04 そこまで言われて、会ってわかった
途中、イオルムの回想を挟みます。長めです。
「それで?悪びれもなくやって来たって?」
夕食が終わり、紅茶を飲みながら一息つく時間。イオルムが不敵な笑みを浮かべる。
「ええ、かなり深めに斬って追い返したつもりだけれど、また来ると思うわ」
「それはそんなにリリスが愛おしいってこと?」
「まあイオルムってば。言葉と顔がいつも以上に一致していないわよ? ……これを見て」
今日採取した魔力と血液のサンプルを渡す。蛇眼を発動させて二つを見ると、ふぅん、と声を上げた。
「これ、だいぶまずいんじゃないの?」
「ええ。しかも彼、公子の側近なのでしょう?」
「へえ……」
しげしげと血液を眺めていたイオルムが静かになった。邪魔をしないよう、静かに紅茶を口にして、読みかけの本を広げる。
「なるほどねぇ」
しばらく思案に耽った後、イオルムが満足そうに声を上げた。
「リリスは何を読んでるの?」
「今巷で大流行の、運命の愛を題材にした小説ですわ。参考までに読んでみようと手に入れたのだけれど、事実と異なる点があまりにも多くて逆に興味を惹かれるわ。運命に対してどんな夢を見ているのかも、読んでいるうちにわかってきましたし。
今日もシャルロット叔母様と話していたのだけれど、そんなに運命って憧れるものなのかしら」
「そりゃあ憧れるでしょ」
「まあ、イオルムにはわかるの?」
「わかるよ。だってこんなに想い合っている僕たちや君の叔母夫妻を見たら、勘違いだってしたくなる」
イオルムがわたくしの腰を抱き、首筋に顔を寄せた。
「ふふふ、イオルムったら。今日の実習はどうだったの?」
「興奮しすぎて危うく本気で魔力視しそうになっちゃった! 蛇眼が開きかけて慌てたよ」
「まあ! それはいけないわね」
「気をつけるよぉ……まだ可愛らしい顔の王子様でいたいからね」
「自分で言ってしまうの?」
「学校では陰で呼ばれてるよ。童顔なのに服越しに身体が鍛えられるのがわかってそのギャップが良いんだって、デートしてみたい、素肌に触れてみたいって」
「まあ……でも残念ね、その願いは叶えてあげられないわ……」
「そうだねぇ、僕は平気でも相手が大惨事だ」
「セスの女の執着は、恐ろしいですもの」
ふふふっ、と笑うと、イオルムが舌でチロリとわたくしの首筋を舐めた。
「……殿下、リリス様」
壁際に立っていたデボラが渋い顔をしていた。
「続きは寝室でどうぞ!」
ターニャは嬉々としている。
「ごめんなさい、湯浴みの支度をお願いね、ターニャ」
「はぁい、かしこまりましたー!」
「……このままここで雪崩れ込むのも乙だと思うんだよなあ。デボラ、もう今日は下がってい」
「いけません」
食い気味にデボラが拒否する。
「ちぇー」
愉快そうに笑うイオルムと侍女たちを見て、幸せな一時にふふっと笑みがこぼれた。
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イオルム=ウルフェルグ。
僕は、欲がなかった。感情そのものが、生まれつき乏しかったらしい。魔力も多く、頭も良い。
能力だけなら僕が王太子になっても何らおかしくなかった。
しかし、全ては白か黒か。曖昧であることに耐えられない。政治的に今回は見逃すといった駆け引きができない。
誰かを虐げていた奴を、正義のもとに半殺しにしてしまうこともしばしば。問題児だが、危険すぎて手放すこともできない。それが僕の評価だった。
そんな僕にも伴侶をあてがわなければならない。十歳になる頃、そんな後ろ向きな理由での婚約者探しが始まった。
