07 撒き餌の用意は周到に
「遅くなってごめんなさい!あら、随分と楽しそうね」
ノエミ様がやって来る。
「遅かったじゃないノエミ! どうかしたの?」
「ああ……ミラヴェール侯爵領への制裁の件でね、侯爵夫妻がいらしていたのよ」
はあ、とノエミ様がため息をついた。
「制裁、ですか?」
「運命坊やの営業妨害が激しくて、我が家と商会の連名で警告はしたのよ。だけれど一昨日のリリスの件があったじゃない?」
「そう。縁戚でもある他国の王子妃への非礼と営業妨害ってことで、ミラヴェール侯爵領へ卸す商品を値上げすることにしたのよ」
「まあ、何割ほどですの?」
「……二割。制裁発動の通達をしたのは昨日。それで今日ご夫婦で謝罪にいらしたの。侯爵は平身低頭だったのだけれど夫人が『運命なのですから良いではありませんか!』って騒ぎ始めて」
「ああ……」
「一割か一割五分で収めるつもりだったんだけど。クレマンもレイモンもカチーンときて、二割になったわ」
はあ、と四人のため息が揃った。
「それは大変でしたわねノエミ様。わたくしが事をややこしくしてしまい申し訳ありません」
「運命にビンビンでガバガバなのはあそこのご子息なのだからリリス様が謝ることはございませんわ」
「ふふ、ありがとうございます、ノエミ様。あと、どうかわたくしのことはリリス、と」
「ああそうだったわね、ごめんなさい、ちょっとさっきからの切り替えができていなくて……忘れたわけではないのよ、リリス」
ノエミ様の前にお茶が出される。
「そういえば先日、イオルム様の魔法で精霊が視えるようにしてくださったじゃない? もう視えはしないのだけれど、あの後も気配はなんとなくわかるようになったのよ」
「まあ!」
「先日のサロンだけですか?」
「うーん、そうねぇサロンはそれが強いんだけど、それ以外の部屋も、うっすら」
「……ということは、部屋に魔法が残っているのもあるかもしれないですが、おそらく一度姿形を認識できたことでメルシエ家の方々も気配を察知することができるようになったのかも」
移動しても気配がわかる、それならばおそらくお邸に残った魔法ではなく、人側に変化があった可能性が高い。ということは、わたくしもその影響を受けているかもしれない。
「まあ、そんなことが」
「ふふふ、イオルムに報告しますね。もしかしたら喜んで近日中にお邪魔すると言い出すかもしれませんがよろしいですか?」
「ええ、それはもちろん! ディディも急に精霊との会話やらなにやらが加わって少し大変そうだから、話を聞いてもらえるとありがたいと伝えてくださる?」
「わかりましたわ、今晩必ず伝えます」
「ああ、それならイオルム殿下に来ていただく日程をお茶会にぶつけてみては?」
マリエル様が手を合わせた。
「……お茶会が早いか、リリスたちが我が家に引っ越して来るのが早いか。どちらかしらね」
叔母様が苦笑いする。
「引っ越しが先ね、賭けてもいいわ」
「まあノエミってば乗り気ね。でも私も引っ越しだと思う」
「まあ、叔母様まで! でもそうですね、わたくしも引っ越しの方が早い気がしますわ。今日もこちらへ来る途中、すれ違いましたので」
「昨日は脅して失神させられたというのに、懲りないのね」
マリエル様がパチリと扇子を閉じた。
「メドゥス製薬のベルサン女史にもお話ししたのですが、少々様子がおかしかったのです」
「様子が?」
「少し目や気配に濁りを感じましたの」
「……ああ、それで夜会で大公家まで汚染が進んでいるのか見る、って話に繋がるのね」
「はい」
マリエル様の言葉に深くうなずく。
「公子の側近ということは、大公家にその手が伸びていてもおかしくない、と踏んでおります」
「どう思う?ノエミ」
「可能性は高いわね。うちには招待は来ていないわ」
「……となると、シャルのところと、うちだけになるわけね。
リリス、お茶会では味方の見極めもするのかしら?」
「可能であれば」
「それなら、明後日は私主催のお茶会があるの。偶然を装ってシャルとリリス二人が参加するのはどう?私も普段親しくしている方々を見直すチャンスだわ」
「うちの新商品を紹介するお茶会ね! いいんじゃない? なるべく早く手は打ちたいものね。二人は大丈夫?」
「わたくしは問題ありません」
