ帝国!」




