02 きっもちわっる
思いっきり嫌悪感が顔に出そうになるのをグッと堪え、営業用の笑顔を浮かべる。
「何を仰っているのかよくわかりませんが、接客中ですので失礼いたします」
「ああっ、待って!!」
そのまま急ぎ足でバックヤードに引っ込む。
なになになになに!!? 探してたのは君だったとか、どんな歌劇よ!?
「きっもちわっる……」
商人の勘、というよりは動物であるヒトとしての勘が告げる。あれはやばい。
表では、一緒に来ていた女性とさっきの男性が言い合っているのが聞こえる。
「ちょっとアマラン、あたしにも君は僕の運命だって言ってたじゃない! どういうこと!?」
「うるさいなあ、カミラ、君より彼女の方が僕の運命なんだ。君も運命だったけれどあれやこれやとねだってばかりで飽き飽きしていたんだ」
……まずい。あれはわたしじゃ手に負えない。
「ジェローム!」
バックヤードにいた店舗責任者のジェロームを呼ぶ。
「どうしました、お嬢様。そんなに慌てて」
「……やばい客が来たわ。これをラッピングしたらまた表に出ないといけないから、その時一緒についてきてちょうだい。あと、お父様に連絡を」
「かしこまりました」
ジェロームはベテラン商会員だ。ただならぬわたしの様子を見て異常事態を察してくれ、すぐに通話の魔道具を手に取る。
深呼吸を何度か繰り返して心をしずめる。
包装紙を広げると箱に合うサイズに切る。贈り主の想いを込めて今は気持ち悪い男のことは忘れて、集中集中。
丁寧に包装しリボンを結び終わると、ジェロームがフロントへ繋がる通路の入り口でスタンバイしてくれていた。
「領収証はこちらに」
「ありがとう、助かるわ。……まだ店内にいるかしら」
「店内監視用の魔道具で確認していましたが、お嬢様をお待ちのようです」
「……だよねえ……」
小さくため息をついた。期待はしていなかったけれど、やはりそうか。
「会長には連絡しました。接客中でしたので防犯担当に伝えたところ、可能であれば魔力サンプルを取るようにとのことでした。態度によっては出禁も検討です」
「おお、ことが大きくなったわね」
「他国で事件がありましたからね。警戒してもしすぎることはない、と」
「なるほど。記録用魔道具は映像だけじゃなくて音声も入れてある?」
「音声はスイッチがカウンター内なので、表に出たらすぐに起動します」
「了解。……じゃあ行きましょう」
トレイにラッピングした品物を乗せ、フン、と鼻から強く息を吐いて表に出る。
気持ち悪男の視線を完全に無視して、お客様である御令息の元へ向かった。
「大変お待たせいたしました。どうか婚約者様に喜んでいただけますように」
「ありがとう! 相談に乗ってもらえて助かったよ。またお願いするね」
「こちらこそありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします」
さっとドアを開け、店の外へご一行を送り出す。最後に自分も外に出て、これから食べるのであろう、屋台の串焼きの話をしながら歩いて行く彼らの後ろ姿に深々と頭を下げると、気合いを入れて店内に戻った。
「やっと戻ってきた! 僕はアマラン=ミラヴェール! 君の名前を教えて!!」
「……現在業務中ですので、ご質問にはお答えできかねます」
「じゃあ待ってるからさ! 仕事が終わったら君のことを教えてよ!」
「大変申し訳ございません。お話しすることはございません」
「ええっ!? 業務時間外だったら構わないだろう!?」
チラリとジェロームに目線をやる。
言葉はないが、その目はわたしに任せると告げていた。
「率直に申し上げますが、嫌悪感しかございません」
「なんで!? 君は僕の運命なんだよ!? 君は何も感じないの!?」
「感じません」
運命? 何を言っているんだろう。大衆小説の読みすぎじゃないの?
「……あまり騒がれるのであれば、不審者として巡回の騎士を呼ばせていただきますよ」
「ユジヌ城勤務の僕を不審者呼ばわりするの? ああ、もしかして運命の出会いってやつに照れてるのかな」
ダメだ、まるで話が通じない。しかもユジヌ勤務? こんな男が!?
「恐れ入りますが、他のお客様のご迷惑となりますのでご退店願います」
スッとジェロームがわたしと男の間に立った。
「ご勤務先がどこであろうと、すでに貴方様の言動が不審者以外の何者でもありません」
穏やかな口調で、しかしきっぱりと否を告げるジェローム。
気持ち悪男の顔が赤くなり、怒りに歪んだ。
「いいだろう! 今日は帰ってやるよ。名札は見えたから名前は覚えたしね! エメちゃん、僕の運命!! すぐに迎えに行くからね!」
乱暴にドアを開け、ドタドタと足音を立てて出ていった。
「……お騒がせいたしました」
ジェロームが店内にいたお客様に頭を下げる。
みんな壁に張り付くようになりながら気配を消していた。
「……びっくりしたわね、いきなり」
「本当に。運命ってなに? 顔はカッコよかったけど、ちょっとイタくない!?」
ざわざわと話しだす。
この支店があるのは、街を取り囲むようにいくつか学校があるエリアだ。
当然、客層も学生が多い。
「……音声は」
「大丈夫です、録れてます」
ヒソヒソとジェロームと言葉を交わしていると、奥からベテラン女性従業員のスザンヌが、ポットとカップが乗ったワゴンを押してやってきた。
小さな持ち手のないカップに紅茶を注ぐと、次々お客様に手渡していく。
温かいお茶を口にしたお客様の表情が緩んでいった。
これでお客様も落ち着いてお買い物に戻れればいいけれど。
お客様にお茶を配り終えたスザンヌがこちらへ来る。
「お嬢様、会長から伝言です。すぐに転移箱を使って本店に来るようにと」
「そう、ありがとうスザンヌ。今日はお引き取りいただけたけど、あれは当分通ってきそう。お父様に相談するわね」
「会長によろしくお伝えください。今日もお疲れ様でした、ディアマンタ様」
倉庫奥にある、人ひとりが入れる八面柱状の魔道具の扉を開ける。中に入り内側から扉を閉め、扉横についているダイヤルを回し、行き先を本店に設定した。
木のレバーを引き下げれば、箱の床に仕込んである転移陣が光り、次の瞬間にはガコンと音がする。転移完了の合図だ。
扉を開けると、会計部の人たちがこちらを振り返った。
「忙しいところお騒がせしてごめんなさい。ちょっと緊急事態で、会長と話しに来たの」
「ディアマンタ様、もっと本店にも顔を出してくださいよ。ディアマンタ様がいらっしゃるのを楽しみにしているんですよ?」
「ありがとう! お世辞でも嬉しい」
「ははは、お世辞なわけないじゃないですか、メルシエの方々にお世辞が通じないことは我々従業員が一番よく知っていますよ」
「それもそうね! しばらくは本店に来る機会が増えそうだから、毎回大歓迎してくれたら嬉しいわ」
会計室を出ると、秘書のシリルが待っていた。
「お待ちしておりました、ディアマンタ様」
「お迎えありがとう、シリルさん。最近はどう?」
「お陰様で毎日学ばせていただいております。会長の元にお連れしますね」
「あら? 会長室にいるんじゃないの?」
「マルグレーヴ侯爵夫人と顧客室にいらっしゃいます。お嬢様の用件を会長にお伝えしたのは接客中だったのですが、内容を会長が伝えたところ、ご夫人がお嬢様とお話されたいとおっしゃいました」