01 たとえるならば鳩か鹿
「……めんどくさい」
イオルムの腕の中、不機嫌そうな声で目を覚ます。
外は既に明るい。もう少ししたらデボラが起こしに来るだろう。
「おはよう。どうしたの? イオルム」
顔を上げると、イオルムがいかにも鬱陶しそうに顔を歪めていた。
「今日の教授は僕に取り入ろうとしてくるやつだって思い出しちゃったんだよ、適当にあしらえたら良いんだけど、腕を一振りしたら吹っ飛んで壁を突き抜けちゃいそうでさ」
「……それは穏やかではないですわね……」
イオルムを不機嫌なまま送り出すと、確実にトラブルを招く。
ただ毒舌を吐くだけなら良い、誰かに危害を加えてしまったら最悪だ。
「そうだわイオルム、わたくしも馬車に乗るわ。学校まで一緒に行きましょう。だから手を出してはダメよ」
「えっ、良いの!?」
パッとイオルムの表情が明るくなる。
「ええ、馬車止まりでわたくしが顔だけ出してあなたをお見送りするのはどう?」
「僕は嬉しいけど……ああ、わかった。昨日話してた撒き餌の一環だね」
にこりと微笑み、ひとつうなずく。
「流行りの小説の中で、『匂わせ』というものがありましたの。これを匂わせと言って良いのかわかりませんけれど、わたくしの影を見せるのは効果的ではなくて?」
あれよあれよと支度が整い、久方ぶりにきちんと身支度を整えた状態で朝食をともにする。
「今日は授業が昼には終わるんだ。そしたら馬車の中からメルシエ伯爵邸に跳ぶよ」
「マリエル様にはお伝えしておきますわ。ディオン叔父様が船に戻るのが今日だと聞いているけれど、出発のお時間までは伺っていないの。間に合うと良いのだけれど」
「ああそうだね、ディオン殿には会えたら良いな」
綺麗にカットされたオレンジを口に運びながら、イオルムがふと思い出したような顔をする。
「あ、そのまま商会長のお邸に行って様子を見られたら最高だなぁ、伝えておいてくれる?リリス」
「ええ、しかとお伝えいたしますわ」
二人で馬車に乗り込む。
「ふふ、ここから馬車に乗って学校に向かうの、久しぶりだなぁ」
「まあ、お行儀の悪い王子様ですこと」
「ふふふ、僕のお行儀が悪いことなんて、リリスが一番知ってるじゃない」
イオルムが肩をすくめたのを見て、扇子で口元を隠しふふふと笑った。
イオルムは上手く『擬態』している。
わたくしに出会う一年ほど前、それこそ幽閉される寸前までやらかしを続けていた頃に、大魔女であるアグナ様と、その愛弟子、フェリティカ帝国の第三皇子ユークリッド=フェリティカ殿下と出会ったことで変わろうと決意したらしい。
アグナ様にはお会いしたことはないが、ユークリッド殿下は何度かお会いする機会があり、わたくしたちの結婚式にもおいでくださった。
『イオルムをよろしくな』
わたくしを見て、そう豪快に笑っていらしたのが印象的だった。
あの方も眼に多くの魔力を持っていらしたわ。メガネ型の魔道具で隠していらしたけれど、イオルムと同じ『魔眼』の持ち主なのでしょうね。
『ユークがいなかったら、今頃僕は魔力を取り尽くされて干からびてる』
何度となくイオルムから聞いた言葉だ。
人付き合いが壊滅的にできない子どもで、才能や能力と同時に、トラブルも量そして質、ともに突き抜けていたという。
それをぴたりと止めさせるほどの衝撃、あのイオルムを突き動かすほどの衝動。
わたくしが先にイオルムと出会っていたなら。
何度思ったか知れないけれど、ユークリッド殿下との出会いがなければイオルムはわたくしと出会うことすらなかったのだと思えば、仕方ないと飲み込むことはできる。
でも、物理的には明らかに近くにいたはずなのに、わたくしには出会う機会がなく、ユークリッド殿下にはそれがあった。
何度も思い返し、複雑な気持ちを抱いてはイオルムにぶつけてきたけれど。
『リリスが嫉妬してくれるの、すごく嬉しい!』
そう喜ばれてしまう。イオルムが嬉しいのなら悪くはない、そう頭では理解しているものの、やはりどこか悔しいのだ。
やはり、先に出会いたかった。
わたくし以外の存在との記憶を大切に抱きしめているイオルムが、少し……嫌いだ。
「……リリス? 顔が険しいよ」
向かいに座ったイオルムがわたくしの頬を指でぷに、とつついた。
「……また一人で嫉妬しておりましたの」
「嫉妬、って、ユークに?」
「……ええ」
正直、是と認めるのも癪ではある。
「んもう! リリスってば可愛い! 僕の全てを知っているのはリリスだけだよ?ユークにだって、あの印は見せてない」
「……それとこれとは、別の話ですのよ」
少しむっとして窓の外を見る。
「んふふ、リリス、ありがと」
イオルムがわたくしの手を取り、指を絡めた。
「君は僕の運命、僕のすべてだ」
「……もう」
イオルムの迷いのない言葉には、たまに、ごくごくたまに。
心底翻弄される。
一瞬だけイオルムの顔を見ると、また視線を窓の外に戻した。
馬車が門前に到着する。馬に乗った護衛騎士のミックが守衛に声をかけると、あっさりと正門が開いた。
通用門から入り歩いて校舎に向かう学生たちが、こちらを見て驚いているのが見える。
ただでさえここを通る馬車は少ない上に、ウルフェルグ王家の紋章がついているのだ。目立たないはずがない。
軽やかに馬車が進み、校舎前で止まる。
イオルムがまだ目を合わせないわたくしを見てニヤリと笑うと、扉を内から開けてヒラリと外に降りた。
わたくしの手をぐっと引いて顔を周りに見えるか見えないかのところまで引き寄せると、頬に音を立ててのキス。
「行ってきます、リリス」
「……ふふ、行ってらっしゃい、イオルム」
小さく微笑んだわたくしを見て、イオルムは上機嫌に校舎へ入って行った。
御者が扉を閉めると、ロータリーを回って正門へ向かう。
「ミック、今から直接メルシエ家に向かったら早すぎるかしら」
「そうですね、少し早いかもしれませんが、メルシエ商会運営の早朝から営業しているカフェが近くにあったと記憶していますので、時間を潰すことは可能でしょう。メルシエ家にはデボラたちから一報入れてもらいます」
「ありがとう、お願いね」
座席の背もたれに身体を預ける。
『一番の獲物の座は、譲らないよ?』
頬から唇を離しながら、イオルムは楽しそうに囁いた。
「……イオルムったら」
一人きりの車内。イオルムの残り香を感じ、蹄の軽快な音を聞きながらうっとりと目を閉じた。
狩りは、もう始まっているのだ。
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