03 さじはだいじ
小広間に入ると、デボラがお茶の準備をしていた。
「軽食の用意がございましたので、召し上がってください」
「ありがとう、デボラ。……あら、これは午後のパーティーで出るメニューだわ」
「たぶんノエミね。私達をパーティーでは精一杯こき使うつもりよ」
叔母がどかっと乱暴にソファに腰掛けた。
「はー、ご貴族様のお相手なんてやってられないわ」
「叔母様、言葉遣いが」
「ふふ、ごめんなさいね。海の男たちと一緒にいることが多いでしょう、そうすると自然とね。
気を抜くと座る時に足も広げてしまうのよ。信じられないでしょう?
でも、あけすけに物を言う人たちといるのは本当に気が楽なの。ディオンを追いかけて本当に良かったと思っているわ……」
「まあ、叔母様ってば」
午後のメニューが既にわたくしたちに出されている――つまり、今のうちに味わってきちんと感想を伝えられるようにしておけという広告塔に対する指令。
「でも今出していただけるのは助かるわ。パーティー中に食べても絶対味なんてわからないですもの」
「あら、王子妃殿下であられるリリス様でも、緊張するの?」
「もちろんですわ叔母様。単純なパーティーならまだしも、お披露目の初戦、しかも今後のイオルムの動きまで考えて愛嬌を振りまかなければならないんですもの。緊張もします」
「本番は夜会ですものね。……大丈夫よリリス、さっきはあんなことを言ったけれど、きちんと学んできた成果が出ているわ。安心して臨みなさい」
「はい、ありがとうございます、叔母様」
「シャル! リリス!」
軽食をいただいていると、マリエル様が飛び込んでいらした。
「あら、ゲストは大丈夫なの? マリエル」
「ノエミが頑張ってくれているから、ちょっとだけと思って飛んできたのよ。
面白かったわよー二人が出ていった後! アンゴ夫人が特に大興奮でね。あれなら夜会当日まで鳴き続けてくれるでしょうね」
「まあ! それなら良かったわ」
「リリスもありがとう! 午後は出ずっぱりだし、人の目も多いから大変だと思うけど、無理はしないで。何かあったら私達の誰かを頼りなさい。良いわね?」
「……はい、ありがとうございます、マリエル叔母様」
こうして気にかけてもらえることが、本当に嬉しい。
ウルフェルグ王家よりもカラリと明るくてざっくばらんなメルシエ家は、息を抜くのにちょうどいいのかもしれない。
ウルフェルグの皆様もとても親身に接してくださるけれど、やはり王城は身体の実害を強く警戒しないといけない分、少し疲れてしまうのよね。
「あらもう戻らなくちゃ。ノエミも感心していたわ。良い餌撒けてるわよ、リリス。あなたのお茶会が少しでも楽に運べるように、まずは今日、頑張りましょう」
「はい、ありがとうございます」
「ああ、わかっていると思うけど二人とも、きちんと味を覚えて商会の売上に貢献してちょうだいね!」
そう出掛けに声を張り上げ、マリエル様は去っていった。
「いかにも、主催者のドタバタって感じだったわね」
叔母が苦笑いする。
「リリスはどれが美味しいと思った?私はこのスミレの砂糖漬けが乗ったマフィンがとてもいいと思ったのだけれど」
「ベリーが入ったマフィンですよね? わたくしもこれは美味しいと思いました。
あとはこちらのコンフィチュール。イチゴですけれどおそらくハーブが混ざっておりますね。香りがぐっと豊かで、お土産にすると喜ばれると思います」
「実に的確ね! あと私はこの柑橘がたくさん乗ったタルトが気に入ったわ。この酸味の塩梅なら、口直しにもちょうどいいと思うの」
「柑橘と言えば、こちらのマカロンもレモンの風味がしっかりと感じられました」
「はー、ありがとう助かるわ。全部食べていたらさすがにおなかがパンパンになってしまうもの。ほどほどに、気張りすぎないようにね、リリス」
「はい、叔母様」
試食の感想を共有し、お茶も一通り味見をして感想を叩き込む。王族としての公の場でもそう、大切なのは自分の言葉で語ること。
「二人ともそろそろ時間よ」
とノエミ様がいらっしゃるまで、半ば戦いのように真剣に目の前の食べ物と向き合う時間を過ごした。
「午後は四十名、でしたかしら」
「ええ、今のところは三十八名。招待状があれば当日でも受け入れるからまだ増えると思うわ、いつもそうなの」
「ただ、午前の様子を知って増える可能性はあるわね。オービニエ夫人の侍女がいたでしょう? あれは新聞社の小鳥。あれがもし外でさえずるなら、午後はもっと来るわね」
「どれくらい騒ぐかにもよるけれど、人数が増えるということはそれだけ敵も増えるわ。大丈夫そう? リリス」
「ありがとうございます、マリエル叔母様。問題ありません。ただ、ひとつお願いがございます」
***
パーティーはつつがなく終わった。表向きには。
実際は大有りだったのだが。
「え? 襲撃?」
イオルムもさすがに驚いたのか、帰ってきて早々の報告に目を見開く。
「ええ、マルグレーヴ侯爵派を狙った反体制派のね。まさかお付きの人たちがみんなその手の人間だとは思わないじゃない」
叔母がソファに背をあずける。わたくしがそれをしたら怒られるところですけれど、まあ、海に出ていらっしゃる方ですし、その辺りは目を瞑るとして。
