03 小さな予兆は次第に大きく
ディナーにはメルシエ商会長であるクレマン様とノエミ様も加わった。
「それじゃあお二人も彼らに会うことができたのですね」
「ええ、とても幻想的でした。夫の知らなかった一面を知ることもできましたし……イオルム殿下とリリス妃殿下には感謝してもしきれませんわ」
ディナーのメニューとして、銀灰茸のポタージュスープが提供された。
「特にディアマンタが好かれておりまして、シルヴァロンの民しか調理ができない銀灰茸の調理を精霊に許されているのです」
「シルヴァロン?確かにあちらにもメルシエ商会は支店があったが……どういう関係が?」
「先日あったスタンピード事件、あれにディアマンタが居合わせておりました」
商会長の言葉に侯爵夫妻がはっとなる。
「幸い大事には至らなかったのですが、その際に精霊たちと交流を深め、気に入られたようでして。さすがに生の銀灰茸の持ち出しはできないのですが、あの子はこちらに来ても干し銀灰茸を使って料理ができるのですよ」
「……なるほど、これは実においしい。身体に満ち渡る感じがありますな」
「ええ、おそらく星屑蜜も同様、精霊が好むものは人間にも良い影響をもたらすのだと思います。銀灰茸はシルヴァロンで薬として使われることもあります」
「精霊たちも大好物なので、普段は干し銀灰茸をもどして塩こしょうで整えたシンプルなスープを毎朝ディアマンタが準備しています。今日は特別なディナーですので、ポタージュに仕上げるためにシルヴァロンから料理人を呼びました」
そういえば、スタンピード事件の影響でシルヴァロンのスタッフたちに割り振れる仕事が減っているらしい。仕事を作れて万々歳だとマリエル様が笑っていらしたわね。
ノエミ様が言うと、マルグレーヴ侯爵が感嘆した。
「なんと……! そこまでしていただいて」
「とんでもない。本来であれば銀灰茸であることはお伝えする予定はなかったのですが、侯爵が精霊と縁のある方だとわかりましたので……他の方には内密にお願いします」
「ああ、もちろん……とてもおいしくいただいたよ、ディアマンタ嬢にもよろしく伝えてくれ」
「はい」
その後、サロンに移動して歓談は続く。
シャルロット叔母様が少し遅れてやって来た。
「……あら、蜂蜜酒」
「もうシャル、第一声がそれ?」
マルグレーヴ侯爵夫人が返した。先日のお茶会ではわからなかったけれど、ずいぶんと親しいのね。
「ふふふ、ごめんなさいエディト。マルグレーヴの蜂蜜酒、大好物なんだもの」
そう笑うと、空いていた席に腰掛ける。
「ご無沙汰しております、マルグレーヴ候」
「はは、久しぶりだねシャルロット夫人。どうか以前のようにジョフと呼んでくれ」
あら、マルグレーヴ侯爵ともお親しいのね。
目を瞬かせるわたくしを見て、叔母がふっと笑った。
「この二人は留学していた頃からの付き合いなのよ。もっとも、私が学籍だけ置いてディオンを追いかけ回していたから一緒に学んだ時間はほとんどないのだけれど」
「まあ」
ウルフェルグには就学の義務がない。学校はもちろんあるが、通うことは強制されていない。
また、魔道具の普及が非常に進んでいるため、文字の読み書きができなくてもなんとかなってしまうのだ。これはメリットでもデメリットでもある。魔道具を使いこなすのではなく、魔道具に使われている状態であることは、現在のウルフェルグでの大きな問題の一つだ。
ちなみに魔道具頼みになるのは特に子爵家・伯爵家に多い。逆に平民は学校に通うためほとんどの者が読み書きできる。平民の就学率が高いのは、無料で給食が出るから。平民が通う寺子屋は、一切学費や関連費を取っていない。その費用は、国から四割、イオルムの魔道具開発の権利収入から六割が出ている。
そのため、学校に通っている子たちはイオルムのお陰であることをよく理解していて、たまにイオルムが気まぐれに学校に視察に行くともみくちゃの大歓迎を受けるのだ。その時はわたくしも巻き添えである。
話がそれてしまったが、そんな事情により、学校に通うことが必須ではないのがウルフェルグなのである。
わたくしはイオルムと婚約するまで適当にされていた教育が、婚約後に激変した。そして十歳でウルフェルグ王城に移り住んでからは、マナーと教養以外は全てイオルムより教わり、後でイオルムがいない隙に講師の方に間違いがないかを確認していたのである。
「じゃあ遠慮なく、ジョフ。あなたも精霊が視えたのですってね」
「……ああ。メルシエの庭には精霊たちが棲んでいると教えてもらった。ディナーにも銀灰茸のポタージュをいただ」
「えっ!?銀灰茸のポタージュ!?私食べたことない!」
叔母様が大きな声を出した。
「……シャル……」
侯爵夫人が残念そうな声を出す。
「ちゃんとあなたの分も残してあるから」
「ああ、それなら良かったわ。帰りがけにキッチンに寄るわね」
