07 たのしいユジヌライフのために
「はあー、あっという間に当日になっちゃったなぁ」
馬車から夕暮れの景色を眺めながら、イオルムがため息をついた。
「今日のことを考えてワクワクしてる時が一番楽しかった」
「もう、イオルム。まだ始まってすらいないのよ?」
「リリスのドレスを妄想する時間が一番楽しかった……」
「イオ?」
強めにイオルムを呼ぶと、いたずらが成功した子どものような顔をする。
「ふふ、やっとリリの顔が少しゆるんだ」
わたくしの手を取り、イオルムが向かいの席からわたくしの左に移る。
「リリスは余計なことは何も考えなくて良い。どうぞ思うままに振る舞って?僕の女王様。
後始末をするのは……リントだから」
「そこで皇太子殿下に後処理を押し付けてはだめよ、イオルム……」
「まあ安心してよ。僕たちが楽しいユジヌライフを送るための通過儀礼みたいなもんだからさ。ドレスアップした女神みたいなリリスを下衆共にさらすのは癪だけど、ちゃんと後で眼は潰しておくから」
「……あなたは本当にやりそうなのよ、イオルム……」
顔を上げると、薄闇の中にユジヌ城が見えた。
「さて、今日は何が釣れるかなあ」
馬車が馬車寄せに止まると、先にイオルムが颯爽と馬車を降り、こちらに向かって恭しく手を差し出す。
「お手をどうぞ」
小さく微笑み返してイオルムの手の上にわたくしの手を乗せると、ゆっくりと馬車を降りた。
ユジヌに到着した日にイオルムとご挨拶には来たけれど、まさか夜会をこんな立ち位置で迎えることになるなんて、誰が想像したかしら。それもこれも全て。
「……『運命』ねえ」
「ああ、今日来るんでしょ運命ボーイ。楽しみだなあ」
〈……煮ても焼いても食えないって話だったから、こんがり揚げてみる?〉
〈揚げても同じ、やはり食えないのではなくて?〉
イヤーカフを通じて思念波で会話をする。
「まあそうかぁ」
小さくイオルムが笑った。
「じゃあ、ひと思いにぷちん☆といくしかないね」
「お待たせいたしました、イオルム王子殿下、リリス王子妃殿下」
振り返ると、後続の馬車に乗ってきたメルシエ伯爵夫妻と叔母夫妻も揃っていた。
そして、その周りから向けられる視線を感じる。
そう、ここは本来ならわたくしたちを品定めする場になるはずだった。……ごめんなさいね、残念ながら、そうはならないのだけれど。
「今日はよろしく頼むよ」
イオルムが王子らしく鷹揚に言うと、大人たちが揃って最敬礼をする。
「御意」
扇子を広げて口元を隠し、わたくしも続ける。
「騒がしくさせてしまうと思うけれど、よろしくお願いいたしますね」
「かしこまりましてございます」
全員と目を合わせ、目線だけでうなずき合う。
叔母様が一番ウキウキと楽しそうに目を輝かせていて、意図せず口元が緩んでしまった。
〈それじゃあいっちょ、派手に狩ろうか〉
玄関ホールに入ると、高い天井から吊るされたきらびやかなシャンデリアが目に入る。
〈そういえば、精霊たちは?途中まで付いて来ていたわよね?〉
〈あーうん、城の中の気が良くないらしい。入るのやめとくって言ってた。僕の髪の中に伝達の子が何人かいる〉
イオルムのかみのけあったかーい
ここならへいきだよー
みんなにレポートするのー
リリスのかっこいいところー
〈あれ、僕もそこそこかっこいいはずなんだけど?〉
イオルムはへたれだからー
リリスにたたきのめされてたからー
まわしげりー
〈随分と前の話を蒸し返すねえ〉
ぼくたちには さいきん?だもん
にねん?はぜんぜんむかしじゃないよー
〈ああそうだったそうだった、聞いた僕が悪かった!〉
周りからの鋭い視線を浴び続けているのに、イオルムが怒ったふりをするその口調につい笑いそうになる。
どんな戦場にいたとしてもこの男といれば怖くなどない。そう思わせてくれるわたくしの唯一。
本当に、この間に入ってこようだなんて、本当にいい度胸ですこと。
廊下の壁には、歴代の大公閣下の肖像画がずらりと並んでいた。
イオルムの手を取り、その厳かな廊下を粛々と歩く。
この方たちが並々ならぬ想いを胸に、この国を築き上げてきたはずですのに。
イオルムがここに留学しようと決めるだけのものがあったはずですのに。
ーー運命。
その甘い蜜で全てを台無しにする愚か者たちを。
わたくしが許すわけがないでしょう?
