08 bonus track 淑女たちの酒盛り
番外編05 『獲物』になった男たちの座談会
の裏で開催されたメルシエ家の女たちの宴会の様子です。
リリスの叔母、シャルロット視点で進みます。
「ああ!心配だわ!!」
ノエミがグラスをテーブルに置き、頭を抱える。
「落ち着きなさいなノエミ。ディディちゃんはしっかりしてるわ、ルビナちゃんもいるんだし心配要らない」
「いつでもどこでも売り込みしそうで心配なのよ!!」
「ああ……」
「それは……」
マリエルと顔を見合わせる。
「やるでしょうね」
ディアマンタに降って湧いたフェリティカ帝国行きの話。
まだ打診はないけれど、イオルム殿下が言うのであれば、ほぼ間違いないだろう。
私の可愛い姪リリスの『獲物』であり、私の幼馴染であるウルフェルグ国王の子どもたちの中で、一番の問題児であるイオルム=ウルフェルグ第二王子。
自分で言うのもおかしな話だけれど、セスの女の嗅覚は確かだ。
だから、リリスが選んだその男がどれほど難ありであろうと、『獲物』であるに相応しいのだろうとは思っていた。
――それがまさかここまで突き抜けた男だとは思わなかったが。
「……とんでもない男を捕まえたもんだわ、リリスも」
「シャル、あなたもとんでもない女だと思ったけれど、リリスとイオルム殿下はさらにとんでもない夫婦だったわ」
わたしの呟きを拾ったマリエルが、ウイスキーの水割りを片手に笑っている。
「あの二人がいたら怖いものなんてないわね」
「私も居合わせたかったわぁ、夜会」
ノエミがおかわりの赤ワインを注ぎ、レーズンをつまんだ。
「お店にいらっしゃるどのお客様も絶賛! おまけに新聞にも載ったでしょう? さえずりサブレが飛ぶように売れて工房が本当に大変そうなのよ!」
「人が足りないとかそういうこと?」
「ええ。あそこの工房は全部手作業だから」
「……それこそ、あの二人から何かしら魔道具でも贈ってもらったら?」
「それ良いかも! 寝る時間もないって言ってたから」
ドン、とテーブルに両手をついてノエミが立ち上がった。
「ちょっとリリスに聞いてくるわ!」
「やめときなさいノエミ。お酒臭いわよあなた」
「……ああそっか。向こうは飲んでないんだものね。明日の朝に聞くわぁ」
リリスは今、ディアマンタと一緒にパジャマパーティーを開いている。
お菓子を広げて、恋愛話などに花を咲かせるのだ。
恋愛? 恋愛話があの二人で成立するのか。ディアマンタが目を回さないか心配だわ。……まあ、良いけれど。耳年増のディアマンタにも、鮮度の良い刺激は必要でしょう。
朝露を浴びたかのようにしっとりと潤ったリリスと、すこぶるご機嫌のイオルム殿下。この二人と私は毎朝顔を合わせている。
同じセス家の女としては獲物にきちんと愛を与え、与えられる愛を全身で受け止めていることを微笑ましく思うけれど、叔母の立場では少し複雑な気持ちにもなる。私も若い頃ってそんな感じだったかしら。
「……一度、二人に工房に行ってもらうのが良いかしらぁ、でも工房の人たちが萎縮してしまうかもしれないわぁ」
ノエミは本当によく飲む。そして絡む。今日も酔いが回ってきたらしい、語尾が伸び始めた。
まだ今日は可愛らしいから良いけれど、たまに本気の絡み方になると扇子で頭をはたきたくなるほどに面倒臭い。
「あの二人なら、変装して潜り込んだりしそうじゃない?陣中見舞いの名目で行くことにして、同行してもらうのが良いんじゃないかしら」
一方、マリエルは良いお酒をじっくり味わいたい派だ。レイモンと揃ってウイスキーを好む。
今日飲んでいるのは、ベルクツァッハの十八年。
二人が納得するウイスキーを仕入れるために私もウイスキーを飲むようになった。ストレートで飲むのが好きだが、アイスにかけるのも捨てがたい。
ウイスキーなら、今はバラントーインが飲みたい気分ね……今日は出てきそうにないから、明日にでも自邸で飲みましょ。
そして私はカヴァを開けている。一人で。だって二人とも泡の気分ではないと言うのだもの。一本くらいは楽勝だから構わないけど。
私たちはいつもそう。三者三様、自分が飲みたいお酒を飲んでいる。
「そういえばエディトが話を聞いて欲しいと言っていたわ。ジョフがこの前ここに来て以来、何かと涙もろくなって面倒なんですって」
エディトはマルグレーヴ侯爵夫人。名ばかりの留学生だった私の数少ない学友だ。祖国であるウルフェルグは就学義務がないため、学校には通っていなかった。家庭教師を雇うが、私はマナー以外はほぼ放置だったため、兄が教わっているそばで大人しく座って話を聞いていた。何もわからないような顔をして、全てを吸収していた。
ユジヌに来てからもほとんど学校には通っていなかったけれど、実家では読ませてもらえなかった本をたくさん読んで、知識を得ることができた。そういう意味でも、家を飛び出してディオンを追いかけてきたのは正解だったのだ。
「マルグレーヴ夫人が? 私は構わないけれど」
マリエルもグラスの中身が空になったらしい。自ら次の一杯を作っている。あら、ちょっとウイスキーが多いんじゃない?