魔女と魔法使いとの出会いがきっかけで、多少マシにはなっていたものの、幼少の頃から根付いた僕の悪評は国中に広まっていて、顔合わせ以前に打診の前段階すら難しい。
そんな中で手を挙げてきたのが、公爵家のひとつであるセス家だった。
公爵家であるにもかかわらず、王家から打診をしなかったのはセス家の人間特有の執着持ち体質に理由があった。そして、国を真に支配しているのは自分たちだという驕り。
『いやだよ僕、面と向かってそんなこと言われたら女の子でも顔面に回し蹴りしちゃいそう。こんなんだけど王族として最低限の誇りはあるよ?』
『私の顔を立てると思って会ってくれないか、イオルム。足が出そうになったらすぐ止められるように騎士団長と魔道士長もつける。お前が望むなら私も同席する』
『うーん、決め手に欠ける。好きにしてもいい子を何人かもらいたいな』
『……死刑囚か』
『うん、元気な子』
ここまで無理難題を言えば父は折れると思っていた。けれど。
『わかった、二人でどうだ』
『えっ、良いの?』
『血痕ひとつ、髪の毛一本部屋に残さず片付ける。それができたならもう一人追加しよう。どうしても会ってもらいたいのだ』
『陛下! 正気ですか!?』
同席していた宰相が声を荒らげた。
『……本当だよ、正気?』
『セス公爵の妹が他国に嫁いでいるのだ。彼女からセス家の娘について頼まれているのもある。それもあるが、お前と性質は似ているはずなのだ。だから相性は最高か最悪のどちらか。お前が嫌いな、ほどほどやそこそこといった中間はない。
何より、お前には難が多いが、人の本質を見抜く目は王家の誰よりも確かだ』
『ふうん……』
顎に手を当て、しばし考える。
『わかった、父上がそこまで言うんだから会ってみる。立ち合いは士長たちだけで良いよ』
そして、運命の日。いつもなら、すっぽかすか大遅刻して行くのに今日は支度を整えていたため、迎えに来た宰相が固まっていた。
どことなく落ち着かなかったのだ。何か、何かが違う、そんな予感があった。ガゼボに近づくに連れて、胸が高鳴る。
まっすぐに下ろした長い黒髪が、ゆるく風になびいている。
ゴクリ、生唾を飲み込む。
声が届く範囲に入るか否かというところで、彼女がこちらを振り返った。
まだあどけない顔立ち。金色の瞳が、真っ直ぐに僕を捉えた瞬間、大きく見開かれる。それは僕も同様だった。
僕たちは出会った。出会ってしまった。
すぐに我に返り立ち上がると、少女は大人びた表情をたたえながら、少しだけおぼつかないカーテシーをして見せた。
『お初にお目にかかります。セス家が長女、リリスともうします。イオルム殿下、お会いできて光栄でございます』
鈴のような心地よい声。敵を叩き切らんばかりの魔力は、上手く秘められているが、わかる人間にはわかる。魔導士長が反射的に構えたのが見えた。
そして、身体の奥に見え隠れする、圧倒的な飢え。
同じだ。僕たちは同じ。
『顔を上げてリリス嬢。はじめまして、僕はイオルム=ウルフェルグ』
僕の言葉にリリスが顔を上げた。目を合わせた数秒の間に、魔力を交歓する。
跪いて、リリスの右手を取ると、その甲に唇を落とした。
『……僕は君のものだよ。そして君は僕のものだ、リリス』
――この瞬間から、僕たちはふたりでひとつになった。
リリスに対して警戒していた魔道士団長が額に手を当て、僕の発言に宰相と騎士団長が顔を見合わせて肩をすくめたが、そんなことはもうどうでも良かった。
どいつも、どうせ僕の気まぐれ、すぐに飽きると思っていたのだろう。
そんなわけないじゃないか。こんなに一緒にいて心沸き立つ相手、どうして手放せる?
