10 さて、イオルムが本気だ
「早く帰りたいから、さっさと片付けるよ」
指をかみ合わせて前にひとつ伸びをすると、イオルムはパチンと指を鳴らした。
「今、ホールにいる貴族たちと君たちを完全に分けた」
黒い壁に囲まれた結界の中、レグルス公子とアマラン、そして黒装束たちだけがピックアップされている。
手の甲を外に向けるように左手を上げ、クイクイと中指を動かすと、磁石に引き寄せられるようにアマランが文字通り一直線に飛んできた。
「うわああっ」
「まったく、ロゼナスも趣味が悪いね。魔力制御バングルにデザインを似せるだなんて」
再び指を鳴らすと、アマランの身体がバランスを崩す。バングルがはまった右手だけは浮かんでいた時のままの高さに留まっている。バングルは禍々しい魔力を放っていた。
「ふぅん……」
バングルをまじまじと眺めていたイオルムが、チラリとアマランの顔を見る。
「なるほどねぇ、ビンビンでガバガバなのも、こいつの相乗効果だったのか。まあ、もともとユルユルだったみたいだけど」
「……っあ……っ、たす、けて……」
「無理」
アマランの懇願を即座に却下する。
「だって君、もう魂ドロッドロだよ?可哀想に、目をつけられたばっかりに」
イオルムが首をかしげる。
アマランが助けを求めるように視線を動かすと、イオルムがにっこりと笑った。
「ふふ、ごめんね。周りからは見えてないの。ちょっと本気が出ちゃってるからさぁ?」
そう嗤うイオルムの眼は、完全に瞳孔が縦長に開き、緑がかった金色に煌々と輝いている。
「後できれいに直すにしても、ぐちゃぐちゃにするところが見えたら、イメージ悪いじゃない?」
「うっ……なん、で僕、が……っ」
涙を流しながらうめくアマランが、わたくしの方を見た。
「りっリリス様……っ、たすけ、て」
「お断りします」
「わーおバッサリ」
「当然でしょう?わたくしが他の男を知っていても構わない、そう言ったのよ?わたくしを愛することを許しているのはイオルムだけ。わたくしの全てを知るのはイオルムだけ。
ふふ、そんなに今苦しんでいらっしゃるなら、やはり迎賓館にいらした時に屠って差し上げれば良かったかしら」
「というわけで助けは来ません!」
イオルムがにっこりと笑う。
「ああ、そこのみんなも逃げられないよ。僕の結界は結界魔法の達人仕込みだからね」
結界の破壊を試みる黒装束たちに告げるも、彼らは気付いていないようだ。
「イオルム、あれ、黙らせてきた方が良いのかしら?」
「いや、いいよ。ちょっとあれは一度すみずみまでチェックした方が良さそうだから、全個体生け捕りにしたい。たぶんファルマにも提供した方がいいやつだから」
「わかりました」
「あーでももしかしてリリス暇? それなら、あのいきってたライオン、身体は好きなようにしていいよ。たぶん骨を折っても心は折れないやつだから」
「……御心のままに」
結界の隅で震えている公子の元に近付く。
「わ、や、やめろ……来るな……っ」
「先ほどの威勢の良さはどちらへ行ってしまったのでしょうね」
わたくしに怯えながらも、その向こう、イオルムに遊ばれているアマランから目が離せないらしい。
「イオルムは一部を除けば万能でしてよ?そして大変に嫉妬深い神のような男でもありますの。あなた方の所業、愛するわたくしを他の男と番わせようとしたことを、あの男が許すはずがない」
「……ひいっ」
「さて、身体は好きにしていい、と許可をいただいたのですけれど。どうして差し上げるのが良いかしら、ねぇ、ミドガル」
声をかけると、ミドガルは少し悩んで、鞭に形を変えた。
「あら、珍しい。これがこの男にはお似合いということ?」
ミドガルが静かに鳴って応える。なるほど、せっかくだから心も削っていけと、そういうことですか。
軽く振ると、床に強く打ち付けられた鞭が公子の足元で踊った。
「っ!!」
「この子も怒っているようなの。わたくしを辱めようとした男たちが、二度と運命なんて口にしてはいけないと覚えて帰れる……帰れるのかしら? ふふ、わたくしにはどちらでも良いのですけれど」
手に馴染ませるように何度か上下に振り抜いてみる。ミドガルはわたくしに応えるように大きな音を立てて公子のすぐそばの床を鳴らした。
「やっ、やめ……っ」