イオルムが望む『たのしいたのしいユジヌライフ』を、一秒でも早く実現させるためにも。
紛い物の運命は、焼き尽くさなくてはいけませんわね。
「参りましょう、イオルム様」
「……ふふ、そうだね、行こうか、リリス」
「ウルフェルグ王国第二王子、イオルム=ウルフェルグ殿下、ならびに王子妃殿下リリス=ウルフェルグ様、ご入場です!」
ざわ……ホール内がざわつくとともに、大量の視線がこちらを向いたのがわかった。
何も恐れることはない、わたくしにはイオルムがいる。
ゆっくりとふたり、ホールの中央へ歩みを進める。
なんかやなかんじー
やなかんじだねー
リリスとイオルムがいちばんすてきー
かっこいー!!
ホールの中央にたどり着く。ホール全体に顔はそのまま、視線だけを巡らせる。
そして、正面をしっかりと見据え、ドレスの両裾を掴みゆっくりと広げると、片足をわずかに引いて腰を落とし、ごくごくわずかに頭を傾けた。
ユジヌ公国もウルフェルグ同様、完全な黒髪というのはあまり多くないらしい。
物珍しさからか目を見開く者、ひそひそと扇子で口元を隠し囁き合う者、そして、わたくしの隣の男に目を奪われる者。
おうおうおう、いい度胸じゃねえか。
……わたくしの頭の中で、先日のお茶会に引き続きディオン叔父様が啖呵を切ろうとした時。
「ふぅん」
イオルムがはっきりと口にした。周辺にいた数人が反応を示す。
「……いい、度胸だね?」
イオルムの言葉に威圧が乗った。
すぐ近くにいたご婦人が「ひぃっ……!」と声を上げる。
イオルムの服の袖を引く。
「……うん?」
「イオルム、今は、わたくし」
にっこりと微笑んで見せると、イオルムがとろけそうな笑みを浮かべて返す。
「そうだね」
周囲に目を配る。
「素敵な歓迎をありがとう。色々と、よくわかったよ」
そして、わたくしの手を再び取ると、ゆっくりと主賓の立ち位置へ移動した。
〈っはーー!!何あれ!ほんと僕の可愛いリリスを馬鹿にして許せない!!〉
貼り付けた微笑みの下で大荒れのイオルムの手を少し強めに握る。
〈良いのよ、イオルム。逆にあの方たちはかぶれていないのではなくて?〉
〈ああ、そうかもね。確かに、濁った感じのヤツが結構いるなあ。……公子ってあれでしょ?だいぶやばいよ〉
大公夫妻の横に立つ金髪の青年が、こちらを見てニタァと笑った。
〈公の場であの笑い、品性のかけらもないわ……〉
〈いやもう無理、あれは今すぐにでも消そう〉
〈落ち着いてイオルム〉
そこへ、挨拶を終えた伯爵夫妻がわたくしたちの隣にやって来た。反射的に安堵のため息が出る。
「イオルム殿下、リリス殿下」
「メルシエ伯爵。……あちらが公子様で間違いございませんか」
「はい、リリス妃殿下」
伯爵がうなずいた。「あちらがレグルス公子様です」
「わかりました、ありがとう」
微笑みを返した後、身内にしか届かない声で付け加える。
「イオルムが狙いを定めました」
「ああ……」
伯爵とマリエル様がため息をつく。
「……残念ですが、致し方ないと思います」
「私も久しぶりにお姿を拝見しましたが、あれはだめでしょう」
「どうした」
ディオン叔父様がシャルロット叔母様と腕を組んで上機嫌な足取りでやって来た。
「イオルム殿下がレグルス公子をやるそうだ」
端的に伯爵が状況を告げる。
「ははは、無理もないな。あれはだめだ」
マリエル様と同じことを仰るのね、叔父様。
一方、シャルロット叔母様は渋い顔をしている。
「叔母様、どうかなさったの?」
「……女どもがディオンを舐めるように見てるわ……」
「……叔母様……」
「シャルってば……」
わたくしとマリエル様の言葉が重なった。
「本当にぶれないわね」




