第七話 告白。
正月以降、あれだけ熱を持っていた恋心が、嘘みたいに鎮火してしまっていた。
玉砕覚悟だったとはいえ、さすがに見えている地雷を踏むことも出来ず。
あれだけ対戦していたシャドモンも、最近では綺月さんではなく、近くの席の男友達と遊ぶことがほとんどになってしまっていた。彼女の方も、加佐野さんを始めとした女子グループに溶け込んでいることが多く、僕たち男子との交流は全くない状態が続いている。
一言で言えば疎遠、このまま終わりを迎えそうな、そんな空気を肌で感じていた。
「はーい、男子は席に付いてー、義理チョコ配布するよー」
放課後、クラスの女子が籠に入ったチョコを、男子へと配り始める。
それを見て、今日が二月十四日であることを思い出した。
(どれだけ無関心なんだよ)
ちょっと前の僕なら、綺月さんからのチョコを期待していたのだろうけど。
最近の状況を鑑みるに、彼女からは何ひとつ期待出来そうにない。
いや、する方が間違っている。
なぜなら彼女には好きな人がいるのだから。
「はい、神山君にも義理チョコね」
「どうも」
「お返し期待してないから、適当に食べちゃって」
お返しすら期待してないとか、義理にも程があるだろ。
こんな小さい包みに入った丸いチョコごときで、お返しを期待されても困るけどさ。
「はい、それ没収ね」
手のひらで転がしていたチョコを、ひょいっと没収されてしまった。
「何だよ、誰……って、加佐野さん」
「何よ、文句あるの?」
「別に、無いけど」
少し髪を伸ばした加佐野さんは、鞄の中から小箱を取り出すと、僕の机の上に置いた。
「はい、ド本命チョコ」
「……どうも」
「ちゃんと手作りだから、後で感想聞かせてね」
手作りチョコとか、初めて貰ったかも。
「というか、ド本命チョコって」
「何か問題でも?」
「いや、別に、何も」
告白を断って以降、あれから加佐野さんと僕との間に進展は何もない。
両手の傷は跡が残ってしまったみたいだけど、彼女はそれを隠そうとしない。
加佐野さんのことだ、自分への戒めの為に痛めつけた傷なのだからと、敢えて晒しているのだろうけど。
加佐野さん、傷だらけの両手を僕の机に乗せたまま、微動だにしていない。
見ると、彼女も僕の方をじぃーっと見つめている。
「……何?」
「ううん、食べないのかなって」
「教室じゃ食べないよ」
「見るだけでもするのがマナーじゃない?」
「マナーって……わかった、じゃあ開けますね」
リボン紐で結ばれた箱を開けると、中には丸いチョコが五個、綺麗に入っていた。
普通に美味しそう、さっきのお菓子の数万倍は美味しそうに見える。
「やっぱり、食べようかな」
「あ、食べてくれるの?」
「だって、美味しそうだし」
一個摘まむと、それを口の中へと放り込んだ。
溶けるような食感、濃密な甘さが口いっぱいに広がる。
「これ、生チョコ?」
「うん、どうだった?」
「すっごい、美味しかった」
「本当? えへへ、良かった」
単純に美味しい、もう一個食べちゃおうかな、って時に、熱視線を感じた。
加佐野さん、じーっと僕を見ている。僕を見て、チョコを見て、僕を見た。
「はい、どうぞ」
「え? いいって、そんな、あげたチョコだし」
「どうぞ」
「えー? もう、しょうがないなぁ」
よほど食べたかったんだろうね、五個中三個、彼女は食べてしまった。
食べ終わった後、立っていた彼女は適当に椅子を持ってきて、僕の前に座る。
「さてと、それじゃあ聞かさせて頂きましょうか」
「聞かさせてって、何をさ」
「最近の二人について」
ふっと視線を走らせると、教室に綺月さんの姿は既になかった。
チョコ配布の儀式を終えた女子数名と、バレンタインイベントを諦めきれない男子が数名残る程度で、教室の中は閑散としている。
「どう見ても、最近の神山君って楚乃芽のこと避けてるよね?」
「避けてるって言うか、元々フラれたも同然だったからね」
「それは夏の話でしょ? 最近は仲良さそうにしてたじゃない」
「最近って、最近はそうでもないよ」
「うん、言い換えるね。正月までは仲良さそうにしてた」
想像以上に加佐野さんは僕たちを見ていたらしい。
見ていたからこそ、最近の状況も把握済み、ということか。
「正月にね、綺月さんと偶然、神社で会ったんだ」
「え、そうなんだ、凄くない?」
「うん、凄いと思った。でもそこで聞いたんだ、好きな人はいるのかって」
別に、隠す必要もないと思った。
相手は加佐野さんなんだ、無関係とは言えない。
「いたんだ、好きな人」
「うん。前の学校にいたらしい。人生観を変えてしまう程の、凄い人だったらしいよ」
