第六話 彼女の中に残る、強すぎる思い出の男。
正月、深夜十二時を回る頃、僕は両親と共に近くの神社へと、足を運んでいた。
毎年この日だけは夜更かしを許される特別な日でもあり、夜中だというのに屋台や参拝客で賑わう境内を歩くのも、僕は大好きだった。
無料で配布される甘酒や汁物を手にし、参拝客を温める大掛かりな焚火に身体を預ける。
これらを堪能して初めて、正月を迎えた気分になれるんだ。
「神山様」
名を呼ばれ、父さんが袴姿の男性から木の札を貰うと、家内安全商売繁盛を祈願した札と共に、家族で賽銭箱にお金を投じ、神様へと今年一年を祈願する。
例年だと、僕も健康第一とか、テストの点数が良くなりますようにとか、そういう無難なものをお願いしていたけれど。
今年は違う、残り三か月となってしまった彼女との日々を、もっと密なものにしたい。
そのためには、祈願する内容はひとつだ。
握りしめていた千円札を投入し、二拝二拍手一拝をしっかりと行う。
(神様、綺月楚乃芽さんへの告白が、無事成功しますように)
除夜の鐘を聞きながら、僕は煩悩の塊のようなお願い事を、神様へと祈願した。
「うわ、賽銭箱に千円札入れるんだ、大樹結構お金持ちじゃん」
祈願した直後、背後から耳に慣れた声が聞こえてきた。
(嘘だろ)
振り返ると、そこにはファー付きのコートに身を包む綺月さんと、木の札を手にした、綺月さんのお父さんの姿があったんだ。
「ちょっと待っててね、ウチもお参りしてくるから」
「うん……あ、綺月さん」
「ん?」
「あけまして、おめでとう」
「あ! そうだね! 一番大事な挨拶忘れてた!」
ぱたたって駆けて来ると、綺月さんは礼儀ただしくお辞儀をした。
「新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします」
丁寧なあいさつ、僕は生涯でこんな丁寧なあいさつを見たことがない。
丁寧で可愛くて、挨拶されただけなのに幸せを感じてしまう。
神社の神様に感謝だ、秒で願いを叶えてくれて本当にありがとうございました。
綺月さん親子が祈願中、母さんが父さんへと話しかける。
「さっきの子のお父さん、一体幾らの札を購入したのかしらね」
「一万円じゃなさそうだな。多分、提灯に名前があるんじゃないか?」
「ええっ、すっごいお金持ちってことよね。大樹、あの子と仲良いの?」
さすが僕の両親だ、僕に負けないぐらい俗物な質問をしてきた。
「仲は良いと思う。この前、オープン前のショッピングモール案内してくれたし」
「え? 三月にオープンする、あそこ?」
「うん」
「へぇ……これは、もしかすると、もしかするかもしれないわね」
つんつんって、肘で突いてくる。
両親に恋愛についていろいろと言われるのって、なんか嫌だ。
単純に恥ずかしいし、詮索されたくもない。
甘酒を受け取り、焚火の前へとそっと移動する。
両親は近所の人に捕まったみたいで、僕の方へと来る様子はない。
スマートフォンを起動し、シャドモンを起動する。
初日の出ならぬ、初シャドモンだ。
「さすが大樹、新年早々シャドモンとは」
「まだ起動しただけ。誰とも対戦してないよ」
ひょっこり覗いてきた綺月さんへと、対戦待機中の画面を見せる。
「あ、じゃあ私対戦する。新年一回目のバトルだし、負けないようにしないと」
綺月さんと今年最初のバトルをしたかったから待っていた、とは、言わない。
なんというか、口にせずとも同じ気持ちに違いない、というのを、僕は期待していた。
「黒星スタートかぁ。相変わらず環境デッキの隙を突いてくるね」
「研究に余念がありませんから」
「むぅ、じゃあ今年二回目、さっさとやろ」
焚火の火の粉が舞い上がる中、彼女は再戦をタップした。