「夫人もだけれど、侯爵の息抜きが必要なんじゃないかしらぁ」
「そうねえ。でも、夜会からまだ三日しか経っていないのだから、エディトはともかくジョフはなかなか時間が取れないんじゃないかしら。まずはエディトだけでも誘ってみましょうか」
ああ、護衛代わりにリリスをつけて一緒に観劇なんてしても良いかもしれない。
「……これから、どうなるのかしらね、この国」
グラスに手を添え、反対の手でマドラーを持ったまま、マリエルが不安を吐き出した。
「大公家はだいぶ前から機能していなかったから、大きく乱れることはないんじゃない。大変なのはご貴族様くらいでしょう」
「……貴族がいる前で言ってくれるじゃないの、シャル」
「ええ、でも、私達にはそんなもの関係ないじゃない」
私が嫁いだメルシエ家は不思議な家だ。
家を継ぐ者、継がない者、立場の違いはあれど、目的を全員で共有できている。そしてそれに異論を唱えるものがいない。魔道具で適性を見定められ、その通りに生き、役割を果たす。
まるでひとつの大きな生き物のように存在する家。……セス家と形は違うけれど、これもひとつの血の呪いなのでしょうね。
以前ディオンに、伯爵になりたいと思ったことはないのかと尋ねたことがある。
『なぜ俺じゃないのかと思ったことは何回かある。でも何回か、だな。物事の向き不向きは自分でわかるだろう? 化かし合いはレイモンが一番強いし、商売を広げていくのは嫌いじゃないがクレマンには敵わない。
逆に、これというものを見つける嗅覚は、世界中の誰にも負けない自信はあるよ』
長男のくせに家を継げなかった、と初対面でディオンを侮るゴミどもは多い。しかしすぐにその認識を改めさせ、惚れさせてしまうその為人と才覚が誇らしく、同時に憎らしくもある。
――私だけのものなのよ。この極上の男は。
「そういえば今日はディオンと殿下が飲んでるんだっけぇ?」
ノエミがピッチャーの水をグラスに注ぎながらとろけた目でこちらを見た。
「そう。とっておきのワイン出すんだって張り切ってたわ。私だって飲みたかったのよ?」
そうこぼすとマリエルが意味ありげな眼差しをこちらに向ける。
「……何よマリエル」
「ディオンがイオルム殿下に取られちゃいそうで妬いてるの?」
「そんなんじゃないわよ」
小さく鼻を鳴らし、自分のグラスにおかわりを注ぐ。
「顔に出てるわよシャル。不思議な方だものね、イオルム殿下」
不思議なんて可愛らしいものではない。
幼顔のまま大きくなったような可愛らしい印象とはかけ離れた中身……いや、逆に子どもの残虐さを持ったまま大人になったと言われた方が説得力がある。
精霊魔法を使えるのも、その性質が精霊に近いから気に入られたのではなかろうか。
リリスの悲願、セス家における女性の権能復興は、私にとっての復讐でもある。
あの二人なら成し遂げるだろう。何と言っても、リリスが選んだ獲物は今や人ではない。
性質的には神に近いらしいが、悪魔と言われた方がまだ納得感がある。
「……まあね。頼もしい男たちよ」
ため息混じりにそう答えると、マリエルが面白いものを見たと言わんばかりの表情を浮かべた。
「スモークしたチーズ、食べる?」
「もらうわ」
「……ディオンは女性からめちゃくちゃ人気があったのよ」
「ふふ、何度も聞く話ね。それにあの人は男からもモテるのよ、今でもね」
そう、本当によく聞く話。ディオンは若い頃からとにかくモテた。老若男女を問わずにモテる男だったのだ。
「それなのに、久しぶりに帰ってきたと思ったら、あなたが当然のように隣にいて驚いたんだから」
マリエルの言葉にニヤリと笑い返す。当然よ、私の獲物なんだもの。
「でもあなた、初めて会った時にはもうレイモンと婚約してたじゃない」
「憧れは別枠」
「ふふ」