「そうなんだ……それで、神山君は楚乃芽を諦めたってこと?」
「諦めたって言うか、諦めるしかなかったって言うか」
「え? なんで? 楚乃芽って、今もその人と付き合ってる訳じゃないんでしょ?」
「付き合ってはいないけど。連絡先もどこに転校したのかも、分からないらしいし」
口にした後に、余計なことを喋ったことに気づいた。
「転校……ってことは、その人はウチと同じ感じだったんだ」
加佐野さんの家も、綺月さんのお父さんの都市開発の煽りを受けているんだった。
でも、ならばこそ、その男がどれだけ凄いかも分かると思う。
「あれ? でも、楚乃芽はその人が好きだったんでしょ? 恨まれてなかったのかな?」
「恨むどころか、孤立している綺月さんと毎日一緒に遊んでいたらしいよ。彼女よりも前に転校していなくなったみたいだけど、一言も文句を言わずに、笑顔で急にいなくなったらしい」
「うわぁ、それは真似出来ないな。凄いねその人、私でも惚れちゃうかも」
なんとなく、白けた視線を加佐野さんへと向ける。
「あ、私は神山君一筋だから」
「別に、取り繕わなくてもいいよ」
加佐野さんは口元に手を当てて、こほんっと、わざとらしく咳を一回した。
「でもさ、やっぱりその人と楚乃芽は付き合ってないんでしょ? しかも連絡先も分からないし、何より楚乃芽のお父さんが原因で転校までしてるんだから、再会したところで上手くいく可能性は低い。なら、別に今はそうでもないんじゃないかな?」
「壁がある方が、恋愛は燃え上がるって言わない?」
「言う。今の私がそう」
随分と説得力が強いことで。
「まぁ、そんな感じ。加佐野さん、そろそろ部活なんじゃないの?」
「うん、とっくに部活、でも、チョコ渡してましたって言えば今日は許される日だから」
凄いなバレンタイン、そこまで融通が利くものなのか。
空になった箱を畳むと、加佐野さんが「捨てとくね」と回収してくれた。
「ねぇ、神山君」
「ん?」
「私みたいに、後悔することの無いようにね」
席を立ち、教室の出入口まで行くと、加佐野さんはこちらを振り返る。
「玉砕したら、慰めてあげるから」
「……どうも」
チュッと投げキッスを残し、加佐野さんは廊下へと姿を消した。
想像以上に愛されていたらしい、これはこれで驚きだ。
ウチの中学校は生徒が少ない。
本来義務なはずの部活動も、ほとんどが廃部してしまっている。
帰宅部であることの方が喜ばれる、そんな学校だ。
もれなく僕も帰宅部であり、誰もいない道を一人歩く。
畦道の途中にお地蔵様がいて、僕はお地蔵様に毎日手を合わせていたのだけど。
今日は、お地蔵様の横にもう一人、女の子の姿があった。
膝を揃えてしゃがみ込み、僕を睨みつける。
綺月さん、どうしてそこにいるの。
とりあえず、最近僕たちは会話をしていない。
そのまま通り過ぎてしまえばいい、多分、他の誰かを待っているのだろう。
「ちょっと、無視しないでよね」
話しかけられてしまった。
立ち上がった彼女は、腕組みして頬を膨らませる。
そんな彼女に対して、僕は右手を軽く上げ、目を逸らしながら挨拶をした。
「や、やぁ、こんにちは」
「そんな他人行儀な仲じゃなかったと思うんだけど」
そうかもだけど、でも、僕としてもどう接していいか分からない訳でして。
「最近、大樹すっごい冷たいよね」
「別に、冷たくしている訳じゃ」
「もしかしてさ、流星君のことで怒ってるの?」
「怒るとか、そういうのはないよ」
「じゃあ何なの?」
綺月さんのことを諦めただけ、そんな言葉を口には出来ない。
「大樹が聞きたいって言うから、ちゃんと答えただけなのに」
「でも、流星君のことが好き、なんだよね?」
「だから?」
だから……だから、僕は身を引く選択をした。
流星君という人の行動は、加佐野さんも惚れるかもって思う程のことなんだ。
それを直に味わった綺月さんは、この後もずっと、彼に捕らわれ続けてしまうに違いない。
「また、そうやって黙る」
何を喋ろうとしても、ダメな気がするから。
沈黙以外の選択が、存在しない。
もうこのまま何もかも終わる。この空気が、辛い。
「大樹」
名を呼ばれ、彼女へと視線を向けた。
まっすぐな瞳、制服姿の彼女は小箱を手にし、僕へと差し出す。
「大樹が何を考えているのかなんて、わかるよ。でも、それはそれ、これはこれだと思うの」
「……これ、チョコ?」
「うん。バレンタインデーだから」
見覚えのある箱、これ、加佐野さんが僕にくれたのと同じ。
もしかして、彼女と一緒に作ったってこと?