シャドモンは、一戦一戦の時間が短いのも特徴の一つだ。早ければ一分以内に決着がついてしまうこともある。けれど、僕と綺月さんとの戦いは一分で終わることはない。カードを熟知しているからこその長考であり、制限時間は限界まで使うのが僕たちの戦い方だ。まるで世界大会の決勝のような緊張感の中、僕たちはバトルをする。
でも、その長考の時間、僕はもっぱら、綺月さんの横顔を眺めていた。
真剣になった彼女は、僕の視線に気づきもせず、ひたすらに悩み始める。
綺月さんは悩むと、無意識に口を動かす癖があるんだ。
リップによって潤いが増した彼女の唇が、焚火の熱に当てられて光沢を増す。
一緒に遊びながら、側にいる彼女の横顔を眺める。
この状態が当たり前じゃなくなるまで、あと三か月を切った。
この瞬間を、逃す訳にはいかない。
「綺月さん」
「ん? ちょっと待って、今、考えてるから」
「綺月さんって、好きな人とか、いるの?」
焚火から炭が弾ける音が聞こえてきて、僕たちの間に火の粉が舞った。
スマートフォンの画面から視線を外した彼女が、驚いた表情に変わる。
真剣な眼差しに気づいた彼女は、驚いた表情から思案気な顔になり、右手で左目の下あたりを少し掻いた後、視線を戻さず、けれどもスマートフォンの画面も見ずに、顔を見えないように僕から背けた。
しばしの間の後、背けていた顔を、いつもの緩やかな笑みを携えた表情へと変え、僕へと戻す。そして、若干目を細めながら、彼女は僕に告げた。
「いるよ」
心臓が、大きく動いた。
動揺。彼女の言葉を受け、体が動けなくなる。
それって僕? なんていう甘い考えは一切浮かばなかった。
それとは別に、頭の中ではとても大きな疑問が、答えを求め始める。
(一体誰が、綺月さんの想い人なんだ)
聞かずにはいられない、六月から今まで、そんな男の影は見たことが無い。
僕から距離を取る為についた嘘とも思えない、今聞かないと、一生後悔する。
一瞬で乾いた口の中に無理やり空気を入れ、息を吸い込み、そして鼻から出した。
「それって、誰なの、かな」
まるでカタコト、油の挿されていないブリキの人形にように、喋る。
足元に落ちていた枝を焚火の中に放り込むと、彼女は膝を抱え、しゃがみこんだ。
「私にシャドモンを教えてくれた人」
「つまり、前の学校ってこと?」
「うん。シャドモンを教えてくれて、それと、私に気づきを教えてくれた人」
焚火から離れると、彼女は汁物を二つ手にし、僕を誘った。
境内から離れたベンチに腰掛けると、汁物を啜り、白い息を吐く。
「私ね、小学三年生の頃、事故でお母さん亡くしちゃったんだ」
「……知らなかった」
「誰にも教えなかったからね。可哀想って思われるのも嫌だしさ」
汁物を啜り、良く煮えたニンジンを食べると、彼女は「美味し」と一言。
母親の死、だから、父親の転勤に全て付いて行かないといけない訳か。
「お母さんがいなくなった後、私は結構嫌な子に育っちゃってたんだよね。他の子にはお母さんがいるのに、家族円満な暮らしをしているのに、どうして私のお母さんだけいなくなってしまったのかって。それで、お父さんの仕事で不幸になる人たちを見ては、ざまあみろって思ってたりもしたの」
「それってやっぱり、寂しいから、とか?」
「うん。だって寂しいし、悲しいから。五年経った今でも泣いちゃうことあるんだよ? でね、そんな荒んだ私だったからさ、友達もいないし、作ろうとも思わなかったの。それに、友達を作ったところで、どうせ転校だし。だったら、クラスメイトなんて憂さ晴らし程度の相手と割り切ればいい、そう思ってたんだ」
「今からじゃ、想像も出来ないね」
「ふふっ、ありがと。そんな私をね、彼は一緒にシャドモンで遊ばないかって、誘ってくれたの」
「それが、綺月さんの」
好きな人。
「うん。渡会流星君。彼もね、友達がいなかったんだ。彼の場合は太ってたっていうのが一番の原因なんだけどね。私は別にそういうの気にしないからさ、どうせ暇だったし、一回くらい付き合おうかなって、遊んでみたの」