「ディオンって学校も最低限で国外飛び回ってたから、経験も知識もこの辺の男子とは別モノでしょう?ちょっとワイルドで悪そうな感じが良かったのよね」
「実際、ギリギリのことは結構やっていたわよ。私が何食わぬ顔して妨害してやってたけど」
「あははは、ほんとにシャルはディオン一筋だったものね。すごかったわ、恋路を邪魔するものはことごとく排除していく暴れ馬みたいな女の子で。私より年下だって言うんだもの、驚いたわ」
「年齢なんて関係ないのよ。運命の相手に出会ってしまったらひたすら追って、追って追って振り向かせる。振り向いたら捕らえて二度と離さない。それが、セスの女のやり方なの」
「そんな熱烈な恋愛も素敵だけど、私は見ているだけで良いわ」
「それが良いわね。万人にはおすすめしない」
夜もだいぶ更けてきた。窓の外に目をやる。庭を飛び交っている光は、精霊たち。
精霊たちに気に入られるのもわかるのよね、この家。とても居心地が良いもの。この面倒な女たちも含めて、みんな私の自慢の家族なの。
「ノエミ、そろそろ飲むのやめなさいよ」
「やだあぁ、ディアマンタがいなくなるのはさみしいのぉ」
「……ノエミは放っておきましょうシャル。明日になったら忘れてるんだから」
「そうね。マリエル、今日はそろそろお開きにしましょうか」
「やだあぁ、ひとりにしないでえぇ」
「……どうする?シャル」
「私、アイスにドンサカパかけて締めたいんだけど」
「ああ、良いわね。ラムもいいけど、私はバラントーインにしようかしら」
「私はペドロヒメネスぅぅ」
「ノエミ……」
「あなた……」
「まだ飲むの?」
***
翌朝、ダイニングに女五人が揃っている様子を見て、クレマンが「美女が五人もいて朝から眼福だなあ」と笑った。
「当然でしょう?」と何食わぬ顔をして答えるノエミ。もちろんお酒は抜け、記憶も抜けている。
本当に翌日に残さないのよねノエミ。私は少し身体がだるいわ。
「ああ、そういえばリリスにお願いしたいことがあるの」
「はい、何でしょうかノエミ叔母様」
さえずりサブレの工房の話を聞いたリリスは、「承知しました、日程の調整をお願いいたします」とうなずく。
「変装していくの?」
「いいえ、リリスとイオルムとして伺います。忙しくさせている原因ですし、何より、イオルムは職人の方のお仕事が本当に好きですから、すぐに王子ではなくただの魔道具師としてお話ができると思いますわ」
「ありがとう。殿下にもお礼を伝えておいてね」
「もちろんですわ」
余談だが、この一週間後に二人が工房を訪問してその場で魔道具を完成させて大喜びされた。結果、二人をモチーフにした新作のクッキーが発売になり、これも爆発的に売れている。
朝食後にディアマンタが「昨日もでしたか?」と私とマリエルに尋ねてきた。
「ええ、昨日も」
「ディアマンタがいなくなるのは嫌だと嘆いていたわね」
「あああ、伯母様方ごめんなさい!もう、お母様ったら、良い加減子離れして欲しいわ」
リリスはただニコニコと微笑んでいた。おそらく昨晩ディアマンタから酒癖の悪さについて聞いていたのだろう。
「いずれリリスもこっちの仲間に入るのよ?」
「ふふ、わたくしまだイオルムの前でしかお酒を飲んだことがありませんの。しでかしてしまわないか心配ですわ」
リリスはお酒には強いが基準を超えるとすぐ寝てしまうタイプだとわかったのは、ディアマンタがフェリティカ帝国に旅立ってすぐのこと。
殿下が「リリスの可愛い寝顔が世界に知られちゃう!!」と嘆いていたけれど、知ったことではないわね。
お酒の名前はニヤリとできるもじりを考えながら決めました。
ペドロヒメネス、美味しいんですよねぇ……飲むラムレーズンみたいな感覚でちびちびやるには最高です(甘いです)