「私も大丈夫。ディオンが船に戻るのは明日だから」
「じゃあ決まり! お茶会の後あなたたちを連れて商会に顔を出したりしたら完璧ね。最高の撒き餌になるわ」
「……撒き餌?」
叔母様が怪訝そうな顔をした。
「あなたたちの価値を釣り上げるのよ」
「お茶会か、良いんじゃない?」
「みんな嬉々として作戦を立てていらしたわ」
「しかもリリスとシャルロット夫人がしれっと参加するのが第一弾で? その後に僕が乱入する回も作ろうっていうんでしょ? 最高じゃん!」
わたくしを膝の上に乗せて、イオルムがわたくしの黒髪をくるくると弄んでいる。
今日はできる侍女たちに早々に湯浴みさせられ、寝室に放り込まれた。
ソファでイオルムは弱めのワインを、わたくしは炭酸水をいただきながら、今日の出来事を共有する。
やはりあの運命かぶれは来たらしい。
顔面に擦り傷があったと報告され、道中の一件を伝えると、ターニャは手を叩いて大喜びしていた。
二人が手を下すまでもなく、門前でウルフェルグ兵に無力化されたそうだ。
「それにしても経済制裁か。まあやってもおかしくないとは思っていたけど」
「ノエミ様が仰るにはミラヴェール夫人も運命なんだから良いじゃない、と口走ったそうよ」
「ふぅん……」
イオルムがわたくしの髪に顔を埋めた。
「運命だから何でも許されると思ってるんだね。幸せだなぁ」
少しくぐもった声が、直接頭蓋骨に響く。
「頭の中は一面の花畑なんだろうなぁ、何色だろう」
「真っ白のお花をわたくしたちで真っ赤に染め替えるのも、面白いのではなくて?」
「わーお、それ最高」
わたくしから顔を離すと、イオルムが左手を開いた。手のひらの上に、手品のようにサンプル採取器が浮かぶ。
「ちょっと調べてみたけど、運命くんはだいぶ精神的に汚染されてるね。寝ちゃえば前の日の嫌なことや都合が悪いことなんて綺麗さっぱり忘れてる感じ。……幸せだろうなぁ」
「あら、イオルム。あなたにも嫌なことなんてあるのかしら?」
「あるよぉ、誰かがリリスに熱い視線を向けていた時とか、誰かがリリスの陰口を言っていたりとか」
「ふふ、全部わたくしのことなのね」
「もちろん、リリスあっての僕だからね。リリスを悪く言ったり穢したりするような奴らは全員ぐちゃぐちゃに」
「イオルム、ストップ。わたくしはあなたがわたくしを見ていてくれるだけで幸せよ?」
そう言うと、イオルムはパッとサンプルを手元から消した。
わたくしに飛びついて、薄い胸に顔を埋めてくる。
「リリスはいっつも嬉しくなることを言ってくれるから大好きだよ」
「もう、イオルム……」
イオルムの頭を撫でると、垂れ目がちな白金の瞳がわたくしをまっすぐに見つめた。
「リリス、だぁいすき」
「ふふ、イオ、わたくしもあなたが大好きよ」
イオルムの額に唇を落とす。
「ああ、そうだ。夫人たちは餌を撒くって言ってたんだよね?」
「?ええ、そうよ」
「餌を撒いてお茶会に招待されたされないって話になったら、こっちに話が来るかも」
「イオルムに?」
「学校で妃殿下にお目にかかりたいって言われるんだ。自分の婚約者がお会いしたいと言っている、って言ってくるやつもいる。噂はあっという間に広めるんだろう?だとすると僕の方になんとか会わせてくれって話になる可能性はあるよ」
「あら、そうなの?それはあまり考えていなかったわ……イオルム、御学友の方々とは帰国後も仲良くできそうなの?」
「うーんそうだねえ、思っていたほど馬鹿じゃなかった。逆に、思っていた以上の馬鹿も多かった。両極端だよ」
イオルムが甘えるように身体を擦り寄せてくる。ガウンが乱れて肩が露わになった。
「教えてくれてありがとう、イオルム。それについてもマリエル様たちと相談するわ。今思いつくのは立食パーティーかしら。これなら、あなたの御学友やご婚約者の方も、ひとまとめに片付けられるのではないかしら」
「良いねえそれ名案! せっかくだからリリスを引き立ててくれるような生贄を呼ばないとね」
「……イオルム、露骨に言葉に出ていてよ」
「ふふ、リリの前だから言うんだ」
イオルムが身体を離すと、肩口がはだけたままの状態でわたくしを横向きに抱き上げた。
「そろそろ、いこっか」
「ええ、イオルム」