マリエル様の言葉を受けて、あっさりと引き下がった叔母様にみんな苦笑いだ。叔母様は世界中を巡っているだけ合って、食のこだわりが強い。
「はは、そんなところも変わらないなシャルは」
マルグレーヴ侯爵は愉快そうに笑うと、はあ、と息をついた。
「……エディトを助けてくれただけでなく、精霊の秘密を明かしてくれたメルシエ家に、我々の誠意を示したい。我が派閥は、政変を起こし、ユジヌ大公の不信任決議案を提出したいと考えている」
「なんと!」
伯爵が驚きのあまり大声を上げた。
「……それは、メルシエ家にどうにかしてもらいたくて言ってる?」
イオルムが静かに侯爵に尋ねると、侯爵は首を横に振った。
「いいえ、 メルシエ伯爵には、今までと変わらず中立の姿勢を貫いてもらいたい」
「……それは、こちらからもお願いしたいことではありますが」
「メルシエ伯爵家はじめ、メルシエ家が中立であるということが重要だと考えています。これは先日のパーティーの事件も然り。あくまでも中立で、大事にすることなく淡々と処理をしてくれた。それだけで私たちがどれだけ助かったか」
はあ、とマルグレーヴ侯爵が長く息をついた。
「昨年くらいから、政変を起こそうと唱える者がいたのです。まだその時は様子を見ようと思っていました。怪しい者たちと公子が秘密裏に会っているという話は聞いていたのですが、状況が改善されることはありませんでした。そしてここにきて公子の側近であるアマラン=ミラヴェールによるリリス妃殿下への運命発言です」
「ああ……」
「リリス様が一蹴したからあの場に居合わせた人は笑い話のように広めていましたが、聞いた時には肝が冷えました。
急いで公子の執務室へ行きアマラン=ミラヴェールを問い詰めました。しかし『運命を感じた相手に求愛して何がいけないのですか』と言っていました。何が悪いのか、何が問題なのか何もわかっていない。ミラヴェール侯爵はまだ理解する頭があるようでしたが……メルシエ家は経済制裁を発動したと」
「はい」
まっすぐに伯爵がうなずいた。
「侯爵はともかく夫人がひどかった。我々に対して『運命なのだから良いじゃないか、求愛して何が悪いのか』とのたまったな」
「あれは本当に張り倒してやろうかと思った」
「あなたたちがやる前に侯爵が引きずり出していたじゃないの」
ノエミ様が苦笑する。
「……アマランが学生時代から浮き名を流していたという話は聞いていたのだが、ここ数ヶ月、やたら運命と口走っているらしいと聞いて、公子が運命運命と言っていたことと結びついた」
神妙な顔つきでマルグレーヴ侯爵がサロンにいる全員の顔を見回した。
「……何かがおかしい。それこそ、まるで何かに取り憑かれたり、洗脳されているのではないかと思い至ったのです。そこで私は腹を括った。そして政変のための根回しも大詰めとなってきたところで、先日のパーティーだったんだ」
「政変の根回しってことは、フェリティカにも連絡をしたの?」
イオルムが尋ねると、侯爵は静かにうなずいた。
「はい。近いうちに国賓として国に招き、宗主国として政変を認める旨を宣言していただく予定となっています。時期はこれから調整となりますが」
「じゃあそれ、今度の夜会にしようよ」
「は……?」
侯爵が固まった。
「フェリティカの皇族とは面識があるし、僕が頼めば多少無理してくれるはず」
……それは、無理をしないとあなたが収拾のつかない事態にしてしまうからでしょう?イオルム……。
「たぶん早い方がいいよ。あまり時間をかけると、彼らはこの国の都合を待たずに潰しに来る」
イオルムの言葉に、マルグレーヴ侯爵とメルシエ伯爵がハッとした表情を浮かべた。叔母様はニタリと笑う。
「確かに、あの国ならやりかねないわね」
「容赦がないからっていうのもあるけど……何より、フェリティカは世界で一番、ロゼナス教を殲滅したいと思っている国だ」
イオルムの話を聞いて、直感する。
「……ルルティアンヌ様ね」
ーー絶望の魔女ルルティアンヌ。
世界を滅ぼすと予言されている、次代の大魔女。
ロゼナス教はルルティアンヌ様を狙っているのだ。
「うん。だから皇族の誰かが来ると思う。たぶん、大臣とかには任せない。ルルは皇族じゃないから来るかはわかんないけど……まあユーク……ユークリッド第三皇子か、ニコラス第二皇子が来るか、じゃないかな」
イオルムの言葉に、男性陣がうなずいた。
「ご助言をありがとうございます、イオルム殿下」
「ううん、良いの良いの。僕たちもまだ来たばっかりでしょ?全然帰る気ないからさ。少しでも穏便に済ませて快適なユジヌライフを送りたいじゃない。
あ、フェリティカに連絡する時に『イオルムはやる気だ』って言っておいて。すっ飛んでくるよ」
「か、かしこまりま……」
「なんちゃってね!冗談だよ」
伯爵が口元をひくつかせた。
わかりますレイモン叔父様。おそらく本当にイオルムはやりますわ……。
「ふふ、誰が来るかな。楽しみだなぁ」




