02 つまらぬものは斬る価値なし
逃げるように去って行ったミラヴェール家の馬車と入れ違いでやって来たのは、メドゥス製薬の魔道具研究員、アデル=ベルサン女史だった。
「ああー間に合いませんでしたか! 申し訳ありませんリリス様、メルシエ商会から朝一番に昨日の報せを受け、もしやと思い飛んできたのですが」
「アデル様、ご足労いただきありがとうございます。問題なく片付いておりますわ。つい先ほど引き取られてゆきました」
猿轡を噛ませて簀巻きにしたけれど、舌を切り落とさなかっただけ感謝してもらいたいものですわね。
「……もしやリリス様自ら?」
「ええ、煩わしくなって少々悍ましい言葉を並べたところ、意識を手放してしまわれたものですから。
運命運命と騒ぐ方がどんな方なのか知りたいとイオルムが申しておりましたので、魔力と血液はサンプルをいただいております」
「ああ、さすが抜かりない……」
「イオルムにも報告はしてありますので、ご安心なさって」
「……ああ、そちらも抜かりない……ありがとうございます」
「少しお話を伺いたいのだけれど、お時間は大丈夫かしら」
「もちろんです」
壁に控えていた侍女に目線を送る。
「ターニャ、お茶の準備を」
「はぁい、かしこまりましたー!」
「昨日メルシエ家の皆様とお話しさせていただきましたの」
口を潤しながら話を続ける。
「その席でイオルムがディアマンタのために新しく魔道具を製作いたしました」
「……伺っております……その件でイオルム様ともお話をしなければならなかったのですが……」
「そうですわよね、ごめんなさい。その場の空気と勢いで始めてしまい、止めるタイミングを逃したものですから」
「いつも謝罪などの時に前面に立ってくださるのは陛下やリリス様ですので私共といたしましてもありがたいのですが……その、珍しい魔石を使われたと」
「ええ、申し訳ないけれど詳細はわたくしの口からお伝えするのは控えさせてくださいませね。直接イオルムを問い詰めてください」
「もちろんです。それで、お話とは」
「……アデル様はあの害虫の現物はご覧になったの?」
「いいえ、それが顔を合わせる機会がなくて」
「そうですか。血液は多めに採ってありますので、一本お持ち帰りください」
「血液、ですか」
「だいぶ目が濁っておりました」
わたくしの言葉にアデル様がハッとした顔をなさった。
「!! それは」
「汚染が進んでいるように見えましたわ」
「それは、ロゼナス教が……?」
「可能性はあるかと」
「なるほど」
「イオルムにはまだ伝えておりませんけれど、すぐに気付くでしょう。……ふふふっ」
思わず笑みがこぼれてしまう。
「そんなに気安く乗り換えられるものでもないことくらい、少し考えればわかるでしょうに」
「まったくです。運命というものに憧れる気持ちもわからなくはないんですが、お二人を見ていると頭を殴られたような気分になりますね。
私は、ほどよく波長が合う愛する夫と可愛い子どもたちと、穏やかに過ごせればそれで良いんだと再確認できましたよ」
「ふふ、穏やかに、ねえ」
涼しい顔をして紅茶を飲んでいるアデル様に目をやると、ぱちりと目が合う。
「アルノワ辺境伯家きっての剣豪が、よく仰いますわ」
「剣豪だなんて大袈裟ですよ」
カップをテーブルに置くと、たおやかな微笑みを見せた。
「私には私の戦い方がありますし、上に立つというのがどうも性に合わなくて。今はこれくらいがちょうどいいです」
「ふふふ、今は、ですね」
「リリス様、ユジヌにはどれくらいいらっしゃるのですか」
「一年……の予定ではあるけれど、イオルムが飽きたら帰ることになるでしょうね。あまり早く帰って陛下に迷惑もかけられないから、餌を撒きながらほどほどに長引かせる予定よ」
「それでしたら今度、是非一度手合わせを。先日シルヴァロンが久しぶりの実戦だったのですが、やはり毎日の素振りと、たまに参加する街の道場だけでは不足だと感じました。
リリス様もテーブルを挟んだ戦いのみでは鬱憤も溜まるでしょう。退屈はさせないとお約束しますよ」
「まあ嬉しい。是非」
邪魔者を排した達成感も相まって、アデル様とのお話は大いに盛り上がった。
***
「リリス! 大丈夫だったの!?」
叔母様は入って来て早々、わたくしを強く抱きしめた。
「ええ、叔母様。つつがなくお引き取りいただいておりますわ」
「ああよかった。あなたが強いことはわかっているけど、それでも心配なのよ」
「ふふふ、嬉しいですわ、ありがとうございます」
「しかしここまで押しかけてくるとは、その運命坊やは命知らずなのかな」
叔父様が苦笑いしながら席についた。
「それが叔父様、どうも怪しそうなのです」
「怪しい?」
「……どうにも濁りを感じたのですわ」
「濁り! つまり」
「はい、午前中にベルサン女史がいらしたので伝えてありますが、ロゼナス教の関与を疑っております」
「……なるほど」
「迎賓館への訪問を許可するなんて、大公家は何を考えているの!?」
叔母様が憤っている。無理もない、わたくしも気持ちはわかる。
「精神が汚染されているのだとすると、今日のことなどコロリと忘れて、また押しかけてくる可能性があるなぁ」
「……そうなのです。ですが代わりとなる住まいを探すとなると……第一、大公家にお願いしてはまた同じことの繰り返しでしょう?」
マドレーヌをいただきながらはぁとため息をつく。
「イオルムと今晩にでも相談いたしますわ」
「うちに来てしまえばいいじゃない」
叔母様がにこやかに笑った。
「叔母様のお邸に?」
「ああ、悪くないかもしれないな」
叔父様がうなずいた。
「リリスも知っていると思うが、我々は仕入れで世界中を飛び回っているから家を空けていることが多いんだ。管理をしやすくするために、メルシエ家の敷地内に家がある」
「だからおいそれと不審者を入れることもないし、防犯対策も抜かりない。大公家が信用ならないと言ってうちに滞在してもらうのは何の問題もないはずだ」
「大公家の顔には思い切り泥を塗ることになりますけれどね」
ウフフと叔母様が不敵な笑みを浮かべる。
「本当はイオルム殿下を学生寮あたりに放り込んで、リリスと水入らずの時を過ごしたいけれど、それは難しいでしょう?」
「ふふふ、叔母様ったら。それはできないご相談ですわ。イオルムの手綱を任されておりますから」
そんな理由で引き離された日には、学校もメルシエ商会もユジヌ城も、綺麗さっぱりなくなるでしょうね。
「第一、彼に共同生活が送れるとは思えません」
「そうよねぇ、まあ日中だけでも一緒に過ごせると思えば良しとしましょうか。
運べるものからすぐに準備して。今日から少しずつ移動すれば、通達を彼らが読む頃には我が家で紅茶をいただけるわ」
「ありがとうございます叔母様。イオルムと相談しますが、お言葉に甘える方向になると思いますわ」
「楽しみにしているわね! ノエミとマリエル、ディアマンタにも伝えておくわ!」
パチンと扇子を閉じると、叔母様はニタリと笑った。
「それじゃあリリス、セスの話をしましょうか」




