02 運命は前髪だけ
「お邪魔するわね、マリエル、ノエミ」
叔母に続いてサロンに入る。
午前のゲストは五名と聞いていた。全員いらしているようね。
「まあ、シャル。リリスまで」
「ご歓談中にお邪魔してしまい申し訳ありません、マリエル叔母様」
いつもよりもおっとりと、優雅さを意識して微笑んで見せる。
今この場では、わたくしは『王子妃』だ。
「午前中は二人が大切にされている方々をお招きしていると聞いたので、是非ご挨拶をと思ったの。
突然押しかけてしまってごめんなさい。メルシエ商会の首席バイヤー、ディオン=メルシエの妻、シャルロットですわ。
こちらは姪で、わたくしの母国ウルフェルグの第二王子妃であるリリス」
叔母の紹介を受けて、いつもよりより丁寧にカーテシーを披露する。
「はじめまして。リリス=ウルフェルグと申します。現在、夫であるウルフェルグ王国第二王子イオルム=ウルフェルグが医療高等学院に留学しておりまして、そのご縁でわたくしもユジヌに同行させていただいております」
黒いドレスをまとった黒髪、かつ長身の女が二人並び立っている様は圧巻だろう。
御婦人がお一人、完全に固まっていた。彼女はおそらくアンゴ子爵家のベレニス夫人。
アンゴ子爵家は比較的新しい家だと聞いている。勢いがあり潤っているため上客ではあるけれど、少しおしゃべりがすぎるところがあるらしい。
「……シャルロット夫人、お久しぶりね。リリス妃殿下ははじめまして。エディト=マルグレーヴと申します。お会いできて光栄ですわ」
いかにも品がある、隙のない女性。マルグレーヴ侯爵夫人は目が鋭く輝いているけれど、悪意はなさそう。
「マルグレーヴ夫人、お名前は叔母のノエミより伺っておりました。こちらこそお会いできて光栄です」
微笑み返す時に少し年相応さを出してみましょうか。満足気にうなずかれたので、合格点はいただけたようですわね。
マルグレーヴ侯爵夫人の挨拶を受けて、他のゲストの方々とも挨拶を交わす。
概ね印象は悪くないようだ。……ただお一人を除いては。
「はじめましてシャルロット様、リリス様。ロメーヌ=オービニエと申します。
シャルロット様のご主人、ディオン様が世界中から仕入れていらっしゃる品物は素晴らしいものばかりで、いつも感動しておりますの。さすがシャルロット様がお選びになった方だわ、と」
そしてちらりとこちらに蔑むような視線を寄越す。
オービニエ伯爵家。こちらはメルシエ伯爵家と並ぶ歴史の長い家だけれど、マリエル様はともかく身分としては平民であるノエミ様が大きな顔をなさるのをよく思っていらっしゃらないという話は聞いていた。
「リリス様の旦那様であられるイオルム第二王子殿下は……その、少し変わっていらっしゃるのでしょう? リリス様のどのようなところを見初められたのか、是非お伺いしたいですわ」
おうおうおう、いい度胸じゃねえか。
……わたくしの頭の中で叔父が啖呵を切った。
隣に立つ叔母の扇子がわずかにきしんだ気がするけれど、大丈夫かしら。
「お褒めに与り光栄ですわ、オービニエ夫人。わたくし、夫であるイオルムと顔合わせをしたのが七つの時なのですが、お互いに『運命』を感じましたの。これは常々イオルムもいたるところで話すことなのですけれど。
白黒だった世界が一瞬で色鮮やかに変わる……このような経験ができる相手に出会えることはごくごく稀ではないでしょうか。見た目などではないのです、心が、魂が惹き合ったのですわ」
「そ、そうですのね……」
まっすぐに視線で射抜かれたオービニエ夫人がたじろいだ。
たじろぐくらいなら聞かなければよろしいのに。
「まあ!運命ですの!?」
ベレニス=アンゴ子爵夫人が甲高い声を上げた。なるほど、よく鳴いてくれそうだ。
マルグレーヴ侯爵夫人の鋭い視線に気付き、慌てて自己紹介をしている。
「ごめんなさい、運命の相手、真実の愛が今巷で流行っておりますでしょう? ユジヌでは歌劇も多く上演されておりますの。実際に運命の相手と結ばれた方がこんなにお美しい王子妃殿下だなんて、興奮してしまって!」