「開けても?」
「うん」
リボン紐をほどき箱の蓋を開けると、生チョコが五個、見覚えのある配置で入れられていた。でも、若干形が違う。加佐野さんのは丸だったけど、綺月さんのはハート形をしている。あまり形が整っていなくて、車に貼る初心者マークみたいに見えるけど。
「これ、ド本命チョコ」
「ぷっ、天音ちゃん、本当にそれ言ったんだ」
怒り気味だった顔から一転、綺月さんはケラケラと笑い出した。
久しぶりに見た彼女の笑顔は、やっぱり可愛い。可愛いけど、素直には喜べない。
「こういうの、困るよ」
「困らないでしょ?」
「だって、流星君のことが好きなんだよね? なら、チョコを貰ったって」
「大樹、私の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ、ちゃんと全部」
「私、好きだったって、言ったはずだけど」
うん、確かに言ってた。
好きだったって。
ん? 好き、だった? 過去形?
だったってことは、今は違うってこと?
「大樹、箱の中、ちゃんと見てね」
「箱の中?」
箱の中って、チョコが五個と……手紙? ハートのシールで封された手紙。
手に取ると、大樹へって、綺月さんの綺麗な字で書いてある。
「これって」
「……恥ずかしいから、今は読まないでね」
僕の攻略法、ラブレターを貰って一対一で告白すれば、少しは考える。
綺月さんはそれを実行したってことで、それはつまり、彼女は僕を。
(うわ)
突然、ありえないぐらい体が熱を持った。
噴火する火山みたいに、全身がエネルギーに満ち溢れていく。
正月から今までの時間が心の底から勿体ないと思った。
それぐらい、この行為は彼女の意図を明確にし過ぎている。
「あ、あ、あの」
「とりあえず、チョコ、食べて」
「う、うん。いただきます」
一個摘まんで、食べる。
美味しい、さっきの加佐野さんのチョコよりも、絶対美味しい。
「どうだった?」
「超美味しい」
「へへっ、そっか」
「綺月さんも、食べる?」
「え? ……うん、じゃあ、はい」
あーんっと、綺月さんは口を開いた。
そういう意味じゃ、なかったんだけど。
震える指でチョコを摘まむと、それを口を開けた彼女へと、ゆっくりと運んだ。
丸じゃなくて良かった、ハート形だから、唇に触れることなく渡せる。
「ん……ふふっ、美味し」
相変わらず、綺月さんは美味しそうに物を食べる。
こんな感じで食べる彼女と、僕はずっと一緒にいたい。
だから、この手紙を読む必要だって、きっとないんだ。
「綺月さん」
「……うん」
「僕、どうしようもなく、綺月さんのことが」
とっても大胆で、とっても大人で、僕なんかよりもいろいろと経験してて、それでいて無邪気で、可愛くて、優しくて、子供っぽい僕のことをいちいち理解してくれて、全部包み込んでくれて、一緒にいると安心して、それを失いたくないって、ひたすらに思ってしまって、だから、だから僕は、馬鹿で無駄な時間ばかり過ごしてしまった僕は、今一秒ですらも、惜しいと感じてしまう僕は。
「私も、一緒だよ」
出せなかった言葉、それすらも理解した彼女は、静かに頷いてくれた。
あふれ出る感情が涙となって零れ落ちる。
人って嬉しくて泣くこともあるんだって、初めて知った。
残り一か月もないけど。
僕たちはこうして、恋人関係になることが出来たんだ。
甘酸っぱい中学生編、残り三話
次話『逃れられない別れを受け入れる為に。』
明日の昼頃、投稿いたします。