「それで、どハマりしたと」
「うん、もうあり得ないぐらいハマっちゃった。それまでゲームなんてしたこと無かったんだよ? ゲームなんて、どうせ友達同士で遊ぶためのツールに過ぎないんでしょって思ってたのに、シャドモン遊び始めたら面白過ぎてね。今の大樹みたいな感じで、流星君ともずっと一緒に遊んでたんだ」
流星君……か。
下の名前で呼んでるの、僕だけじゃなかったんだ。
心の中の嫌な気持ちを、冷めた汁物と共に一気に掻き込む。
「良い食べっぷりだね」
「どうも。それで、さっき言ってた気づきって、何なの?」
口の中が潤ったからか、幾分落ち着いて喋ることが出来た。
綺月さんは視線を僕へと向けず、やや俯きながら続きを語り始める。
「この学校でもそうだったんだけどさ、お父さんの仕事の都合上、どうしても傷つく人って必ずいるんだよね。そしてその人たちから、私は毎回イジメられたり、怒鳴られたりしていたの。でも、最後にはその人達だって不幸になるんだよね。だから、私の中でお父さんの被害に遭う人って、必ず私に攻撃してくる人っていう、そういうのが私の中にあったの」
綺月さん、ずっとそんな生活を送っていたのか。
お母さんを失い、周囲からは理不尽に責め立てられる。
もっと歪んでいてもおかしくない、僕だったら、多分耐えられない。
「流星君とはね、もう毎日遊んでたんだ。他の人が私を恨んで憎んで、陰でいろいろと悪い噂とか立ててるのに、彼は全然気にしないの。彼としても、一緒に遊べる仲間が出来て嬉しかったんだと思う。毎日違うデッキ組んで、毎日遊んで、バトルして」
言葉が止まる。
綺月さんを見ると、彼女は目に涙を貯めていた。
「なのにね、突然、流星君はいなくなったんだ」
「……いなくなった?」
「彼の家も、お父さんの仕事の被害者だったの」
瞳から零れ落ちる涙を、彼女はそっと拭う。
「流星君もね、自分の家庭が崩壊する原因を分かってたんだと思う。だから、家で遊ぼうとは絶対に言わなかったし、オンライン対戦も出来ないって断られてたの。私と遊んでいるなんて知られたら、何を言われるか分からないからね。それなのに、彼は最後の最後まで私に笑顔で接して、そのまま急にいなくなった。それまでの私の常識が、全部壊れた感じがしたの。攻撃も何もせず、ただ黙って笑顔を見せて、そしていなくなる。彼だって私を恨んでいたはずなのに、私と彼の思い出は楽しい思い出しかなかったんだよ? そんなの普通じゃない、あんな人が世の中にいるんだって、その時初めて知ったの」
それが、綺月さんが与えられた気づき。
これまでの全てを変えてしまった人。
「その時からかな、私、お父さんにお仕事頑張ってって、言えなくなっちゃったんだよね。傷つく人がいるのも耐えられなくなったし。そんな、いろいろとあった後、今の大樹が知っている私が出来上がったの」
「それで……その、流星君とは?」
聞くも、彼女は首を横に振った。
「それから一度も会ってないよ。シャドモンのフレンドからも彼は消えていたし、連絡先も交換していなかったからね。それに、会えたってどうにもならないし。申し訳なさ過ぎて何も出来ないよ。ただ、好きな人がいるかって質問には、間違いなく私は流星君が好きだったって言える。私の人生観を変えてくれた人だからね」
全てを聞いた後、彼女と僕は沈黙し、焚火から舞い上がる火の粉を眺めていた。
スマートフォンの画面はいつの間にか消灯し、真っ暗なまま。
「楚乃芽、帰るよ」
「あ、お父さん……じゃあ大樹、またね」
立ち上がり、お父さんの下へと向かう綺月さんを、僕は見送ることが出来ず。
ただ一人、無気力なまま、焚火を眺め続けた。
(玉砕することなく、砕け散ってしまった)
力なく、両の肩が下がる。
お正月から、僕の心はお通夜状態へと、沈み切ってしまっていた。
次話『告白。』
明日の昼頃、投稿いたします。