扇子を広げて口元を隠す。
「ふふふ、容姿をお褒めいただけるだなんて光栄ですわ。この通り叔母が歳を重ねても大変美しいので、わたくしも同じようになれるか時折不安になりますの」
「ふふふ、リリスったら。私、十四で生家を出て今の夫となるディオンを追って留学したきりウルフェルグに帰っていなくて。姪が可愛くて仕方ないのです」
「まあ、十四歳の時に家を出られるとは、ずいぶん思い切ったことをなさったのね」
オービニエ夫人、果敢に挑んでいらっしゃるのね……叔母も身分は平民、気に入らないのかしら。
「ええ。ディオンが先代の商会長についてウルフェルグを訪れていた時に、わたくしが一方的に見初めましたの。それこそ、先ほどリリスが話していた運命のように、世界が色付くのがわかりましたわ。
でも、彼は面倒見が良く男女共に人気がありましたので、あまり長い期間会えなかったり、物理的に距離があると不安になってしまって。それこそ誰かに『運命』なんて言われてしまったら、コロっと流されてしまうかもしれないでしょう?」
叔母の勢いが止まらない。これは先ほど二人で話していた内容が燃料になっていそう。
「ですから追いかけたのです。結果として一流の目利きである夫の眼鏡にかないましたわ。とても、幸運なことです」
「え、ええ……」
オービニエ夫人は沈んだ様子。これでこちらは大丈夫。
「シャルロット様も運命を感じられたのですか!?」
アンゴ夫人、素晴らしい……これぞ鳥の鑑。
お土産にさえずりサブレを一枚追加して差し上げたいわ、もちろん青いミント味を。
「ええ、ただ私は当時公爵家の娘、ディオンは平民の身分でしたので。初対面で私が距離を縮めた時には奴隷にされると勘違いして逃げ出されてしまいましたの。失礼でしょう? ウルフェルグに奴隷制度はございませんのよ」
ホホホホホ、とサロンに笑い声が響く。
このトーク構成力、是非とも見習いたいわ。後で教えを乞いましょう。
「シャル、リリス? 私たちがホストですのよ?」
「あら、ごめんなさい。つい話しすぎてしまったわ。私たち、午後のガーデンレセプションには初めからおりますので、是非後ほど、改めてお話しさせてくださいね」
「午前と午後ではメニューも異なると聞いておりますので、是非お手元のお菓子も味わっていただければ幸いですわ」
「まあ、リリスったら。ちゃっかりアピールしてくれて助かったわ。二人とも、顔を出してくれてありがとう」
「とんでもないことですわ。それでは、失礼いたします」
サロンを出ると、ターニャが扉を閉めてくれた。
午後までの控室として用意してくださった小広間に移動する。
「……いかがでしたか、叔母様」
歩きながら尋ねると、叔母は小さくふふっと笑った。
「まあつかみとしては上々じゃないかしら。オービニエ夫人への返答、良かったわよ、リリス。
でも、控室まで我慢できずにここで聞いてしまうのは減点」
扇子で頭を叩く真似をされる。
「ふふっ、ごめんなさい。母とお茶会に出ても、わたくしがイオルムの婚約者であることの自慢ばかりでとても退屈でしたの。褒めてもらえたのが、嬉しくて」
「リリス……」
「わたくしを生んだ肉塊たちは、わたくしを排泄物と同等のものとしか見ていないのですわ。わたくしがイオルムと結婚したことだって、問題児と縁付かせた結果、王家に近づけて幸運だ、としか思っていないのでしょう」
一息で言い切ると、拳ひとつわたくしより背が高い叔母を見上げる。
「ですから、お小言もわたくしたちにはご褒美なのですよ、叔母様」
「……ふふ、そんな可愛らしいことを言っても、小言を言う口は休ませないわよ」
違うの叔母様、そんな切なげな顔をさせたかったわけではないのです。
きゅっと唇を引き結び、叔母に微笑みかけた。
「もちろんですわ、叔母様。午後はもっと褒めていただけるよう、精進いたします」