――そう、わたくしがマリエル様にお願いしていたのは、抜剣許可だったのだ。
『お願い?』
『対象がわたくしとは限りませんが、何者かが誰かに危害を加えようとしたときに、抜剣の許可を』
『剣なんて持ってるの!?』
『はい、特製の魔道具を持っております。ウルフェルグでは、毎日走り込みと鍛錬を行っておりました。護衛騎士との撃ち合いもしております。……腕は、ウルフェルグ最高の魔導士、イオルムのお墨付きですわ』
『でも……招待した人は誰でも入れるとはいえ、警備は厳重にしているわよ?』
『マリエル叔母様、お気持ちを害してしまわれたのであれば申し訳ございません。決して警備が手薄だと申し上げたいわけではないのです。ただ……セスの血が騒いでいると申しましょうか』
叔母がわたくしを見た。
『……来ると思うの?リリス』
『……捕食者の血。勘、ではございます。ただ、名簿を拝見したところ、おそらく家の派閥なども越えた方々がいらっしゃいますよね? ……議会内の対立が激しくなっている、のでしょう?』
その言葉に、マリエル様がハッとする。そしてすぐに、納得したように微笑まれた。
『わかったわ。許可します。無力化して軍に引き渡せるようにしてもらえると助かるわ』
『かしこまりましてございます』
「……というやり取りをしていたの。確率としては五分だと思っていたけれど、まさか本当に来ると思わなかった……メノー様がいてくださって助かりましたわ」
「ディアマンタちゃんの兄君だね、彼は護衛騎士だったよね?」
「ええ。パーティーの日はいつもお仕事をお休みして警備に入られるそうなの。さすがに一人で全てを相手にするには観衆が多すぎましたわ」
「私も冗談だと思わずに暗器でも持っておけば良かった……」
と叔母がこぼす。
「さすがに日常的に狩りをしないと感覚が鈍るわね。反省だわ」
「叔母様は狩りの必要がございませんでしょう?わたくしの周りは敵だらけですので、勘は大切にしておりますの」
「なるほどね。私の勘、今は全部仕入れのために使ってしまっているのかも」
「ふふ、それが一番ではありませんか」
潜り込んでいたのは五人。襲撃犯である五人とともに、この五人を伴ってパーティーにやってきたゲストも拘束されている。
「女性が多かったですけれど、女装の男性もいらっしゃったわ」
「……へえ。全員生け捕りにできた?」
「もちろん! 主犯が毒で自決しようといたしましたのでミドガルに中和してもらいましたわ」
「ふふふ、ミドより強い毒はなかなかないからねえ」
ミドガルを創るためにこの世界で一番の猛毒を――イオルムが探しに探して見つけ出したのが、深淵の森の主が持っていた怨嗟の毒だ。
「箝口令は? って、しても形だけか」
「……イオルム、口止めに意味があると思いまして? 五十名ですよ?」
「第一、今回の目的の一つは狩りですものね。いい宣伝になったのではなくて?」
ティーカップを片手に叔母が優雅に微笑んだ。
「明日には公都中この話題で持ちきりよ」
「リリス、怪我はしていないの?」
寝室に入ると、二人でベッドの縁に腰掛けた。
「ええ、大丈夫よ。襲撃者に男性がいたって聞いた時、イオルムちょっと殺気立ったでしょう?」
「……リリにはお見通しだねえ。だって、リリスを傷付けるやつがいたら、ましてやそれが男だったら、即座に軍の牢屋に忍び込んで息の根を止めないといけないからさ」
「大丈夫よ、イオルム。わたくしがそれくらいでやられるはずがないと、一番理解しているのはあなたでしょう?」
「そうだけど」
イオルムが頬を膨らませる。
「わたくしに傷をつけられるのはあなただけよ、イオルム」
イオルムの頬に口付け、バタンとそのまま後ろに倒れた。
「はあ疲れた! さすがに周りに一般人がいると消耗具合が全然違うわ」
「それはそうだよ。だけどメルシエ家の精霊たちが頑張ったんだってさっき報告に来たよ?」
「そうそう。一般の方とわたくしたちをそれとなく離してくれたの。わたくしもお礼を言ったけれど、イオルムからもお礼を伝えてくれる?
金平糖は今日夕方にメルシエ商会に行ったら瞬く間に品切れになってしまったから、手に入り次第すぐに準備するわ」
「オッケーわかった。ていうかパーティーの後メルシエの本店行ったの!?」
「ええ、行きました。イオルムに頼まれていたチョコ味のさえずりサブレもちゃんと買ってきたわ」
「や、そんな事件があったなら、さえずりサブレは次の機会でも良かったのに」
「イオルムのお願いごとは、どんなにささやかなものでも叶えてあげたいじゃない」
「嬉しい! リリス大好き!」
イオルムがわたくしの顔をのぞき込んだ。
「リリ、さすがに今日はまだ血の気が多いね?」
「そう?」
「言葉遣いが戻ってないもの。目つきも。それに香りが違う」
イオルムが笑う。
「……ふふ、そうね。ちょっと今日は見栄えのする立ち回りを演じすぎたわ」
「じゃあ鎮めないといけないね」
「鎮める? 薪をくべる、の間違いではなくて?」
そう尋ねると、イオルムはいたずらっ子のような微笑みを浮かべた。
「それはどっちか、これから確かめよっか」