顔を見合わせうなずき合うと、二人で手を繋ぎ、国王陛下の執務室へ移動魔法で乗り込む。
『!!? イオルム?』
『国王陛下、私はリリス=セス嬢と結婚します』
***
「……どしたの? イオルム」
まどろみから目を覚ますと、イオルムがわたくしの頭を撫で、こちらを見つめていた。
「ん? ふふ、僕たちが出会った時のことを思い出してた」
「まあ、ちょうど今日、叔母様たちにお話していたの」
「へぇ、ディオン殿とシャルロット夫人も、同じような感じだったのかな」
「叔父様は、いきなり『見つけたわ!』と言われて奴隷にされるのかと思ったそうよ」
「あはははは! 何それめちゃくちゃ面白い!!」
ひとしきり笑い、イオルムはふう、と息を吐いた。
「ディオン殿も稀有な方だよね。おそらくセスの女に選ばれる人ってやっぱり何か違うんだろうな」
「曽祖母様が選んだ人は隣国の公爵家筋の方だったんですって。戦ごとに長けていて、ウルフェルグが侵攻されそうになった時に援軍を出してくださったらしいわ。わたくしも初めて聞いたの」
「へえ。……それを聞くとますます興味深いね。セス家の当主が大きな顔をしていられるのは、本物の運命を見つけて出て行ったセス家の女性がいてこそ、なんだねぇ」
「ええ」
ウルフェルグは、獣人ではないものの獣の血が多く入っていると言われ、流行る疫病とその症状の重さが他国と大きく異なる。症状が重くなりやすいのだ。
一昔前に他国から疫病が持ち込まれた時、国王陛下が叔母に頼んでメルシエからメドゥス製薬とその親会社であるファルマヴィータに掛け合い特別に融通してもらっている。
これは婚約前の『秘密会談』で聞いた。
セス家が筆頭公爵家としての体裁が保てているのは、全て、嫁いで行ったセス家の女のお陰。
「……それを自らの手柄のようにかたるから本当に腹立たしい」
「そうだねぇ。そこの真相がわかっているのも、君たちを除いたら王家くらいのものだし。……リリ、落ち着いて。魔力が漏れてる」
イオルムが額に唇を落とす。
「ああ、ごめんなさい。つい」
「ふふ、リリスがこんなに怒りを露わにすることも珍しいね」
「そうね。同じ環境にいた叔母様と話をしたから、強く蘇ったのかもしれないわ」
イオルムの身体に、腕を回す。筋肉質な身体には、ところどころ自らの身体で薬の治験を行うためにつけられた傷がある。そして、背中にはざらりとした爛れた跡。
「……顔は幼いのに、鍛えられているのがわかって魅力的、だったかしら」
「ああ、学校の話? だいたいそんなところ」
「ふふ、実験のために自分の身体を平気で切ると知ったら、その方達は卒倒するのではないかしら」
「かもねぇ。今のところ脱ぐ機会はないけれど」
「……イオルムの素肌を余すところなく知るのは、わたくしだけで十分ですのよ」
「ふふふ、そうだね。あ、そういえばセスの血統魔法ってシャルロット夫人から教わったんだよね?夫人もディオン殿に所有印はつけたのかな」
「……さあ、どうでしょう?叔母とはいえ、他所の夫婦のセンシティブな話を深掘りする勇気は、わたくしにはありませんわ」
人差し指で、イオルムにつけた印を指でなぞる。
「ディオン殿は女性にモテそうだからつけられている気がするなぁ……僕は気になるから今度聞いてみようっと」
「まあ、答えてもらえたならわたくしにも教えて?」
「聞かないのに知りたいの?」
「気にはなるわ。ついでに、叔父様に手を出そうとして取り返しのつかないことになった女性がいるかも一緒に聞いておいてくれる?」
「えええ……さすがにそれは僕も怖い……けど聞いておく!」
イオルムの額に自分のそれを合わせる。
わずかな沈黙の後、視線を交えてふふふと笑い合った。
そのままイオルムに口付けると、イオルムがわたくしの上にのしかかった。
「……もう少し眠った方が良いのではなくて?」
「ううん……ギラギラしたリリスをこのまま寝かせてしまうのが、もったいない」
「まあ」
イオルムの言葉にわざとらしく驚いてみせる。
「明日はお茶会の打ち合わせがありますの。ほどほどにお願いしますね、イオルム」