「運命なんて甘い響きに取り憑かれたのが運の尽きでしたわね。ご心配なさらずとも、死にはいたしませんわ。死には」
振るった鞭が公子の右手首にはまるバングルを攻撃しようとした瞬間、バチンと弾かれた。
「!」
「許さない……許さないぞ……」
公子の気配が別の何かの気配に揺らいでいく。背中にぞっと嫌な感覚が走った。
「お前だけでもここで殺してやる!!」
バングルから黒いもやが飛び出しわたくしに襲いかかってきた。おそらくこれが運命かぶれの原因であり、人の心に巣食い育ってきたものなのだろう。
もやは、先が鋭く尖った何本もの刃に形を変えてわたくしを貫こうと向かってくる。
「……無駄ですのに」
それらは全て、わたくしに届く前にちりのように粉々になって消えた。
「な、なんで……っ」
「わたくしのために人であることを捨てたイオルムが、わたくしが自分以外に傷つけられることを許すわけがないでしょう。
お気の毒に……今ので完全にあなたの未来も決まってしまいましたわ」
コツン、コツンと足音を立ててイオルムが近付いてくる。
「リリス、平気?」
イオルムが背後からわたくしの身体を巻き付くように抱きしめる。
「もちろん。あなたが耳飾りに込めてくれた魔力がしっかり護ってくれました」
「うん、良かった」
首筋に唇を落とすと、イオルムがわたくしから離れ、すっかり腰を抜かした公子の元へ進んでいく。
「あっ……やっ……」
「決めた。君には研究所で死ぬまで生きてもらうことにしよう。発狂するなんて許さない。自害もさせない。汚染されたその魂が悪魔の元へ逃げ出さないように、しっかり心と身体と、がっちり繋いでおいてあげる」
結界内の空気がピリピリと刺さるように痛い。
イオルムの表情は見えないけれど、後ろ姿と気配から相当怒っているのはわかる。
しゃがみ込んで公子と顔の高さを合わせ、こう宣告した。
「この国の尊い理念を踏みにじった、君たちの愚かさを呪え」
公子は目を見開き、そして意識を失い倒れ込んだ。
イオルムは立ち上がり公子をしばし見下ろすと、くるりとこちらを向き直る。ミドガルは終わったことを確認して、わたくしの右中指に戻った。
「お待たせリリス。残りの処理は終わってるから、そろそろ出よう。この中と外で時間の進みは変えてあるけど、あいつには魔法が効かないからバレてる」
「わかりました。でも、あいつとは?」
パチン、とイオルムが指を鳴らすと、結界が解かれた。
運命男と公子は折り重なって倒れており、黒装束の不成者たちはイオルムが作った球状の結界の中に押し込められている。
呆然としているホールの貴族たちに向けて、イオルムは
「ふふ、一瞬で片付けちゃった」
とウインクしてみせた。
「イオルム=ウルフェルグ王子殿下」
マルグレーヴ侯爵が派閥の貴族数名とともに近付いてくる。
「この度のユジヌ大公家の度重なる無礼な振る舞い、大変申し訳ございません」
「うん……でも、どうするの?大公夫妻はまるで空気だし、ちょっとこの国、まずいんじゃない?」
「お恥ずかしながら、前々より大公家に対する不信が募っておりました。このままではユジヌは腐敗してしまうと危機感を抱きました我々は、此度、宗主国であるフェリティカ帝国による後押しのもと、議会大公家に対する不信任決議案を議会に提出いたします」
「なっ……!! そんな話は聞いておらんぞ!」
大公が慌てて側近とともに飛び出してくる。
「するわけがないでしょう、大公閣下。もうあなた方に任せてはおけません。この国を、変えなければ」
「認めん、認めんぞ! そんなこと、帝国だって」
「フェリティカ帝国は、マルグレーヴ侯爵による政変の発動を承認しているのですよ、ユジヌ大公」
人混みの中から、静かに現れたのは、濃茶の髪と碧の瞳を持った、イオルムと同じ年齢くらいの男性だった。
「だ、誰だ……!?」
「私はニコラス=フェリティカ。フェリティカ帝国の第二皇子であり、帝国の宰相をしております」
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また、本編内で匂わせまくってしまっているリリスとイオルムの過去が題材の物語、「君のために僕は人を捨てた(きみすて)」を公開しています。基本的にイオルムが惚気ています。割としっかりダークファンタジーです。魔女たちも出ます。




